満たされぬ乾き
その眼光を受け止めたアジーは即座に警戒と離脱の体勢を取るが、ミリアムは一切それをしようとしない。
あくまで正面から堂々と、まるで旧知の間柄のように声をかける。
「2週間ぶりの邂逅よ?言いたいことがあるなら聞くけどぉ?」
その時アジーは目を見開いて驚愕した。
『血みどろ甲冑』が戦闘態勢へと移らない。長剣を右手に吊り下げてはいるがそれを振るおうという気配がまったく無いのだ。
(な……なんだ?俺は悪ぃ夢でも見てんのか!?)
人と対峙して戦わないモンスターなどいない。
なぜならモンスターとはそういうものだからだ。
決して相容れず、相対すれば必ず殺し合う。それが人と、ダンジョン内で生まれたモンスターとの関係性である。
例外は無い。人を襲わないモンスターは過去あらゆる情報を参照しても存在しえない。
そう、いまこの目の前にいる悍ましいモンスター以外は。
そしてその後の行動は二人を更に驚愕させることになる。
「……」
「あっ、こらっ!逃げようとすんじゃないわよっ!」
なんと踵を返し早足でそのままどこかへ立ち去ろうとしたのだ。
人喰らいの怪物があろうことか、人間から逃げようとしている。
アジーからしてみれば、今眼にしているのは安宿で安酒を呷った時に見る悪夢のようであった。
「ググ、ガ」
「うっさいっ!今日はあんたに会いに来たんだからどっか行かれちゃ困るのよっ!」
呻く甲冑に対して小言を飛ばすミリアムの正気を疑うのも無理はない。
その姿はまるで弟妹を叱る姉のそれだ。断じて、断じてモンスターに対して行っていいものではない。
通路のど真ん中で自分達を見下ろす甲冑の姿が、アジーにはほんの少しだけ小さく見えた。
しかしあまりに現実味の無い光景に、気味の悪さを覚えてもいた。
「おいミリアム、会うって目的は達成しただろ?そいつがいつ正気を取り戻して襲ってくるか分かったもんじゃねぇ」
「大丈夫よ、こいつはそんなこと考えてないわよ。ねっ?」
「……」
「ねっ?」
「……」
イカれてる。そんなことでダンジョンの悪意であるモンスターが引いてくれるのならば誰も苦労はしない。
いつその剛腕が振るわれ首を落とされるか。素手で縊り殺されるか。こんな場所で死んでこいつのエサになるのか。
そう思っていたアジーの予想は悉く裏切られ、近づくミリアムに後ずさりまでし、挙句の果てに小さく頷く仕草すら見せてしまった。
(モンスターに意思?バカげてやがる、そんなものあるワケねぇ。じゃあこりゃ……なんなんだよ、理解できねぇ……)
やはりこれは悪夢だ。本当の自分はベッドの上で抜けない酒に苦しんでいるに違いない。
そう思いたくても、ダンジョン特有の湿度のある不快な空気がそれを否定する。
傍から見ているだけのアジーは頭がどうにかなりそうだった。
目の前にいるのは人類種の敵だ、散々自分の仲間達を喰らい殺してきた者達の同族だ。
だというのに……
「この辺安全地帯あったわよね。ちょっと面貸しなさいよ」
「グ……グギ……」
「……私の腕奪った癖に逃げるの?すっごく痛かったのよ?ねぇ?」
「……」
ミリアムの押しの強さへの反応に、共感してしまう自分が少しだけ嫌になっていた。
探索者は稼ぐ為なら薄暗いダンジョンの中に何日間、時には何週間もいることがある。
しかし日も差さず風も吹かず、薄暗い陰鬱なダンジョンに好んでい続けたい人間などそうはいない。
ましてやその間、常に命の危険を回避するために気を張り続けなくてはならないのが探索稼業だ。
時間を掛ければ当然疲弊し、集中を欠き、それが死に繋がる。
熟練の探索者程、活動時間と休息の重要性を説くものである。
「はーついたついた。やっぱあんた強いのね」
「グゥ……ヴァ」
「俺ぁ気が狂いそうだよ……モンスターの護衛なんて冗談に決まってんだろ……本気でそんなつもりなかったんだよ……」
ダンジョンには階層ごとに数か所、安全地帯が存在する。
モンスターが出現せず、探索者達が唯一安全だと言える場所がそれだ。
中央には焚火と、それを囲むように座れるサイズの丸太が4本が置いてある。
どうして椅子や机ではなく丸太なのか?焚火の炎はどうして水をかけても消えないのか?そもそもどうしてこんな部屋がモンスターひしめくダンジョンの中に存在するのか?
様々な予測が立てられているが、その多くの真相は未だ明らかになっていない。
当然ながら、目の前のモンスターが二人の護衛を務めながら安全地帯までついてきている理由も明らかになっていない。
二人が腰掛けるのを待ってから、手元の剣を足元の小さな沼に突き入れてから座る。
何度か足を運んでいるこの安全地帯へはミリアム主導の元、探知をアジーが勤め、敵を『血みどろ甲冑』が薙ぎ払い進んできた。
その道中では『血みどろ甲冑』はことあるごとにアジーの常識定義を狂わせる。それだけの働きを見せた。
「ミノタウルス二匹を正面から始末してやがったな……ますます化けモンだ」
「……」
「ほらー化け物とか言うから傷ついてるじゃなぁい。謝れー」
「今の本当に俺が悪いのか?」
自分達と一緒になって丸太に腰掛けるモンスターも、心なしかズンと落ち込んでいるような気配を出している。
そんなことある?そう思わずにはいられなかったが、過程はどうあれ護衛をしてもらった身。
4階のモンスターは強い。『筋力』『耐久力』に優れたミノタウロス、スケルトンやその上位種であるソルジャーを統率するスケルトンメイジ。
どちらも4階の要注意モンスターとして挙げられている。それもあって普段なら四人がかりで集中し、半日狩りが出来るかどうかといった階層だ。
それをこの『血みどろ甲冑』は右手の長剣一本で、恐怖など一欠けら程も感じさせない動きで始末して回る。
時に突撃し敵の首魁のみを瞬殺し、流れるように周囲のモンスターを長剣で薙ぎ払う。
時に投擲。こちらに気付いていないミノタウロス二匹の内片方を頭部への長剣投擲で始末。
その死体が倒れる前に全速力で近寄って刺さった剣を引き抜き、そのまま流れるようにもう一匹を始末するという恐ろしい機動力を見せた。
安全地帯までの過程、背後にいるミリアム達にモンスターが流れてくることは一度も無かった。
最速で戦闘を終わらせ、損耗を抑える。理想的な殲滅方法をこれ以上ない程に体現していた。
「……まぁ、なんだ。助かったよ」
「ガァウゥ……」
甲冑はチラリとアジーを見て軽く唸り声を上げると、また俯いてしまう。
相変わらず首元からは血をダラダラと流していて、その仕草からは素直に感謝を受け取っているようには見えない。
どちらかと言えば落ち込んでいるような、悩んでいるようにも見える。
「マジで人語を理解してんだな……これが公になりゃ、また一波乱になるな」
「こいつが変なんでしょ。地上に私抱えて出てきたわけだし。ねぇ、実際のとこどうなの?……あっ、そう!その子!それも気になってたのよね!」
目の前に座る甲冑は腰掛けながら、隣にいる何かに餌をやっているようなそぶりを見せていた。
しかしかえってそれが二人の目に留まってしまい、甲冑が小さく呻く。
諦めたように吐息を吐き出すと、それを両手で掬い上げ掲げて見せた。
そこには小さな、それこそミリアムの掌よりも小さな蒼い小鳥が顔を覗かせる。
「か……かわいい~!!ほ、ほらっ、おいでおいで……キャー!かわいいーっ!」
「クルル……」
小鳥は小さな羽をパタパタと羽ばたかせて掌から飛び出し、ミリアムが広げた両の掌に着地した。
ミリアムが親指を近づけるとそれに沿うように頭を預け、すり寄る姿勢を取る。
カリカリと首元や顔を撫でてみれば気持ちよさそうに鳴き声を漏らしている。
「見たことねぇ鳥だ、モンスターの一種か?少なくとも協会で共有されてるモンスター情報にはなかった筈だ。こりゃあ……なんだ?ちょっとスケッチさせてくれ」
アジーは腰元から小さな手帳と古めかしい鉛筆を取り出し、サラサラとそれに描く
しかしながらこの鳥の人懐っこさはとてもではないがダンジョンの中で生きていける生態には見えない。どちらかと言えば被捕食者だ。
そしてそれが『血みどろ甲冑』と行動を共にしている。それはあまりにもらしすぎた。
首元から零れる血が涎のように見えるのもそれに拍車をかけていただろう。
「お前……まさかこいつを食料に……」
「……!」
「わ、悪い。気分を悪くしたなら謝る」
どうしても気になってしまい、スケッチを続けながらもアジーはもう一つだけ質問をしたが、即座にブンブンと首を振って否定される。
どうやらこの甲冑は倫理観というものまで兼ね備えているらしい。
これほどまでに人間に近い価値観のモンスターがいることに、アジーは今すぐ叫び出して発狂したい気分であった。
そんな男の感情など露ほども興味を示さず、ミリアムは手元の小鳥を撫でまわすことに心奪われていた。
「羽ふわふわ~っ!ねっ、この子なんて言うの?」
「……ヴゥ、エ」
「よし描けた。っておい待て、こいつ喋れねぇだろ───」
「プルメリアっていうの?いい名前じゃない!」
「「……?」」
二人は一瞬耳を疑った。
「でもあれって白い花でしょ?この子は空色じゃない、なんでそんな名前にしたの?……ぷっ、意外とロマンチストなのねぇ」
「……???」
「待てや」
二人というのは当然、アジーと『血みどろ甲冑』だ。
「なぁ俺もう頭ん中パンクしそうなんだよぉ……もうほんっと勘弁してくれよぉ……!!」
「なによいきなり……あ、そう言えば会話してなかったわね。でもなんとなくだけど分かんのよ、こいつの考えてること」
「!?」
「そういうの言え先によぉ!!あとなんでお前が一番ビックリしてんだよ!!」
モンスターといえども『怯み』はするし『恐怖』もする。『怒り』だってするし『怯え』もする。
だがそれは生物としての条件反射のようなものであり、個体として感情を持つモンスターは存在しないというのが定説だ。
モンスターにあるのは強烈な生存本能と闘争心、そして人間への敵対心のみである。
これが現代におけるモンスターへの認識であり常識である。
最初の遭遇から迷うことなく盾役の腕を奪い斬り捨てる冷酷さ。
駆けだしてから敵を殲滅するまでの高すぎる身体能力。
更には喉元から溢れ出る血と威圧的な風貌は、あまりにも人間らしさを否定する。
だというのに目の前の甲冑は一体全体なんだというのか。
言葉で圧されれば怯み、愚弄されれば落ち込み、鳥を愛でる感性を持っている。
特に先程。目の緑光が一際大きく輝く様は、目を見開いていると同義だと見て取れる。
悲しみ、驚き、慈しみ、愛でる。およそ感情を持たない者にはできないであろう行動の数々。
そしてなによりミリアムの生存と奪取した右腕の返還。
あらゆる行動が目の前の存在のモンスターらしさを否定する。
アジーはこの『血みどろ甲冑』というものを正確に評価しあぐねていた。
「あんたの名前は?……ない?覚えてない?うーん、その辺のニュアンスは微妙に伝わってこないわね……じゃあ他に知り合った人間がいる?……分からない?どういうこと?」
「やめろやめろやめろ!聞き込みからとんでもねぇ深堀りするんじゃねぇ!今聞いたら絶対記憶から抜け落ちるもんが出てくるだろうが!!」
必死に自分の記憶に整理をつけ、可能な限り情報を持ち帰ろうとするアジーを嘲笑うように、新情報が洪水のように押し寄せる。
突如ダンジョン内を好き勝手に徘徊し、あまつさえダンジョンの外へ現れ、人語を理解し、動物を飼い、しかもそれと意思疎通が出来る人間がいる?それも知り合いに?
冗談ではない。一刻も早く帰って酒を煽り全て忘れて眠ってしまいたい。
ついてこなければよかった、心の底からそう思うも後の祭り。今のアジーには頭を抱えるしかできなかった。
「んー……感情とか名詞はなんとなく分かるけど細かいニュアンスはダメそうね。ねぇ、私の身体に何したの?起きてから身体の調子がいい意味で変なんだけど」
「……ヴ」
「血を……通す?返る?もうちょっとハッキリ……飲む?えっ、私あんたの血ぃ飲んだの?違うの?じゃあ……」
「落ち着けミリアム!質問するなら俺にも分かるように、出来ればもう少しゆっくり静かに進めてくれ頼むから!」
「私に分かるように説明してくれないこいつに非があると思うわね」
「無茶ばっか言うんじゃねぇよ……もういいちょっと代われ、お前に任せたら俺の身が持たねぇ」
普段感覚的に物事を理解するミリアムにとって、質問や教導と言った誰かの為の言語化というのが苦手だった。
やってみたいことはまずやってみる。誰かに教える時はまずやらせてみる。
今までそうすることで様々な技術を体得してきた、できてしまったからこその弊害でもある。
これらにはミリアムの生い立ちも関わるが、アジーがそれを知る由はない。
プープーと文句を言うミリアムは再び小鳥を愛でる作業に戻る。
相方の切り替えの早さに思わず引きつった笑みになるが、今はそれよりも重要なことが目の前にはある。
「おーしお前がそこまで危なくねぇってのは分かった。そこでだ……」
「……?」
「相互理解の為のインタビューをしたい。依頼料は出せねぇが、俺のお喋りに付き合っちゃくれねぇか?」
俺にだって聞きたいことは山ほどある。
アジーの眼はギラギラと光っていた。
『安全地帯』
ダンジョン内部に生成されるモンスターが発生しない部屋。
座れる丸太、消えない焚火だけがポツンと置かれている。不思議と酸欠にはならない。
場所は再生成により変動せず、常に一定の間隔を空けて存在する。
ここではズレた次元が元に戻る為、他の冒険者と出会う可能性が高くなる。
神がダンジョンを造る際、慈悲の心を見せたが故に造られた部屋だと言う者もいる。
安全地帯では一切の戦闘行動を行わないのが、探索者達が持つ数少ない絶対の不文律である。
だが稀にそれを破ろうとする者がいる。飢餓、功名、名誉、好奇、愛、金。
そのいずれかに飢え、憑りつかれ、耐えられなくなった者だ。
しかしその結末は常に決まっている。
「禁忌を破る者に、ダンジョンは慈悲を持たない」