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もう一つの記憶

 



 少女は泣いていた。

 あるいは、雨で頬を濡らしていただけなのかもしれない。


「こんなところで何やってるんだ?」


 怜は、そんな平凡な質問をした。頭は回っていなかった。


 ここには何も無かった。しかし何も無いのに、いや、何も無いからこそただ時間が過ぎるのを待っているだけのような、そんな雰囲気がした。


 雨に濡れるのも、案外悪くないのかもしれない。

 ただ、雨に打たれるだけの時間。それが沈黙と同じだけ続く。


 少女は、端から見たら死んでいるのも同然だと思わせるような、そんな存在だった。

 怜は、特に「死」というもの、存在に敏感になっていた。あんなことがあった後では仕方がない。


 全身が雨に濡れているのにも関わらず、濡れた髪にも服にも気が回っていない。

 震えすらない。もしかしたら、寒さを感じることすら忘れているのかもしれない。そう思わされた。

 いつからそこにいるのだろうか?


「お兄ちゃんこそ、何やってるの?」


 少女は、凛はやっと口を開けた。声も震えてはなく、いつも通りの音だった。


「何だろうな」


 傘も差さずに、ただ立っているだけ。

 鞄は泥まみれになって地面に置いてある。置いたのは自分だった。


 本当に、自分が何をやっているのか分からない。

 そんな自分が理解出来ない。そんな自分が気持ち悪い程に怖い。


 最近、多くのことがありすぎて疲れているのかもしれない。

 ということにして済ましてやろうか。


 まあ、そんなには甘くないか




「こんな事してたら風邪引くだろ」


 怜は傘を差し出して、凛の頭の上に差してやった。

 それしか出来ることはない、なんて勝手に思った。


「今更でしょ」


 そんな、「雨に濡れ途方に暮れる少女に傘を差し出す」なんてベタな展開にはならないらしい。


「それもそっか」


 何気無い、何気なくも無いがそんなことで笑った。

 そんなことで笑えるぐらいに、心の中の感情というものは薄くなっていた。


 ここには、二人以外に誰もいない。いるはずもない。

 こんな日に、こんな時間に、こんな場所には。


 雨はしだいに強くなり、煩く降っている。


「いつからいるんだ?」

「わかんない」

「そっか」

「…」

「…」


 また、沈黙が生まれた。

 妹と話していてこんなに気まずいことなんていつぶりだろうか?


(いや、一年以上前か)


 怜は心の中でため息を吐いた。

 絶対悪は、自分であるのだから。


「帰るか」


 俺は、凛に静かに言った。

 逃げるように


「うん」


 凛は、弱々しく言った。


「立てるか?」

「うん」




 夕方の空は、変わらずに灰色に染まっていた。


 一つの傘には、もう雨に濡れた後の兄妹の姿があった。

 二人は、歩いていた。


「怜くん、右肩濡れてない?」

「お前が濡れるのは嫌だからな」

「…バカ」


 怜の左肩には、凛の頭が乗っかった。

 凛は、頬を膨らませて不満なのか嬉しそうなのか分からない表情をした。


 怜の意識の中の雨音は、段々と遠ざかっていく。

 この雨の中、怜の左にある感覚だけが温かく感じられた。


「みたいな展開、昔の少女漫画にありそうだな」

「そうだね」


 凛は、静かに笑った。


 面白い話をしていたつもりだったが、そういう笑いは起こらなかった。

 ただ、安心しているような、そんな気持ちだった。二人とも。





「…凛は何をしていたんだ?」

「私は本当にここにいていいの?」


 怜は、凛が何を言い出したのか全く分からなかった。

 急に妹が自分の存在を否定し始めたら、戸惑ってもおかしくないだろう。


「それは、どういう意味?」

「いていいの?」

「…勿論」


 勿論、ただ妹の存在を肯定するだけ。こんなにも簡単なことが、何故かとても重いものに感じた。

 これは、水沢怜が最低な人間という事なのか、それとも違う意味なのか―――


(そんなことは関係ないだろ)


 どんな意味があろうと、否定してはいけないものはある。

 それがどんなに無責任であろうとも、あろうとも…本当にこれでいいのか?


「あのね、黒瀬詩音って知ってる?」

「いや、知らない…」


 今日、その名前をどこかで聞いた気がした。しかし、それは知っているとは言わない。


「私、その人の記憶を見てたの」

「…」


 果たしてそんなことがあり得るのか


「そこには、何もなくて…でも、急に何かが出てきた」

「…」


 ただ、もう普通に戻りたいだけ


「何が起きて、誰と出会って、何をしたのか。全部頭の中に入っていった」

「何がだ?」


 もう何も起きてほしくなかった


「そこには、皆がいた。私の知っている人も、名前だけ聞いたことがある人も、知らない人も、まるで私の記憶そのもののように分かった」


 凛だけには、もうやめてくれ


「でも、その記憶の中にはね」




 私だけはどうしても見つけられなかった




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