勇者の資質
「───いや」
初めは小さな悲鳴だった。
周囲のざわめきが波となって伝播する。
「なんで、こんなところにモンスターがいるの……!?」
「こ、殺される!嫌だぁ!助けてくれぇ!!」
やがて悲鳴は大きな波紋となり、その場にいる全ての人間を恐怖させる。
ダンジョンタウンには実際にダンジョンに潜ったことのない、探索者への事務処理と商売の為だけにここにいる人間が大勢存在する。
彼らは1階に現れる小さなゴーレムやワームといった最下級のモンスターにだって抗う術を持たない。
更に今目の前にいるのはただのモンスターではない。
「……ガ……アァ……」
この街を拠点とする探索者達が数多の屍を踏み越えて辿り着き、死に物狂いで探求を行った結果全貌を把握できたのが『6階層』。
それだってこの街にいる探索者の上澄みも上澄み、その多くから死傷者を出した。
これはその更に下からやってきた、人の形をした災厄だ。
「嘘だろオイ、あのミリアムが……!!」
「オイどけぇ!!あんなの相手に戦えるか!!」
「逃げろォ!この街は終わりだァ!!」
力自慢のドワーフが震え、勇気と希望を振りまく勇者が逃げを打ち、誇り高く尊大なドラコニアンが諦める。
万一出会えばもはや免れない死を与える者、それが深層のモンスターだ。モンスターとはそういう存在なのだ。
それが何の理由か、地表へと現れた。それはこの街の存亡をかけた一大事であることは火を見るより明らかであった。
(なんだよこれ……)
その光景をケインは、あまりに呆然と見ていた。
ケインはある商家の四男坊だ。家督は兄達が継ぐからやりたいことを選びなさいと言われ、強くなり、そして自分自身の価値を高めるために探索者となった。
ダンジョン特需の影響は大きく、探索者は街に大きな富を齎す。自分の商才は兄達のそれに大きく劣ると考えたケインは、別なアプローチで己のアイデンティティを欲した。
お目付け役として一応戦闘経験のあるクローカを同行させられたのには少し不満だったが、一人旅の寂しさを考えたらむしろ今では感謝している。
ケインは、探索者とは誇り高いものであると信じて疑わなかった。
この日ようやく現実を知ったのだ。
人は、死ねば終わりなのだと。
(だったらなんだよ)
「くそっ、二人を逃がさねぇと……あっ、オイ、ケインバカ!無茶だよせ!!」
「坊ちゃまっ!早くお戻りくださいっ!!」
ケインは剣を柄から引き抜き、人並みに抗い真っすぐに『血みどろ甲冑』の元へと向かった。
たとえそれが死への近道だとしても、そう選択する以外に頭にはなかった。
人並みに飲み込まれそうになる度に踏ん張って押しのけて、そうしてやがて目の前に騎士甲冑以外の誰もがいなくなる。
彼我の距離はおよそ剣の刃渡り3つ分。どちらかが後2歩踏み込めばそこはもう間合いだ。
がらんとしたダンジョンタウンにケインの声が響き渡る。
「返せよ……」
「……」
『血みどろ甲冑』は応えない。モンスターに人間の言語は通じない。
ダンジョンに生きるモンスターはコミュニケーションを必要としないからだ。
産まれ落ちて、戦い、喰らい、死ぬ。モンスターのライフサイクルに他者との交流は必要ない。
それが分かっていても、ケインは叫ばずにはいられなかった。
「俺達の仲間なんだよ……返せよォッ!!」
モンスターの腕の中で眠るように静かな、血で染まったミリアムを見て冷静でいることなど出来なかったのだ。
たった一度教えを乞うただけ、されど大切なものをくれた一度。
自分もこの人のようにあれたら。そんな未来すらも幻視してしまう程に鮮烈に憧れた背中。
それを奪われ、あまつさえ血で汚されて黙っていられるほどケインは利口ではなかった。
「うおおおぉぉぉぉっ!!」
鋼のロングソードを力強く握りしめ、僅かな距離を踏み出して大きく剣を振るう。
左腕に抱えるミリアムに当たらぬよう軌道を描き、その刃は『血みどろ甲冑』の
作法も技も無い、ただ全力で振るうだけの乱暴な剣。見る者が見ればため息交じりに愛想をつかす無骨な剣筋。
だがその瞬間誰よりも、彼は英雄としての資質を満たしていた。
放たれた一撃は寸分たがわず騎士鎧の側面、剣を持つ右腕へと吸い込まれるように伸びていく。
その一撃を『血みどろ甲冑』は───
ガギィン!!
「……っ!がっ……!」
それに対し『血みどろ甲冑』はただ立っていただけ。
一切避けなかった。
剣はおろか、手甲で防ぐことすらしなかった。
その一撃が鎧籠手を貫くことはなく、ケインに返ってきたのは強烈な手の痺れと射抜くような緑光の眼光。
まるで巨大な岩石のように重く固く、自分の骨が軋みを上げるほどの質量に驚くことしかできなかった。
鎧の間隙を狙うことも無く、ただ無造作に苛立ちをぶつけただけの刃を、モンスターは防ぐことすらしなかった。
(ざっけんなよ……馬鹿にすんのもっ、大概にしやがれ!!)
痺れる手で無理やり剣を手繰り、もう一度叩きつける。
次は剣を頭上に大きく振り上げ、右肩へ目掛け両断する勢いで。
ガンッ!!
「───ッ!!」
しかし結果は同じ、攻撃した側が手を痛めるだけ。それでもケインは諦めなかった、何度も何度も何度も挑んだ。
装甲の薄い間隙に四度、勢いよく突きを二度、脳天から一度。
モンスターはそのことごとくを避けず、躱さず、ただ正面から受け止めた。
叩きつける回数が十に届きそうな頃、手の震えが止まらなくなり剣を取り下ろす。
そうしてやがてケインは気づく。気づいてしまう。
こいつは初めからこれを『戦闘』だと認識していないだけなのだと。
「……んだよ、それ」
落とした剣を見る。僅かに罅割れが入った、初めて自分で選んだ武器。
己の無謀と蛮勇で壊してしまった長剣が、泣いているような気がした。
あまつさえ目の前のモンスターがそれを咎めているような気配すら感じる。
その事に思い立ってしまったケインは膝から崩れ落ち、震えた声でその事実を受け入れてしまった。
立派な剣と高潔な志を持ったとしても、それは強いことにはならないのだとこの時初めて学んだのだ。
「先輩を返せよ……返して、くれよ……まだ、聞きたいことがたくさんあるんだよ……!」
項垂れ、涙を流し、必死に喉の奥から声を絞り出す。
このモンスターが一つ意思を変えれば、すぐさま首と胴体は泣き別れるだろう。
「……」
モンスターは喋らない。必要が無いから。
モンスターは情を持たない。必要が無いから。
モンスターは慮らない。必要が無いから。
ダンジョンは探索者に微笑まない。
微笑むとしたら、それは奇跡でも起きなければあり得ない。
そう、神の奇跡でも起きなければ。
「───洗礼『怒れる神の拳』ッ!!」
突如として『血みどろ甲冑』の頭部に凄まじい衝撃と神秘の力が襲いかかる。
グラつく視界と揺れる身体に態勢を崩し、左腕に抱えたミリアムを取り落す。更に追撃として放たれたスペルによってダンジョン入口の方へと吹き飛ばされる。
ケインが顔を上げて振り返った時、そこには5人の探索者達がいた。
先のスペル詠唱者らしき、荘厳な僧衣を身に纏った聖職者の女性がケインの元へ駆け寄る。
「……申し訳ありません、勇気ある君。弱気を助け、悪しきを挫くと誓ったはずなのに……私は私が恥ずかしい!」
更にその背後にいた探索者達も口々に彼を激励する。
神官、勇猛な戦士、老練たる魔法使い、鋭い眼差しの弓兵、そして誰よりも威風を放つ騎士。
彼らは思い思いの武器を手に、目の前の脅威へと立ち向かっていた。
「相手が相手だからと様子見なんざしちまった……なり立てのひよっこが必死に戦ってるってのにだ」
「何が下層探索者だ、何が稼ぎ頭だ。義理と人情、欠いちゃあそれこそ人でなしッ!」
「後は我々に任せなさい。7階に叩き返してやろうじゃあないか」
彼らはダンジョン探索の最前線を構築する、いわばこの街きっての最精鋭であり稼ぎ頭である『エリート』。
多大な被害を被った6階層攻略、それを命懸けで超えてきた猛者中の猛者。正真正銘、真の『探索者』。
誰が呼んだか、6階層踏破に貢献し生き残った探索者をこの街では『エリート』と呼ぶようになったのだ。
彼らは事態を把握するためにその場に踏み入らず、周囲からじっと気を伺っていたのだ。
そんな彼らが一丸となってこの事態に立ち向かっている。たった一人の青年の、勇気に後押しされて。
気配を探りつつモンスターへとにじり寄る中、騎士の男が腕を失ったミリアムを見やってからケインへと檄を飛ばす。
「まだ息がある、その少女を教会へ連れてゆくのだ。治療の手立ては必ずある……失った腕は、厳しいかもしれんが」
「分かった。……すみません。俺、歯が立たなかった」
「君は必ず強くなる。あっという間に、それこそ奴に首に手が届くほどに。私が保証する」
そう言いのけ、視線をまた敵の方へと向けた。
その言葉に心の内で多大な感謝を送りつつ、ケインはアジーとクローカに声を掛けて走り出す。
「クローカ!アジー!来てくれ!!」
「おま、ほんと……ああもう俺が悪かったッ!お前すげぇやつだよ誇っていい!!」
「ええ、私存じ上げておりました。坊ちゃまは素晴らしい才覚に恵まれておいでなのです!」
走り去っていく三人を横目で見つつも、彼らの思考は既に戦闘へと向いていた。
「……ァァ」
立ち上った土煙からゆらりと緑の眼光が怪しく光る。
先の二撃、高位神官の奇跡二連打を真正面から受けとめてほぼ無傷という現実に一同冷や汗が出る。
彼らの意思は既にケインから離れ、目的達成の為に切り替わっている。
即ち目の前の難敵、如何にして捌き切るかだ。
(『血みどろ甲冑』……ああは言ったが容易い敵ではない。油断すれば死者が出る)
彼らエリートには一つの共通認識があった。
それは、《《人型に近いモンスターは強敵である》》というもの。
法則性という程整っている物ではないが、経験則上彼らはそう判断していた。
邪眼を持つ『ゴルゴン』、災厄を意味する『デーモン』、多種多様な魔法を扱う不死『メイジゾンビ』。
そのどれもが強敵、かつ人の形に似通っている。
そして『血みどろ甲冑』の強さはそのどれとも異なるものだ。
(強力な魔法を使うわけでもない。特殊な異能を持つわけでもない。奴はただ力があり、ただ素早く、ただ技巧に優れている。だからこそ奴らは強い)
この上なくシンプルな強さ。死骸から拾い集めた武器を巧みに扱い、時に元使用者の技量すらも超えて振るわれるそれは7階層の悪夢だ。
何せそこで死ねば、仲間の武器を仲間以上に強く使って自分達を追い詰めてくるのが目の前のモンスターだ。
借りもある。5人は是非ともここで一体減らしたいという想いと、無茶は出来ないという考えで揺れている。
「ググ……ヴォ……」
ガシャリ、ガシャリと歩く音が煙の中から響く。一歩ずつ、間違いなくこちらに歩みを進めている。
戦士は既に踏み込みの態勢にあり、隙を見せれば即座に斬りかかれる。
弓兵は常に弓を強く振り絞り、魔法使いは既に魔導書を開き詠唱の態勢。神官は既に味方に加護を撒き切っている。
騎士はそれら全体を俯瞰し、有事の際即座にカバーに入る。対応としてはこれ以上ないだろう。
煙が晴れ、姿を現したモンスターはというと……。
「……」
5人の強敵と相対しているというのに、空いた左腕を軽く振り、その掌をじっと見ている。
それだけだ。能動的に危害を与える行動をしない、モンスターとしては常軌を逸した行動。
しかし何かを思い出したかのように、おもむろに地面の血の沼へと手を突き入れる。
その行動に突き動かされるように全員の警戒心が再度高まる。出てくるもの次第では……そう考えるも次の行動に度肝を抜かれる。
戦士が動揺し、言葉が口をついて出る。
「腕……!?」
取り出したのは血で汚れた人間の腕。
手甲が付いており、既に出血自体は止まっているが造り物などではない。
正真正銘、人間の腕だ。弓兵と騎士、神官は即座にそれを見抜く。
「ねぇ、あれってあの子の……」
「うむ、間違いない。あの少女、ミリアムと言ったか。その腕だろう」
「斬った者の腕を持って……一体何を考えているのでしょうか……?」
誰もが不安を煽られる中、やがて『血みどろ甲冑』は動き出す。
もう一度深く沼に腕を沈め、一枚の布を取り出し腕を包む。
そしてそれを地面に置いたのだ。ゆっくりと、まるでガラス細工の工芸品を、決して傷つけないように。
「ア゛……オ゛ォ゛……!」
そのまま吹き飛ばされた壁の傍、ダンジョンの入口をチラリと見る。
そしてなんと、凄まじい速さでダンジョンの中へと走り去っていった。
『逃げ』たのだ。モンスターが、探索者から。
「なっ!オイ待ちやがれェ!!」
「バカ追うな!!……無いとは思うが罠を警戒しつつ腕を回収。本物なら急いで彼らの所へ届けなければ」
「僕が行くよ。警戒お願い」
そう言うと身軽な弓兵がたっと走り、置かれた腕に近寄る。
周囲を観察しても怪しい気配はない。腕からは濃い血の匂いがするばかり、毒や呪いの気配はない。
それどころか、どこか生気を持ったような気配すら感じる。流石に気のせいだろうと弓兵は口を噤んだ。
「何も無いよ。一切無い」
「……なら、彼らの所へ持っていってくれ。腕があるなら『再構成』の可能性が高くなる。急いでくれ」
「分かった!」
そう言うや否や、弓兵はとてつもない速さで4人の間を走り抜け、身軽にそこら中の建物を足場にしながら走り去っていく。
それを見かけたのか、ダンジョンタウン施設の外から話し声が聞こえ始める。
恐らく逃げていた探索者や職員が戻ってきたのだろう。
「……今回の件、大騒ぎになるぜ。ダンジョンからモンスターが出てきたなんて前代未聞だ」
「あの個体がおかしいのでしょうか。剣を受け続けた姿勢といい、腕を置いて行ったことといい、行動に不気味な点が多すぎます」
「ワシの眼にはどうも人間臭く映った。じゃがモンスターであるのは間違いない。なんなんじゃろうなぁ、あれは」
これからの報告如何によっては大変な事態になる。
この街だけではない、国中のダンジョンを保有する全ての街がこの件で大きく動くことを余儀なくされる。
「安全神話は崩壊した。この先どうなるか、考えるのも恐ろしいな……」
騎士の呟きが3人に、小さくない不安を抱かせた。
『エリート』
全10階層のダイダロスにおいて6層の全貌解明に尽力した者、転じて自力で6階層まで到達できた探索者は『エリート』と呼ばれる。
1階層を隅から隅まで怪我無く歩けてルーキー、2階層を同様に歩けてルーキーを脱すると言われるダイダロスにおいて6層到達は大偉業である。
彼らは皆畏敬の眼で見られるが、それを素直に受け取り誇る者は少ない。
それは同胞の屍と、それらが遺した多くの知識によって築かれていることを自覚しているからだ。
本当に手にしたかったものは賛美なのか?エリートの中には苦悩を抱える者も決して少なくない。