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普通=無知

 



「…」


 剥谷氷翔は、黒瀬詩音が店を去るのを静かに見送る。


「…」


 言葉を失う。言葉が詰まる。

 この場合は言葉にならない、が適切であろうか。


 氷翔は数分、固まったまま動かなかった。しかし、それはただの数分ではない。

 脳が破裂する程の仮説と事実と、それと現実に埋め尽くされていた。

 まるで時が止まったかのような、生きている心地のしない長い時間を感じていた。


 もしくは、実際に時が止まっていたのかもしれない。


 そして、店内は5月とはとても思えない雰囲気を漂わせていた。

 何がそうさせているか。それは、言うまでもなく氷翔が中心にあった。

 いくら5月の夕暮れ時とはいえ、ありえない程に冷え切っていた。

 いや、冷え切っているというより凍り付いていた。時間までもが。


 パリンッ


「…あ」


 何かが割れた音がした。恐らく、コップか何かだろう。

 それに意識を取られ、氷翔は我に返った。

 店内はまだ少し冷え切っていた。


(割れちまったじゃねーか)


 氷翔は、自分の器の小ささで安物の器が割れたことに苛立ちを感じた。

 苛立ちを感じること自体も器が小さいのだが…


 朱華にもよく同じように注意をされていたんだが、どうしてもコントロールが難しいものである。


「さて、何を考えていたんだか」


 氷翔は、今日のことを思い出した。

 今、レイの存在は頭に入ってこない。それすらも小さいことに思えた程に。


 自分が、俗に言う「異世界」から来たという事は事実ではあるが、それ以上に今必要な事実があった。氷翔が必要としている事実が。


 シオンがここに来たこと。

 とても信じられるような偶然ではない。また一人、また一人ここに訪れる。まあ、客だから文句は言わないが。


 シオンが「こっち」に存在していること。

 あるいは…いや、どちらにしてもいることには変わりない。もし仮に、シオンが同じ存在であり違う存在なら、シオンは俺のことを知らないはずだ。

 だからこの場合は、こちら側に来たことになる。

 つまり…


 人を殺していることになる。

 いや、死よりも生から遠い、死すら許されなくした。


 まあ、そんなことより生きていることの方が大事なんだが…




 正直に言うと、死んだものかと思っていたが…そんなことはなかったらしい。

 この一年間、何をやっていたんだろうか。


 ということは、朱華曰く水沢怜だったか?

 あいつも死んではいなく、ただの転移ということか?


「水沢怜は、確かにそこにいた」


 水沢怜は、何をしていた?何を感じていた?

 あの頃にいたはずのレイは転移してきて、そこにいた。


 転移してきて…異世界の…

 何も迷うことはない。それが事実だと、そういう道筋に矛盾は一つとして無い。


 あの水沢怜とあのレイは同一人物だという仮説に間違いはないはずだった。

 異質が無ければ。


 記憶なのか、それとも人そのものなのか。それが別のものに変わった?それしか考える術は無い。

 結局何が言いたいか。これは、ただの水沢怜への感想でしかない。そう、何一つ生産性のない考えを。


 つまり、水沢怜は()()だということだ。

 あんなものは、人が変わらない限り根本からは変えられるものではない。はず。


 しかし、残念ながら、剥谷氷翔の目に映ったのは、


 血に飢えた鬼神でも、

 生きた屍でも、

 感情の無い生物でも、

 人形でも、勇者でもない。


 人間


 あれは、ただの人間だった。

 狂ってない。シオンのようには。

 力が無い。煌夜にあるようには。

 そして、俺のように…0は無い。


 完全な無知は、恐怖も警戒も、時には感情すら消し去る。

 だからこそ、あれを氷翔は普通だと認識した。


 だから何か?


 氷翔は、水沢怜を異世界から来たなどとは到底判断が出来ない。




「珍しく取り乱しているな」


 そして、こいつもまたその一人だった。だったことがある。


「急に入ってくるな」

「なんかやけに寒いな」


 朱華もまた、無知な人間であった。しかし、永久には続かなかった。ただそれだけ。


「何をそんなに考える、自称世界最強」

「自称した覚えはない」


 普通とは、突然凍り付いた店内(物理的)を見ても驚かないことではないはずだ。

 驚くどころか、感想を言われて終わったが…

 残念なことに、漆原朱華という存在も氷翔の中で普通という値に収まらなかった。


「はあ」


 氷翔は小さくため息を吐いた。


「どうした」

「何でここには、勇者とそのお友達と、それに狂ったお人形さんと徘徊者…」

「それと世界最強」

「あまり茶化すな」


 本当に狂ってる



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