帰る場所
ダンジョン協会の隣、入場口。そこを挟んで反対側に隣接して建てられた真新しい小さな白い建物。
これが街中に建っていたとしても誰も気に留めないような何の変哲もない住宅だ。よく見たら屋根の形が少し変、かつ横から見ればやけに奥行きがあることくらいだ。
普通に考えればこんな所に家を建てるなどまともではない。昼は血気盛んな探索者や神経質な職員、協会への来訪と人の往来がとても激しく騒がしい。
夜は比較的抑えめだが、入場口近辺は疲れた探索者顧客を捕まえる為の食事処と宿屋街だ。酒を飲んだ探索者その他顧客の賑わう声は大きい。やはり居住に適しているとはいいがたい。
「───ヴゥー……ヴー」
しかしよく見て見ればその家の扉には異様なほど厳重な鍵が付けられている。物理鍵はもちろん、魔力走査式による個人認証、小さな覗き穴に登録者の眼球検出魔術式まで組まれている。
最も出入りする本人は2つ目の魔力走査の段階で確実に本人識別される為、3つ目以降は完全に空き巣防止策だ。しかもこの魔術式はごく最近魔術研究所で研究開発された最新の秘密式だ。
前2つを強引に突破しようとした者を極厚の魔力障壁で弾き飛ばし、かつ敵をランダムに設定された4種類の魔法によって追撃する機構を取り入れ、侵入者を徹底的に撃退する防衛機構が組み込まれている。
欠点は発動するための魔力の消費量が莫大である為一回発動ごとに魔力充填が必要であること。内側から開ける分には最低限の認証以外不要になること。そして開発者すらこのドアを正面から安定して破る方法はまだ見つけられていないことだ。
「ヴゥゥゥ……ヴア゛ゥー……」
魔術研究所にとってこの家は防衛術式の実験的な意味合いも強く、ここで実験された鍵技術は『ダイダロス』に共有、いずれは国の保管庫や重要資料室等にも提供されていく見込みとなっている。
彼らは今後も『ダイダロス』との密な関係となれるよう積極的に技術開発を行い、それを提供する姿勢だ。
その代わりにダンジョン協会は貴重な研究資料を提供する。至ってシンプルなギブアンドテイクでこの家の安全は成り立っている。
ここまで厳重な鍵はダンジョン協会はおろか、『国』の宝物庫ですら見ることが出来ない。更にはこの魔力鍵は現在試作品であり、これから更なるアップグレードや新設が施されていく。
誰も見たことのない魔術式により守られた邸宅。そこに住んでいるのが気楽に軒先の窓を開け、日を浴びながら鼻歌を歌うたった1人の怪物であることは、この街の住人なら今やだれもが知っているところだ。
「ズズズ……」
ビンに挿されたストローから兜の隙間に向けて血液が吸い出される。口があるわけではないのだが、引力と呼ぶしかない力で体内へと血が流し込まれる。
この血液は輸血用の物を幾つか食料として提供されている物であり、味は提供者によって大きく変わると本人は証言している。
今回の血液はサラサラとしており匂いが少なく無味に近い。口内の負担が少なく最も飲みやすい味、つまり大当たりだ。美味しいと感じる物は申し訳なさを感じ、かえって複雑な気持ちになるらしい。
飲んでもどうせポタポタと零れる、せめてなるべく無感情に処理してしまいたいのだ。
そして体内を通ってろ過された血液が首元から零れ落ちるが、地面に落ちる瞬間にそれが忽然と消失する。
この家の内壁、床材、窓等家を構成する素材には全て条件付けされた魔術式が張り巡らされており、血液が一定時間空気に触れた際それを別室の貯蔵タンクに転移させる機能が採用されている。
それは体内ではない、身体に触れていない、流れていない、認証した人間の物ではない等々、あらゆる条件付けをこれでもかと詰め込んで設定されている。もし何かの間違いで床材や壁を引き剥がし裏面を覗くことがあれば、職人達の狂気と執念を垣間見ることになるだろう。
今まで流れる血液で外を汚してしまうことを常に申し訳なく思っていたが、この家の中だけならそれも要らぬ心配。誰に憚ることなく歌うし飲むしのんびりする。彼はそう決めたようだ。
溜まった血液の使い道は主に研究機関への提供と、この家の維持でトレードだ。これも本人の了承を得ている。
「幸せそうねぇー」
「そらそうだろ。ダンジョンから出てすぐの所に一軒家だ。そりゃ舞い上がりもするだろ」
「その前段階で10年近いダンジョン軟禁だから、妥当だと思う。クローカ、顔」
「……はっ、すみません。この家の設計に携われたのが嬉しくてつい……うふふ……」
そんな彼、『徘徊者』の家で時間を共にしているのは『騎士捜索隊』のパーティメンバーだ。
彼等は『徘徊者』の生態、もとい素性が明らかとなったことでパーティは大目的を達成した。厳密にはどうやって彼が発生したのかと言う小目標はまだ未解決だったが、一先ず次の目標策定のためにパーティ活動を一時的に凍結する運びとなった。
しかしながらそれなりに長い期間を共に過ごしてきた彼らの関係性は、私達は無関係なので明日からもう会いません!とは言えない程度には深い。
そこで彼らはヘレスと『徘徊者』本人から許可を貰い、不在の間もこの家を使用する許可を貰っているのだ。
物理鍵を保持しているのは『徘徊者』と保護観察役を買って出たヘレスのみ。家の建造に協力している魔術師達ですら鍵は持っていないし鍵を突破できない。この世でこの家を自由に出入り出来るのは、セキュリティ認証を突破できる『徘徊者』本人と『騎士捜索隊』の面々とヘレスだけだ。
この家は彼ら(『徘徊者』含む)にとって極めて強固なセキュリティを兼ね備えた秘密基地なのである。
「恩人様っ!何かお困りごとはありませんかっ!?いつでも仰ってくださいねっ!」
「ヴ、ヴゥン……」
「フェニエは変な拗れ方してないか心配だったが……とりあえずは大丈夫か。おうあんまりしつこくすんなよ、困ってるぞ」
彼らの現状に大きな変化はなかった。しかし心境は大きく変化した。
今日に至るまで、ケインとクローカは主に物資調達のために実家である商家を頼りつつ、ミリアムが動けない時の予備役として『徘徊者』との接触を担っていた。
ケインは悲惨な少年の過去に強く同情し、初対面の時からは想像できない程に親身になった。彼にとってリベンジしたい相手はリューベルであり、辛い目に遭った少年ではないのだ。
何かあったらすぐ言うんだぞと兄貴風を吹かそうとすることが増え、言われる本人は内心で「どうしたんですか急に」と困惑している。ケインは忘れたがっていることだが、少年は初対面でケインと致命的な初対面を迎えたことを忘れられていないのだ。
クローカも同様に心を痛め、この家を建てる計画が立った時、誰よりも率先して魔術式の構築に勤しんだ。そこに魔に関わる者としての好奇心が無かったとは言えないだろう。だが誰よりも素早く、美しい魔術式を組んだのは他ならぬ彼女だった。
フェニエは今の状態に落ち着くまで最も悩み、そして結論を出し切った。
ミリアムの父親こそが自分と仲間を窮地から救った恩人であり、しかしその恩人の行動は主人格である彼に影響されたものであると知らされたのだ。
フェニエにとってそれは悩みに悩み尽くすべきことだった。自分を助けてくれたのはリューベルなのだが、彼にとっては少年の未来を少しでも良いものとする為の行動、その一環に過ぎないと知ってしまったのだ。
少年がいなかったとしたら、リューベルがただ一人『徘徊者』となっていたら、果たして自分達を助けただろうか。内容が内容なだけに、本人に直接聞くのも憚られることである。
どうにか結論を出さねばならないと考えていたところに、あのインタビューを受け止めることになる。その高潔さと人々の心の安寧の為に尽くしてきた人物が齢14の少年であったという事実に衝撃を受け、それと同時に自分の未熟を恥じ入るばかりであった。
自分よりも幼く小さな人間が、長い間孤独に苦しみながらも勇気と信念を失わず暗いダンジョンを駆け抜け人々を助けて回っていた。
まさに良縁の紡ぎ手。フェニエの抱く『教義』そのものであり、その体現者である『徘徊者』を改めて「恩人」として再定義するに至った。
そして今まで何となくそうではないかと思っていたのが、ついに自分の父親がモンスターに転生したのだと確定してしまったミリアム。
『徘徊者』はインタビューに際し、彼は自分がリューベル・ミラン本人と一心同体であることを正式に発言した。そして自由意志で身体の操縦権を変更できるわけではないことも明かした。
自分達を置いて先に逝き、そのくせ遺産だけはしっかり残していった父親。どんな口調かも、どんなふうに自分をあやしたかも知らない父親が目の前にいる。けれど話すことは叶わない。今その身体を使っているのはダンジョンで出来た新たな友達なのだ。
今自分をどう思っているのか、そういった個人的な内容に関してインタビュー以降触れることは一切なかった。それ故のモヤモヤが少しだけ残っている。
しかし友達が長い年月を越えた先でようやく静かに過ごせる別荘を手に入れたのだ。それに水を差す程ミリアムもわがままではなくなった。
現に今も心から楽しそうにしているのが伝わってくる。日がな日光を浴びたり、家の中を意味も無く歩き回ったり、遠くを眺めて見たり、誰にとっても当たり前の日常を噛み締めている。
だがどんなに楽しい時間を過ごしても、彼は事前に決めていた時間になったら律儀にダンジョンへ戻る。血液を飲む以外喰う必要も眠る必要も無い彼にとって、ダンジョン探索は最早生きる理由の1つだ。
(……アンタのこと考えてたら、自分のことまでよく分かんなくなってきちゃった)
インタビューの中で、彼は自分が集めた『探索者カード』によって大切な人の所に帰ることが出来た探索者は大勢いると知った。その時少年は心から喜び、安らぎを得た人の為に両手を合わせて真摯に祈ったのだ。
この世界で生まれたリューベルとはまた異なる、強い信仰心を持つことにガロンとウーズは大きく驚いた。だが彼がどの神に祈っているのかまでは聞いても答えてはくれなかった。
彼の信仰の寄る辺はこの世界の神様ではなく、その情報は大きな混乱を生むだけだと少年は秘匿することを選んだのだ。
そうして一しきり祈りを捧げた少年は、今後どうしたいかを聞かれた時にこう答えた。
「したいことは沢山あるけど、僕はこれからもダンジョンにいます」
それを聞いた人間は皆耳を疑った。直接聞いていたミリアムですら、今からでも取り下げるべきだと考えたほどだ。
当然だが、彼がその場で「もう嫌だ」と言っても誰も責めたりはしない。彼に更なる自己犠牲を強いる程この街は追い詰められていない。休ませてほしいと言うものだと、誰もが疑わなかった。
しかし彼はダンジョンを歩き続けることを選んだ。自分のしてきたことが誰かの幸せに繋がっていたと知った少年は、それを途中で投げ出せば悲しむ人が必ずいると理解していた。
「せっかく頑丈な身体になったから、今度は誰かの役に立ちたいんです。僕は……迷惑をかけてばかりだったから」
ミリアムの脳裏に一瞬だけ過ぎったのは真っ白な四角い部屋と、横たわる自分の手を握る人。
顔は掠れてぼやけ、首から下も色だけが薄く水彩絵の具のようにぼんやりとした印象だけ。それは長い年月が少年から奪い取った、寂しくて悲しい大切な記憶だと、ミリアムが気づくまでそう時間はかからなかった。
ミリアムはその時見た光景をインタビューの場で言葉にすることはしなかった。それはいつか少年が、自分の過去を明かしてもいいと心を許す日まで掘り返すべきではない。そう判断した自分を信じた。
半面、内にいるリューベルは既に概ね満足していた。
彼は少年に居場所を造る為に今日まで活動を続けてきた。それが実った今は、彼のしたいことをさせてやりたいと強く願っている。
ミリアムとの因縁もあるが、それは自分がこの身体を動かしている時にするべき事だと捉え、少年の生活を最大限優先するよう予め少年に伝えているのだ。
だが肝心のミリアムには何も伝わっていない。今は言うべきではないと考えるリューベルと、今は聞くべきじゃないと考えているミリアム。2人は肝心なところでコミュニケーションがうまくいっていなかった。
「……楽しそうね」
「!」
「呼んでたお客さんもそろそろつく頃なんだけど……そっちも楽しみ?」
その言葉に『徘徊者』はくるりと体の向きを変え、ミリアムの目を見てうんうんと頷く。
今日は5人のほかにもう一人来訪者が来る。事前にその知らせを受け取っていた『徘徊者』は誰が来るのかワクワクしながら待っていたのだ。
今日という素晴らしい日、穏やかな昼下がりに呼ぶような人だ。きっと朗報を齎してくれる人に違いない。端的に言って少年はこの状況にとても浮かれていた。
だからだろう、ミリアムが顔に申し訳なさそうに眉を寄せていたことには全く気付かなかった。気づく前にドアベルの音が室内に鳴り響いた。
すぐさま窓から離れ客人を迎えに行こうとした『徘徊者』をアジーが制する。
「あー待て俺が行ってやるよ。いきなりお前が行ったら、分かっててもビビらせちまうかもしれねぇぞ」
「ちょっと言い方。おーよしよし」
「事実なんだから仕方ねぇだろ……」
僅かにションボリした気配の『徘徊者』を慰めるミリアムを他所に、アジーがリビングから廊下へと出て玄関に出る。
外からの侵入には強烈な反撃を行う玄関ドアだが、内側から開く分には物理鍵を開けるだけで良い。これは来客用の事故防止措置であるが、まだ精神年齢が幼いと認定されている『徘徊者』が使うには改善の余地ありとされている。
最低限事前に警戒できるよう覗き穴も設置されているが、非常に高い所に設置されており常人では届かない所にある。ここも『徘徊者』専用だ。
ミリアムにとって大切な客人なら待たせちゃいかんと思い、アジーはすぐさま内鍵を開けてドアを開いた。
「……」
そこに立っていたのはフードを被って目元を隠しており、ローブを纏っている。だが見える範囲で細い指、小柄、口元の形状から人間種族の女性と分かる。
薄紅色の長い髪がフードの内側に垂れており、背は中ほどよりもやや低い。ミリアムよりも少し高い程度だろうか。
「姉、いや友達か?しかしアイツに友達がいるなんて聞いたことねぇ……」等と極めて無礼なことを考えていると、来客の方からか細い声がアジーの耳へと届く。
「あの、こちらにミリアムと……リューベルがいると聞きました」
「あぁ。間違いないっすよ。アンタがミリアムの言ってたお客さんだな?どうぞ」
「お邪魔します……」
チラリと覗いた瞳の色は僅かに赤を含んだ黄色。その色に明らかな既視感を覚えたアジーの脳裏に一瞬で思考が走る。
今回のインタビュー内容において一般人や探索者達に秘匿されている項目、『徘徊者』の素性。それを能動的に知ることができるのは『国』の中枢、首脳陣のみ。
ダンジョンタウン『ダイダロス』ではそれが暗黙の了解としてある程度知れ渡っているが、世界基準で言えばこの情報はまだ秘匿されている筈だ。それはこの『国』の内部でも変わらない。
なのにこの人間はリューベルの名を口にした。それはこの人物が極めて重要人物であるという証左ではないか?
軽い気持ちで請け負った来客対応、更に言えば気安い対応。これはもしかすると……初っ端から対応を大きく誤ったのではないか?アジーに脳裏に素早く保身の一言が過る。
そしてすぐ諦めた。かつて学んだ礼儀正しさなどゴミ置き場に捨てて来た。最早手遅れである
悲壮感感すら感じるアジーを見て、静謐を感じる細い声で彼女は静かに聞いた。
「えっと……ベインのお家の三男さんですよね……?合ってるかしら……?」
「……いえ、その名前はずっと昔に捨てました。俺は只のアジーです」
「そう……」
アジーは心臓を握りつぶされているような感覚に吐き気を催しながらも、努めて冷静な声で対応する。間違いない、この女性は『国』の深い部分を知っている人間だ。
何年も前に家を勘当され出奔し、家系図からも抹消されている人間の顔と名前を知っている等まずあり得ることではない。あのミリアムの知り合いにここまで『国』の内情に詳しい人間がいるなど考えたことも無かった。
しかしそれをネタに強請ろうという気配はしない。悪意で聞いてきたわけではない。彼女にとってただの事実確認でしかないようだ。
彼女が何者なのか。何の為にここにきたのか。その予想が答えに辿り着く前にリビングまで辿りついた。
「おいお客さんをお連れしたぞぉー……」
「なんだ?アジーの声、なんか疲れてないか?」
「あー……ゴメン、入って入って」
声を出せない家主に代わってミリアムが合図を出す。部屋に入って来た女性は入室と同時にフードを外した。
長い朱色の髪がするりと肩を過ぎる。僅かに閉じられた瞳は声の細さと相まって物憂げさを感じさせる。年齢で言えばミリアムやフェニエよりは上、クローカと同程度に見える。
全員が入って来た女性を見やるも、ミリアムを除き誰も見覚えが無い。
それもその筈。もしもこの中でその顔を知る機会があるとしたら、アジーだけだ。そしてその機会も出奔によって完全に失った。
それが誰かを考察する間もなく、溌剌とした声でミリアムが紹介し、静謐さを湛えた声で女性が静かに名乗りを上げた。
「紹介するわね。私のママよ!」
「初めまして……『ダイダロス』国の財務官を務めております。ミリアムの母、リナ・ミランと申します。娘がお世話になっております」
「……は、母親ァ!?」
『徘徊者』の中で聞いていたリューベルは、少年が心配する程の勢いで頭を抱えていた。
第三章 均衡編 終




