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あの人はまだ生きている

『怖がらないとは……流石は、あの男の娘ですね』


『もう大丈夫です、ご安心を。彼らに落とし前をつけさせてきます』



 それだけ言い残し、ヘレスは陛下との《《受理するのが遅れた正式な謁見》》に向かうこととなった。

 この度は担当するはずだった将軍の差配による()()()()()()()が起きてしまい守備隊が動くことになったが、()()()()()()()()()()()()()()ため互いに不問となる。

 ヘレスは不要なことは喋らない性格の為、()()()()()()()()()()()()()()こちらも無事解決した。

 本案件については『国』側に全面的な非があり、彼女の主張は正当な訴えであった。よってこの訪問には何の法的問題も無く、事件性は一切ない。それが『国』における公式な見解である。

 そうして誰もが口を閉ざし、ダンジョンの一切に関わらないことが暗黙の了解として知れ渡った、15年前の『ダンジョン協会長単独の国家反逆未遂事件』である。



「震える私を見ても止まらなかった彼女が、貴方に指を握られてようやく少しずつその怒りを収めてくれました……初めて見る友人の娘を、去り際までその8つの瞳と8つの蛇が見守ってくれていました。とても、とても柔らかな眼差しで……」


「(ヘレスさん、すごく優しい人なんですね。想像するとちょっと怖いけど……)」


「その頃にはフェニエも生まれてたでしょうし、きっと他人事じゃなかったでしょうね。……ん?あれ?フェニエって今何歳なんだろ」


「(ミリアムさん……その、フェニエさんは……)」



 少年は申し訳なさそうに数字を告げた。以前本人と会話した時に教えてくれていた。しかし人を介して年齢を伝えるのはマナーの悪い行いである。少年は強く自分を恥じた。

 それを聞いたミリアムはというと、驚愕であった。柔らかな雰囲気と敬語から自分より年下だと考えていたのだ。



「アジーより年上じゃないっ!?めっちゃため口きいちゃったんだけどっ!?」


「(フェニエ嬢の年齢の話か。恐らくメドゥーサ種の種族特徴だろうな。一定の年齢になるまで外見で歳が分からん。ヘレスも相当に長生きしている筈だぞ。一度興味本位で歳を聞いたんだが、ゴミを見るような眼で見られてそれ以降聞いていない)」


「(デリカシーは結婚してからも教わらなかったんですか?)」


「(今日は言葉の切れ味が鋭いな。泣いていいか?)」



 さめざめと泣いている(らしい)リューベルはさておき、『徘徊者』の瞳は感情の起伏によってコロコロと変わる。沈黙していれば一定のままだが、感情に振れ幅が出ると明滅を繰り返している。

 本人はこれに気付いていないが、じっと沈黙しながらも瞳の明るさがぱっぱっと変わっている。この事には当然周囲の親しい人間達は気づいており、今では考えていることが思った以上に分かりやすいと評判になっていた。

 今はじっと沈黙したかと思えばその明滅が頻繁に行われている。そしてリナの隣に座るミリアムの表情もコロコロと変わっている。

 リナからすれば、娘とその友達が色んな情報を処理しているのだろうと察した。同時に自分の知らない所で友達が出来、内緒でコミュニケーションを取っていることに嬉しさともどかしさも感じていた。



「そうして今日まで『国』は、私個人の感情というものに左右されることなく、動乱の時代を過ごしました。それからですね、ミリアムが探索者になりたいと言い出したのは」


「……ごめんなさい」


「いいんです。あの頃は気を失う程ショックでしたが……いえ腕を斬り落とされたと聞いた時も気を失いましたが……彼の血を輸血して怪力になった時もですが……今健やか……健やか……?でいてくれているなら……ええ……」


「(……ごめんなさい)」



 それぞれが自分の過去に思い至ったことでそこにいる4名全員が沈痛な面持ちとなる。始まりはリューベルの死、そこから連鎖する形で3人が大きな苦労と功績を得たことは間違いない。

 それでもやはり三者三様、簡単には割り切れないものがある。

 ミリアムは探索者になった日のことを思い出した。とてつもない無理を言った当時7歳のことである。

 母、リナ・ミランは一国の財務官だ。国の中枢に近い所で仕事をしている、謂わば偉い人だ。時には国王陛下に直接意見を奏上することもある。

 下世話な話だが人1人程度なら一生養っていける程に稼いでいる。その時は家族を亡くしたことで休職していたが、最終的には復帰していた。その為稼ぎが失われたわけではない。

 そして父、リューベルのことはよく知らないが国一番の凄い人だったことは知っている。ダンジョンで亡くなったということもだ。

 赤ん坊の頃の記憶などほとんど残っていない。なんとなく自分と似たような髪色の男性をぼんやり思い出せるような……?程度の物。

 でもその人の為に母は泣いていた。物心ついた時からずっと泣いていて、自分を強く抱きしめてくるのが心を保つ為の物だと言うことも分かった。

 だからどんな時でも母を護れる力が欲しくなった。父がそうしたように、誰もいない今自分が母を護れなくてはいけない。本当に信じられる力は自分の身体にのみ宿るのだ。

 その為に何度も何度も何度もお願いしてダンジョン行きを懇願し、根負けしたリナが条件付きで折れたのだ。

 15歳になるまで騎士隊で鍛えてもらい、その上で十分だと判断できればダンジョン行きを認める。そう約束してミリアムは全力で己を扱き上げた。

 今日まで自分のしたい事、するべきだと感じた事に素直に生きてきた。そして振り返ってみると、母親にとてつもない心労をかけていることを改めて思い知る。

 元気に過ごしていることは母は褒めてくれるだろう。しかしここ1年にかけた心労は探索者を目指し始めたあの時と遜色ないに違いない。


 リナとしては当然だが、ミリアムに夫と同じ道を歩ませることだけは絶対に嫌だと反対していた。自分自身身体の強い方ではない。それを強く感じさせてしまう幼くか弱いミリアムを、よりによって夫が死んだ場所になど関わらせたくはなかった。親として当然だ。

 幸い生活も自分の稼ぎで何とでもなる。『国』には夫を亡くしてから声を掛けてくる怖い人間も多いが、ミリアムが無事でいてくれればそれでいい。娘が健やかに過ごしてくれることだけが願いだった。

 しかしミリアムは諦めなかった。潜在的な能力はやはり高かったのだろう。騎士隊の訓練も決して優しいものではなかったはずだが、瞬く間に技と力を身に着けた。

 めきめきと頭角を現す勇ましい姿を見て、僅かにリューベルの面影を重ねてしまった。そして目標の為に諦める気配の一切ないミリアムを見て、ついに根負けしてしまったのだ。

 15歳とまだ幼いながらも颯爽とダンジョンを目指して家を飛び出した時には、細い心が千切れてしまいそうなほどの寂しさを覚えたものだ。

 そして出ていった先でヘレスと連携を取り、元気にやっていると聞いては不安と安心に揺れるの日々であった。それもここ1年以内は心配で気がどうにかなりそうな日々であった。


 少年は今もミリアムを傷つけたことを引きずっていた。剣を持っていると不意に、腕を斬り落とした感覚がフラッシュバックするのだ。

 それだけではない。リューベルと出会う前の事は今でも時折思い出す。死体から血を啜り、人からは隠れて過ごし、死者の亡骸を漁り、他のモンスターと喰い合うような荒々しい殺し合い。獣と言うよりはアンデッドのような生き様だ。

 そんな中ようやく会えた日の光のような人をこの手で殺しかけたのだ。自分の意思ではないにしろ、人を斬ったその手の感触はまだ消えていない。

 少年はコウランを相手にしたことで『戦う』ことを選択肢として選べるようになった。誓ってモンスター以外に剣を向けることはないだろう。

 しかしながらダンジョンの外からミリアムの活躍を聞いていたリナからすればどうだろうか。突如現れた深階のモンスターに殺されかけ、何故かその後自分の意思で会いに行き、それを調査する任務に就くこととなったのだ。

 ミリアムを害する気など微塵もなかっただろうが、リナの心労は想像を絶するものなのは想像に難くない。

 家族の危機を不安に思う気持ちは少年も痛い程理解できる。そこに思い至った以上明るい気持ちではいられない。


 そして3人の沈痛な面持ちに慌てふためいているのがリューベルだ。

 自分の死が騒動の中心になっていることは分かっている。分かってはいるのだが、彼自身状況が完全に飲み込めているわけではない。

 20歳を過ぎて初めて出来た笑顔が美しい愛しい妻。柔らかな頬の愛しい娘。大切な家族と2年も離れ離れになった挙句出張先であえなく死亡。

 そして目覚めてからはよく知らない他人と同じ体に同居、その後1年程一緒に活動をして目の前に現れた当時の自分と同じくらいの年齢の女性が娘だという。

 ここまでで娘と別れてから体感でたった3年しか経っていない筈なのに、その娘は自分とそう変わらない歳に成長している。年若いリューベルにとってそれはあまりに受け入れたくない現実であった。

 しかしこの状況を何とかできるのは父である自分しかいない。なんとかして少年を奮い立たせるべく質問を投げかけることにした。



「(そうだ少年!私の記憶が確かならばミリアムは生まれつき身体が弱かった!生まれた頃からすぐ熱を出したり、咳込んだり……!それがどうして探索者に!?)」


「(ミリアムさんはあんまり身体が強くなかったと。そうなんですか?)」



 そう伝えるとミリアムは、そこに後悔は一切ないとばかりに胸を張って堂々と答えた。



「そうね、ちっちゃい頃は大変だったわ。でも気合で何とかしたわ!」


「(気合っ!?)」


「あの頃のミリアムは本当に……何がそこまで追い立てるのか分からないほどに自分を鍛えていました。初めの方は結果があまり芳しくなく、騎士隊の皆様も考え直すよう勧めたのですが……諦めずに笑顔で立ち上がる(かんばせ)に夫の面影を見てしまい、かえって彼らの熱が入ってしまう結果に……」


「で、でもパパがママを置いてまで行った場所だもん。気になるでしょう?」


「(行きたかったわけではない!行きたかったわけではないぞ!?命令だった!2人を置いて行きたかったわけじゃないんだ!)」


「(仕事だからしょうがなかったんですね)」


「(その通りだ……いや待てそこだけ切り取ると印象悪く伝わらないか!?)」



 のほほんとした少年の感想にミリアムから思わず笑顔が零れる。父から漏れた親として最低レベルの発言だが、本当に行きたくなかったんだろうなぁと概ね察していた。父親としての威厳は既に失われつつある。

 リナは「言いそうですね」とにべもなく返した。自分を愛していることは知っているので恐らく傍を離れたくなかったことはこちらも察している。

 自分自身『国』の膝元で働いている身であり、その命令が如何に重いものであるかは重々承知している。泣いて引き留めたとて行かねばならなかっただろう。

 リューベル亡き後沢山の苦難に見舞われたが、こうしてまた家族が一か所に集まったことを思えば決して意味のないものではない。

 この15年でリナの死者に対する価値観が大きく変わったわけではない。死者が蘇ることは無いという前提を今も信じている。

 目の前にいるのは果たして本当にあのリューベルなのか。それを見定める為にここに来たはずなのだ。



「(そうだ。リューベルさん、僕の事息子のようって言ってませんでしたっけ?気のせい?)」


「(少年、面白がってるだろう!ミリアムに変なこと吹き込むのをやめないか!)」


「何、私の弟になるの?いいわよ。パパが外で子供作って来たのね!」


「(やめてくれミリアムッ!後生だからそんな言い方はしないでくれッ!)」


「(やったー!一人っ子だったから嬉しいです!なんて呼びましょうか、姉さん?お姉ちゃん?ミリアムさん?)」


「そりゃもうお姉ちゃん一択でしょっ!」


「(子供達のコミュニケーション速度が早すぎる!!……待て。少年、さては結託して私をからかっているな!?)」



 ミリアムが笑って、『徘徊者』が目をキラキラさせて、一拍置いて『徘徊者』の目が光ったと思えばまたミリアムが笑う。

 いたずら好きの姉弟に手を焼かされる見えない父親。話のほとんどは聞き取れない。しかし間違いなく目の前に会って、耳には届かずとも聞こえてくる。

 家族の笑う声が。もう一度聞きたかったあの声が。



「……あぁ……」


「(……リナ?)」



 それはリナが何よりも見たかったもの。か細い手から零れしまったある筈だった風景。

 この美しい光景が死者の再誕という悍ましき事象の先にあるのだと理解していても、見てしまった以上もう引き返せない。

 頭の中の冷静な部分が叫ぶ。もしこれがこの世界の人々に偽りの希望を植え付けるきっかけになってしまったらどうする?死んだあの人が帰ってくるかもしれないと知れ渡ったら、世界はどうなる?

 『徘徊者』が特例だというのなら、自分の家族も特例になるのではないか?そう考える人間は必ず現れるだろう。彼らに対しどう対応する?貴方達はそうならないから諦めろと言えるだろうか?

 世界で私だけが死者の再誕を喜んでいる。夫が死者として安らかな眠りにつけなかったことを喜んでいる。

 最愛の夫と笑顔の娘がこの世に未だ存在する幸福に涙を流さずにはいられなかった。そしてそれを齎した『少年』に感謝せずにはいられなかった。そして喜んでしまう自分がどうしようもなく醜く見えた。

 リナ・ミランは今この瞬間、大きな苦しみを背負うこととなった。

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