優等生 : 月城光橘
※時系列
本話 →(約3年)→ 昼に生きる夜の蝶
蝉が鳴く、ジリジリとした夏の暑い日、私は一人で学校に向けて歩みを進める。
今日が一学期の最終日だ。終業式と学活だけなので午前中だけで帰ることができるがそれでもこの暑さは尋常じゃない。
私、 月城光橘は市立東中学一年一組の学級委員長だ。
今日は私含め学級委員は早く登校して、終業式と学年集会の準備をしなくてはいけない。校庭から活気のある声が聞こえてくる。朝練をしている部活の生徒を見ると、憧れて、嫉妬する。朝早くの練習なんて疲れるし面倒だろうけど、それだけ打ち込めるってことが私には羨ましい。私は体が弱いから、運動部なんか所属できやしないんだ。こんな猛暑の中、走り回ったりしたら、きっと、動けなくなってしまう。いつもそうだ。私は、一生懸命打ち込みたけど、それをしたら学校に通えなくなってしまう。何度鞭打って通ってきたか。
私は優等生だ。みんながそう言うんだから。期待してくるんだから。得意でない学級委員も引き受けた。苦手だったけど、何とか、やり切った。どんなに辛くても皆勤賞を取り続けた。体が弱いなんて、言い訳にもならない。私は優等生のポジションに収まった。みんなが褒めてくれる。期待に応えてると思うと嬉しい。でも、ふとした時に思う。彼らの期待を裏切った時が怖い。怖い。
まだ朝なのに、あまりに暑い。私の足取りは重く、滝のように流れる汗はベトベトしていて気持ち悪くて仕方ない。昇降口でしゃがんで靴を拾うのも面倒。靴を履き替えて長い長い階段を一歩ずつ登って教室のある四階へ向かった。
普段よりは軽い荷物を下ろして、集合場所の体育館に走って向かう。体育館にはひとりっきり。まだ誰も、集合場所にはついていない。現在、集合時間の十五分前、熱が籠る体育館で、私は事前にわかっているものの準備を始めた。集合時間の五分前には、一通り準備が済んで、他の生徒や先生たちが現れた。
「流石、月城さんですね。いつも、一番乗りで、準備を終わらせてくれるなんて。」
「やっぱり、優等生は違うな。」
そう、こうすれば、みんなは喜ぶ。褒められる。最初は驚いてくれたけど、最近はそうでもない。そして、こうされると、二度と、裏切る、やらないなんてことはできない。最初は気まぐれでやっただけなのに、いつの間にか私の義務になった。私の基準になった。
偶に、頭の隅で、利用されているんじゃないか。都合よく使われているんじゃないか、って浮かぶけれど、すぐに打ち消した。これは、私が勝手にやっているのだ。そんなはずはない。そんな人たちじゃない。
黒髪は汗で肌に張り付いて気持ちが悪い。滝のように汗が流れていく。下着はもう、ビチャビチャだ。目眩がする。フラフラする。それでも、まだ、打ち合わせ中だ。
十分ほどの打ち合わせが終わると解散。私は、すぐにトイレに駆け込んだ。個室トイレの鍵を閉めて、洋式トイレに縋り付いて、しゃがみ込んだ。便器の中を覗き込み、気持ち悪さのあまり、嘔吐した。何度だって吐いた。朝ご飯が胃から全て吐き出されても吐き気は止まらず、キリが無いと切り上げて近くの水道で何度も何度もうがいをする。胃酸の匂いはまた新たな吐き気を呼び込む。口の中をすっきりとさせてから、教室に向かった。あと数分で朝の学活が始まる。
重い足取りを気取られないように姿勢を正して、前を向いて歩いた。幸い、教室に着くまでに誰かとすれ違うことはなかった。
教室には既に殆どの生徒が到着していた。うるさい。音が頭に響く。痛さが割り増しだ。
やっとのことで、席に着くと、自分のものではない荷物と誰かの汗かいたユニフォームが置かれていた。持ち主を探して辺りを見回すと、「悪い。」と謝ってクラスの男の子がどけてくれた。私は椅子に座って伏せたかったが、肘をついて休むにとどめた。
多くのクラスメイトが好きな友人同士で会話している。私は、周りの人たちが何を話しているかにそっと耳を傾けた。ゲームの話、ファッションの話、一学期最終日だから、みんなで外食しようという話、夏に祭りに行こうという話、有名らしいタレントの話。自分が参加できる話題ではなかった。それでも、何を話しているのか、盗み聞きするのは私の習慣。
いつか、もし、話しかけられた時に、何を話したらいいだろう。きっとそんな日は来ないけれど。他の人たちは何を話しているのかな。
心配性の親にはなんて話そうか。そうだ、ファッションの話を友達としたことにしよう。
近くでお祭りがあるのか。その日はその場所に近寄らないようにしよう。
今日の打ち上げのレストランが決まったそうだ。では、今日はそこから離れよう。絶対に近づかない。できれば家から一歩も出ない。
座っていても気持ち悪くなってきた。
暑い、暑い、吐きたい、頭が痛い、頭まで血が届かない、フラフラする。
きっと、今日も帰ったら、何も動けずに、自室に籠るのだろう。
でも、まだ倒れられない。仕事があるんだ。私は自分に喝を入れた。
体育館で一時間にも及ぶ終業式を経てそのまま、学年集会を行った。今期の反省を全体の前で述べた後、学年の先生全員の話が終わるまでに一時間かかった。正直、半分以上の話が全員かぶっていたと思う。いらなくないか。倒れそうにもなったが、倒れまいと踏ん張った。立ったり座ったり繰り返すのは先生なりの配慮なのかもしれないが、立ったり座ったりを繰り返すと、立った時の目眩と立ちくらみが酷くて仕方がない。立つと、一時的に目の前が真っ黒になった。頭がガンガンしてフラフラした。頭が重い。五秒ほどたつと暗い目の前が少しずつ明るくなってくるけど、その時には着席を指示され、座ると、心臓が飛び跳ねた。動機が止まらない。息が荒い。少しずつ、整えていく。数分経つと、息も落ち着いてくる、すると、起立を指示される。私は泣く泣く起立する。その繰り返しだ。何度も、何度も、終わりが見えない。暑くて気持ち悪くて吐きたくて。それでも、抜け出すわけにはいかなかった。生理的な涙も汗だと思って拭った。辛いけれど、それでも、私は参加し続けた。まだ、誰も倒れていないのだから。
やっとのことで体育館で行う集会たちが終わって、教室に戻った。少しの休み時間が与えられ、私はまたしても、トイレに駆け込んだ。座り込んで、便器を抱え込んで、胃の中が空っぽなのに吐いた。何も出てこないのに吐いて、止まらなくて。ふらふらとしてきて正直何も考えられない。気を抜くな。まだ、終わってはいないのだ。
水道で手を洗い、口を濯ぎ、顔を洗った。。私はサッパリしたんだから大丈夫。問題ない。
教室に着くと、学活が始まった。出席番号の早い順から通知表が返されていく。
「お前、成績どうだった。」
「ヤベェよ。塾通わせられる。」
「俺はスマホ禁止だよ。」
「今日の打ち上げで鬱憤晴らすぞ。」
「こんな数字いらん。」
「心配するな。お前より下はいるぞ。」
「うるせぇ、お前は黙っとけ。」
「もう、最悪〜。」
「アンタが最悪なら私はどうなるのよ。」
「そうよ。」
「あっ。その成績裏切ったわねぇ〜。」
あぁ、周囲が騒がしい。頭に響く。これ以上私の頭痛を悪化させないでくれ。
「月城。」
「はい。」
ようやく、私の名前が呼ばれた。
私はこれまでの人に倣い、廊下に出た。廊下には椅子が二つ出ていて、ひとつには先生が、一つは私が座った。他の学級でも同じことが行われているのか、それぞれが一対一で話している。
うちの担任の先生は大雑把な人だった。威圧があるわけでもなく、親しみやすい男性で、少し抜けているところがある。
「月城は、まぁいいんじゃねぇか。いつも真面目だし、優秀だし。学級委員もやってて文句のつけどころがねぇ。」
「それは、どうも。」
「確かに、内申点がよくない教科もあるが、悪くもない。誰にだって苦手はあるもんだ。座学では点をとっているし、受験になっても問題ないだろう。うちの学校じゃ、最難関受験する奴らが意外と多いから、順位に納得していないかもしれないが、この学校で一桁の順位で、尚且つ、委員会も完璧にこなしているとなりゃ、右に出るものはいないだろう。まぁ、これからも頑張れな。」
「ありがとうございます。」
私は通知表を受け取り、その場を後にした。静かに教室に戻って、席についてから、ゆっくりとその紙を開いた。
渡された成績表には九教科が五段階で評価されていて、合計点は四十五点満点中、四十点だった。体育と技術家庭が三、音楽が四だ。美術は今学期が絵画だったから良かったが、立体作品になったらもう、この点数は望めないだろう。体育や技術家庭は座学では点数を取ったが、実技がだめだった。運動はできないし、木工も料理も裁縫もできない。技術に関してはこの先コンピュータ関連で挽回できるだろうが、他は無理だろう。これ以上、上げるのが難しい成績に私は苛立つ。座学はただ、覚えればいい、机に向かって問題を解けばいい、その成績を上げることは難しくなんてないのだ。でも、実技なんてどうしたら良いのか。努力するにもできなさすぎて何から手をつけて良いのかわかったもんじゃない。
頭痛はストレスも相まってか激しさを増し、どうしようもない状況だ。胃はムカムカとしていて、吐けと言われたら、胃の中身が空っぽでも私は吐くだろう。縋り付くものがなくて、通知表を立てて、机にうずくまる。
「委員長ーさんは、何点だったの?」
黙って静かになどしていられずに、クラスの男子が話しかけてきた。
「黙秘します。」
私はできるだけ笑顔を繕って、彼とその周りにいる人たちに微笑んだ。
「チッ。」
「お前に委員長が教えるわけねぇだろ。」
「それもそうか。」
舌打ちしながらも、周りの生徒に宥められて、諦めたらしい。
断られること込みで彼らの楽しみだ。聞けなくても、聞けなかったことをネタに笑い合う。何でも楽しむ姿勢は得してるなと思う。一時、教室の一部が穏やかな笑いで包まれた。
暫く耐えるとよううやく全員に通知表が行き渡り、解散することになった。
「夏休み、くれぐれもグレたりするなよ。注意事項は手紙に書いてあるから、ちゃんと守って、宿題終わらせてこい。じゃ、解散。」
先生の一声で生徒たちがバラバラと教室を出ていく。
教室でまだ喋り足りない人たちが喋っていたり、部活に向かったりしている。私の部活は今日は休みだ。夏休みもほとんど集まりはしないだろう。
私は立って、校内の階段を降りて、靴を履き替え、校門を出た。
<次回>「邂逅」