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第十一話

「嘆かわしいことであるな」

 時の老中、土井大炊頭もまた、中山からの報告に溜め息をついた。

「その娘で間違いないのだな」

「はっ。左様にございます」

 火付け絡みの事件においては町奉行と同等の権限を持つ火付改方であるが、刑を執り行う際は老中にその旨を伝え、許しを得る必要がある。若い娘の不可解な犯行に、老中も困惑を隠せぬ様子であった。

「其方はどう判じたのだ」

「はっ。動機は依然不明ですが、自ら行灯を倒しながら、消火を試みたり周囲に知らせることなく逃亡したのは看過しがたきこと。加えて火付けしたのは睦月に建てたばかりの新築の家。若い娘の悪戯としてもあまりに悪質。法に照らせば、火刑は免れぬかと」

「成る程。免罪の余地はないか」

 老中は顎に指をやり、眉根にしわを寄せた。

「……其方はその娘をどう見ている」

 その問いに中山はいかに答えたものかしばし悩んだ。火付改としての見解は先に述べた以上のものはない。だが、中山個人の意見となると、どうしても私情が混じってしまうのだ。どのような境遇にあろうと、咎人は咎人。法に則って裁きを下さねばならぬ。そうはわかっていても、中山は迷いを捨てられずにいた。

「……あくまで、私個人の私見ではございますが。火付けはさておき、その後はすぐに自ら火消し達の元に名乗り出ているのです。火事の方も、幸いにも死傷者はございません。これを他の火付けと同等に裁くのは、いささか不当ではないかと」

 慎重に述べたつもりであったが、やはり甘い意見であったと中山は己を恥じた。盗賊改である父に恥じぬように若年ながらに気を張って務めを果たしているが、父や老中から弱味を指摘されることもまだ多い。元服はとうに過ぎているが、己はまだまだ若造であると思い知るばかりであった。

「うむ。私も其方と同様に思う」

 しかし、老中は珍しく中山の私見に頷いてみせた。

「咎人とはいえか弱い娘。無闇に処刑すれば、民からの非難が集まることであろう。それで我々への信頼が揺らげば、その累は上様に及ばぬとも限らぬ。そして、その風説が他国に知られれば、この国は野蛮で劣っているなどと侵略の口実を作られるやもしれぬ」

「それは……」

 娘の身の上だけではなく、まつりごとや外交への波及にまで考えを巡らせていたとは。中山はつくづく己の不慮を恥じた。

「……中山よ。確かに火付けは大罪だ。しかるべき裁きを行わねばならぬ」

 老中はしばらくの沈黙の後、そう切り出した。

「だが……執り行う前にもう一度、その娘の身元を改めよ。裁きに間違いがあってはならぬ。例えば、その娘の齢が確かであるのか。()()()()()()()()()かもしれぬ」

「娘の齢を、でございますか」

 老中の謎かけのような言葉に中山は一瞬戸惑い、それが暗に減刑を命じているのだと気づくまでややかかった。

 通常、庶民による火付けは火あぶりとされるのが相場だった。しかし齢が若すぎる場合はまた例外である。もしもお七の齢が十五よりも低ければ、火あぶりではなく島流しを執り行うことになっていただろう。

 つまり、()()()()()()()()()()()、彼女の命を救うことができるのである。

「……有難き忠言、痛み入るばかりにございます。再度調べ、厳正に裁きを執り行いたく存じます」

「うむ。しかるべき刑を与えるのだ。良いな」

「ははっ」

 中山は深く頭を下げ、丁重に感謝の意を述べながら謁見の場を辞した。



 吉三郎がようやく元通り動けるようになったのは、拷問を受けてから七日後のことだった。

 元々火事であちこちに火傷を負っていたのをろくに手当てもせず、容赦のない責め苦を受けて傷が酷く膿んでしまったのだ。吉三郎を釈放した火付改――その名が中山勘解由であると知ったのは後々になってからである――に紹介された医者に診てもらい、重症にならぬように処置をされたが、それでも身動きするたび体のあちこちに痛みが走る。

「火傷の痕はしばらく残るでしょうが、男前の証ですよ。とにかく、しばらくは養生して過ごしてください」

 医者の無責任な言葉に腹を立てながら療養所を後にする。そういえば、医者に診てもらうのも随分久しぶりのことであった。金に余裕がないと風邪に罹ろうが熱にうなされようが医者を呼ぶことなどできない。まして養生など、住む家と食い物に困らぬ者だけの特権なのだ。今回のことも、濡れ衣を着せてしまったから、と費用は全て中山が持つことになっていた。

 惨めである。

 惨めといえば――吉三郎は痛む体を引きずり、再び火付改の役所に向かう。本音を言えば、もう二度とあんなところには行きたくない。何かの間違いでもう一度牢の中に入れられたらと思うと年甲斐もなく震えあがってしまう。しかし、どうしても行かねばならぬ理由があった。

 ――お七。

 やはりあいつが火付けをしたのか。あの火事の中をどうやって生き延びたのか。何故あんな真似をした。どうして――自分から火あぶりに名乗り出た。とにかく、問いたださねばならぬことは沢山あった。

 お七に抱いてしまった妙な情ゆえか。あるいは責め苦によって気が触れてしまっていたのか。段々、“己”というものを見失いつつあることに吉三郎は気づけずにいた。

 それ故に吉三郎は、自分の動揺が“お七の死”から端を発していることもわからぬまま、ただがむしゃらにお七との面会を目指したのだった。




「わたしはどうなるのですか」

 訊ねてから、わかりきったことを訊いてしまった、とお七は内心自嘲する。

「まだ決まってはおらぬ。だが……相応の裁きを受けることは覚悟せい」

 中山ははっきりとは答えなかったが、それはお七に気を遣ってのことだろう。察したお七は、黙って頷くことしかできなかった。

 恐ろしい。自分はもうすぐ火あぶりにされるのだ。

(当然の報いだものね)

 牢の中でひとり、膝を抱えて時が過ぎるのを待つ。あの夜に着ていた振袖は取り上げられて、代わりに無地の半纏を与えられた。あの振袖はどうなったのだろう。せっかくお慈悲で頂いたものなのに、粗末に扱ってしまった。

 まだ刑が決まっていないからなのか、両親や友との面会は許されなかった。一番心配だったのは両親に対する処遇、娘のお七が罪を犯したことによって累が及ばないかが気にかかっていたが、火事がすぐに消し止められたことで中山が取り計らい、無罪放免となったという。しかし、今頃どうしているのだろう。思えば火事を起こしてしまってから一度も顔を合わせていない。せめて謝ることができれば。いや――本音を言えばまた家族と一緒に暮らしたい。

 寂しい。心細い。

 ゆきはどうしているだろうか。一緒に遊んだり、父が見繕った縁談相手に愚痴をこぼしたり、そんな些細なやりとりをしたのが随分昔のように思えた。彼女の明るい、ときにはかしましいくらいの声をもう一度聴くことができたら、それだけでどれだけ救われるだろう。

 自分の膝を見つめては、延々と同じことばかりを考える。ひとりきりでいるとどんどん考えが暗く沈んでいく。ああ、だけどそれもこれも全て、自業自得による因果であった。

(……佐兵衛さま)

 そしてついにはあの人のことを思い出して、ああいけないとかぶりを振って考えをなくそうとする。佐兵衛のことだけはなんとしてでも伏せておかねばならない。まかり間違って火付改の前で佐兵衛の名を漏らしてしまったら、きっと彼も火付けに関わっていると思われてしまう。それでなくとも、もう会うことは叶わぬと思い知るたびに胸が張り裂けてしまいそうになるのだ。

(忘れなくちゃ。ううん、最初から、あの人とわたしに縁などなかったのよ)

 自分の心に言い聞かせると、両の眼から雫がぽとりぽとりと垂れ落ちた。


「おい、お前、何をしている。お前は確か――」


 外の方から何やら声が聞こえた。なんだか騒ぎが起こっているらしい。

「うるせえ。あの中山某殿からお達しがなかったかよ。俺は中の奴に用がある」

「何。い、いやしかし……おい、待てッ」

 どたどたと騒がしい足音が近づいてきた。なんだか恐ろしげな気配を感じたお七は思わず身を固くする。

「ああ、くそ。やっぱり居やがったかよ」

 格子の間から顔を覗かせたのは、よく見知ったごろつきであった。

「吉三郎、さん……」

「手前」

 吉三郎は格子越しに凶悪な目つきでお七を見つめた。突然のことに混乱し、お七は上手く頭を働かせることができない。

「な、あなた、どうして……」

「本当に、手前が火付けしたのか」

 ぶっきらぼうな口調で訊かれるがままお七は頷く。

「まさか、火付けすりゃあ本当に“佐兵衛”とまた会えるって思ったのか。ええ」

「………………」

 きゅうと唇を噛む。そう上手くいくわけがないと今ならちゃんとわかっている。だが……あのときのお七はきっとそうだと信じてしまっていたのだ。

「けっ。手前、馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまでとはな。豚箱で食う臭い飯は美味いかよ。生まれて初めてだろ」

「あ……あなたには関係ありませんッ」

 なんなのだろう、この男は。わざわざやってきて、嘲り笑いに来たというのか。惨めな気分になって、涙が再び溢れ出そうになる。すると、吉三郎は急に口をへの字に曲げた。

「……関係ねえってことはねえよ。手前の火付けのせいで、こちとら火事場泥と間違えられたんだ。無実だってのに縛られて、責問いまでされたんだぞ」

「えっ……」

 取調べで中山が語っていたことを思い出してはっとする。よく見ると、吉三郎はあちこちに生傷をつけて、包帯まで巻いているような有り様だった。そうすると、自分は吉三郎にまで迷惑をかけていたというのか。お七はいよいよ言葉を失う。

「知らなかったってえわけじゃあなさそうだな。けっ。手前みたいな可愛いお嬢ちゃんは手厚く扱われて、俺みてえなごろつきは頭っから疑われて何を言っても信じてもらえねえのさ。今回だってよう、手前が名乗り出てなけりゃあ俺が犯人にされてたんだろうさ」

 吉三郎はいかにも嫌味ったらしく言ってから、きっ、とお七を強く睨みつけた。

「手前、なんで自首なんてしやがった」

「な――」

「みんな言ってるんだろう。なんでこんな若い娘が、どうして、ってよう。隠し通せば誰も手前が犯人とは思わねえだろうよ。そうだ、都合良く罪をなすりつけられる奴だっていたんだ。そうすりゃあ、今頃手前は放免、元の暮らしに戻ってめでたしめでたしじゃねえか」

「それは……」

 全く考えなかった、といえば嘘になる。

 吉三郎が怪しい、と語る中山を見て一瞬頭をよぎった。魔の囁きが幾度となく聴こえた。しかし――

「――わたしが犯した罪ですから。それを他の誰かに背負わせて逃げてしまったら、いよいよわたしは誰にも……佐兵衛さまにも顔向けできなくなってしまいます」

「………………」

「それに……吉三郎さんにも大切な方が居るのではありませんか。帰りを待っていてくれるような人が。吉三郎さんに罪を押し付けたら、その方も悲しむことになるでしょう」

 そんなことをしたら、きっと自分は火あぶりでも足らぬくらいの罪人になってしまうだろう。恐ろしい、心細い、しかしやってしまった以上は償うのが筋というものだ。

 たとえそうやって再び佐兵衛に会えたとしても、そんな自分が佐兵衛と言葉を交わす資格はない――お七は心からそう思っていた。

「………………」

 吉三郎はしばらく黙り込んでいたが、やがてくつくつと含み笑いを始めた。

「……ああ、わかったよ。手前はよう、救いようのない大馬鹿だよ」

 笑っている。しかし――その眼光は思わず身を竦めてしまうほどの怒りが籠っていた。

「帰りを待つ人だあ。そんなもん、ごろつきに居るわけがねえだろうがよ。ごろつきってえのは全ての縁から見限られた奴がなるもんなんだ。俺もとっくに勘当された身よ。俺が死んだところで気にもしない、もしかすると祝い酒でも飲むような連中しかいねえ」

「そ、そんな……」

「手前は物知らずだなあ。何もかも、手前の身の回りの尺度でしか測れねえんだ。同情するか、俺を。哀れで惨めだって悲しんでくれるかよ。俺からすりゃあ、それは手前の方なんだ」

 わからない。どうして吉三郎が怒っているのか――何が彼の逆鱗に触れたのか、お七には全く考えが及ばない。吉三郎が、ならず者と呼ばれるような人間が、一体どのような暮らしをしているのか、お七はまるで考えたことがなかった。格子を隔てた牢の内側でお七は怯えるばかりである。

「わからねえだろうなあ。だからあっさり騙されてくれるんだ。手前がせっせと用意した銭を、俺が何に使ってたか知ってるか。酒、博打、また酒だ。手前の大事な着物や何やらは全部溝に捨てたようなもんだ。もう一銭だって残っちゃいねえ」

「そ――それがなんだと言うのですか。あなたがどんな風に御銭を使おうと、わたしには……」

「そんな奴がよう。わざわざ親切に文を届けては運んできてくれるなんて、本当に思っているのかよ」

 息が詰まった。

「……どういう」

「手前の大好きな佐兵衛さまはよう、寺で坊主と懇ろにやってたぜ。女に手を出してる暇なんざねえ。尻尾振って媚び売って養ってもらうのが若衆の仕事だよ。手前の為に文なんざ書いてたら追い出されちまう」

 嫌だ、それ以上聞きたくない。お七は耳を塞ごうとして、自分の体が動かなくなっていることに気づく。

「恋文ごっこは楽しかったか。百文なんて惜しくはなかったよな。手前が楽しんでくれるように俺も苦労したぜ。馬鹿みてえに哀れぶって、手前の気を引くようなことを考えて。手前の金が尽きたのは惜しいが、俺もやっとつまらねえ仕事から足を洗えたよ」

「……う、嘘。やめてください、変なことを言わないで」

「ああ、なんだったら今書いてやろうか。どうせ死ぬんだ、冥土の土産が欲しいところだろ。最後くらい、大好きな佐兵衛さまと話したいよなあ、ええ。色狂いの大馬鹿娘、お七さんようッ」

「いやあああああッ」

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。そんなはずない。だって佐兵衛さまはずっと。ずっと、わたしと――


 ――騙されていたのよ。


 違う。


 ――全部嘘っぱちなんだ。


 違う。


 ――佐兵衛は、文なんて書いてないって。


 違う。違う。信じたくない。

 だって、そうだとしたら、わたしは――今まで、あの人が語ってくれた言葉は。


「……お前、何をしているッ」

「ちっ、来やがったか。はっ、精々死ぬ前に思い出すといいさ、佐兵衛さまのお言葉をよ」

 火付改達が吉三郎を見咎めたらしい。吉三郎は最後に毒づくと、駆け足で逃げ出していく。

 お七は地に伏せ、ただ泣きじゃくることしかできなかった。


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