槍先の如き冒険心
ジェグイが最初に感じ取ったのは匂いだった。
嗅ぎ慣れたそれとは違う異質さ。
ここと外では文字通り『違う世界』なのだと強く感じ取っていた。
「ここがダンジョン……なるほど、これは面白い」
土や埃に僅かな湿気を含んだ生温い空気。それに肺が満たされる度にダンジョンとはこういうものかと感じる。
順応性の高いジェグイではあったが、この空気に慣れるには少し時間がかかりそうだと判断していた。
それすらも未知への期待という形で受け取れるジェグイではあったが、それを訝しんだリュカが問う。
「へぇ、面白いと来たか。それどういう感覚?」
「ここは命のやり取りをする場所だと強く感じます。ですがこの身体に纏わりつくような土の気配……慣れるまで時間がかかりそうです」
(平時の騎士は懇意の商会、その護衛に就くこともあると聞く。それか……?)
それを聞いたゴウカフは、ジェグイの順応性と思考の速さに舌を巻いていた。
彼は暗に、慣れるまでのおおよその時間を把握していると言ってのけたのだ。
更には実戦経験があることも。直近で大きな戦争は無かったことから鑑みて、その上で戦闘経験があるなら通商護衛かと当たりを付けた。
ゴウカフは念のため口を挟むことを決めた。
「スレイ殿。ここより先に出会うのは、人とはまた違った手合いだ。どうか油断召されないよう」
「もちろんです。油断一瞬、怪我一生。常在戦場の意を欠かすことはありません」
「そりゃ頼もしいことで」
「ヴァズ、先から無礼だぞ。……今回のダンジョンアタックはあくまで6階までに『血みどろ甲冑』が存在しないことを確認するもの。その為にも手早く、かつ安全なルートでもってスレイ殿を6階までお連れすることを優先する。各階のボス対策は済ませてあるな?さぁ行くぞ」
ゴウカフ同様、ヴァズはジェグイを信用しきれていなかった。
鍛え上げられた肢体、扱いなれた武具のそれは間違いなく、国が用意した最高の人選だと言える。
探索者というのは総じて気安い傾向にある。契約と信頼、そこに情が合わさって成り立つ文化が根強い探索者にとって、格式ばった礼節や潔癖のきらいはあまり好まれるものではない。
だがそんな探索者に対しても笑顔を崩すことなく物腰柔らか。無礼な質問に対して僅かにも気を害した様子も無い。
更に事前の荷物確認では事前に聞いていたという探索道具を自前で揃えているという気合の入りぶりだ。
協会に申請すれば貸出も受けられるのだが、手に馴染むものを選んだとのことだ。
国から遣わされた騎士であることは明確に誇示しつつも、それを気取らない。
人間的に見れば百点満点、少々好奇心が強そうなところもあるがそれでもダンジョン探索に適した人材であると言える。
ゴウカフから見てもヴァズからしても、ジェグイを怪しむ明確な根拠と呼べるものは無い。敢えて言葉にするなら「完璧すぎて怪しい」といったもの。
ダンジョンについて資料と数字以外の知識を持たず、つい最近まで恒久的に閉鎖するかどうか本気で(バカらしいことに)議論を重ねていた国から送られてきた人材とは到底思えないのだ。
ジェグイ本人が派閥内で心底嫌われていて鉄砲玉扱いになったのか、あるいは本人がダンジョンに来る目的を持っているのか。
いずれにしろ真っ当な理由が思い当たらない。
(欲の無ぇ身綺麗な人間がここに来る訳ねぇんだよ。ダンジョンはそういうもんだろうが)
(ヴァズの勘はことダンジョンにおいてはよく当たる、彼が訝しむなら何かはあるだろう。だが同様に人の好悪に鼻の利くリュカとゴウカフが何も言ってない。つまるところ善人ではあるのだろうが、背景が見えんな……)
ダンジョンに訪れる者は必ず、ここでしか手に入らない何かを求めている。
どんな過程を経たとしても、どんなに仕方なくここに来たとしてもそれは変わらない。
ダンジョンに来た人間には必ず、自分が持つ全てを投げ打ってでも成し遂げたい何かがある。
この場所はそういう欲だの希望だのを嗅ぎ取って人間を引きずり込む。
ヴァズの信念でもあり信仰でもあるそれは、彼の人間に対する嗅覚として強く機能していた。
それが「ここに来る人間が真っ当な訳がない」という些か歪んだ認知で表れているのが難点だ。
だが既に、ジェグイはそれらを看破していた。
(……怪しまれてるな。所作に問題は無かったと思うが何が悪かった?)
ジェグイはその内心をおくびに出すことも無く、警戒を怠らない二人に強い感心を覚えていた。
現在、リーダー格のゴウカフと戦士のヴァズに非常に強い疑念を抱かれていることをジェグイは自覚していた。
自分の振る舞いは完璧だった筈。初対面、それも普段関わりの薄い探索者達との接触。
時間は無かったが出来る範囲で情報収集はしたし、不備の無いよう下準備も整えてきた。
演技という訳ではないが、出来るだけ好青年に映るよう普段よりずっと明るいキャラクターで接したというのに。
しかしそれが裏目に出ているとは本人も気づくことは出来なかった。
(まぁいいか、敵対的という程でもない。それに俺も初ダンジョンで余裕があるわけじゃない、今一度気を引き締めろ)
査察官としての仕事は、報告のあったダンジョン外へと現れた鎧付きモンスターの実態調査。
可能なら討伐も言われてはいるが、当のジェグイに討伐する気など全くない。
そんなつまらないことをするに足る理由など無い。
態々ダンジョンの調査に自ら志願したのだ、早々に終わらせては挑んだ甲斐がない。
緊張と興奮、滲む喜悦を押し隠し、ジェグイは5人の中心を歩き始めた。
「スレイ!そっち行ったよっ!」
「お任せをッ!ハァッ!!」
そうして到達した6階層。6人は大きな損耗も無く進行を進めていた。
そこに到着した頃には、5人のジェグイへの認識には大きな変化が現れていた。
「戦闘終了ですね。いやぁ、皆さんお強い。俺も剣を振り続けてきた身ですが、驚かされることばかりだ」
ジェグイのそれはおべっかではない、心からの賛辞である。
騎士隊の一人として、対人経験をしっかりと積んできたであろうジェグイにとって、モンスターというのは未知の非常にやりづらい相手だ。
背は自分より低いのに、膂力は上。武器を用いず殺意は剥き出し。そんな怪物達を相手取るのは楽ではない。
それらと日々戦い続け腕を磨いている探索者達に、ジェグイは心からの尊敬を抱いていた。
しかしそれを聞いていた5人の心境はあまり穏やかではない。
(こいつ、強ぇな……剣の振り方、足捌き一つとっても並じゃねぇ。予知じみた行動の先読みまでしやがる。騎士連中ってのはこんな化け物しかいねぇってのか?)
(間違いない。ジェグイは斥候の僕より早く、多分自力で敵の気配に感づいている!いやそんなこと有り得んの?ほんとに同じ人間!?)
ジェグイ・スレイは5階までのモンスターに対し、正しく一蹴する程の強さを見せた。
これは『エリート』に類する探索者の中で、攻撃を担当する者の中でも上澄みレベルと言える。
本来彼の護衛を務める筈であったヴァズ、ゴウカフ、リュカは至近距離でその先頭を目の当たりにし、表情の驚愕を隠し切れなかった。
それ程までに彼の戦い方は鮮烈、そしてある種異質なものであった。
(簡単に死ぬような奴が送られる訳がねぇのは道理でしょうが、けど……けどそれにしたってだ)
(彼のこの容赦の無さはなんだ?モンスターは初見であろうに、何故そこまで怯まずに剣を振れるのだ……!?)
そんな彼の異様さの最も大きな点。それはダンジョン初心者が陥る怯みが全くないのだ。
初見の相手に対しじっくりと見に回り、自分にとって大きな脅威では無いと判断すれば即座に攻撃に転じる。
彼の戦法は後の先。敵が動きだしてから攻撃するまでの間、その瞬間に誰よりも早く動く。
ただそれだけの事ではあるのだが、それが想像を絶する程早い。
ダンジョンでは時として生物としての常識を逸脱した、あるいは生き物ですら無いものを相手に戦わなくてはならない。
その中には自分の身長と同程度、あるいはそれよりも大きなモンスターなどザラにいる。
そういったものを相手取るのは大きなストレスになる。人間と同サイズの虫や獣を相手にするのはそれほどまでに心的負担が大きいのだ。
だが目の前の騎士はその常識を無視している。モンスターとはいえ、命を奪うという行動に何の抵抗も持ち合わせていないように見える。
普段ジェグイがどのような生活をしているかなど彼らは知らない。それが不気味さに拍車をかけていた。
(探索者は強さこそが第一と聞いていたんだが……ひょっとして、俺は今引かれているのか……?)
だがジェグイもまた、自分の行動が何かズレていることに気づけていなかった。
彼もまた第一線の騎士として戦う者。そして第6階という探索者達の最前線ともなれば自分と同じく『志』を持つ者だと思っていた。
だが実際の反応はと言えば5人中5人がその実力に恐れ戦き、益々ジェグイへの疑いを深くしている。
彼がダンジョンに来たのは無論、階層を自由に行き来するモンスターは去ったと形だけでも報告を上げる為だ。
派遣元である『国』は現在ダンジョンの解放派閥と閉鎖派閥で大きな政争があったばかり。
その末に勝ったのは解放派であった。しかし彼らとしてもモンスターの漏出は国を揺るがしかねない大事件であり、それを放置するのはあまりに危うい。
彼らとしては「脅威は去った」ということにしたい。ダンジョンの階層を行き来するのは勝手にやってくれ。ダンジョンの外に出さえしなければそれでいい。
故に『6階層までの脅威調査』である。あのモンスターが7階に戻っているならそれだけで十分。探索者達が被害に遭ってもそれはダンジョンの中での話。
国からすればダンジョンタウンは金のなる木であり、探索者からすれば国は金払いのいいクライアント。その程度の関係性でしかない。
だがジェグイの考え方は違う。国はもっとダンジョンに関心を向けるべきなのだ。
(連中、悠長が過ぎる。20年前ならいざ知らず、今はもうダンジョンタウンは金がなるだけの木じゃない)
(ダンジョンが齎すのは供給だけでは無い。消費を、即ち需要を生む。もはや国が無頓着でいていい時代は終わっている。俺達はもっと積極的にダンジョンに介入するべきだ。ダンジョンはもっと『大きなもの』を齎す存在なのだから)
決して崇高な使命という訳ではない。ダンジョンに来たのはジェグイ本人の意思であり欲求であり、そこに大儀や派閥意識などというものは一切含まれていない。
あくまで彼は一人の騎士であり、少なくとも今は彼個人が抱いている感傷に過ぎない。
だがジェグイは実際にダンジョンに訪れることで確信を抱いていた。このダンジョンはもっと強く当たるべき場所だと。
残念なことに、ジェグイはそれを言語化できておらず、それが周囲との温度差を引き起こしていることには気づけていない。
意識のすり合わせもダンジョン進行中はままならず、気まずい空気のまま6階終端の安全地帯へと辿り着いてしまう。
「……終端まで来ましたが、報告に在ったアレはいませんでしたね」
「いないに越したことはないけどね」
「そうだなぁ、被害無く切り抜けるってのも難しい相手だ。いないのが分かって一安心だぁな」
(一目見ておきたかった……と言えば更に悪く思われそうだな、黙っておこう)
ガロンの一言に微かな不満を滲ませつつも、ジェグイはその感情を押し殺して部屋に備え付けられた丸太へと腰掛ける。
安全を確かめるのが本案件であるのに強敵との邂逅を望んでしまえばそれは本末転倒だ。
6階までのモンスターがどれほどの脅威であるか知れただけでも大きな収穫と言える。高望みは、厳禁だ。
そう自身に言い聞かせ、努めて穏やかに周囲に告げる。
「えー、では改めて……おほん。『1階より詳細に探索を行ったものの、報告に在ったダンジョンを脱したモンスターは確認できなかった。既に7階へと帰巣したものと思われる』」
「な、何急に畏まって」
「リュカさん、彼ら国の使者は正式な報告を認める時、その証明として同行者へと厳かに報告する義務があるのですよ」
「はえー」
「知っとけよそんくらい……」
「『ダンジョンの脅威は去れり。調査騎士隊第一隊長ジェグイ・スレイはこのように結論付け、この宣誓を以て証明とする。各員ご苦労であった』。……以上となります。笑っちゃいますよね、倒したわけでも無しに」
嫌気がさしているのを隠そうともせず、ジェグイは5人にそう告げる。
メンバーもまた苦笑いをするばかりだ。この仕事に達成感を覚えている者など誰一人としていない。まだ何も終えていないのだから。
そしてそれはジェグイとて同じであった。しかしいくら強くともそれ以上のことはするなと釘を刺されてしまえば勝手をするわけにもいかない。
苦々しい思いをひた隠しにしつつ、得た物を数えて前向きに意識を切り替えて彼等へと告げる。
「後は帰還して正式に報告書を纏めるだけです。皆さん今日は……っと、油断大敵でしたね」
「スレイ殿には退屈な場所であったか?」
「まさか!皆さんとの旅路は未知に溢れ、何もかもが新鮮だ!退屈など口が裂けても言えません!嘘なら腹を掻っ捌いてもいい!」
「す、すまん。疑うつもりは無いのだ」
あまりの熱量と気迫にタジタジとしつつも、ゴウカフは素早く気持ちを切り替え席を立つ。
「これから戻るまでが最も危険なのだ。目標を達成し、疲れが抜け、何もない帰り道を歩く時こそ死角が増える。今一度気を引き締められよ」
「……えぇ、存じていますとも」
願わくば、もう少し留まりたい。
度を越えた願いを胸に押し込め、ジェグイは笑顔を浮かべて返答した。
『国』
ダンジョンが生まれる前、首都があった街が主にそう呼ばれる。
古くは『〇〇という街を中心に栄えた地域』の呼び名であったが、ダンジョンの所有権を巡る幾年月の末に『国』という概念が生まれた。
探索者の多くはその歴史に大した興味を持っておらず、殆どが『ダンジョン経済を円滑に回す偉い人間が集まる場所』という認識を持っている。
国に住む多くの人間はダンジョンタウンそのものには無関心であり、興味があるのはその産物のみである。
その点で言えば国とダンジョンタウンの関係性はそう悪いものではないのかもしれない。
国民の多くにとって、自分と関係ない命懸けの現場は関心の向くものではない。
*1 国所属の人間は腹芸が得意だという揶揄への反論から生まれた言葉




