第十話:敵兵に媚びよう!
――街の名産品が大量にコピーされてばらまかれるという事件により、『ボンクレー』領の経済は死に果てていた。
コピー品が流し込まれ続けた結果、ついに需要と供給のバランスが完全に崩壊してしまったのだ。あちこちの店は休業状態となり、店頭にはかつて最高級品だったモノがゴミのような値段で並べられ、道には失職してしまった者たちが呆然と座り込んでいた。その中には嬉々として転売に加担していた者も大勢いる。
――そんな悲惨な現状に、領主・ジャイコフの怒りが爆発する。
「なンっだコレはぁあああああッ!!!? 一体どうなっておるのだぁぁぁあああああああああッッッ!!!」
耳をつんざくような怒号が領主邸に響き渡った――!
激情のままに拳を振るい、高級机を破壊するジャイコフ。さらにそれには飽き足らず、手のひらから巨大な『大岩』を射出し、領主邸の壁を爆砕させるのだった。
だがそれでも、彼の怒りは収まらない……!
「フーッ、フーッ……! 衛兵長っ、衛兵長はおるかぁぁああッ!?」
「ハッ、こちらにッ!」
ジャイコフの叫びに応え、衛兵長である男が即座に執務室へと入ってきた。
怒りで発狂しかけているジャイコフの前に立ち、彼の顔色は真っ青となる。我を忘れた『魔法使い』など、もはや災害のようなものだからだ。
「……おい衛兵長、犯人はいい加減に捕まったのか!? そこら中に検問を設けたのであろう!?」
「いっ、いえ、それが、その……コピー品をばらまいていた犯人ですが、今やボンクレー領では稼げなくなったとみるや、きっぱりと手を引いてしまっているみたいでして……まだ何の成果も……!」
「この無能がァァァァアアアッ!!!」
ジャイコフの石弾が衛兵長の足元に放たれた。
すさまじい衝撃が発生し、後ろの壁にまで吹き飛ばされる衛兵長。ヘルムが脱げ落ち、痛みに歪んだ端正な顔付きが露わになった。
「ぐっ、ぐぅうう……ッ!?」
「貧民上がりの薄汚い若造めがッ! これ以上我を不快にさせるでないわッ!
……衛兵長、貴様に最後の命令を下す。夜明けまでに犯人を捕まえてこい。さもなくば、貴様は縛り首だ」
「なっ、そんなぁッ!?」
これまで尻尾も掴めなかった相手を一晩の内に捕らえるなど不可能だ。
すなわち、これは事実上の死刑宣告である。あまりにも無慈悲すぎるジャイコフの言葉に、衛兵長は震え上がった。
「お、お待ちくださいッ! それはあまりにも……!」
「黙れ黙れぇッ! 貴族である我に逆らう気か貴様ッ!? 何なら今ここで、我が魔法で粉砕してやろうかッ!」
「ひぃいいッ!? お許しをッ! どうかお許しをォオオオッ!!!」
嗜虐的な笑みを浮かべるジャイコフを前に、衛兵長は震えながら何度も何度も頭を下げるのだった。
かくして――。
「――リゼ様ぁぁぁあああッ! 亡命しに来ましたぁああああ!!!」
「ああ、よく来たな衛兵長。……ってお前、傷だらけじゃないか。今治してやるからな」
「やっほぉーう! やっぱりリゼ様やっさしーっ!」
……その数時間後、衛兵長はあっさりとジャイコフを裏切って『ベイバロン』領のリゼの元へと逃げ込んでいったのだった。
吹き飛ばされて傷付いた身体を治してもらうと、衛兵長はジャイコフ相手とは比べ物にならないほどの親密な態度でリゼに礼を述べる。
「ありがとうございますリゼ様! いやぁ、やっぱりジャイコフの野郎は最悪ですよ! すぐに人のことを殴りまくるし、そもそも平民のことを人とも思ってないし! ……それに比べたら、リゼ様のどんなにお優しい事か……」
「気にするな。俺のほうも、お前にはずいぶんと助けられてきたからな」
「いえいえ、こちらもガッポリと貰っちゃってますからね!」
愉快そうな笑みを浮かべ、衛兵長は指で金貨の形を作るのだった。
そう――何を隠そう、リゼのコピー品の密輸を助けていたのは衛兵長であるこの男だったのである……!
衛兵部隊のリーダーである彼が裏切っているとあらば、犯人の特定など出来るわけがない。
「……いやぁ、最初は自分も一回きりの小遣い稼ぎにしようと思って、賄賂を受け取っちゃったんですけどね。
でもジャイコフがどんどん困っていく姿を見てたら、楽しくて楽しくて……いつしか全面協力するようになっちゃってましたよ……!」
応接室のソファにくつろぎながら、衛兵長はメイドの淹れてきた紅茶を啜った。
元々彼にはボンクレー領を裏切る気持ちなど皆無だった。
若くして衛兵長の立場にまで上り詰めたのだって、それだけ領地を守りたいという正義の想いがあったからだ。
だがしかし――領民のことを家畜としか思わず、ことあるごとに自分を殴ってくるジャイコフに仕え続け、彼はこう思うようになっていったのだ。
“こんなゴミクズが治める領地を守ることが、果たして本当に正義なのか”――と。
そんな時に彼は出会ったのである。
ボンクレー領から金を巻き上げる悪党でありながら、その金で多くの『傷病奴隷』を救い出し、身体を治してやっている異端の貴族に。
衛兵長はソファから立ち上がると、表情を改めてリゼの前に片膝をついた。
「というわけで――このクラウス、これより貴方様に仕えさせていただきます。どうか何なりとご命令を……!」
「了解した。ではさっそく、領地の見回りをやっている者たちに本職の指導を頼みたいところだが……今日はもう疲れただろう。子牛のステーキを焼いてやるから、腹いっぱい食べて休むといい」
「なっ、焼くって……もしやご自分で料理を!? しかも平民の私に振る舞ってくれるとッ!?」
「まぁ趣味というやつだ。メイドたちよりも上手いから安心しておけ」
そう言って厨房に向かっていくリゼを見ながら、衛兵長ことクラウスは改めて思った。
――やはり彼は、他の貴族とは根本から違う存在だと。
「ふっ、ふふふ……」
だがおかしいとは思わない。むしろ、それでこそクラウスはリゼに仕えようと思ったのだ。
彼は知っている。何を思ったのか、リゼがボンクレー領のスラムに入っていくと、次々と病人たちを癒してやったという話を。
彼は知っている。そのお礼として差し出された安っぽい黒パンを、貴族の身でありながら躊躇なく受け取って食べたという話を。
それらの逸話を感涙しているスラムの者たちに聞いた時から、ジャイコフを裏切る覚悟は出来ていた。
クラウス自身もまた劣悪なスラムの生まれであり、だからこそ領地を平和にしてやりたいと願っていたのだから。
だが、これからは違う。クラウスはリゼの姿を見習い、領地ではなく『人』を守れる男になろうと決意した。
いずれは故郷であるスラムの者たちや、ジャイコフに不満を持っている衛兵仲間たちもベイバロン領に亡命する予定になっており、全員でリゼに尽くしていくつもりだ。
「――お待ちくださいリゼ様っ! よければ自分も手伝いますッ!」
ゆえに、クラウスの心にもはや一点の迷いもなし。
彼は晴れやかな笑みを浮かべると、平民想いの優しい主人の後を追っていったのだった。
なお……クラウスは当然気付いていない。
リゼがスラム街に入っていったのは、ただ単にお散歩してたら迷い込んでしまっただけということを。
また貧民たちに回復魔法をかけてやったのも、取り囲まれて怖かったから媚を売っただけということを。
そして貴族でありながら小汚い黒パンを躊躇なく食べてやった話も、数か月前までは雑草を煮て食べるような生活を送っていたから全然平気なだけだったということを――!
ついでにメイドたちより料理が上手いのも、ついこの前まで使用人を雇う金がなくて、貧乏臭く自炊していたからである……ッ!
「なんだクラウス、休んでいてもいいんだぞ? ……じゃあせっかくだし、お前はサラダを作ってくれ」
「はいっ! 初めての共同作業ってやつですね!」
「フッ、馬鹿を言え」
細かい思い違いを抱えつつ、クラウスはリゼと共に厨房へと向かっていくのだった。
なお――彼らは知らない。
「は、はぁ……はぁ……! この気持ちはなんでしょうか……!
クラウス様とご主人様の『絡み』を見てたら、なぜか胸が熱くなってきました……ッ!」
メイド長の少女・ベルが、壁際からそっと顔を出して、二人のことを野獣のような目付きで見ていることなんて……!
かくして、ベイバロン邸の夜は騒がしく更けていくのだった。
【悲報】リゼ様、経済崩壊中の領地から衛兵を引っこ抜いてしまう【暴動不可避】
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