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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛短編

顔も知らない

作者: 録宮あまね

 十五の時に三つ年上の伯爵令息、ユース・ロベント様と婚約した。

 親が決めた婚約者だった。

 お互いの父親同士が親しい友人で、この婚約には家や個人の複雑な事情があった。


 まず、ユース様の父、ロベント伯爵はご病気でいつ身罷られてもおかしくない状態だった。余命数年と宣告されて尚、何とかこの世に踏みとどまられている。

 当然実務は執れない。

 侯爵である私の父は、ロベント伯爵の代わりに若くして実務を執るユース様を支えていた。


 一方、我が家のほうの事情は、かなり奇怪なものであった。

 とうに亡くなった術師より、二百年以上も前にかけられた呪いである。

 もはや伝承に近い。経緯とどのような呪いかは、幼いころに聞かされている。



 今から二百年以上前、ある力の強い術師が愛した殿方を、家の祖先が奪ったということから話は始まる。

 奪ったというより、実際のところは術師の一方的な恋慕であり、逆恨みであったようだ。

 術師はあらゆる方法で、二人の仲を引き裂こうとしたが、どうしてもその殿方の心だけは自分のものにはならなかった。


 術師は殿方を殺してしまった。

 愛しさ余って、ということなのであろう。恐ろしいことだ。

 そうして、殿方の子供を身籠っていた祖先に呪いをかけた。

 生まれた子供が女児で、美しく成長し、恋をしようものなら姿は醜く変貌し、その姿のまま永遠に苦しむことになるだろうと。


 幸いにも生まれた子供は男児で、限定的な呪いが発動することはなかった。


 それから二百年余り、祖先に女児も生まれたが、呪いは一度も発動していない。

 私はその祖先の直系であるが、無論私とて今のところそんな呪いとは皆無である。


 考えるに、術師に恨まれた祖先にだけかけられた呪いであったのではないだろうか。

 それこそ子々孫々まで懸念する必要もなく。


 ただ、父は私が生まれた時、過剰に心配し、ロベント伯爵に相談した。

 例え私が醜い姿に変わるようなことになったとしても、ユース様の妻にしてもらえまいかと。


 ロベント伯爵は了承した。

 そもそも二百年以上、祖先に女児が生まれても発動しなかった呪いだ。

 念のためというほかないような、後に笑い話になるような話である。

 なのに……。






 ◇◇◇

 婚約して二年、忙しくしているユース様にようやく会える日。

 私は十七歳、ユース様は二十歳になっていた。


 我が邸に馬車が到着し、私は二階の自室の窓から彼が邸へ向かう姿を見ていた。

 彼の顔は見えなかったけれど、自然と胸の高鳴りを感じた。


 その時、全身が泡立つ感覚に襲われ、思わずしゃがみ込む。


「あ、ああ……」

 漏れた声は言葉にならない。

 見詰めた指の先から、自分の腕が変色していく。


 こんなことって……。


 呪いが発動したのだ。

 痛みはなかった。

 恐る恐る鏡の前に立つ。


 そこに映る自分は、もはや自分ではなかった。

 肌はトカゲの皮膚にカエルの疣。髪は針金のように硬くうねり、瞳は赤く正に人ならざるものを思わせる。


 化け物……。

 私は鋭い悲鳴を上げていた。


 駆けつけた父は変貌した私の姿を見て、顔を伏せた。

 この醜さは、見るに堪えない。

 父の態度が何よりもその事実を物語っている。


 邸の前まで来ていたユース様にお帰り願い、それから部屋に引きこもった。



 目覚める度、夢ではないかと鏡の前で確認しては落胆した。


 もう、どこへも行けない。

 何をする気力もない。




 父は呪いが発動してしまったことを、ロベント伯爵とユース様に話したようだ。

 ユース様から手紙が届いた。

 会いたい、と。

 悪趣味な好奇心だろうか。

 私は、当然断りと、自分との婚約を解消していただきたいと返した。


 父がどう思おうと、お飾りにもならない女などユース様の負担になるばかりだ。

 こんなにまで醜くなって、彼は私に触れる、いや見ることすら躊躇うだろう。

 伯爵家のお世継ぎを産むことだって叶わない。



 ユース様は、決して婚約解消には応じなかった。

 婚約を解消して、父の後ろ盾がなくなることを恐れているのだろう。

 ただそう思っていた。


 その後も、途切れることなくやり取りは続いた。

 やがて数十通にもなった手紙。

 季節の移ろい、仕事を含め自分の近況など、手紙からはいつだって彼の誠実な人柄が窺えた。


 そして最後に必ずこう書かれていた。

 怖がらないで。

 僕を信じて。

 会いたい、と。






 ◇◇◇

 私が呪いを発動して、三年が経った。

 ずっと闘病生活を強いられていたロベント伯爵は一年前に身罷られ、すでにユース様がその爵位を継いでいる。

 そして、父は変わらず私の婚約者である彼を支えていた。


 私は手紙でユース様の人柄に触れ、まだ見ぬ彼を愛しく思うようになっていた。

 結ばれないと分かっていても、自然と変わりゆく心までは止められず……。




 ある日、父が私の前に瓶を差し出した。


「術師に解呪の薬を作ってもらった」

 父は言った。


「術師?」


「呪いが発動した日から、解呪できるような強い力を持った術師を国中探し回っていた」


 透明の瓶に入った薬は、紅い色をしている。


「心配する必要はない。この薬を飲んで、一晩ゆっくり眠ったら、朝にはきっと元のメルティに戻っているはずだ」

 父は笑った。


 そんなうまい話があるわけがない。

 でも元の姿に戻り、彼に会いたい。

 会いたい……。


 私は瓶を手に取り、一縷の望みで紅い液体を飲み干した。




 父の言うことは、本当だった。

 朝になると、呪いが発動する前の姿に戻っていた。

 不思議なことに、あの日の十七歳のままの私だった。

 今、私は二十歳を迎えているが、最後に見た自分の姿から歳をとった感じがしない。


 こうして全身を布で覆い、ただ震える日々は唐突に終わりを告げた。




 呪いが解けたことを報告すれば、ユース様は喜んでくれるものだと思っていた。

 真っ先に手紙で知らせる。

 けれど、帰ってきた手紙はとても信じがたいものだった。



 呪いが解けたのであれば、もう僕も自由にして構わないだろう。気の毒な貴女を捨てたとなれば、自分の評判が下がり、地位も危ぶまれた。


 今こそ婚約解消に応じる。

 いや、貴女が応じない可能性を考え、婚約はこちらから破棄する。

 実はこの三年の間に、自分は貴女以外の本当の想い人と通じていた。いずれその女性と一緒になるつもりだ。


 貴女もその姿なら、誰の元にでも嫁げるだろう。

 ここまで付き合ったのだから、貴女の父、セドリック侯爵にも十分恩義を返せたはずだ。

 罷り間違って、貴女が僕に心を寄せたのであれば、恨んで構わない。

 僕のことは忘れ、これから新たな幸せを探して欲しい。


 そのような内容だった。



 信じられず父に伝えると、諦めるよう諭された。

 今までの彼との長い手紙のやり取りは、全て偽りだったというのか。

 本当に信じられない。


 けれど、考えてみれば婚約から五年、これまで私たちは一度も顔を合わせていない。

 そして、私が呪われた姿から元に戻る保証もなかった。

 その間に彼が他の美しい令嬢に惹かれたというのなら、それも当然である。


 私の呪いが解けるまで、ユース様は真実を伝えてはこなかった。

 たとえ偽りだとしても、私の心が挫けぬよう、ずっと私を励まし支えてくれていたのだ。


 彼が本当に好きな人と幸せになれるのなら、それがいい。

 彼には幸せになってもらいたい。






 ◇◇◇

 それからまた二年の歳月が流れた。

 私は二十二歳になっていた。


 父はこの二年の間に、私に何度も新たな婚約者候補の話を持ち掛けた。

 私はそれらを全て断った。


 まだ、とてもそんな気持ちにはなれなかった。


 ユース様は幸せに暮らしているだろうか。

 未だ彼の結婚の話は聞こえてこない。




 父に付き合い、晩餐会に出席することにした。

 これまでそういった関わりの場に出ることをずっと断ってきたが、ユース様の様子が知れるチャンスだと思ったのだ。



 会場に着くなり、早々に主催者に確認する。

 残念ながら、今宵、ユース様は出席していないようだ。

 それでも父から離れ、男性と歓談しながらユース様の情報を探る。

 どの方に尋ねても、ユース様をここ数年見かけていないと言う。


 どうもおかしい。

 体調でも崩されているのだろうか。


 ユース様のお父上の病気は、遺伝性のものではなかったはずだ。

 けれど数年間、誰も彼を見かけていないなんて、この狭い貴族社会の中ではありえない。


 ユース様は、床に臥せって苦しんでいるのではないだろうか。

 そう思ったら、いてもたってもいられなかった。




 翌日、私は一人でユース様のお邸を訪ねた。

 ただの友人として、お元気な姿を一目見られたら。

 思いはそれだけだった。



「申し訳ございません」

 冷たい一言とともに、ロベント家の執事に丁重に追い帰される。

 けれど、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。


「ユース様にお会いできるまで、ここで待たせていただきます」

 私はそう言って、門の前から動かなかった。


 これでも侯爵令嬢で元婚約者なのだ。

 こんな対応はおかしい。

 一気に、病気の可能性が高まる。




 何時間経っただろうか。

 夜の帳が下りた後も、私はその場に立っていた。

 霧雨のような雨が降り、容赦なく髪や体を濡らす。



「これから本降りになります。お帰り下さいませ」


 先程の執事が邸から出てきて、俯く私に傘を差し出した。

 いつの間にか、馬車まで横に着けてある。


「いいえ、絶対に帰りません。今日、無理に帰したとしても、明日も明後日も同じことをします。私は、ユース様にお会いできるまで決して諦めません」

 強い口調で返した。


「……分かりました。邸へどうぞ」

 執事は、ようやく折れた。


 冷淡に見える彼は、困ったような表情をしていたが、何故か不思議と安堵しているようにも見えた。




 客間で随分と待たされ、それからようやくユース様の部屋へと案内される。

 彼の部屋の前に着くと、執事から釘を刺された。


「会うことはできません。しかし、話をするだけなら構わないとのことです。椅子におかけいただき、お話をどうぞ」

 彼がそう言って扉を開くと、部屋の中心部に高いパーテーションが置かれている。


 当然奥は見えない。

 手前には、座り心地の良さそうな長椅子が置かれていた。

 このパーテーション越しに話せというのか。



「ユース様、初めまして。メルティ・セドリックです」


「初めまして、と言うのも不思議なものですね。メルティ嬢、ようこそ我が邸にお越しくださいました。ユース・ロベントです」

 ユース様の声は落ち着いていた。


「ユース様、どこかお体の具合がよくないのではないですか?」

 不躾とは思ったけれど、この状況はあまりにも不自然だった。


「僕は至って健康です」

 ユース様はそう言った。


「ご健勝なのであれば、お顔を拝見してお話させてください」


「恨み言でしたら、その場でどうぞ」


「そんな、恨んでなどおりません。これまでユース様のお手紙が私の支えでした。私はただユース様の幸せを願っております」


「僕は今、幸せです。ご心配には及びません」


「けれど、ここ数年、ユース様のお姿を見た者がいないというのです。本当は病で臥せっているのでは?」


「いいえ」

 彼は答えた。


「失礼いたします」

 私はそう言うと、強引にパーテーションの隙間を広げ、彼がいる空間へ踏み入る。



 彼は床になど就いていなかった。

 ソファーに座っていた。

 けれど……。


「いけない人ですね」

 彼はそう言って、直ぐに手で顔を覆った。


 それはとても馴染みのある手だった。

 トカゲともカエルともつかない不気味な肌。

 隠していても分かる。


 顔も手と同じはずだ。

 きっと、爬虫類のような皮膚には無数の疣。

 そして瞳は赤く、瞼が腫れ、唇はがさつき肌との境界がない。


 視線を上に移す。

 髪は赤茶。針金のように硬く、櫛が通らないほどゴワゴワしている。



「どうして?」

 呟いたまま、私は彼から目を離すことができない。



「隠しても意味はありませんね」

 彼は手を離し、顔を上げる。


「見ての通りです」


 やはり、彼は二年前の呪われた私と同じ姿をしていた。


「そんな、おかしいです。呪いは私の祖先のもので、ユース様には関係がないはずです」


「そうですね。僕の祖先もきっと同じ術師から恨みを買っていたのでしょう」


「そんな偶然、あるわけがありません」


「いいえ。きっとそうなのです」


「薬があります。私が飲んだ薬が。お父様に頼んで、術師に解呪の薬を作ってもらいます」


「薬のことはセドリック侯爵から聞いています。でも、残念ながら僕にはその薬は効かないのです」


「何故ですか?」

 私は前のめりに尋ねる。


「多分、僕の方が呪いの力が強いのでしょう。それにしても、メルティ嬢が元の姿に戻ってよかった。その初雪のような白い肌、林檎のように赤く艶やかな唇、流れるようなブロンドの髪、煌めくサファイアの瞳、本当にとても美しい」

 ユース様は、赤い瞳でじっと私を見ている。


 私は彼に近づこうとしたが、彼はソファーから立ち上がり身を翻した。


「さあ、もうお帰りください。こんな気味の悪い姿を見ていたら、あの頃の辛さを思い出してしまうでしょう。僕のことは忘れてください」


「そんな……」


「クレエト」


 ユース様に呼ばれ、執事が私の腕を引いた。


「どうかお帰りくださいませ」

 半ば引きずられるように私は邸を後にし、そのまま馬車に乗せられる。


 頭が混乱して、何が何だか分からなかった。


 あれは確かに私の呪いだったはず。

 私だけの……。




 自邸に戻ると父が心配していた。

 適当な嘘を言って外出したが、何をしていたにしても、あまりに遅すぎる帰宅だった。


「お父様、私、ユース様にお会いしてきました」


「ユース卿と会っていたというのか?」

 父は目を見開く。


「はい」


「彼がメルティと会うはずがない」


「お邸を訪ね、無理に彼の部屋に押し入ったのです」


「なんてことを」

 父は眉を顰めた。


 これで確信する。


「お父様は知っていたのですね。どういうことなのですか? あれは私の呪いだったはずです」


「彼はなんとおっしゃっていたか」


「自分の祖先も同じ術師から呪われていたのだと」


 父は返事をしなかった。


「そんなわけがありません。お父様、どうか本当のことを教えてください」

 私は父を凝視する。


「……ユース卿が望まれたのだ。メルティにかかった呪いを自分に移すことを」


「移す?」

 思わず声を荒らげてしまった。


 一度深呼吸をし、呼吸を整える。


「私は薬を飲んで、解呪が叶ったのではないのですか?」


「睡眠薬を入れてはいたが、あれは薬ではない。ただのワインだ」


「薬は、嘘?」


 父は頷く。


「すまない。探し出した術師でも、呪いの力が強すぎて解呪はできなかった。ただ、呪いを別の者に移すことだけならできる。それを知ったユース卿が、あの晩、自分に呪いを移すよう術師に頼んだのだ」


「どうしてそんなことを? お父様は止めなかったのですか?」


「情けない親だ。我が娘を元の美しい姿に戻してやりたい一心で、彼の魅惑の提案に抗えなかった。それに、そうすることがユース卿の強い望みでもあった」

 父は辛そうな顔で目を伏せる。


「術師に会わせてください」


「何をする気だ」


「呪いを私に戻すのです」


「そんなことをユース卿は望んでいない」


「私の呪いを彼に押し付けるなんて間違っています」


「私はお前に幸せになってもらいたいのだ」


「ユース様を犠牲にして、どうして幸せになれますか」


「メルティ」


「お父様、どうかお願いです」


 父は暫く動かなかったが、やがて無言のまま頷いた。






 術師の住処は街中にあった。

 訪ねた私を不躾に眺め、「上がれ」と言う。

 術師だからか、身分などを気にしない性分のようだ。


 小さな部屋に、今にも崩れそうな本の山。

 僅かな隙間を見つけて、座らせてもらう。


「ご存知かもしれませんが、私はメルティ・セドリックと申します。単刀直入にお願いいたします。ユース様に移した呪いを私に戻してください。お金なら払います」


「金の問題ではない。儂は彼の強い想いに打たれ、望みを叶えたまで」

 術師は言った。


 儂と語るが、高齢というわけではない。

 見たところ、四十か五十、さっぱりとした印象の女性である。


「私だって強く、とても強く望んでおります。彼に幸せになってほしいのです」


「だったらこのままでよい。彼は今、満足しておる。お前を美しい姿に戻すことができ、あのような姿をしていても幸せなのだ。もしお前に呪いを戻したら、彼は一生辛い思いをするだろう。彼から幸せを取り上げるか」


「今、彼が幸せだなんて絶対におかしいです。だって私に関わることさえなければ、彼はあんな姿になることなんてなかったのですから」


「関わりまで遡り、後悔しても仕方あるまい」


「では、私は? 私は一生こんな辛い思いをしたまま、生きていくしかないのですか? 私一人、幸せになんてなれません」


 どうしたら伝わる?

 強く唇を噛む。



「成程。気持ちは同等か。それなら同等に分けるほかあるまい」


「分ける?」


「呪いを半分ずつに」


「そんなことができるのですか?」


「半分……それぞれ半身に呪いがかかったような見目になる。右半身と左半身。それはそれで趣味のよい見目ではないが、それでも構わぬか」


「それはどのようにして?」


「移す者と移される者、儂が同時に触れて実行する。実際、お前から彼に移す時もそうした」


 呪いの移動は、私が睡眠薬入りのワインで眠っている間に、当家で行われたのか。


「ユース様は拒むと思います。それどころか、お邸に入れてもらえないのではないでしょうか」


「心配は要らぬ」

 術師は悠然と答えた。






 深夜、術師と私はロベント邸の前に立っていた。

 呼び鈴も押さず、自然と扉が開く。


「どうぞ」

 ロベント家の執事だった。


「どうして?」

 私は呟く。


 彼は数日前、ユース様の指示で引きずるように私を邸から追い出したのだ。


「協力するそうだ」

 術師が言った。


 ここ数日のうちに、二人がどんな話をしたのか分からない。


「随分と当主思いの執事のようだからな」


「恐縮でございます」

 術師の言葉に、執事は頭を下げる。




 執事のクレエトさんの手引きで、ユース様の寝室へと向かう。

 部屋に入ると、出来るだけ物音を立てぬよう慎重に歩いた。



「こんな夜更けに何事ですか?」

 声とともに、ベッドサイドに明かりが点いた。


 ユース様が素早くベッドから降りる。


「気配で起きてしまったか。食事に睡眠薬を入れてもらったのだが」

 術師は言った。


「後ろにいるのはメルティ嬢ですか?」

 ユース様はこちらの様子を伺っている。



「ユース様、父から全てを聞きました」

 私はそう言い、術師の横に並んだ。


「まさか、呪いを戻しに? ディアフィーヌ、約束が違います」

 術師の名はディアフィーヌと言うらしい。


「彼女の美しい望みもまた、ないがしろには出来ぬ。これから呪いを等しく分ける」


「呪いを分ける? 何を言っているのですか?」

 彼は動揺している。


「ユース様、どうかお願いです。せめて、呪いの半分を私に返してください。この呪いは、元々私のものです」


「出来ません」


「何故?」


「それは…… それは、あなたを愛しているから……」

 ユース様は俯いている。



「私ではなく、他に愛している女性がおられるのでしょう?」


「そんな女性はいません」


「それも嘘だったのですね」


 彼から返事はない。


「ユース様、私を愛しているとおっしゃるのなら、同じ姿でどうか一緒に生きてください。私もまた、あなたを愛しているのです」


 私はユース様を見つめた。

 彼は無言のまま、首を縦には振らない。


 私は飛び出し、勢いよく彼に抱きつく。


「メルティ嬢、何を? 離してください。傷つきます」


 慌てながら、ユース様は抵抗する。

 彼が抵抗すればするほど、彼の針金のような髪や肌の疣が体に当たり、痛みを感じた。


「傷ついても構いません。愛しております」


 暫くして、ユース様は小さく頷く。

 承諾の証だった。

 承諾というより、諦めたといった方がきっと正しいだろう。




 それから術師、ディアフィーヌさんが左右の手でそれぞれ私たちを掴んだ。

 掴まれた腕はとても熱い。

 私は彼を見ていた。


 ユース様の左半身だけ、徐々に姿が変わってゆく。

 爽やかなミント・グリーンの髪、切れ長の瞳はアズライト。

 戻った半身を見れば、彼が元々はどんなに美しい容姿だったのかよく分かる。


 彼は哀しそうな表情で、私の左半身を見ていた。

 勿論、私の半身は醜く変わっていた。


「たった半分でも、あなたの表情がよく分かります」

 私はそう言って、彼に笑って見せた。


「今、お前の肉体的年齢は二十三というところか」

 ユース様を見ながら、ディアフィーヌさんが言った。


「呪われている間は、肉体の時が止まるのでしたね」

 ユース様は返す。


「その通りだ。この呪いは醜い姿で永遠に生き続けるという不死の呪いでもあるのだ」


「不死……」

 私は呟く。


「呪いが半分になったから、不死ではなくなったかもしれぬ。ただ、普通の人間よりはかなり長く生きるはずだ。それこそ何百年、何千年も」


 この呪いは、やはり人間ではなくなるということなのだ。

 私の体は震えていた。


「悪いことばかりではない。長く生きられるということは、その間に儂なんぞよりずっと強い力を持った術師が生まれるかもしれぬ。その呪いを打ち消せるほどの術師が」


「そうですね。彼女の呪いを完全に解くまで、僕は諦めません」

 彼はそう言って、私を見つめる。


「私も、ユース様が請け負ってくださった私の呪いを消すまで、決して諦めません」

 私も、彼の瞳を見つめ返した。




 カーテン越しの窓が白んで、夜が明けようとしていた。

 ディアフィーヌさんは疲労が激しく、一足先に邸を後にした。




「ユース様。初めまして、ですね」

 私は敢えて明るくそう言った。


 仕切り直しではないが、私たちは改めて向かい合ったソファーに座っている。

 クレエトさんが熱い紅茶を運んでくれた。


「あまり見ないでください。半分戻ったとはいえ、気味が悪いでしょう?」

 ユース様は私から目を逸らす。


「とんでもないです。月並みですが、本当のユース様はとても格好よいです。それに、気味が悪いなんて言うなら私も同じです」


「貴女はとても綺麗ですよ。それこそ、数百年前の呪いが発動してしまうほどに。星のように美しく、花のように可憐で、僕には眩しすぎます」

 ユース様は微かに笑った。


「一つ教えていただきたいのです。婚約者とはいえ、会ったこともない私のために、どうしてここまでしてくださったのですか?」


 彼は私を愛していると言った。

 でも、愛してもらえる理由が分からない。



「呪いにかかり、貴女はすぐに婚約を解消しようとしましたね。僕のためだったのでしょう。優しさを感じました。その後の手紙からも優しさが溢れていました。僕にできることなら、どんなことでもしてあげたいと思ったのです。メルティ嬢がどんな姿であろうと、会ったこともない貴女のことが、愛しくて仕方がなかった……」

 そう言うユース様の頬は、少し赤みを帯びていた。


「お優しいのはユース様の方です。部屋から一歩も出られなかったあの辛い日々、ユース様のお手紙にどれだけ救われたことか。けれど、このような重い呪いなど請け負って、ユース様はご自分のこれからのことを考えなかったのですか?」


 ユース様は私の言葉を真剣に聞いている。

 彼は私に紅茶を勧め、その後自分のカップに口をつけた。



「僕は貴女からこれまでいただいた温かい手紙さえあれば、生きてゆけると思っていましたから。醜くても死ぬわけではありませんし、というより寧ろ不死になってしまいましたし。仕事に関しては、表舞台に立てずとも、陰からできることはたくさんあります」


「ユース様はお優しいだけじゃなく、強く前向きなのですね。では、これからどうしたらよいでしょう?」

 私は僅かに首を傾げた。


「そうですね。お互い半分だけ仮面をつけるというのはいかがでしょう? 貴女がおっしゃっていたように、片側だけでも人の表情は分かります。体も半身を露出させなければ、驚かせずに済みます。工夫次第で、何とか人前に出られるのではないでしょうか?」


 私は感心しながら、頷いた。


「これからもずっと僕と一緒にいてくれますか?」


「勿論です。ユース様にどこまでもついてゆきます」



 私は席を立ち、彼の隣に座った。


「メルティ嬢……」


「メルティで構いません」


「では、メルティ。長い時間がかかると思いますが、完全に呪いを解いて、僕はきっと貴女を幸せにしてみせます」


 ユース様の横顔は凛としていて、とても綺麗だった。


「今でも十分幸せです」


 私は微笑み、右半身でユース様の左半身に寄り添う。


 温かい……。

 ユース様の体温を感じられる。



 この忌まわしい呪いは、永遠に解かれることはないのかもしれない。

 けれど、決して諦めない。

 そして死が二人を分かつまで、もう私は愛しい彼の側を離れない。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。 メルティもユースも、お互いがお互いを思いやる気持ちが切なくて素敵です。 結果的に呪いを半分ずつ引き受けることにはなったけど、お互いに呪いを完全に解くんだという強い思いが、いつ…
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