騎士は一人、行進は止まらず
───届かない。
「っああああぁぁぁぁぁ!!」
「……」
盾を翳せば容易く弾かれて、剣を受ければ手が震える。
受け流すことも許さず、盾に対して真っすぐに剣を叩きつける戦い方。
逸らし、翳し、流しを許さない馬鹿正直な剣。
小細工を労せず、正面から膂力で押し切るその姿、正に騎士と呼ぶに相応しい。
(重い!踏み込みを乗せた剣ってこんなに重いものなのッ!?)
今まで狩ってきたモンスターも決して弱くはなかった。
鋭く牙を剥くハウンド、高速で体当たりをかますブラックバード、剣を振るい集団で襲い来るデッドスケルトン。
それらの攻撃を一身に受け止め、耐え、叩きのめし、押しつぶす。それこそがミリアムの戦い方であり、誇りでもあった。
当然格上との戦闘だってこなしてきた。早い攻撃も重い攻撃も全て受け止めて勝ってきた。
だというのに───
(ダメ!私はこいつに勝てない!強度が違う、これは絶対にひっくり返せないっ!)
体格から来る膂力、瞬時の判断力、そして攻撃力。そのいずれも『血みどろ甲冑』は上回っている。
こうして時間稼ぎが出来ている理由はただ一つ。このモンスターが盾持ちを相手にするのに慣れていないからだ。
なるべく多彩な動きを織り交ぜ相手にパターンを悟られないよう立ち回っているが、それも時間の問題だ。
「ガァ!」
「チッ!!」
一瞬、ほんの一瞬だが攻撃をわざと遅らせてきた。
間違いなくこちらの『パリィ』のタイミングに合わせてズラしてきている。
まだ戦闘中二回しか見せていない技術なのに、技の起こりを見切り始めている。
『パリィ』だけではない。盾で受ける時特有の力みすらも感じ取り始めている。
とんだ化け物だ、7階層の怪物は悪夢のように恐ろしく、そして強い。
「ヴゥ……」
「っつ、くそっ、くそっ!!」
ミリアムの右腕は見るまでも無く『出血』状態にある。剣を受け止める度に斬り落とされた右腕から少しずつ血が溢れるのを感じ取る。
このまま受け止め続ければ首が落ちるより失血死が先なのは自明。
かといって逃亡を許してくれる程優しい手合いでもない。思考するうちにも身体から力が抜けていく。
だが真に恐ろしいのはここからであった。
(なに……?あ、あたしの血が……!?)
ミリアムは見てしまった。自分の流した血が『血みどろ甲冑』の足元の血だまりに吸われるように消えたのを。
あまりの怖気に思わず距離を取り、様子見を選択してしまう。
すると甲冑は地面に落ちたミリアムの血を、目に見えない力で見る見る内に血だまりへと掻き集めていた。
それらを集め終えるとまた剣を構え、あの湿度の高い吐息を撒き散らしながらこちらへとにじり寄る。
「ハァ……」
「い、いやっ!やめてよ気持ち悪いっ!」
まさかこのモンスターは人の生き血を啜るのか!?
人を捕食するモンスターは少なくない。だが自身が絶えず血を流し、そして他者から血を奪うモンスターなど聞いたことがない。
気持ち悪かった。目の前のモンスターを構成する血肉に自分の一部が取り込まれたと思うと、あまりに気分が悪かった。
「……ォォォ」
天を仰ぐように上を向いた甲冑の口元から、ゴポリと音を立てて血が溢れる。
まるでその姿は天に慟哭する騎士の様相。そしてこの世に生きとし生ける全ての者への『怨嗟の声』にも聞こえる。
それを聞いてしまったミリアムはほんの僅かな時間『怯え』てしまった。
「ぁ、しまっ───」
緩手を見逃す程、易しい目の前の難敵は存在ではなかった。
甲冑の重さをまるで感じさせない素早さで近づいた甲冑が大きく振りかぶった剣は、盾を構えることが出来なくなったミリアムの頭上に掲げられた。
その姿は闇に染まった騎士が、あまねく弱き人々を『征伐』する背信的な姿をミリアムに連想させる。
(みんなは、逃げ切れたかしら……)
走馬燈のように駆けるミリアムの脳裏を過るのは先程逃がした三名のこと。
予想外のアクシデントに対し、自分はリーダーとしての責務を果たせただろうか。
アジーには新米二人の世話を押し付けてしまって悪いことをしたと思っている。
けどあいつは優しいから、きっとこれからも二人を見守ってくれる。
クローカの魔法は見事だ。今は未だ修得している数が少ないからただの魔女だが、いずれ『大魔女』にだってなれる資質がある。
ケインの従者ということらしいが、それに縛られることなく自分の道を見つけてほしい。
ああは言ったものの、ケインは必ず伸びる逸材だ。
今は弱くとも、彼の戦闘面での伸びは才能を感じさせた。きっと私よりずっとずっと強くなる。
(後悔、先に立たず、ね……)
既に動き回れるだけの血液が体内から抜け落ちてしまっていた。
片腕が落ちて重心がズレる中、自分より何回りも格上を相手に立ち回る。
死の間際に冴えわたる生存本能と己の矜持だけで立ち上がるミリアムにとって、今この瞬間こそが自分の全てだと確信していた。
だからこそ、道半ばで息絶える自分が、どうしようもなく悔しかった。
(ごめんね……お母さん……)
意識が途絶えるミリアムが最後に見たものは、どこか哀し気な緑の光だった。
ダンジョン『ダイダロス』の入口は街の中にある。
モンスターはダンジョンの外へと出てくることはない性質を利用し、脱出と同時にダンジョン資源のやり取りを円滑に行う為だ。
したがって協会設備やショップを兼ね備えた施設群は、ダンジョン需要にあやかって『ダンジョンタウン』と呼ばれている。
穏やかな賑わいを見せるダンジョンタウンだが、そこに慌ただしくダンジョンから飛び出す三人が現れる。
「ッハァ、ハァ、くっそ、オイ生きてっか!?」
「は、はい。坊ちゃん、ご無事ですか?」
「あぁ、なんとか」
アジー、ケイン、クローカの三人はダンジョンの外まで勢いよく駆け抜けていくことに成功した。
だがその代償は盾役であるミリアムを喪うという、あまりに大きいものであった。
ダンジョン入口に駐在する管理職員が焦った様子で三人の元へと駆け寄る。
「アジーさん?どうされたんです?」
「『血みどろ甲冑』が1階層終端に現れたッ!ミリアムが食い止めてるッ!」
「は、はぁ!?あれは7階のモンスターです!1階にいるわけが……」
「事実なんだから仕方ねぇだろぉ!?とにかく対応頼むぜ!」
アジーの怒号に周辺に集まっていた職員たちが騒めきだす。
同時に一人の職員が駆けだし、現在手すきの探索者達に通達を出し始める。
「緊急事態発令!緊急事態発令!現在第一階層にて血みどろ甲冑が発生!対応可能な探索者は至急応答願います!繰り返します、現在第一階層にて───」
「……一先ず、俺達の役割は終わりだ。ケイン、クローカ。お前らは帰って休め」
「なっ!俺達は当事者だろ!?なら……」
「俺がいるから心配いらねぇ。それにここにいても休まらねぇだろ?どうせ事態が落ち着くまでしばらくかかるしな」
ケインから見て、アジーは不気味なほど落ち着いていた。
ついさっきの瞬間にパーティーメンバーを亡くしたというのに、どうしてこの男はこうも落ち着いていられるのだろうか。
未だ年若く、冒険者としてひよっこのケインは聞かずにはいられなかった。
「なんで、なんでそんな落ち着いてんだよッ。ミリアムが死ぬかもしれないのに!」
「だったらなんだ」
「なっ……」
一度ガシガシと頭を掻き、顰め面を作ってケインを睨みつける。
まるで『威圧』するかのような気配にケインはたじろぐ。
「俺達探索者ってのはな、命を掛け金にダンジョン探索なんてやってんだ。どこで死のうがどこで稼ごうが、最後には自己責任だ」
「なんだよそれ……あんた後進の育成は義務だって、ミリアムにそう言ったよなぁ!!あんたと俺が殺したようなもんじゃねぇか!?」
「そうだ、俺達の弱さがあいつを死なせた。いいか?ダンジョン探索には命の危険が必ず付き纏う。分かるか?こんな簡単に!命ってのはたった一度の事故で消えちまうんだよ!!」
アジーの豹変ぶりをケインはどうしても理解したくなかった。
ミリアムの暴言を宥め、自分に道を示した。罠や待ち伏せを容易く見抜き、何度も危機を切りぬけた男。
『血まみれ甲冑』を前に本当に苦しそうにミリアムに謝りながら逃走した男。
冷徹に、クレバーに、命を損得勘定で測って「できることはない」と切って捨てた男。
それら全てが同じ人間だとは思えなかった。思いたくなかったのだ。
「先輩探索者から後輩へ送る最後のレッスンだ。いいか、ダンジョンでは命が容易く消費される。死にたくなければ常に嗅覚を磨け。じゃないと……あいつみてぇに死ぬぞ」
アジーにとってミリアムはいわゆる同業者だ。
今回の教導任務で初めて顔を合わせただけの、自分と同レベルの探索者。
もちろん盾役としての力量は認めていたし、他人を見下すだけの傲慢さに見合うだけの力があったことも理解している。
口の悪さは酷かったが、盾として敵を一切背後に通さなかったのは技量だけではない。その背からは揺らがない信念を感じさせた。
感謝はしている、その死を悼んでいる、すまないと思っている。
それだけだ。
それでも人は容易く死ぬのだとアジーは知っている。
この世界で探索者は英雄にはなれないのだ。
「助けに行くことは出来ないのですか?」
「無理だな。幸いモンスターは絶対にダンジョンからは出てこない。このまま奴が一階からどっかに行くのを待つことになるな」
「呼びかけにも人が集まってない。これじゃあ見殺しじゃねぇかよ……」
「そうだ。だがただの見殺しじゃあない。あいつ一人の犠牲が、これからダンジョンに入る筈だった人間の命を守るんだ。……そう思わねぇと、潰れちまうぞ」
あのモンスター、『血みどろ甲冑』は容易い敵では断じてない。
アジーと同格の探索者四人で集まったしても、勝てる見込みは無い。
薄いのではない、無いのだ。それ程までに力の差は大きい。
三人が逃げるだけの時間を稼げたミリアムの力量は凄まじかったのだ。
「とにかく、今は生き残れたことを喜んどけ。お前達の探索者としての生活はこれから……オイ……嘘だろ……」
「どうしました?何が……」
アジーの眼はダンジョンの入口へと向いていた。
釣られてケインとクローカもそちらを見る。
「ヴゥゥ……ゴァ……」
まるで我こそは誇り高き騎士であると誇示するように長剣を携え。
己が歩く道こそが聖なる道であると示す。
威風凛然、大逆無道、勇往邁進、残忍酷薄。
騎士の行進は何人にも妨げられない。
「あ……あぁ……」
そしてそれが左腕に抱えている血で染まったモノに、三人は見覚えがあった。
やがて誰かが言葉にした。
「ミ……ミリアム……」
『|血みどろ甲冑』が現れた《悪夢は終わっていなかった》。
『ダンジョンタウン』
探索者達のサポートや取引を円滑に行う為ダンジョン周辺に設備を固めた場所がそう呼ばれる。
モンスターがダンジョン内から出てこないというのが数百年という歴史の中で大前提として成り立っている場所でもある。
タウンには最低限の設備として探索者協会、病院、商店、食事場所、鑑定所、簡易礼拝所の設置が国から義務付けられている。
これらの設備が補助付きで建つこと、ダンジョンは特需としての価値を持つこと、そしてそれは多くの探索者の犠牲の元成り立つ。故にダンジョンのある街そのものを『ダンジョンタウン』と揶揄する声も少なくない。