44 価値とは?
ふらふらとしながらも立ち上がってかぶりを振るう『徘徊者』の姿は先程までの落ち着き払った様子ではなく、どこか落ち着かない様子で時折周囲を見渡している。
そして落ち着いたかと思えば真っすぐにヘレスを見る。
先程までとは何かが違う。どちらかと言えばいい方に、空気が和らいだような気すらする。
どうするべきか、その判断をつけることが出来ない中更なる変化が訪れる。
「チチチチ……」
どこからともなくという言葉通り、小さな蒼い小鳥が『徘徊者』の頭上に留まったのだ。
なんなのだあれは?状況に対しあまりに似つかわしくない穏やかな存在の登場に呆気に取られてしまう。
それはヘレスの内から緊張感の喪失させ、同時にその喪失に対し危機感を募らせる。
警戒に値しない、それこそが落とし穴となることを忘れてはならない。
一瞬、自分の中の『直感』が強く反応したことを再確認、再度己を自戒して言葉を掛ける。
「……今は何も聞きません。貴方を見て彼らが浮足立っている。アルマ、速やかに護送の準備を───」
そう告げた時、モニュメントが淡く輝いた。
再度探索者による『帰還』の合図だ。なんとタイミングの悪いことか、『徘徊者』を地下へと送るだけで状況は完了すると言うのに。
適当に緊急事態である為そのまま休むよう告げればいいだろう。
そのように考えていたからだろうか?決して気を抜いていたわけではないが、しかし帰還者は更なる混乱を齎した。
「帰還帰還っと。やっぱフェニエいると効率が段違い!うわ、足元血だらけなんだけど!」
「あ?血ってお前、あぁ!?お前何やってんだこんなとこで!?」
なんでこのタイミングで帰ってくるんですかミリアム。話がこじれるでしょうが。
しかもフェニエがいるんですよ。ああほら、愛しの娘が奴を見つけてしまった。ヘレスは無性に泣きたくなった。
「なに?『帰還』に巻き込まれたの?んん?あれ、何考えてるか分かるじゃんっ!おかえりっ!」
「ミリアム、周り。どう見ても厄介事だと思うけど」
「いやもう分かった。『帰還』でコイツが地上に引っ張り出されて全員殺気だってんだな?となりゃ俺達はさっさと場を離れた方がよさそうだ」
「そんなっ、ようやく恩人様と再会できましたのにっ!」
「言ってる場合かっ!ほらずらかるぞ、邪魔したら後が恐ぇ」
アジーの状況判断は早かった。ミリアムが得た数少ない情報から「そりゃモンスターがもっかい地上に現れたらこうなるわ」と考え、ただでさえ関係値の深い自分達がいては話がこじれるとすぐに判断したのだ。
しかし、事ここに至ってはその判断の速さは事態を思わぬ方向に動かした。
『徘徊者』をもっともよく知るであろう彼らがヘレスの判断を仰がず即座に離れたこと。そのリーダーであるミリアムは最初に気さくに挨拶までしたこと。
終始張り詰めていた空気が弛緩し、それを見た1人が動き始めてしまった。
コレには交渉の余地がある。そう考える老齢の商人が民衆の輪から抜け出して彼らの前に歩を進めたのだ。
「……エボ、戻りなさい。彼は貴方の手には負えません」
「一言でいいんだ、会長殿。どうか耳を傾けて頂きたい。彼の出現によって多くの探索者が手を止めている現状、稼ぎは遅れ続けている。聞けば彼は多くのものを沼に沈めて所有していると言う。どうか話をさせてはくれまいか」
「彼が何を望んでいるかも分からないのにですか?それこそ貴方の言う無謀な商いでは?」
「それは……ああ、その通りだ。相手が求めている物を知り尽くしてこそ商人、それが今から手ぶらでモンスターに飛び込み営業など自分でも正気とは思えん。しかし『波』1日分の損失を老体の口八丁で回避できるのならば儲けもの。無惨に斬られればそれも結構、若人に比べれば安い命だ。何卒、お願い申し上げる」
嘘を吐け、何が安い命だ。それに頭を下げていても目が誤魔化せていない。その好奇心に満ちた少年の様な瞳はどう見てもこの状況を楽しんでいるではないか。
長らく弁舌で渡り切ってきた商人の中の商人が、今拓かれようとしている未知の世界に恍惚としているのだ。
その穂先を譲ってなるものかと出しゃばってきた老人に、しかしヘレスはそれも一理はあると道を開ける。
正直に言うなら、今も少量とはいえ『徘徊者』からは血が溢れ続けているので手短に済ませてもらいたいところではあった。掃除もコストがかかるのだ。
「手短に。ミリアム、必要なら手助けを」
「はーい」
「はいは伸ばさない。公の場ですよ。その他の者は待機、追って指示を出します」
通り過ぎる際老人、エボは擦れ違いざまにケインとクローカに微笑んで会釈し、2人もそれに応じて礼をした。
焦ってはならない。商人はどれほど苦境に立たされ、胃から酸を吐き出したくなるようなストレス空間であっても、商機を見逃すことがあってはならない。彼にとって命をベットしてでも避けたい機会損失、常軌を逸した商魂である。
しかし『徘徊者』がこの場に現れた時、名うての商人の勘が告げたのだ。これは山のように大きなシノギになるぞ、と。
失敗しても雰囲気からしてお流れが精々。最悪でも老体の命一つで賄えるなら分のいい賭けになる……というのは全て建前。
利益など最早大した意味を持たない。身体を突き動かすのは好奇心。ダンジョンに行くことのできない老体が偶然得たのはダンジョンの神秘に触れる絶好の機会。
打算、博打、投資。理由は何でもよかった。彼もまた未知へに好奇に胸を躍らせる男だったというだけ。その為なら残りの寿命全て捧げても惜しくはない。
緊張から来る思考のノイズを一旦思考の外に置き、エボは静かに『徘徊者』へと話しかけた。
「お初にお目にかかります。この街で一介の商人を務めております、エボと申します。どうかこの老爺の話を聞いてくださらぬか」
「……」
静かにうなずいた『徘徊者』を尻目に、ケインは顔が引きつりそうになった。
エボ、この街に住んでいるなら誰しも一度は彼の商会、あるいは傘下の店に世話になったことだろう。彼はこの街で知らない者などいない豪商の一人だ。
金の生る木であるダンジョンタウンへ投資し、いずれ自らの商会を持つ。口にするのも行動に移すのも簡単であり、来るもの拒まずな業界にいっちょ噛みしようとする商人もまた多い。怪我人や旅行者の多いダンジョンタウンは常に物資を求めているのだ。販路に困らないなら後は資材の調達さえうまく行けば……そう考える者は多い。
しかし実際の所は、目指す数と同じ人数が破産の憂き目に遭うと言われている。ダンジョン商売とは商人にとって非常に難易度の高い選択だと気づいていない商人は非常に多いのだ。
第一に信頼。持ち込む物資全てが命綱になるダンジョン探索に於いて、どこから物を買うかというのは死活問題だ。
長く探索者に愛され入用を満たしてきた大商会はその点で言うと圧倒的な支持を誇る。
市場の独占が禁止されていない現状、そもそも既存商会を通さない新規参入自体がリスクである。
それを知らずに個人出店し来客0で破産、といったケースは決して珍しくない。ボグとケンドルのように世話になる職人や商家の世話になる方が本来は正攻法である。
そんな新規参入者が最初に耳にするであろう商会がエボが取り仕切る商会である。
第二にダンジョンを抱える街の物流は非常に不安定だ。生傷の絶えない探索者達は常に大量の物資を必要としており、売れば売るだけ次の資材が必要になる。
探索に行けば食料と薬が。探索者相手に商売をするなら元手に物資が。産業を営むなら土地が。これらは常に需要があり、特に消耗品の類は枯渇し続けていると言ってもいい。
この供給に応え続ける巨大な版図を持ち、かつ商会として大成したいのなら多くの個人営業主を纏め上げるだけの地力を持つ。そんな辣腕の持ち主でなくてはまず競争の舞台に立てない。
この需供のバランスが一定に保たれるようになったのはとある時期と一致する。多くの探索者が命を落とし続ける時代が終わりを告げ、確実に帰還できる安全マージンを確保しての探索活動。これを絶対とする方がヘレスの手によって敷かれたことに起因する。
生存第一を基本とする戦略はその代価として、消耗品の需要を更に増やした。なにせ死人が出ないのだ。死人にそれ以上の消耗品は要らないが、生きている者には必要不可欠。
現在の『ダイダロス』は非常に安定した収益を出し続けているが、それが出来るようになったのもおよそ10年前とつい最近の話。
そしてその立役者の一人となったのが、当時その辣腕でヘレスの信を勝ち取った商人『エボ』である。
『ダイダロス』の腐りかけた時代を前に見切りを付けようとしていた所をヘレスに見込まれ、世界で最も安定したダンジョンタウンへと変貌させた。言うなればこの街を造り上げた人間の一人である。
既に歳もあり探索活動こそできなかったが、探索者達が持ち帰るダンジョンの秘宝達に遥か昔から心躍らせてきた男。そしてそれを街の内外でやりくりし少しでも多く探索者に還元するべく街を回してきた商売における剛の者。
ことダンジョンタウンにおける商いで彼の稼ぎを超える者はそういないだろう。探索者を深く深く知り、何が必要なのかを骨の髄まで理解し、そうして悉く商売を成功させてきた男。
この街で長く商売をしているというのはそれだけで誇るべきことであり、そしてそれが出来る地盤を造り上げたのが彼、エボなのだ。
「ありがとう。まず前提として今が『波』と呼ばれる時期であることはご存知か?……そうか、なら詳細は省こう。『波』は年に一度の稼ぎ時でもあるが、その目的は大量の資源を集めるだけに限らない。未だかつて見たことも無いような、所謂レア物の発見も目的の一つだ」
「……」
「もし君が何か珍しい物を持っていて、それを持て余しているとしたら。どうかな?我々に買い取らせてはくれまいか。無論ここをすぐに立ち去るのならばそれもいい。しかし、せっかくこうして道が交わったのだ。互いに利がある取引をして、この関係をより良いものとしたいとは思わないかね?」
そう言われると『徘徊者』は悩む素振りを見せた。僅かに俯き、あからさまに悩んでいると言う格好だ。
仮にもモンスターを前にして大胆に交渉にこぎつけたエボは内心、この状況を緊張しながらも楽しんでいることを自覚している。
人類の敵たるモンスターを相手に商売とは不謹慎なことかもしれないが、このモンスターが探索者達を脅かしたという話で公的に明らかにされているものは現状最初の1件しか存在しない。
しかもその被害者であるミリアム自身が恨みに思っている様子も無く、更には確かな情報源からダンジョン内で他の探索者を助けて回っていると伝わっている。
ならばこの行動に大きな危険はない。そう自分に言い聞かせた所で、目の前の巨体が今すぐ自分を縊り殺さない保証はない。
この緊張が、たまらなかった。長い間商売に触れ隠居を目前にしていたエボは久方ぶりに昂っていた。王族を前に商売をするよりも遥かにリスクがあって面白いからだ。
「ウ゛ゥ゛……」
悩みつつ、溢れる血液をなるべく外に零すまいと手を受け皿にしてさえいる。
なるほどこれほどまでに人間みの溢れる姿を見せられれば、これがただのモンスターとは思えなくなってくる。
幼さすら感じるその姿をエボが眺めていると、突然ミリアムが『徘徊者』の傍まで近づき、『徘徊者』もまたしゃがんで顔を近づけた。そしてそのまま彼の通訳をする。
「ふむふむ?何が私達にとって価値あるものか分からない、変なものを出したくない……まぁそりゃそうよね」
「それはもっともだ。しかし何故近づく必要が……?」
「なんとなく伝わりやすい気がするので」
「そ、そうか。君がそう言うならそうなんだろう」
その翻訳を聞いて、エボは少し考える。
確かに如何に人に近い考え方をしたとて、ダンジョン外に住む人々の生活を知らなければ何に価値があるのかなど見当もつかないだろう。
ましてやこのやり取りはただ金目の物を出せばいいというものでもない。これは『徘徊者』が人類に対しどれほど友好的であるかを示す指標にも繋がる。
結果次第で今後の『徘徊者』自身の価値が決まると言っていい。彼自身慎重にもなろう。価値を考えさせる意地の悪い提案だ。
しかしエボはそれこそが重要だと考えていた。彼にとって価値あるものが何か、彼の思う我々にとって価値ある物とは何か。見たいのはそこに至るまでの思考と結論。
モンスターである『徘徊者』は何を高価とし、人間が求めているものは何だと考えているのか。
多少とはいえ人間と交流がある以上そこまでブレた物は出さないと思うが、これは複数の意味を孕んだ取引となっている。
『徘徊者』はこれを物知らずを指摘されたと愚弄に受け取るだろうか?エボはその可能性は低いと踏んでいた。
彼の逆鱗がどこにあるかはまだ分からないが、余程の無礼でもある程度許してくれそうな気配を感じ取っている。
大らかというよりは、まるで心の広い好青年を相手にした時のような気配だ。それをモンスターから感じると言うのは不思議な感覚だったが、気分としては悪くない。
エボは長年に渡り培ってきた、自分の『直感』と『幸運』を信じることにした。
「付け加えるなら長くダンジョンにいる君だからこその品、そういうものが見てみたいところだなぁ」
「グググ……」
「困ってるみたい」
エボ自身難題を言っている自覚はあった。物々交換くらいは経験しているだろうが、相手の価値基準を考慮した取引など『徘徊者』からすれば考えたことも無い問題だろう。
そもそもダンジョンで回収された物品の価値は既知の物を除き、地上に持ち帰り査定されるまで誰にも、それこそ歴戦の探索者や専門の事業者ですら分からないのだ。これはダンジョンタウンでアイテムを取り扱って商いをすることが如何にギャンブル性を含むのかを物語っている。
なにせ多くの金を掛けて探索者達を支援し、見たことも無いような資材を持ち帰らせたとしてもそれが必ず金になるとは限らない。むしろ爆発などの危険性すらある。
だからこそ宝石のような即物的で陳腐なものではなく、かつ用途の分からず価値があるか分からない、そんなものではいけない。
無論だが、もしここで自分の身長を優に超える巨大な宝石でも出されたら絶句するしかない。
逆を言うならばそれくらい衝撃的、かつ神秘的なものでなくてはこの場を綺麗に収めることは出来ない。
(さて……何が出てくるかな……?)




