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花形見―Forget-me-not

作者: 桂まゆ
掲載日:2009/04/01

 三月になれば、私のベランダのコンテナガーデンは花ざかりになる。

 ニオイスミレ、ビオラ、さくら草……そして、あの青い花。


「よう咲かしてはるね」

 隣の窓から、隣人が声をかける。

 藤原さん。大阪弁のおばさんは、私がベランダに出ていると、こうやってよく声をかけてくれる。

「草花ばかりなんですよ。手をかけなくても、簡単に咲いてくれますし」

「いや、草花が可愛いわ」

 そう言って、藤原さんは気さくに笑う。最初は馴れ馴れしい大阪のおばさんに戸惑ったが、今ではこのおばさんとの世間話が私の楽しみのひとつになっていた。

 いつものようにサクラソウを数本切り、藤原さんに差し出した。

「これ、お部屋にどうぞ」

「いつも、おおきに。そっちは、美咲ちゃんの部屋にかざるの?」

 藤原さんに言われ、私はとっさにその花を背後に隠した。

 この花は、人にあげてはならない。少なくとも、私は絶対に人にあげたりしない。

「すごく増えやすくて、気がついたらあっちこっちのコンテナに移ってしまうんですよ」

 ビオラの中にも、サクラソウの中にも、スイセンの中にも、ちらほらとその青い花は咲いていた。

 それをひとつずつ摘み取り、元のコンテナに戻すのが目下の私の仕事だ。それをしないと、他の花が負けてしまうから。

 私の庭がよほど居心地が良いのだろう。あちこちで可憐に咲く、青い花。

 私は、手の中の小さな花を見つめる。

 今年も、またよく咲いた。私の庭を賑わすために。

「よっぽど、大事な花なんやね」

 藤原さんの声に、我に返る。

「抜いた花をわざわざ植え替えるぐらい、大事なんやね」

 言われるまで、自分でも意識していなかった。

 私はそっと苦笑する。

「おかしいでしょ? どうしても、捨てられないんですよ」

 買った時は一ポットだけだったのに。毎年毎年、どんどん増えて行って、今では私の部屋の至る場所を飾っている。

 その花は和名で、忘れな草と言った。


 青い花が好きだ。

 ブルーデージーに、矢車草、アメリカンブルー。

 そんな草花が好きだった。

 春先に咲いている小さな青い花が可愛くて、一株だけ購入した。

 それが、今はコンテナのあちこちで咲いている。

 そう。あれから三年が経とうとしていた。



「お姉ちゃんの部屋って、忘れな草だらけだね」

 久し振りに部屋に遊びに来た妹の春香が、呆れたように告げた。

「勝手に増えるから」

 と、私は苦笑する。

 青い花は玄関からキッチン、テーブルの上、そしてベッドサイドにも可憐な姿を見せていた。

「家の中に花があるとほっとするでしょ?」

 理由はそれだけではないのだが、春香に本当の理由を言うわけには行かない。きっと、春香は本気で怒るだろうから。

「育てるの簡単なの? だったら私にも一鉢ちょうだいよ」

「それは、駄目」

 即答する私に、「ケチ」と春香が笑う。だが、すぐに真顔になって私の顔をじっと見つめる。

 少し躊躇うそぶりを見せた後、妹はいきなり切り出した。

「お姉ちゃん、彼氏いないの?」

「あんた、失礼だね」

 紅茶を飲みながら、春香を上目遣いに睨む。春香は明らかに「失敗しまった」という顔をしていた。

「だって……気になったから」

 春香の言いたい事は解っていた。本当は私のことが心配で、様子を見に来た事も解っていた。

「誰かとつき合っても、長続きしないのよ」

 そう。

 誰とつき合っても、必ず一年も続かない。

 正しくは、春になるとどうしても駄目になる。

「もう、三年だよ? その、お姉ちゃんまだまだ若いんだし……」

「向こうのお母さんと同じ事言わないでよ」

 反射的に、答える。

「そんなこと言いに来たんだったら、帰りなよ」

「あのね、お姉ちゃん」

 春香は、何故か悲しそうな顔をしていた。

「その花、もらっていい?」

 いきなり、どうしてその話を蒸し返すのだか。

「だから、駄目だって言ったでしょ?」

「どうして?」

 その問いに答えあぐねる私に、春香が小さく首を振った。

「お姉ちゃん、その花に取り憑かれているよ。だからあたしが持って帰る」

 そう言って春香はいきなり立ち上がり、ベランダに出た。慌てて春香が手にしたコンテナを奪い取り、そのまま地面に叩きつける。

 ひっくり返ったコンテナから、土と砂利、そして小さな花が無惨に飛び散る。

「あんたにあげるぐらいなら、捨てるわよ!」

 そう叫んで、部屋に生けてあった花をゴミ箱に突っ込む。

 私の剣幕に、春香はたいそう驚いていた。

 何度も何度も、謝りながら私の手を止めようとしている。その手を振り払い、私は今度はベランダにぶちまけられたコンテナの中身を素手で集めながらゴミ袋に入れる。

「美咲ちゃん」

 隣から声がかけられたのは、そんな時だ。

「花に、罪はあらへんよ」

 ゴミ袋の中で、悲しげに萎れている、青い花。

 私は、自分が涙を流し続けていることに、その時に気づいた。



 私の結婚相手は、設計士だった。

 神戸にお父さんの土地があるから、将来はそこに自分で家を建てるのが夢だと言っていた。

(だから、美咲はそこで大好きな花作りをすればいい)

 つき合い初めて半年後、彼が告げた台詞。

 それが彼のプロポーズだったとは――言われなければ、気がつかなかった。

 結婚して、二人でお金を貯め始めた。彼の夢を叶える為に。

 でも、二人の生活は、数ヶ月も続かなかった。

「美咲さんは、まだ若いんだし、子供もいないのだから」

 と、義母は言った。

 籍を戻せと言いたい事を察したので、その通りにした。

「何も、そこに住まなくてもいいんじゃない?」

 母親が言った。

「思い出すだけで、辛いでしょ?」

 確かに、私たちの新居は私がひとりで住むには広すぎた。

 だから、私は身の回りの物といくつかの鉢植えを持って、このマンションに越して来た。

 彼は、私の思い出の中だけで生きていればいい。そう思っていたのに。

 春になって、持って来た鉢植えの中にこの花を見た時、私は驚いた。

 去年の春、ホームセンターで一株だけ購入した、忘れな草。

 二人で暮らした、短い思い出の中にひっそりと咲いていた、花。

 忘れないで。

 あの人が、そう言っているような気がした。

 毎年毎年、花は増える。

 それ程に、あの人が私の事を想ってくれているのだと、そう思った。

 この季節になると、私はあの人の思い出に包まれる。

 でも、私が決してこの花を人にあげたりしないのは、そんな理由からではない。

 私がこの花を買ったから、あの人は戻らぬ人になってしまったのではないか。いつの間にか、そんな風に考えるようになっていたから。

「花に罪はあらへんよ」

 藤原さんの言葉に、私はようやっと自分の間違いに気がついた。

 花は、ただそこに咲いているだけなのだ。

 私は、それを勝手に拠り所にしていただけなのだと。



「今年も綺麗に咲いたなぁ」

 藤原さんが、いつものように話しかけて来たのは、此処に越してきて五年目の春。

「でも……」

「ああ、聞いてるで。おめでとう」

 さすがに、大阪のおばちゃんは耳が早い。

 私が結婚する事も、彼の両親との同居になるので此処を引っ越さなければならない事も、どこかから仕入れ済みだったようだ。

「おめでたいですか?」

「美咲ちゃんが、やっと壁を乗り越えたんやろ? めでたいと思うで」

 言われて、私は素直に笑う。

 そして、ずっと藤原さんにお願いしたかった事を切り出した。

「この花、持って行けないんですけど、置いて行ったら困るって管理人さんに言われて……」

「そやったら、あたしがもらおうか?」

 藤原さんは相変わらず、あっけらかんとした口調で、私が切り出そうとした台詞を言ってくれた。

「いいんですか?」

 ちょっと拍子抜けしてしまった私に、

「いいも何も」

 そう言って、藤原さんが笑う。  

「あんた、その花が人を不幸にすると思ってたやろ? 違うで。あたしはずっと隣でその花を見ていた。そうして、癒された。あんたもやろ?」

 言われて、私はただ、頷く。

 そう、花に罪はない。花はただ、そこに咲いているだけ。

 私はベランダの柵ごしにコンテナを藤原さんに手渡す。

「忘れへんで。美咲ちゃんがここに来た時の事も、ずっと部屋から出られへんかった時の事も」

 藤原さんが、そう花に話しかけた。



 可憐に咲く、青い花。

 その花の名は、Forget-me-not。

 恋人達の悲恋にまつわる、逸話を持つ花。

 それでも花はただ、可憐に咲いているだけなのだ。


                       Fin

3/31夕方。帰宅した自分の家のコンテナに咲いていたわすれな草を見た瞬間に閃いた物語です。

丸一日で書いた話なので、上手く主人公の物語を表現出来たかどうか不安ですが、少しでも皆様の記憶に残れば幸いに思います。

読んで下さって、ありがとうございました。



イメージした花は、「わすれな草」

花言葉、「Forget-me-not(私を忘れないで)」

出展ですか? えっと自分の記憶ですかね?

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