0の存在
(また、やっちまった)
気づいたときにはもう誰もいなかった。
怜は、詩音の言葉に翻弄されていた。どうやら、怜はこの少女には弱いらしい。
(帰るか)
怜は荷物を取り、風のない屋上を去った。
「ただいま」
当たり前だが、返事はない。
(はあ…)
怜は、言葉にならないため息を吐いた。
洗面台で手を洗い、荷物を置きに自分の部屋へ入った。風呂に入り、着替え、リビングに入った。
夕食の時間が近づいていた。怜は、二人分の夕食の用意した。
「あ、ミスった」
別に怜は良く食べる方ではないので、無理して二人分食べずに、明日の分として残しておいた。
最近、というかずっと悩まされているのだが、何故か二人分の食事の用意をしてしまう。皿の数も多い。こんなにはいらないと思う。
「どうにかしないとな」
そして怜は、自分のやけに多い独り言に嫌気が差していた。この静かすぎる空間に自分の声はいらない。なぜなら、声は誰に届くでもなく消えていくからだ。
まあ別に誰かに見られて困るものでも、逆に迷惑をかけるものでもないのだが…寂しさと恐怖を紛らわすのは、自分でどうにかなるような問題ではない。
食事を済ませると食器を片付け、自分の部屋へ向かった。
怜は、階段を上り終えると一度立ち止まり、自分の部屋ではなくその一つ奥の部屋を見た。
ノックをすると、返事を聞かずに入っていった。
「ただいま」
部屋の中は、まるで自分意外の全ての時が止まっているような感覚がした。
そして、怜の視線は一人の少女に集められていた。
ベッドの上には、一人の少女が横になっていた。その少女は、不自然な程に静かで動くことはない。
そう―――
―――少女は、死んでいた。
死因はわからない。死んでいるはずなのに体は腐らず、まるで魂が抜け、抜け殻だけが残ったような、そこだけ時が止まっているような状況に近いものがある。
そもそも、死んでいるのかどうかすらもわからない状況だった。
そして、誰も彼女のことを知らなかった。彼女がどのような状況なのか知らなかった。この家には男子高校生と少女の死体が住んでいることを。
怜は、誰にもこのことを伝えなかった。伝えられなかった。もちろん、家に死体が置いてあることを伝える勇気がなかったのだが、それよりも怖いことがあった。
それは、この少女と離れることだ。彼女は非常に異質な存在だ。このことが知れたら、彼女はこの家にいられなくなる。それが、怖かった。
(狂ってる)
死体を彼女などと一人称をつけて呼び、挙句の果てに離れたくない?これは、自分が狂っている意外の何者でもなかった。
彼女の名前は、部屋の中にある私物から「凛」という名前であることが分かった。しかし、彼女のことを知っている人間、存在を認識している人間は、一人としていなかった。もちろん、自分も含め。
まるで、彼女の存在がこの世界に存在していなかったかのように。いや、実際そうなのかもしれないが。
「今日も寝てるのか」
返事はない。それでも、話しかけ続けた。
ある日突然現れた存在は、自分が何者かを語ってくれるはずもなく、ただそこにあるだけ。
確かに死んでいるはずだが、怜の目には、全く別の。死とは別のものを感じた。
そんな時、ある言葉が思い出された。
「水沢さんは、妹とかいる?」
そんなことを詩音に聞かれた。もしかしたら、この少女は妹なのかもしれない。なんてことを考えても、怜にとってこの少女はすべてが0であり、他の人からも0だ。そんなことはわかるはずはない。
もう、怜はとっくに考えることをやめていた。どんなに可能性を考えたって、根拠がなければ話にならない。それでも…
それでも、彼女のことを妹だ、という認識が間違っているように感じない。もともと、そうであったかのように。そして、懐かしさを感じている自分がそこにはいた。
そのとき、少女の顔は苦しそうに歪んだ。
「え?」
しかし、歪んだのは少女の顔ではなく、怜の視界だった。
結局、怜は彼女のことを何一つわかることはなかった。




