血騒・2
ダンジョン入場から階段を下りてすぐ、二つの人影が通路に立つ。
一人は小柄ながらも盾を構えたミリアム。リズム良く屈伸をする姿はやる気十分だと感じさせる。
「はー……やっと帰ってきたって感じね」
「何が帰ってきただよ。俺は早く帰りてぇ……」
もう一人は装甲を要所にあしらった軽鎧を軸に、左手に短剣、右手にショートソードを翳して立つアジーだ。
ミリアムに比べるとその背中は曲がっており、気だるそうな姿は全く乗り気ではないと表現している。
「つか何で俺なんだよ」
「しょーがないでしょ、どいつもこいつも探索自粛で人集まらなかったんだから。今日は攻撃役よろしくっ」
「斥候の仕事は危機察知であって危機に立ち向かうことじゃねぇって知ってるか?」
「だから?」
「……分かったもういい。どこまで行くつもりだ?」
既に諦めムードに入ったアジーは早々に今日の終着点を聞き始める。
なんとかモチベーションを保つための苦肉の策だが、ミリアムの返答はアジーにとって芳しいものにはならなかった。
「とりあえず3階が目標。状況次第では4階かもね」
「はぁ!?二人パーティーで4階なんか冗談じゃねぇぞ!せめてもう二人要るだろうが!」
「しょーがないでしょ今ダンジョンに行きたい人捕まらなかったんだもん」
「しょーがなくねぇんだよッ!!俺だって金欠じゃなきゃ行きたくねぇよ!!リスク管理って言葉知ってっかぁ!?」
「あーはいはい朝食べたわ。駄弁ってる時間がもったいないしさっさと行くわよ」
アジーの怒号をまるでそよ風のように聞き流しながら、ミリアムは奥へと進み始める。
あまりの横暴さにこめかみがヒクつくのを感じたが、かといって見捨てることも出来ずアジーもまたそれに続いて迷宮の奥へと歩を進めた。
意気揚々とダンジョンを闊歩するミリアムに、ぶすくれたアジーが隣に並ぶ。
二人パーティー、かつ二人とも(アジーもどちらかと言えば)前衛である為前衛後衛を分ける意味が薄いからだ。
歩き始めて早々、アジーは先程から快調そうなミリアムに対して疑問を投げかける。
「おい、そろそろ聞かせろ。何が目的だ」
「何って、探索よ探索。いつも通りにね」
「隠すんじゃねぇ。お前がいつも通りなら尚更二人で4階には行かねぇ」
ここまででアジーは探索そのものを拒んではいない。むしろ積極的に稼ぎに出ようとしてすらいる。
そもそも探索者の行動には常に金の問題が付いて回る。探索に必要な装備の入手から更新、つまるところ命の保証費用。
そこに食費宿代等の生活費、教会に依頼する布施、探索者協会への税金、そして個人の事情。
中でも生活費に苦心する探索者は多い。家を持たず、日銭を稼ぐために馬小屋を寝床に探索に出る者達だ。
ダンジョンでモンスターから手に入る素材はどれも外では貴重だ。アリの外殻ですら小遣い程度の値段で売れる。
命の代価にしてはあまりに安い。しかし探索者達はそれが欲しくて日々ダンジョンを駆ける。
そしてアジーもまた、金に苦労している探索者の一人だ。
ダンジョンに入り浸り、狩れるモンスターだけを狙い、仕留めて持ち帰る。
そこに異存はない。安全圏で稼ぎ、稼いだ金を使い切り、そしてまた稼ぐ。
それ自体に忌避感は無い。むしろ良い稼ぎ口だとすら考えている。
ただ4階にまで行くとなれば話は別だ。
そこはもう安全圏ではない。どれほど装備を整え、油断せずとも相手次第では命を落とす可能性がある。
その可能性を極限まで減らしつつ、最大効率で稼ぐためには役割分担が出来る人数が必要だ。
盾役、攻撃役、回復役、斥候役で四人。そこに荷運び要因や追加の人員がいて始めて稼ぎになる。
多すぎても分け前は減るが、命には代えられない。
アジーの制止はそういう意味でもあり、単純な今の力量でも二人で行くには4階は危険だと訴えている。
「まだあいつがウロウロしてるかもしれねぇダンジョンに、今のお前が何の考えも無く突っ込むわけがねぇだろ。お前なら……」
「強くなってあいつをぶちのめす?」
「言うだろ」
「分かってるじゃない。でも今はそういうのは考えてないの」
それらを理解したうえでミリアムは先に進もうと考えている。
その為に態々数日間、リハビリをこなして身体を十全に使えるように絞ったのだ。
本調子を100とするなら今は80と少し。万全には程遠いがそれでも3階までなら余裕をもって戦い抜ける程度には感を取り戻していた。
だがミリアムは自身の不調をまるで心配していない。そんな心配は《《するだけ無駄》》だと確信している。
「これから『血みどろ甲冑』に会いに行く。あんたはその護衛よ」
「……わりぃ、俺の耳がおかしくなったか?それともお前の頭がおかしくなったのか?」
「あんたの耳も私の頭もどっちも正常よ。あいつに会いに行く」
「……まさか勝算があるってのか!?」
「あるわけないでしょ?」
「滅茶苦茶言ってんじゃねぇぞテメェ……!!」
モンスターの出てこない通路を先へ先へと進みつつ、アジーの憤りには柳に風。
自殺志願なら他所でやれと言わんばかりの視線にもまともに取り合わない。
まるで『戦闘』など起きない、そういう確信があるかのような姿だ。
ここまで堂々としているならいっそ何かあるんじゃないか?そう思わせてしまう程の謎の説得力がミリアムを後押ししていた。
「前みてぇなことになったらまた置いて逃げるからな?」
「もちろんいいわよ。さっ、どんどん行きましょ。運が良ければ半日くらいで帰れるわよー」
「こんなとこに半日もいられるわけねぇだろやっぱ頭おかしくなってんな!?」
ミリアムの発言は、アジーに前途多難を予期させるのは容易かった。
二人の旅路は思いのほか順調に進み、既に2階終端。
足元に転がるゴブリントルーパーの死骸を踏まないようにして、二人は更にダンジョンの奥へと進んでいく。
「流石にこれ5匹には負けないわねぇ。さ、次次。いるかしらぁー?」
「俺としちゃいてくれねぇ方が助かるが」
先を行くミリアムの背を追うようにアジーは続く。
しかしその心中は穏やかでなかった。
(……何がどうなってる。こいつ明らかに大怪我を負う前より強くなってやがる!)
アジーは流れ出る冷や汗を表に出さないよう必死だった。
おかしい。彼女は死に際に片腕を失い、更に二日も寝込んでいた人間だ。感を取り戻すのにひと月はかかってもおかしくない。
それどころか、人によっては生涯ダンジョンに近づかなくなってもおかしくない。それ程の重傷だったし、死を目前とした筈。
だというのに目の前の少女は倒れてから二日、目覚めてから本人曰く軽いリハビリで四日。
そして今日で七日目。そんなごく短期間で死の淵から這い上がってきたのがミリアムだ。その過程で依然と比べ物にならない程動きにキレがある。
あまりに有り得ない。三日会わざれば、等といった話ではないのだ。眠っただけで強くなるなんてことは起きない。
たとえ神の啓示(ダンジョンに潜る者は睡眠中、極々稀に大いなる存在から言葉や力を授かる。形は様々だが、恩寵や啓示と呼ばれ探索者を手助けする)を受けたとしても、それは肉体が強くなるということではない。
(いくら格下でもバッシュだけで意識を奪えるほどこいつらは弱くねぇ、だってのに……。それに3匹目を仕留めた時の動きだ)
思い返すのは1匹目をアジーがナイフ投擲で仕留めた直後。
もう1匹を麻痺毒ナイフで動きを縛ってミリアムが抱える3匹を仕留めようとした時だ。
正面の奴に盾をぶちかました隙をついて背後から襲い掛かるモンスターに対しての行動。
戦闘中に背後を意識するのは難しい。そしてそれをカバーする為のパーティメンバーの筈だ。
マズったと思いすぐさま援護に向かうが、そこで度肝を抜かれてしまう。
その時ミリアムは、まるで背後が見えているかのように後ろを見たのだ。
迫りくるゴブリンを鋭く『威圧』するように睨みつけ、怯んだところに後ろ蹴りを放った。
拳主体で戦っていた筈のミリアムが足技を使用したのにも驚いたが、問題はその後だ。
『チッ、鬱陶しいわね』
その時二人が戦っていたのは部屋中央部。壁までは遠く、目算で10m弱はある。
広い空間に対し、ゴブリントルーパーは数と連携で巧みに襲い掛かるモンスターだ。
故にこのボスに対しては四人以上で挑むのが協会からは推奨されている。
肝心なのは、ゴブリンの体重だ。ゴブリンは見た目と俊敏さの割に、かなり軽い。
身長は1mより少し大きい程、にも拘らずその体重は20kgを割る。
もしアジーが小柄なゴブリンを思いきり拳で殴ったとしても、1メートル飛ぶか飛ばないかだろう。
吹き飛ばされたゴブリンには目もくれず、先に盾で弾き『朦朧』状態で立ったままのゴブリンを。
『───らぁッ!!』
引き絞った右腕で頭部を打ち抜き、ボス部屋向こうの壁まで叩きつけたのだ。
重さ20kgの物を10m先まで拳で飛ばす。パンパンに詰まった小麦の袋を拳で打ち抜けば、常人なら拳と手首をダメにする。
よく鍛えられた探索者ならば吹き飛ばすこと自体は出来るかもしれない。
しかしいくら腰の入った拳でも、何の『スペル』も『奇跡』も無しに、『筋力』と『技量』だけで成し遂げられる者は極少数だ。
(ついこの前まで意識不明の重体だった人間だぞ、有り得ねぇ。何が引き金になった……?)
ゴブリンの体重は軽い。その上で十分に鍛えているアジーからすれば今のミリアムは恐ろしい化け物に見えている。
もし今のミリアムと握手でもしようものなら、手を握りつぶされるんじゃないか?
そんな恐怖心すら抱いてしまう程であった。
(……だが、もしほんの短期間で強くなれる方法があるとしたら。それがこの先にいる『血みどろ甲冑』から得られるとしたら。俺は欲しくないと言えるか?)
しかしそれ以上に、アジーの好奇心と渇望を刺激した。
知りたい、強くなりたい、もっともっと先に進みたい。
それらは等しく、全ての探索者が持ち合わせるものでもあるからだ。
「ミリアム、お前力加減上手くいってねぇのか?」
「んー、そうみたい。……驚かないの?」
「死ぬほど驚いたわボケが。だが……それも含めてこの先に行くんだろ?」
「うん、答えはそこにある筈だから。感だけど」
ここに来て感だと?そんな物の為に一人の真面目で謙虚な探索者を死地に引きずり込んだのか?
お前いい加減にしろよ?そんなもんに振り回される俺の身にもなれや!!
アジーは色んな感情や言葉を一度口の中に含み、全て飲み込む。
そして代わりに、溜息と泣き言を一つだけ吐いてまた歩き始める。
「……泣けるぜ」
ダンジョン内に異変が起こり始めたのは3階からだった。
3階に降り立った二人が目にするはずだったのは普段通りの薄暗い、舗装された道である。
しばらく進めば、苦戦こそしないが苦労する程度のモンスター。それらが待ち受けている筈だった。
「……なんだ、こりゃあ」
見える範囲で通路の先の方まで、今から通ろうとする道にいたであろうモンスターが全て始末されている。
恐らくついさっき殺され、二人が降りてくるまでにダンジョンの再生成(ダンジョン産のモンスター、宝箱は一定間隔で再生成される。その過程で新たな道や宝箱、新種のモンスターが産まれることもある)が間に合わなかったのだろう。
横脇に逸れ、玄室を覗き込んだミリアムはアジーに報告する。
「部屋の中までは死んでないわね。となると通りがかりに邪魔する奴らを……って感じ?」
「とんでもねぇことする奴がいたもんだ。こいつらの死骸だって持ち替えりゃいい金になるってのに」
そこらを転がっているスピアワームから毒腺の付いた針を手早く毟り、厚手の布に包んで鞄に叩き込む。
これ一つだけでも数日分の食費になる。そんなものがこの先、進行方向にはいくつも転がっているのだ。
この時点で探索者の行動は二つに分かれる。黙って引き返す者、そしてこの先に行く者だ。
当然ながら前者の生存率は高く、後者は低い。ダンジョンで欲をかいた者の末路は悲惨だと相場は決まっている。
しかし、今回に限って言えば二人の選択は当然、後者であった。
「こんなことするやつぁ……探索者ではねぇわな」
「えぇいるわよ。間違いなくあいつの仕業」
二人の予想は一致していた。無論、そこには根拠がある。
まず遺されたモンスターの死骸からだ。探索者であるならば、ここまで死骸の損壊を気にせず戦わない。
モンスターの死骸は金になる。死骸からどのモンスターかの判別が不可能になれば当然、買い手など付かない。
余程切羽詰まっていない、あるいは金に困っていない限りはなるべく死骸を一撃で、綺麗に倒すのが稼ぎの常套手段だ。
そして通路内に転がるモンスターの死骸はどれも綺麗に一刀両断されている。
縦か横か、それとも斜めか。いずれにしろ死骸は一太刀で屠られている。
金になる回収部位には傷一つついていない。にも拘らずその部分は手つかず。
そんなこと探索者がする訳がない。金に困って命を掛け金にダンジョンアタックを繰り返す人間達だ、狩るだけ狩って放置などまずあり得ない。
「オイ見てみろ。鉄スライムまで真っ二つにされてる」
「へー、鉄スライムの核断面ってこうなってるんだぁ……ひょっとしてこれ見たの私達が初めてじゃない?」
そしてそれを可能にするほどの『筋力』と『技量』、そして剣を使うだけの知能が必要となる。
その上で強さを追い求める求道者の類かとも思われたが、それもない。
通路脇に存在する扉の付いた玄室、その中にいるモンスターには一切手出ししていないからだ。
「持って帰るか。資料として高値で売れるぜ」
「賛成。お礼言わないとね」
「……やっぱお前イカれちまってるよ」
4階のモンスターを鎧袖一触し、かつ死骸に無関心な存在。
この惨状を前に二人は確信した。
恐ろしきモンスター、ミリアムの腕を切り落とし地上を混乱の渦に叩き落した張本人。
悍ましき呪われた騎士甲冑、血啜りの怪物。
『血みどろ甲冑』は間違いなく、この先にいる。
相手はもう目と鼻の先にいる。そう感じた二人ではあったが結局更に先、4階まで降り立つこととなってしまう。
というのもアジーの貧乏性が祟り、死骸回収に時間をかけ過ぎてしまったのだ。
もうすぐ近くだというのにとミリアムの怒りを買ってしまうが、それも3階終端まで来て引っ込んでしまった。
「まさかと思ったがボス部屋まで見境なしか……こんなに喜べねぇ臨時収入もねぇな」
3階層ボス、酸ガエル。
巨大な体躯に長い舌、吐き出す酸で多くの屍を作ってきた凶悪なモンスター。
酸というものは対策が難しい。如何に防具を固めようと溶かされ、あまつさえ隙間を縫って入り込み皮膚を焼く。
その上巨大な体躯で跳ね回る酸ガエルは、成り立て探索者の鬼門とされている。
だが、それすら物言わぬ死体となり、既に沈黙している。
それでもアジーは手早く舌と皮膚の一部、酸を瓶に回収して回る。ミリアムは呆れたように見守るが、止めはしない。
「そろそろ帰りの心配もしなきゃね」
「あいつがエスコートしてくれるのに賭けるか?」
「頼んでみようかしら。案外受けてくれるかも」
軽口こそ止まらないが、二人はこの時強烈な気配を感じ取っていた。
この4階に似つかわしくない強者がいる。恐らく今の自分達では戦いにすらならないだろう予感。
ダンジョン探索中稀に発生する『予感』は良くも悪くもかなり当たる。
探索者の『幸運』次第で感じるとも言われるそれは、全ての探索者が持つ一本の生命線でもあるのだ。
そして何より、足元の小さな血痕が道の先に続いている。それが何を意味するか、もはや火を見るより明らかだ。
「行くわよ」
「おう」
既に二人は一蓮托生。毒を食らわば皿まで。
そこからは会話も無く、気配と血痕に従ってダンジョンを探索していくだけだった。
そして、邂逅する。
「……ッ!やっと見つけたわ」
右手に無骨な長剣を携え、左手に小さなモンスターを抱えて歩く姿。
首元からは絶えず血を垂れ流し、それを気にも留めずただただダンジョン内を歩き回る虚ろながらんどう。
歩く背中に向け言葉を発し、奴が振り返ることでようやく、その緑の眼光が二人を射抜く。
血みどろ甲冑が現れた。
『モンスターの素材』
モンスターという存在はダンジョン内にしかおらず、したがってその素材は希少性が高く高額で取引される。
深層のモンスターの素材ともなれば、1匹狩れば小さな家が建つほど大きな稼ぎになる。
主に取引されるのは武器防具の素材となる硬質な素材、薬になる体液、そして食材。
中でも食材は珍味であること、保存が利かないという品質の点から高値で取引される。
だが、最も高額で取引されるのは毒物である。
ダンジョン内で手に入る毒物には結成が開発されておらず、解毒が極めて困難なものがある。それらは仄暗い用途で使われる。
遠くで起きた凶報を努めて無視する探索者を、誰も責めることは出来ない。
武器は担い手こそ責任を負うべきであるからだ。