60 光差す方へ
「……思っていたより荒れませんでしたねぇ」
「そんなことを言うものではありません。むしろこれからですよ」
『徘徊者』へのインタビューを終えてからおよそ2か月。世間は2人の想定を超えて静かだった。
公開可能な範囲で彼へのインタビュー記録を探索者に絞って一般公開し、それに伴うコウランとウーズの先行も周知した。
予想通り彼らの内数名はこの街からの離脱を宣言。モンスターと仲良しこよしは出来んと言い残しこの街を去った。
しかし両パーティ共に8割以上の構成員はこの街で探索者を続けることとなった。そこには2人の真に迫る説得があったからだが、ヘレスは当日現場に居合わせることができなかった。
聞いた話によれば、2人は全員の前でもう一度やり直したいと宣言したらしい。その結果大多数が残ったのなら、意味のある説得となったのだろう。
それはともかく、この街の多くの住人にとって『徘徊者』がどういう存在なのかをヘレスは改めて理解した。彼はずっと前からこの街の隣人だったのだ。
彼が初めて出現した時こそ多くの人間は破滅の予兆とばかりに震えていたのだ。すぐにこの街を離れるべきだと噂され、実際に戻ってこなくなった住人も確かにいる。
しかし待てど暮らせど彼は地上に現れない。探索者達が襲われているとも報せが来ない。この街には探索者を含む家族、探索者を雇用する店が多数ある。
「人を襲わないモンスターがいるらしいな」
「最初に被害は出たけどそれっきり静かです」
「死にかけを拾ってもらった。命の恩人さ」
「振られた……」
「彼は同志であり、我らを試すべく遣わされた神の使徒なのやも」
現場の声を探索者達から積極的に取り込んでいた彼等は、『徘徊者』が無害らしいということをずっと前から噂程度には知っていた。当然『教会』を通して遺族に『探索者カード』を届けていることもだ。
探索者の街である『ダイダロス』には探索者遺族も当然住んでいる。彼等が毎日虚ろな顔で教会に通うのを心苦しく見ていた住人は大勢いるのだ。
そんな遺族達がある日を境に突然人が変わったように気を取り戻したと言う。話を聞けば「あの騎士のモンスターが息子の形見を持ってきてくれた」と言う。初めは半信半疑だったそれも少しずつ数が増えるにつれ、時間と共に真実味を帯びていく。人の口に戸は立てられない、多くの人々が『徘徊者』の善行を知るまでそう時間はかからなかった。
実際には纏めて提出したはいいものの、『教会』側のキャパシティの都合で少しずつ処理していただけだ。だが時間をかけたことがかえって功を奏し、住民達の為に地の底で働くモンスター『徘徊者』の存在は僅かに受け入れられつつあった。
そして決定打になったのは地上に『転移』した時だ。この街で最も住人達に近く、探索者を含む全ての人間が世話になっている『商会』が彼のバックに付いたのだ。
更には『ダンジョン協会』も『大教会』も彼を排斥する様子がない。それまで「ひょっとしていいモンスターってヤツなんじゃ……?」という噂が「本当に味方らしいぞ!?」という事実へと変わったのだ。
そうしてインタビューから調書公開までの2か月。その間にも『徘徊者』が持ち主を亡くした武具の返還を申し出たことが最後の決め手となり、彼の存在は多くの人に受け入れられる。その頃には「彼が手に掛けたのでは」などという噂が立つ余地などなくなっていた。
記録公開後、目立った混乱も無く「あぁ、やっぱりそうだったのか」と静かに受け入れられたのは長い時間をかけて実績を積んだ『徘徊者』自身の功績、巡り合わせの運。そしてこの街で彼を知る探索者達が自分の目で見て信じたという信用。その全てが彼を受け入れる為の土壌となったのだ。
「ですなぁ。内側はなんとかなった。後は外だが、まぁその辺は『国』が上手くやるでしょうさ。俺達には関係ねぇこってす」
「そうですね。私達はやるべきことをやりました。『波』の稼ぎは十分、しばらくは治安維持の強化と休暇に努めるべきです」
人生で最も重要な一仕事を終えて一息つくのはヘレスと、執務室に招かれて紅茶を啜っている聖職者のガロンだ。
しかし彼の視線はカップの中に注がれており、その表情はいま一つ定まらない。つまらなさそうに、あるいは安心している様にも見えるし、深く悲しんでいるようにも見える。
それを静かに見つめるのは協会長ヘレス。彼女の手にもカップが握られており、リラックスした姿から今は仕事が落ち着いているのが伺える。
しかしそれも決して長くは続かない。この時間はこれから始まる激動の時代、その直前の静けさであり束の間の休息時間であった。
そんな貴重な時間でもあるというのに今も気だるげなガロンを、ヘレスは珍しそうに眺めていた。
彼は普段からのんびりとしているし大らかな性格ではあるが、怠惰な性格ではない。それを知っているが故に、今の様な落ち込んだ仕草は珍しい。
「どうやら彼は、貴方に大きな影響を与えたようですね。よければ話してくれませんか?」
「……んじゃあ少しだけ。先日の『大教会』からの通達は確認はされてますね」
「えぇ。彼を公的に協会所属として認定するつもりだと。勝手なことをするなと釘を刺しておきました」
『徘徊者』に関するレポートは魔法的な手段を用いて迅速に、かつ極めて内密に送付された。
その結果多くの首脳陣を混乱と胃痛に陥れつつも、いずれ起こり得る可能性に備えることを要請し、多くの国とその首脳陣達はそれに応えた。
しかしそれに反し、一部の人間からはこの件を大きく喧伝するべきだと言う意見も出ている。その一部がこれまで『徘徊者』により多くの支援を受けてきた『大教会』勢力であった。
今まで彼の手で寄付されてきた『探索者カード』は、本人が想像しうるより遥かに多くの人心を『教会』へと寄せることに繋がっているのだ。
絶望の中待ち続けた遺族、友人を失くして茫然自失としていた優秀な探索者、恋人を失くし自暴自棄となった犯罪者。少なくない問題であったのが、一斉に解決の糸口が見つかったのだ。
これらを適切に対処していく内に『大教会』は『国』における大幅な権力拡大に繋がっていた。無論探索者側からすれば権力者のパワーゲームなど勝手にやっていろという意見なのだが、『大教会』の影響を広げようと考えていたのだ。
問題はこれが全体の総意ではなく一部の熱心な派閥の独断であること、そしてトップは不干渉の立場を貫くべきだという立場なのにも関わらず声明が発されたことだ。
彼らは狂信的で盲目、そして大変熱心な信徒だ。『徘徊者』が積み重ねてきた功績の秘匿を是とするべきではないという意見と共に、『徘徊者』を『大教会』の名のもとに保護しする準備があると言ってのけたのだ。
だがヘレスからしてみれば、言うのが3か月は遅い。味方面をするならば陰でコソコソ情報を集めるのではなく、もっと早くに自分達の目で確かめに来いと言う話だ。
ヘレスは無遠慮な連絡が来てすぐに「手前から会いに来るのが筋かと」と告げた。外様が口を出すなとにべもなく突き放したのだ。
これに『大教会』のトップは「素晴らしい、流石ですね」と賛辞を送った。
「助かります。そもそも俺達は神の威光に恐れをなしてひれ伏してんじゃあない、神の教えに自らの意思で跪いてんだ。あん人達はそれを忘れてる。だからこんな恥知らずなことが言えんだ」
「誰かに聞かれては事ですよ」
「構いません。……俺ぁね、会長。これまで曲がりなりにも常識や良識ってモン守って生きて来たつもりです。当然年端もいかない子供をダシに、偉くなろうデカい顔しようなんて思ったことは一度もねぇ。あの子を政治の道具になんか絶対にさせやしねぇ」
その場にいた人間は全員インタビューの内容を全て余すことなく目にしている。だがその内容は耳を疑うものばかり。とりわけ耳を疑ったのは『異世界』の存在。これこそが各国に送られた報告書から省かれた部分、まだこの世界に齎されるには早すぎる情報である。
これまで一部の研究者、及び卓越した魔法使い、魔術師達以外には「そんなものは存在しない」と鼻で笑われてきた存在が確かにあると証言された。
行き来できるものではなく、観測者は『徘徊者』とその証言のみ。存在を裏付けるものは無いに等しい。
しかし彼はミリアムと高い精度で思考を共有している。嘘をついても、口裏を合わせてもすぐに分かる。あの会談は彼が思った事、感じた事を直接他者に伝えてしまうからこそ成り立ったインタビューなのだ。
証言曰く、彼が過去に生きていたのは魔法が存在しない世界。物質同士を組み合わせた技術によって発展した世界だと言う。
特に電気、あの空を穿つ雷と同じものを技術に落とし込むと言うのに想像がつかない人間も多かった。商会や魔術師の面々に至っては止めなければ無限に質問をしかねない程の興奮で我を失いかけていたくらいだ。彼自身も原理を知っている訳ではない為正確には答えられないと、何度も応答を重ねてようやく静けさを取り戻す程の熱意であった。
1つの質問が3つ4つも質問を増やすことになるインタビューは想定の3倍の時間をかけて行われ、そうしてようやく彼の置かれた境遇を正確に理解することと相成ったのだ。
「ダンジョン6階を制覇し、7階が開けた瞬間に彼が生まれたとして……最低でも7年の間ダンジョンを彷徨っていたことになります。人は1日の3分の1を眠りますが、モンスターは眠りません。彼にとっての7年は人にとって休息の無い10年に等しい。そして彼の年齢は、証言では……享年で14だと」
「俺ぁ……ダメだな、思ってるよりずっと入れ込んじまってるらしい。けどあんまりじゃねぇか。あんな所に10年も閉じ込められて。人には嫌われて、なのに助けることをやめなくて。なら少しでもいい。たとえモンスターであったとしても、これからの未来をあの子の自由にしてやりてぇと思っちまってる……」
「誰も咎めませんよ。あの場にいた者ならば誰もがそう思うでしょう」
子供が剣を持って生きること、それ自体はガロンも否定しない。この世界において決して珍しいことではない。
ペンを握り魔法陣を奔らせる子供もいれば、鍬を持って畑を耕す子供もいる。剣を握り人を斬る子供もだ。だが生きることは戦うことであり、過酷であれども人生だと考えている。
しかし彼は事情が違う。彼は選ぶ隙などなかった。
本当なら何の問題も無く生きていける筈だった。この世界に関わることなく、戦の無い世界で家族や友人と共に暮らしていける筈だった。
早くに亡くなった。少年はたったそれだけの理由で死後異形の身体に落とし込まれ、何年にも渡りダンジョンに幽閉され、正しい人々の憎しみと敵意の中生き抜くことになってしまった。
そんな彼にとって、初めて出来たこちらの友人であるミリアムとアジーはどれほど救いとなっただろうか。
助けた人に「ありがとう」と言われる度にどれ程嬉しかっただろうか。心無い言葉を掛けられた時どれ程苦しんだだろうか。
誰かに褒められるわけでもなく、ただひたすらに努力を積み重ね、己の力で切り拓いた光明だ。思う存分浴びせてやりたいと思うことは当たり前のことではないか。
彼が背負ってきた時間は、インタビューに同席した者達を沈痛な面持ちにさせるには十分すぎた。7年と言う重圧に押しつぶされそうになりながらも、誰かの為に尽くしてきた子供を無碍にすることはできなかった。
本人曰く「助けもあった。必死だったし、異世界は目新しいものばかりで気は紛れた」と言っていたそうだが、伝えるミリアムの表情からその苦しさは伝播するものだ。
同じ体に同居していたリューベルも、ミリアムと出会って以降1年以内の彼しか知らない。その長い孤独にどれだけの思いを重ねたのかは、もう本人にしか分からない。
なるべくそれを表に出さない様、伝わってしまうミリアムになるべく辛い思いをさせまいとする彼の気遣いを、ミリアムは誠実に受け止めたのだ。
こうして今の彼等は、心から『徘徊者』を受け入れることができた。
「そう言えば、彼は今どこに?」
「家です。ミリアム嬢が言うには、この後日が落ちたら人目に付かない様すぐダンジョンに戻ると」
「彼は……はぁ、私も当てられましたかね。そこまで気にしなくていいと思うなんて」
「こりゃ近い内、ダンジョン協会の訓示に一筆増えそうですかね?動き回る甲冑は味方である、ってな具合で……冗談ですよ。俺は彼と、この街の平穏が少しでも長く続くことを祈ることにします」
「街はついでですか?……ふふ、えぇ。私も概ね同意見です」




