いくじなし
『デッド』という二つ名を持つモンスターがいる。
現在確認されているのは4階のデッドスケルトン、5階のデッドハウンド、7階のデッドスパイダー。
その名の通り『出会えば死ぬ』と謳われるモンスター達であるが、それには明確な理由が存在する。
それは必ず『集団』で襲い掛かってくることだ。
単体でフロアをうろつくことは決してなく、必ず2体以上の群れを構築して探索者達に襲い掛かる魔物に付けられるのが『デッド』という称号である。
通常の個体と大きく違うのはその体色が赤黒く、目も血走ったように赤い。
その見た目の恐ろしさに数の暴力を加え『どんなに準備万端でも死ぬときは死ぬ難敵』と恐れられているのが『デッド』モンスター達だ。
数が多い分死骸も多くなるため、倒した時の実入りは大きい。だがどれほど実力差があったとしても、少人数での『デッド』モンスター狩りは推奨されない。
戦闘において数による圧殺は極めて有効である。例えどれほどの猛者が格下のデッドモンスターと戦うとしてもそれは変わらない。
相手が弱くとも『致命的な一撃』を幾度となく受ければ、いずれ装備が先に破損する。生身であればどれほどの偉丈夫と言えど傷付き倒れ、そして死ぬ。
特に『デッドスパイダー』ともなれば、その咬合力は尋常ではない。生半可な鎧なら容易く嚙み貫き、その下の皮膚に容赦なく毒液を注入する。
「ぜぇっ……くぅっ……げほっ」
「ふぅっ……全員、無事か……?」
彼らがここにいるのは紛れもなく『幸運』である。
ここは第6階層入り口すぐの安全地帯。ここを出て少し歩けば5階層ボス部屋である。
ボスそのものは既に彼らが撃破しており、再発生まではしばらくの猶予がある。『再生成』とボスの再発生周期は例外的に無関係なのである。
襲いくるモンスター達から必死に逃げ切り、安全地帯へと到達した彼らは弛緩していた。
それも無理はない。宝に釣られて護衛対象諸共ダンジョンの養分となりかけたのだ。
ここを出てから協会から大目玉を喰らうのは既に確定事項だ。
『宝箱』の中身と合わせても差し引き0にはなるまい。ヘレス会長の怒髪天を衝くだろう。
ならばせめて、今はこの場所で心と体を休めることに全力を費やす。それだけが全員の中で一致していた。
「……悪かった。俺が取りに行くべきだと言わなけりゃあ帰る流れだった」
「それについては言いっこなしだろう。何人も……あれの誘惑からは逃れられんさ」
ダンジョンでの失敗は連帯責任である。誰か一人が悪いということは決してあり得ない。
例え一人の行動に端を発したミスだとしても、同行者にはそれを止めなかったという責任が生まれる。
その例に従うのならヴァズの謝罪は的外れである。しかし言葉にしておかなくてならない。
誰かが口火を切らなくては、誰もさっきの出来事を口にはしないだろう。
「スレイは?」
「……ダメでさぁ、ぐっすりです」
「しばらくは身動きが取れなさそうですね。ちょうどいいですし、私達も休息を取りましょう。これ以上は精神が持ちません」
「さんせー。どっこいしょ」
凶悪な罠、護衛対象の安全確保、難敵に次ぐ難敵の出現に全員の精神は疲弊していた。
どれか一つ掛け違えれば誰一人として生きて帰ってこれなかったのは想像に難くない。死を目の前にしたことは一度や二度ではない、しかし慣れるものでは絶対にない。
そしてここにモンスターは入ってこれない。万全の状態になってからここを出れば、後は問題なくダンジョンを出られる。
その安心感が彼らの張り詰めた精神を緩ませた。ようやく呼吸が出来るようになっていたのだ。
「警告遅れたなぁ。まさかあんなに無防備に取るとは思わなかった」
「しょうがありませんよ、『探索』のセオリーなんてそれこそ探索者しか知らんこってす。それに対処が遅れたのは俺達もでさぁ」
「私も……宝に目が眩んで思い至りませんでした。不甲斐有りません」
「探索を止めきれず、皆を危険に晒した私に一番の責はあろうな。さて……」
ゴウカフは溜息を吐き出し尽くす共に、一度全員を見渡した。
ジェグイを除いて全員の意識がハッキリとしている間に聞くべきことを済ませておきたかったのだ。
「皆、奴を見てどう感じた?」
あの偶然居合わせた甲冑についてだ。
それに対しヴァズは笑い声を上げながら、リュカは呆れを滲ませて感想を口にした。
「どうって、自分からデッドスパイダーの群れに突っ込んでったんだぜ?余程実力差がなきゃあんな真似はしねぇ。くくくっ、あいつが超ド級のバケモンだって再確認できたさ」
「『喰い合い』にしては一目散って感じだったよね。ひょっとしたらアイツにとって何か因縁のあるモンスターだったのかな」
ヴァズとリュカは総じて『得体のしれない怪物』という認識であった。
突如1階に現れ探索者に襲い掛かり、かといって地上に出てきたかと思えば探索者の少女を連れて帰って立ち去る。
その後数日ぶりに出くわしたかと思えばこちらには目線だけはくれ、相手するでもなく抜き去ってデッドスパイダーの群れへと突貫する。
あの『血みどろ甲冑』の行動にはあまりに一貫性が無い。それが彼らを混乱させていた。
「俺ぁ……すみません、自分でも変だとは思うんですが」
「ガロンさんもですか?」
「ネイさんもですか?いやしかし……」
「あんだよ、言いたいことがあんならハッキリ言っとけよ」
言い淀む二人にヴァズが急かす。
決して苛立っているわけではないし急ぐ必要も無い。だが今しか分からないこともある。
その場の気配、雰囲気、直感が生存に繋がることもある。ヴァズはそういった取りこぼしを嫌う人間であった。
「なんて言やぁいいんですかねぇ。アレはどうも、妙な気がしませんかね?」
「具体的には?」
「ゴウカフさんを殺さずにぶん投げたでしょう。真正面から斬り結べば全員殺せるチャンスだったってのに、アレはそうしなかったじゃねぇですか」
「だから何さ。僕らよりデッドスパイダーを優先したってだけでしょ?」
「ヤツの立ち位置からして先に視界に入ったのは俺達でしょう?モンスターが持つ人間への殺意ってぇのは本物です。それを超えたモンスター同士の敵対意識ってのは聞いたことが無い。複数のモンスターが居合わせたら人間が最優先で襲われるのは明らかになってますんでね」
「……何が言いたいの?」
それ以上の言葉をガロンは口にしなかったが、ある種の確信を抱いていた。
もし『血みどろ甲冑』が本気の本気、全力で殺意を剥き出しにしていたのなら誰一人としてここにはいなかったと。
前線を張るヴァズやゴウカフの面子もある、言葉にするのはあまりに憚られたのだ。
リュカもそれはなんとなしに察している。しかし長い付き合いになったからこそ、それが友人への愚弄のように感じてしまった。
これ以上の言葉は喧嘩になる。薄っすらと不穏な気配が漂う中、口火を切ったのは意外にもヴァズだった。
「こう言いてえんだろ?あいつは俺達を助けてくれたんじゃねぇかって」
「……そうなりますかねぇ。どうもそんな気がしてならねぇんです」
「あり得ない」
リュカの酷く冷たい声が安全地帯の一室にキンと響く。
さっきまで軽かった口調があまりの変化にネイがビクリと身を竦め、ガロンは驚いて目を見開いている。
対してヴァズは然して反応もせず、ゴウカフは僅かに目を伏せるばかり。
この場でリュカの過去を知っているのはゴウカフだけだ。
彼からすれば、リュカの発言も無理は無いと考えている。
「皆だって知ってるはずだ、モンスターは動物とは違う。人間を殺すものとしか見ていない、そういう存在だろ」
「リュカさん、どうか落ち着いて……」
「モンスターは、ダンジョンは人を助けない。そんなことは百も承知だろ。忘れたのかい?それが───」
「うるっせぇぞ。んな常識を一々口にする必要はねぇ」
瞳から光が消えたまま喋るリュカに、ヴァズは乱暴な言葉を投げかける。
相手への思慮に欠けた発言ではあるが、それを欠片も申し訳ないとは思っていない顔だ。
ただ単に、これ以上続けられても面倒だから言葉を遮った。それ以上の意図を持たないただの言葉であった。
「俺からすりゃ、ガロンの言うことが本当だとしても不思議じゃねぇと思うがな」
「ヴァズ?まさか君までモンスターが守ってくれたなんて言う気じゃないよね?」
「そりゃ今までの常識歴史からすりゃ有り得ねぇよ」
ヴァズの信心はこの場にいる誰よりも深い。その祈りは本職の聖職者と比較しても遜色なく、洗練された確固たるものである。
だが彼の祈りは神に向けて行われるものではない。そんな不確かなものはクソ喰らえとすら考えている。
彼はダンジョンへと入場する前に必ず祈る。長い時間は掛けない、胸に手を当て短く黙祷するだけだ。
だがそれは天に坐す神にではない。地に満ちる恵みにでもない。ましてや名も知らぬ神を祀る祭壇でもない。
「だが、それが『ダンジョンの意思』だというのなら、自由意志を持ったモンスターがいても不思議じゃねぇってだけだ」
ヴァズはこの街で誰よりもダンジョンを信仰している。
だからこそ目の前で起きた『血みどろ甲冑』の奇行にも極めて冷静に分析していた。
モンスターに対し憎しみすら浮かべているリュカの顔をまるっきり無視し、問いを投げかける。
「リュカ。テメェは地表に出てきたときのアレを知ってんだろ。今と比較してどうだ、何か違いはあったか」
「こんな短時間の接触じゃ比較も何もないよ。あの時は戦いにはならなかったから、改めてその力量を目の当たりにしたってくらい」
「そうか。お前はどうだ、ゴウカフ」
「私は、そうだな……」
彼が思い返したのは奴と目が合ったあの一瞬。
緑色の眼光が己を貫いた時、えも言えぬ感触があったのがどうにも気がかりであった。
「ガロンが言った通り、あの場で私の胴を両断することは容易かったろう。それだけの隙はあった、にも関わらず私は五体満足だ。これだけでも十分すぎる程異質と言える」
「それは起きた事実だろうが。俺が聞いてるのは比較した印象だ」
「むっ、すまん。そう、なんとなくだが……地上とは随分違った印象を覚えたな。今のヤツはどこか既視感を覚えるというか……」
何か引っかかるような。そんなとっかかりを言葉にしようとした時だった。
ガロンの近くからうめき声が上がる。罠にかかったジェグイの声だ。
頭、首から指先に至るまで鉄が流れているような重さを感じる中、動く口と視線だけを頼りに声を発する。
「ぐっ……か、身体が……指先が動かない……?」
「起きましたかスレイさん。ここは安全地帯です、もう少し横たわってた方がよろしいかと」
「すみません……皆さんにご迷惑を……」
「全くだ」
「やめろヴァズ。一先ず全員無事だ、安心してくれ。詳しい事情は回復を待ってからにしよう、それでよろしいかな?」
「あり、がとう、ございます」
目敏いジェグイは気づいてしまった。視界に映るゴウカフの鎧に刻まれた噛み痕のようなヒビ、ヴァズの腕に薄く血が滲んだ箇所があることに。
少し視線を逸らせば自分を心配そうに見つめるネイ、リュカ、ガロンにも強い疲弊が見て取れる。
自分が罠にかかって居眠りをしたせいで危険が及んだ。そこまで辿り着くのにそう時間はかからない。
(……愚かだ、俺は)
あまりの不甲斐なさにジェグイは、今すぐ自分の顔面を地面に叩きつけてやりたかった。
自分は『ダンジョンの宝』という生涯きってのチャンスに目が眩んだのだ。
これを持ち帰れればその功績が認められ、ダンジョンへ干渉する機会を得られるかもしれないと。
かつて自分が願った『冒険』がここにはある。それが欲しい。そう願ってしまった。
その結果信を置いていた仲間に、言い逃れできない己の浅ましさの代価を押し付けてしまった。
これほどまでに自分を殺してやりたいと思ったのは、騎士隊の皆に自分の出自が露見した時以来である。
後悔、怒り、憎しみ、自己嫌悪でジェグイは目を開けることさえしたくなくなっていた。
ジェグイは倒れたまま目を、今尚重たい腕を必死な思いで覆った。
こんなにも愚かな自分を見て欲しくなかった。動かない身体ではそれもままならないから、せめて自分の視界を隠したのだ。
「申し訳ありません……本当に、俺は何と言えば……」
「それ以上言わなくてもよい。結果として皆生きていた。気に病むことは無い」
「そうですよ。それに私達の仕事は、貴方を守ることですからね」
「テメェのドジの後始末くらいこっちでつけられるっつうの。いつまでもウジウジしてんなよ」
「ヴァズさぁん、あんた言い方ってもんがあるでしょうに。まっ、生きてんだから次は気を付けりゃいいんです」
5人の温かな言葉が、ジェグイの胸には痛かった。
今になって想像してしまうのだ。もしこれが部隊を預かっての調査だったら?
隊員からの信頼を失うだけではない。罵られ軽蔑され、調査騎士隊長を降ろされても文句は言えない。
欲に目が眩んで部隊を壊滅させました。そんな言い訳が通用する程騎士は甘くないのだから。
この状況、自分はダンジョン初心者であるというのを如実に突き付けられたようで恥ずかしかった。
なまじ予想を超えて順調に探索が進んでいたことも相まって、自分でも気づかない内に鼻高々になっていたようだった。
自分の強さに自覚があるからこそ、このミスが脳裏に根強くこびりついてしまった。
同時に、目元から溢れるものは悔しさから来るだけのものではなかった。
(自分のミスが叱られ、許されるなんて経験は何時ぶりだろう)
ジェグイの生まれは明るいものではなかった。不正に不正を重ねて取り潰された貴族、その末の子として生まれた彼は差別と偏見に苦しんで生きて来た。
路地裏で盗みと喧嘩で育ってきたゴロツキではあった。戦いの才に溢れたことだけが幸いし、民間で募集していた騎士職としての頭角を現すも、調査騎士という嫌われ者の部署に回された。
彼が自己紹介で明かした『調査騎士』は国内の危険を伴う調査、並びに治安維持の為の制圧部隊だ。
一般の騎士隊が巡回による犯罪抑止を目的とするなら、調査騎士の目的は警邏である。
平時は国からの命令で不正が発覚した貴族や商家の制圧差し押さえ、犯罪者の追跡に制圧、場合によっては殺害も選択する。
彼の言う『常在戦場』とは何の比喩でもない。ジェグイ・スレイは意識のある内は常に戦場の只中にいる。
目に映る人間全てに犯罪者の可能性がある。常にそれを意識し続けねばならないのだ。
生まれも育ちも役職も、全てに不遇と言えるものがありながらジェグイがそれを不幸だと思うことは無かった。
追い詰められた人間の悲鳴も怨嗟も気に留めず黙々と剣と拳を振るっていた死んだ目の男。
来る日も来る日も不正調査とそれに伴う闘争が続くことに飽き飽きとしていたのがジェグイという男であった。
そんな男にとって、ダンジョンはまさしく希望だった。
自分を出自という色眼鏡で見て口やかましく騒ぎ立てて唾を吐く者はいない。
育ちを知って不必要に大げさに憐れむフリをする者も、汚らわしいと殴りつける者もいない。
所属を聞いて心当たりから勝手に怯えて媚を売る者もいない。
そんなジェグイ・スレイが自分の意思で来ることを選んだ場所が『ダンジョン』だ。
ダンジョンには鬱陶しい雑音が無い。それだけでここに来た価値はあったのだ。
己を慮る声には余計なお世話だと感じたが、むず痒くも悪い気はしなかった。
だからこそ、自分の失敗とそれを窘める優しさがあまりに恥ずかしかった。
それが粗相を叱られた子供と同じであるということに、ジェグイ本人は気づけなかった。
「この詫びは、いずれ必ず返します。ですので、今はご容赦を……」
「大丈夫だって。症状が引くまでは休みなよ。しばらくはここにいるからさ」
「ありがとう、ございます」
ジェグイ・スレイが生まれて初めて穏やかに眠りに付けたのは、これが初めてだった。
金勘定と品のある罵声しか耳に届かない生家のベッド、一欠けらのビスケットを奪い合う路地裏の冷たい地面、出世しか脳に無い同僚達と合同の隊舎。
ダンジョンの生温かい地面に布を一枚敷いただけの場所は、そのどれよりも穏やかに休むことが出来た。
「俺ぁ早く帰りてぇんだが。叩き起こしちゃいけねぇのか」
「ダメですよ」
「護衛依頼だからな、一応。5階越えたら一人で勝手に帰れそうな気もするが、ヘレス殿に殺されるな」
「けっ、なら俺も寝っとすっか……」
彼らの空気が弛緩した時、ドアの開く音がした。
誰だろうと皆が振り向いた時、全員が言葉を失った。
「……ハ゛ァ」
その怪物は『聖域』を、いとも容易く踏み躙った。
『宝箱』
ダンジョン探索をする者全ての夢。
一つ見つければ人生の半分は遊んで暮らせるほどの財物が眠ると噂される。
実際に探索者宝箱を目にすることは極めて稀であり、過去手にしたものは全員歴史書に名が乗る程である。
しかし殆どの場合罠が仕掛けられており、入手するには苦難が伴う。
深層であればあるほどその罠は熾烈になり、得られる財物の希少性も増す。
主にこれを買い取るのは国だが、武具の類なら稀にダンジョン協会がその場で買い取ることもある。
武器は飾るのではなく、最前線で戦う者にこそ相応しい。そういった理念を国も理解しているからこそ、それはまかり通る。




