56 反抗期
(よし、使いやすくなった。これなら心も痛まない)
「しかもそっち捨てるの!?」
困惑するコウランがそう言うのも聞かず、少年は槍の穂先を沼の中に放り投げてからもう一度手を差し込み、幾つかの物品を取り出した。
品は様々、よく弾みそうな丸い鉱石の様な物からゴツゴツとしたスケルトンの頭蓋。ダガーやナイフと言った小型の刃物に小剣。どれも銘の無いモンスターのドロップ品だ。
そして妙に数が多いのは金属鉱石の裸石。その掌からはみ出ており、見るからにずっしりとしていて当たったら痛そうだ。
それらを一つずつ左手に持ち、ポンポンと上に投げている。右手の槍だったもの、棒はそのままぶらりと下げ、時折思い出したようにくるくるゆらゆらと揺らす。
理由は分からない。彼が何をしようとしてるのかも分からない。しかし何故だろうか、『徘徊者』を見ている探索者2人の胸の内に恐怖心が湧き上がってくる気がした。
(よし、球は十分だ。……いきなり現れて殺すだって?冗談じゃない。なんで僕達がそんなことされなきゃいけないんだよ)
(少年?いや流石に刃物をそうやって使うのは)
(色んな人が助けてくれて、ようやくリューベルさんがミリアムさんと会えて、エボさんのお陰でいつでもここを出られるようになるかもしれない。そんな時に……そんな大事な時にこの人達は自分の役目を放り出して好き勝手してる。僕はそういう人が大ッ嫌いなんです)
(少年、君は……)
何を、そう聞こうとして止めた。彼は心内で怒りを大波のように捲し立ててはいるが、リューベルはその心根を僅かながら見抜いていた。
怒っていることは間違いない。だが少年は決して人に武器を振るいたいとは思っていない筈。
ひょっとして少年は、怒りを理由に今の状況を打破しようと、自分なりにこの世界で生きる為の第一歩を踏み出そうとしているのではないか。
躊躇いなく他者に武器を振るえる人間など世にいるべきではない。しかし、いざそれをできる人間が目の前に現れた時どうするのか。
されるがままでいることは許されない。さりとて逃げることも出来ない今の様な状況で、武器を持たず生殺与奪の権利を委ねて投降するのか。それこそあってはならないことだ。
どれほど理不尽であっても、少年は既に『戦う』ことが選択肢の一つである世界に生まれ落ちてしまったのだ。ならばこれは避けられない、避けてはならない時が来たと理解し、ここはそう言う場所なのだと自分の中に落とし込んだ。
非暴力の世界で生きた少年にとって耐えがたいだろう暴力の使用を、自らの意思で、怒りによって乗り越えようとしているのだ。
そして思い出されるのはあの忌まわしき8階の記憶。だが少年はそれすらも纏めて、ここで乗り越えようとしている!
(リューベルさん……僕は今、とても怖い。でも、頑張ってそれを無視します)
(少年……)
(今まで貴方に全部押し付けてきたこと、僕自身で背負って見せます。今日……この瞬間から!)
(少年……ッ)
大丈夫なのか。無理はするな。私がやる。君はそうするべきじゃない。もし万が一にでも殺してしまえば君はもう。
リューベルはその全てを飲み込んだ。少年は今まさに恐怖やトラウマと正面から向き合い、飛び立とうとしている。ならば先達である自分がそれを邪魔してはならない。
彼は今人間に武器を向けている、覚悟の一歩目を踏み出そうとしている。かつての自分のように、そうしなくては守れないものがあると魂が理解したのだ。
ならばリューベルにとって今するべきことは口を出す事ではない。見守ることだ。
この際相対する2人には、少年の訓練に付き合ってもらおう。彼らは強い分そう簡単に死にはしない。いい敵役になる。
そんな決意も知らず、ウォーミングアップのような動きをする『徘徊者』を不気味に思いながらも、コウランとウーズの2人は小さな声で言葉を交わす。
「片手に棒、左手に荷物なんて戦い方聞いたこと無いなぁ……俺が世間知らずなだけ?やだな、戦いたくなくなってきちゃったなぁ」
「一戦も交えずでは示しがつかないと言ったのは貴方ではありませんか。こっちからは仕掛けたんです、あとは向こうの出方を待ちましょう」
「はぁい……そろそろ来るかな?」
当然ながら小石をバットで打つというのは、それはもう危険極まりない行為だ。万が一人に当たれば小さな怪我では済まない。
だがここは異世界である。探索者の身体が頑強であることはお墨付きを頂いている。
故に少年はその恐れを敢えて無視する。この程度で死ぬことはないと言ったリューベルの言葉を、そして彼らを信じた。
その瞬間『徘徊者』の気配が変わる。片手で振るう鉄の棒をまるで意思表示のように2人に向け、そしてまた半身を横に向け独特な構えを取る。薄暗くぼんやりとした緑の眼光が真っすぐに彼らを射抜く。
左手からポイと打ち上げられた鉱石が、ゆっくりと手から浮き上がる。相対する2人はその一瞬が長く引き伸ばされる錯覚を覚えた。
その瞬間『徘徊者』が構えた。鉄棒がギリギリと音を立て、そのまま捩じ切らんとばかりに強く握られた。その瞬間噴き出した汗が2人の『直感』を刺激し、反射的に身体を動かした。
「伏せろウーズッ!!」
(いくぞォーッ!!)
棍棒による投擲物の射出。極めて原始的な理論で撃ち出されたのはそれなりに重量のある鉱石。遊びの要領で、あるいは原始的な戦い方の一環でこの世界に存在するかもしれない。
しかし打ち手が違えば威力も違う。球を遠くに飛ばす為、拙いとはいえ現代で極限まで先鋭化された打法と並外れた膂力から撃ち出されるのは、砲撃に等しい速度で射出される岩石である。
音が鳴るよりも早く飛来するそれを、2人は地面に伏せて躱す。音が鳴るのとほぼ同時、ダウンスイングから繰り出されたそれが2人の頭上スレスレを剛速球で貫く。
キンと風切り音まで立てて飛行したそれが背後の壁へバズンッ!!と音を立てて突き刺さる。コウランが恐る恐る背後を見ると、衝撃で壁にクレーターが出来ている。その中心には一回り小さくなった鉱石が突き刺さり、周辺には砕けた破片が蜂の巣のように壁を穴だらけにしていた。
(嘘だろ、人に向けて岩石を撃ったのかッ!?)
(こんな物が胴体に直撃したら腹から真っ二つになりますがッ!?)
言葉にせずとも2人の背と額にビッシリと冷や汗が浮かぶ。まさか彼がここまでの威力で反撃してくるとは想定していなかったのだ。
事前に今の『徘徊者』は温和、人間の殺生を決して良しとしない善良な性格であると聞いていた。多少の反撃、それこそ逃走やアイテムの投擲程度は予想していた。
それだけにこの強烈な反撃行動は2人の度肝を抜いた。同時に、このような攻撃行動をとる相手への対処を突然強いられたことに『混乱』もしている。
本来『血みどろ甲冑』というモンスターは筋力こそ高く武器を扱う程度に知能も高いが、その行動自体はワンパターンだ。そこを突いてハメ殺すのが常套戦術である。
これは『血みどろ甲冑』に限らずあらゆるモンスターへの対応に適用される。行動をパターン化し、安全にモンスターを狩る為だ。
しかし目の前のモンスターは理を持って武器を振るう。近づけばどんな反撃をしてくるのかは全くの未知数。もう1人の方は剣技に優れるという情報は既知のものだが、その片割れが道具を妙なフォームで射出するなど聞いたことが無い。
もし『徘徊者』が両方の戦術を取るのならば、遠近隙がほとんど存在しない。先の追撃は逃げを打った所を攻撃しただけで攻め手にはなっていない。
いっそ逃げるか?ダメだ、逃げるのは彼らの背後が許さない。ならば戦う、だが膂力で勝る相手に無策で飛び込むのは自殺行為。
何よりあの速度で射出される鉱石に正面から飛び込む?それこそ正気の沙汰ではない。当たれば急所ごと身体が吹き飛ぶのだ。
2人は初見のモンスターに不用意に戦いを挑むことの危険性を身に染みて理解している。それ故に距離と時間を測り損ねた。そこへ隙を突いた『徘徊者』による更なる球が打ち出されてしまう。
「───ッ!!」
「うおぉぉぉッ!?それはマジでヤバいってッ!?」
優れた動体視力はナイフの柄を真っすぐに狙い打ち、再度射出する。明らかに殺意か怒り、あるいはその両方が形を伴った一撃。
バキンと爽快な音を立てて飛んでいくナイフが伏せたコウランの顔の前に射出される。それを伏せたまま片手で器用に飛び跳ね、すんでの所で回避する。
ナイフはダンジョンの床を滑るように突き刺さり長い痕跡を残した。当然ながらこれが脳天に突き刺されば人は死ぬ。
その鋭さと遠慮の無さから『徘徊者』の自分達に対する容赦のなさを目の当たりにしたコウランは即座に考えを切り替えた。
(温厚だって聞いてたんだけどマジでキレてるなこれ!?ここは一旦生存優先かなッ!?)
自分を狙っていないと判断したウーズが未知への恐れを踏み越え、今出せる最高速度で前へと踏み出す。
凡そ素の人間には出せない速度へ、加護の力を以て一瞬で到達する。そもそも彼我の距離は大したものではない、全力で踏み越えればたったの数歩で正面にたどり着ける程度の距離だ。
彼もまた歴戦の探索者である。棍棒を持った『血みどろ甲冑』を相手取ったことはいくらでもある。
足元から忍び寄れば奴らは必ず上段からの『振り下ろし』攻撃を使用するのだと知っている。
そのまま間合いに入り回避行動をとってから、至近距離で見た者全てに『混乱』の上位、『錯乱』を引き起こす錫杖を翳して隙を作る。
一度崩せば復帰したコウランが自分の背後から再度急襲、こちらのペースを取り戻すことができる。
いつも通りモンスターとして処理する。自分がやるのはただそれだけでいい。
「───」
ウーズは自分が冷静であると疑わなかった。しかし既存のモンスターの行動を前提に、身体が反射的にそう動いてしまった。相手が人間であるということを敢えて考えないように行動してしまった。
彼は恐れを踏み越える動機に焦りを含ませてしまった。その結果引き起こしたのが一種の思考停止、対応に柔軟性を持つことが今この瞬間だけは出来なかった。
姿勢低く飛び込んだ先に待ち受けていたウーズを、胡乱な眼光が真上から射抜く。『徘徊者』はその行動を冷静に観ていた。
「……しまっ、た」
相手はその身体能力と武具を扱う知能のみで最高クラスの危険度を言い渡された理外の怪物。
モンスターとしての能力はたったのそれだけだが、人間がそれを担うならば話は変わる。
並外れた反射神経から繰り出されるのは、今の状況に合わせた最適解のカウンター。
片手でくるりと棒を回して向きを変え、そのまま地面を掃除するようにウーズの頭を軽く小突いた。
「痛いッ!あっ、返しなさい!うわっ!」
怯んだウーズから流れるように錫杖を手から抜き取り、腹部に脚を軽く押し当て蹴り飛ばさない様壁に足で放り投げる。
壁に当たっても再度立ち上がろうとしたウーズの頭にコツリ、と鉄の棒が当てられる。その行動の言わんとするところを、ウーズは正確に理解してしまった。
「……降参です。コウラン、後はよろしくお願いします」
「無茶言わないでね。1人で勝てる相手じゃないって!」
「2人でも無理でしょう。そもそも私、ダブル前衛なんてガラじゃないんです。分かってたでしょう?」
「好き放題言うじゃん!……っと、どうすっかなぁこれ。もうちょい粘れると思ったんだけど」
率直に言って分が悪い。不意を突かれた行動にウーズが焦って行動したのが確実に状況を変えた。
焦り、恐怖、無謀が人を殺す。探索者として身に染みて理解していた筈なのに、彼のあまりに突拍子の無い攻撃に対応しなければならないと錯覚してしまったのだ。
更には相手がモンスターであるという先入観に勇み足になり、その結果が2対1での敗戦。
しかしコウランもここで退くことは出来ない。2人にはもっとハッキリとした結果が必要なのだ。
「ウーズ、加護はまだ持つよね?」
「はい」
「そっか。フゥー……よし、多分皆が来るまでそう時間も無い。ちょっとだけでもガチろっか」
コウランは静かに呼吸を整えると、改めて『徘徊者』の前に立つ。
そもそも彼らは別パーティのリーダー同士であり、連携の練習などしたことが無い。前衛後衛の動きは出来るが、それは普段のモンスター狩りに際し行う最低限のチームワーク。まかり間違っても対人戦で使うレベルのものではない。
したがってコウランにとって強者との戦いは、一対一の方が遥かにやりやすい。
先程までとは集中力がまるで違う。研ぎ澄まされた真剣の如き気配が彼とその拳に宿る。
「さぁ、仕切り直しだ。ウーズには悪いけど、俺は一人の方が強いからね」




