42 信仰は誰が為に
「……どうする。教会が味方に……」
「会長を待つしか……前例が……」
僅かに扉を開いて初めに感じたのは風に乗る僅かな話声と微かな血の匂い。
手遅れだったか。そう焦りを感じるも、それにしてはやはり静かすぎる。
そして瞬時に思考を切り替える。視界にフィルターをかけるように、目に映るあらゆる情報を無感情に受け入れる。
今のヘレスは扉を開けた瞬間ナイフが飛んで来ようと打ち消し、誰が何人襲い掛かろうと無感情に消し炭に出来るだろう。
それでもキリキリと悲鳴を上げる内臓を気合で黙らせつつ、自らの来訪を告げるべく扉を大きく開け放つ。
1歩目。目の前で武器が雨霰の如く飛び交っているわけではないことを確認。
2歩目。テラス中央は探索者達が壁となっていて視認できない。
3歩目。その彼らが自分に気づき即座に道を開ける。
そうして開けた視界にはそれはいた。それはそこで幾人もの探索者達に囲われて、静かに佇んでいた。
片膝をつき、両手の指を組んで胸の前に。視線は間違っても見上げぬよう下へ。
驚く程様になっているそれは『礼拝』の儀礼。人々が神を前に取るべき姿勢である。
神の言葉を聞く為に本来祭壇の前で行われるそれを、『徘徊者』は『帰還』のモニュメントに背を向け、来るべき時に向けて祈りを捧げ続けていた。
それを見守るのはリーダーであるエナが率いるパーティの面々、そして疲労困憊と言った様子で座り込んでいる癖に気持ち悪い程に喜色満面のジェグイ・スレイ。
そして更にその周辺を多くの探索者が囲っている。その先頭に立つのは、ヘレスもよく知る人物であった。
「『徘徊者』……それにあれは、アルマ?一体何を……?」
見れば『徘徊者』の周囲を囲っている探索者は一部を除き全員が聖職に連なる者達。そして彼らは皆一様に『徘徊者』へと背を向け、その姿はむしろ探索者達に対峙しているようにも見える。
先頭に仁王立ちするはこの街で最も高潔にして厳格、『教会』所属探索者のナンバー2『荘厳』のアルマ。
ヘレスと彼女は交流こそ少ないが互いにその実力や手腕を買っており、多くの言葉を交わさずとも信を置ける間柄だ。
それ故に彼女はモンスターと手を繋いで仲良くなれる等と世迷言を言う人間ではないことくらいは知っている。むしろモンスターや犯罪者に対する姿勢は冷淡にして苛烈。戦神の如き荒々しさすら見せる女だ。
それがモンスターである『徘徊者』を守る様に兵を配置し、自らのその背を預けている。なんということだ、この状況に至るまでの過程にまったく想像がつかない。『徘徊者』は一体どのような仕草で聖職者達を味方につけ、その上で静かに人を待っているのか。
これ以上は考える時間がもったいないと判断したヘレスは手近な探索者に説明を求めた。
「そこの貴方。何があったのかを詳細に、出来れば簡潔にお願いします」
「え、えぇ?お、俺ですかぁ……あーと、あれが来てすぐ会話?喋ってはいませんでしたが相談してたみたいで。そしたら少ししてアイツはあの姿勢を取り始めたんです。そしたら一部の連中が暴れそうになったのを、彼らが止めたってワケでして、へぇ」
「なるほど全く分かりません。もう少し具体的にお願いします」
「す、すいやせん。んじゃまず、起きたことだけ話しやすね」
男が話したのは今の状況になるきっかけ、『礼拝』をし始める直前。
真ん中にいるスレイ調査騎士が何かを伝え、そうしたら何かを考えるような素振りをしてから共に『帰還』したパーティとまたやり取りをしていた。
それが終わった直後から祈りの姿勢を取り始め、それ以降崩していないらしい。
「一部の連中がそれ見てキレちまいましてね。テメェ俺らの仲間殺しときながら神様に祈るなんざどういうつもりだと。それを止めたのがアルマ様と『教会』の探索者さん達ってわけです」
「見てくだせぇ、凛としてるでしょう。アルマ様は「生きとし生ける全ての者には祈る権利がある」の一点張りでアイツを守っとるんですわ」
老若男女を問わず、この場にいたであろう聖職者達が総出で『徘徊者』を守っている。これは『ダイダロス』の歴史を何百年振り返っても存在しない、あまりに異様な光景だ。
よくよく見れば中には装備に傷の付いた者もいる。しかし周囲を見てもこの場に戦闘の痕は無い。つまりその探索者も『帰還』した内の1人だと予想できる。
つまりあの探索者はこの最悪のタイミングで疲労困憊の中帰還しながらも、状況を聞いてそのまま彼の傍にいるのだ。これは如何なることか。
時はヘレスが報告を受ける直前、スレイが『徘徊者』へと提案したところまで遡る。
説明をする彼が言った通り、確かに先程一悶着は起きていた。
祈りを捧げるモンスター、この世界のあらゆる歴史を覗き見ることが出来たとして絶対に存在しないであろう現実。
それを見た人間達から噴出された感情、果てし無い怒りであった。
「モンスターが神へ祈るなど悍ましい、私達を馬鹿にしてやがる」
「そうやって祈る人間を何人殺してきた。そんなに死にてぇなら今すぐ俺が殺してやる」
「今すぐ死ね。そうする以外にお前が詫びる方法などない」
静観していた探索者達から溢れた怒りは周囲に連鎖し、大きな波紋を呼んだ。
無論『徘徊者』が人命を奪った事などただの1度もありはしない。彼らの怒りはこれは『モンスター』に対する怒りの噴出である。
日銭の為に命を懸け、その過程で多くの人間が危機を躱す事が出来ず死んでいく。虚しく、しかしこれもまたダンジョンの持つ一側面だ。
この『ダイダロス』に住まう人々にとって、モンスターはその日の飯の種でもあり、友や家族を奪う不倶戴天の敵、生涯の敵でもあることは決して動くことのない現実だ。
この20年で環境が大きく改善されたとはいえ、当時から探索者を続けているものも多くいる。彼らは人間は容易く死に、生き返ることは無いという現実を痛い程理解している。
そんな彼らから吐き出された怨嗟の声は、今まで奈落の底に沢山の大切なものを喰われてきた人間達の、抑えることの出来なくなった心の悲鳴でもあった。
彼の取った行動は、人々の心の中で燻っていたモンスターやダンジョンに対しての恨みや怒りを大きく再燃させてしまったのだ。晴らすことの叶わないダンジョンへのネガティブな願いが爆発した結果なのだ。
スレイにそうしてみてはと言われた行動が想定以上の火種となってしまったのは事実。だが騎士が抱える彼等への祈りは真実だ。
挑む者、帰る者、死に逝く者。それらへ捧げるのは心からの敬意。そしてダンジョンを造り上げた神への信心である。
その姿に探索者達の怒りは収まるどころか、あわや暴動に発展するかと思われた。
だがそれを受けて尚『徘徊者』は祈りの姿勢を崩さなかった。これがダンジョンと共に暮らす人々が抱えて来た悲しみだと思うと、我が身可愛さに祈りを止めることは矜持に反した。
「……静観していたが、これ以上は見過ごせんか」
「聞け、神の声を聞くもの達よ!その志を共にするならば我に続けッ!彼の祈りは正当なものであるぞッ!!」
しかしそれを外から止めたのがアルマ、そして聖職に就く探索者。ダンジョンへ赴く神の代理人達である。彼らが『徘徊者』への罵倒と侮辱の言葉に対し待ったをかけたのだ。
先陣を切るのは錫杖を構えたこの街で最も強いと謳われる聖職者であり、極めて厳格な性格で知られる神官『厳正』たるアルマ。この街で高名な神官とは誰かを問えば、教会長の次に名を連ねる程の者である。
人気の度合いならいざ知らず、単純な実力で言えばこの街の聖職者達の中でも頂点に立つだろう。
そんな彼女が激昂する彼らを一喝、そしてその声に反応した聖職者達は皆一斉に、躊躇うことなく彼女と道を共にした。神が定める人と信仰の天秤に従い『徘徊者』の側に傾けたのである。
当然それを諭し引き留める探索者達もいたのだが、彼らの大半はまったく耳を貸すことなく『徘徊者』の傍に寄ることを決意した。
「なぜ止めるアルマ!奴らのせいで何人の仲間が死んだと思っている!」
「彼の者は祈りを捧げている。その胸に神を宿すならば、それもまた神の導き。たとえモンスターであったとしても、祈るならば信徒だ。我らは神の御意志を尊重する」
「神はモンスターに慈悲を与えない!神は人の側にあるものだろうが!」
「なんだと?貴様、それはどの神託の引用だ?言え。言えないのならば黙っていろ。神は貴様が都合のいい言葉を吐く為の道具では無い。我らは祈る者であると同時に、祈る者を護る盾である。貴様らが感情を武器とするならば、我らは信仰を以て盾とするッ!」
『教会』は祈る者を区別しない。祈るならば、神を信じるならばその門戸は全ての者に開かれる。
その言葉に偽りはない。しかしただモンスターが人のフリをし、祈る似姿を取っていたとしたら、彼らもまた暴走する人々と同じくモンスターを排斥していただろうことは想像に難くない。
それでもアルマの一声に己を奮い立たせ『徘徊者』の前に立つのは、彼らが一様に『信仰』心を感じ取る能力に長けているからだ。個人で敏い鈍いと程度の差は在れど、探索者を兼任する聖職者達は皆他者の信仰の度合いを気配で感じ取ることができる。
それが真に迫る者であればある程、そこに宿る信仰心を彼等は感じ取る。そんな彼らが感じたのは紛うこと無き本物の信仰心である。
その上で『徘徊者』は『教会』に代わり『探索者カード』を捜索、多数寄付するという多大な献身を行っている存在だ。
帰らぬ人を待つ彼らの嘆きに対しどれ程無力を噛み締めて来ただろうか。彼の齎した物によって心救われた人間がどれほどいただろうか。
愛する人の死から止まった時間が動き出し、虚無から悲しみへと感情が帰ってきた人間の涙を知っている彼らは、この行動を取ることに何の迷いもない。
地の底にあっても輝き続けた善行は『教義』によって結ばれた彼らの信念を動かしたのだ。
「……なるほど。概ね把握しました」
「そりゃあ何よりで。行かれるんで?お気をつけて」
事態は把握した。ならば最善に向けて行動する。それ以上何も言わずヘレスと男は歩き出した。
頭の中で状況を整理し、ズキズキと頭が痛むのをおくびにも出さず前進する。
ザワついていた人の波がヘレスの登場に少しずつ静かになっていく。
先ほどまで怒号と困惑が入り混じる混沌とした場が静寂を取り戻し始める。
血気盛んな探索者達がこの場において大袈裟に囃し立てることもせず沈黙を選ぶ。それこそがこの事態の異常性を物語っていた。
「来るのが遅いぞ、ヘレス」
「そういう貴女は派手にやりましたね、アルマ。我々と『教会』の間に軋轢を生むとは考えなかったのですか?」
「考えたとも。考えた上でこうしている」
「やり方があるでしょうに……」
「こいうやり方しか出来ないものでな。さぁ、行ってくれ」
アルマは何も教義だけでこの決断を行ったわけではない。
まず、この場所はこれから多くの探索者が帰還する場所である。この場所で暴動が起きればまず間違いなく治療はスムーズに進まなくなるだろう。
それどころか怪我人が暴動に巻き込まれ、より多くの怪我人を生む。事態の鎮静化が無理ならば、せめてこの場所一帯から人を退かし安全を確保するべきだと判断した。
次に、もし彼らの暴動を見逃せば『徘徊者』にその害は及ぶだろう。確かな現実と不確かな噂を統合して判断するに、少なくとも無差別に人を襲う存在ではない。最も中堅程度の戦力相手に傷つき倒れるような輩ではないだろうが、そうなれば関係性の修復はまず間違いなく絶望的だ。
ではもしここで『徘徊者』を排斥するよう動いたらどうなるか?拗ねて『探索者』カードの捜索を打ち切る程度で済ませてくれたら可愛いものだ。
(もしあの状況で「やっぱり殺す」が起きないと誰が言えた?)
アルマは内心呆れ、同時に冷や汗が出るのを止められなかった。もし彼がその罵声に激昂し、今すぐ全員の首を掻き切る選択を取らないと誰が保証できる?
帰還時の状況から判断するに、相手は対人戦において遥かに上回る国家騎士を単独、かつ無傷で制圧し切った猛者だ。それを人斬りの経験などあっても言えない探索者達が束になったところで勝てるものなのか?
否である。アルマは彼の実力を過小評価していない。この場で彼を敵視するのは間違いなく自分達の首を絞めると判断したのだ。
幸いなことに教義という大義名分(当然ながら発言に嘘偽りは含まれていない)もあり、アルマがその行動を取ること自体に何の問題も無い。
ダンジョン協会との軋轢も、今この場で殺戮されるより遥かにマシである。アルマはそのように判断し、聖職者を鼓舞し他の探索者達を威圧する役目を買って出たのだ。
そしてそんな彼女の行動の意図をヘレスは正確に読み取っていた。
「有能ですな」
「ええ。さて……ここからが正念場ですよ」
今尚祈りを続ける怪物、ダンジョンにおける最悪の脅威。
その報告書を通さない、初の邂逅である。




