一年前の自分へ
入学式が終わると生徒会役員達は新入生をそれぞれのクラスに引率し、在校生はそれぞれのクラスの場所に向かう形になった。この後はちょっとしたオリエンテーションのようなものを行い、各自で解散するらしい。
「トイレ行ってくるから先に行ってて」
怜はそう二人に告げると、急ぐように会場を出て行った。
「やばかったのかな」
「まあ、先に行っててようぜ」
怜は、涼と煌夜が会場を出るのを見届けてから、トイレではなく名簿表があった場所に向かった。名簿表は片付けられていた。
当然のことながらそこに少女の姿はなく、ただ一人、怜だけが立っていた。
去年の春、この高校に入学したときから今日まで、何も変わらなかった。結局のところ必然なんてものはこの世に存在しないんだと思う。今まで何も変わらなかったのは、俺が何もしなかったからではなく、全て偶然で出来ているからだ。奇跡が起きてその奇跡に原因があったとしても、その原因そのものが奇跡で起こるもの。
(結局、変えようとしても何も変わらないのがオチかな)
何もなかったはずの心に突然空いた空く筈のない穴は、こんなことを考えたところで埋まるはずも、原因さえ見つかることはなかった。
新しい春はただ繰り返すだけで、何も変わらない。
その瞬間、冷たい何かが頬を伝った。
それの正体は、静かに降り始めた雨の一滴だった。
(自分では泣けない、か)
雨は次第に強くなっていった。
「何やってるんだ、俺」
怜は、偽りの涙に包まれる前に教室へ向かった。
怜は自分の指定された教室の席に着き、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
待て待て待て、ここはもしや伝説の
(窓際の一番後ろの席では!)
神席(黒板が見えづらい)を入手した俺は、この一年間に大きな期待を抱いた。
そのとき教室のドアが音を立てて開き、全員の視線が教室に入ってくる人に向いた。
「おいお前ら、席に着け」
そこまで大きな声ではなかったが、確かに教室全体にその声は響き渡った。
全員が席に着き終わった後、教師らしき女性は言った。
「まあ、話す事は色々あるが…まずは。おい、入れ」
突然の出来事すぎて誰一人状況をつかめず、生徒たちが話す声が聞こえたが、すぐにその声も消えた。
教室に一人の少女が入ってきた。長く黒い髪を持つ彼女は、この場にいる全員が見惚れるほどに美しかった。
「こいつは今日からこの学年に転入する。で、このクラスに入ることになった。仲良くしてやれ」
怜以外のクラス全員が呆けた面で少女を見た。少女は少し気まずそうに視線を泳がせた。
「あんたが自己紹介する流れになってるところ悪いが、全員にやってもらう。まずは私からだ。だから最初は…後ろのあの席に着いてくれ」
その教師らしき女性は、怜の隣の席を指差し言った。
「はい」
彼女は、怜の隣の席に向かった。
(え?いきなりフラグが?)
怜は、彼女が自分の席に来る前に、彼の思う主人公的な最強の自分を作り出すことに成功した。
彼の思う主人公的な最強の自分とは…
・美少女に興味を示さない(周りの人間が興味ありそうにしていると尚良し)
・美少女に下心を表さない(周りの人間が下心を発揮していると尚良し)
・美少女に近づかない(周りの人間が美少女に群がっていると尚良し)
全部同じ意味だって?いや、そんなはずはない。
これは全世界共通の美少女の堕とし方ですから。
「よろしくお願いします」
目の前にいる美少女はなぜか、俺の方を見て微笑みかけた。
(まずい、予期せぬパターンだ。ていうか美少女との初会話だ!)
「ああ、よろしく」
俺は、彼女と目を合わせずに感情を込めないで言った。
(決まったーーッ!)
※注意 水沢怜の場合、この感じの悪い受け方は正解というか最適解らしい
解説 なぜ「決まったーーッ」なのか
普通の人ならここで躓いてしまい、更には目を合わせているのかいないのかわからないようになる(実体験から)。
しかし、心を込めず目を合わせないことを最初に決めてしまえば。そう、緊張も下心も、なんなら興味が一ミリもないように見せることが出来る。他の人との差別化ってやつだ。そうすれば、ツンデレなヒロインは俺に興味を持つはずだ。
え?いつからおまえのヒロインはツンデレになったのかって?
いや、それはツンデレが世界一可愛いからな(答えになってない)
ん?何かがおかしい
こういう美少女って大体、男共(自分含め)から言い寄られてるか、下心が発揮された目線に晒され続けている場合が多い。
というか今も実際そうだ。なんかすっごく嫉妬やら羨望やらが入り混じった目線を感じる。
(あ、目立たない学園生活を送りたい、って言ってたけど詰んだ)
まあ、それは置いておいて。
大体の場合、男共を警戒するはずだが…なんで話しかけてきたんだろうか
いや、深く考えるな。ただ単に隣だからというだけの付き合いだろ。あれも外向けの顔だったじゃないか
しかし、いくらそんなことを考えたところで怜の頭はあの会話を、あの自分に微笑みかけたときの顔を外向きの顔と認識はしてくれなかった。
あの微笑みはどこか儚く遠い、それなのに懐かしさと安心感が感じられるような、そんな表情をしていた。そして、その感情の先には確かに自分がいた。まるで、俺を知っているような。
それは、怜にとってはそれが誰であろうと、美少女の微笑みだとしても、とても気持ち悪かった。
この、名前すら知らない、なんの接点もないはずの二人が交わした刹那の会話は、彼ら以外の誰の耳にも届くことはなかった。しかし、怜にとっては消えない会話となった。
(いやー、まあどうでもいいけどまじで可愛いな。最高です)
まあ結局さ?可愛いければなんでもいいんすよ
悟り系現実逃避?いや、違ウヨ?気のせいダヨ?多分
結局のところ、怜の結論が変わることはなかった。