民は黙し、為政者は嗤う〈後編〉
ラグナが巨大な鳥のような、ペイル曰く竜と呼ばれる生き物に乗って平民街に向かって飛んで行ったのをオールムは信じられない思いで見送ったと共に、随分前にペイルに語ったプランテール真教の聖典を思い出していた。
"我が中路の教えを地平遍く全ての人に広めよ。此れこそ真の安寧とならん。
もし、我が教えに背き、中路に反する者があるならば、私はまずあの鳥の如く空の下、その者を監視しよう。その鳥はどんな鳥よりも大きく、地の凡ゆる不正を見逃さないだろう。
それで尚、我が教えに背くならば、私は小さな使いを出し警告をしよう。その使いは青き目をし、聡明なる者であるだろう。
最後に我が教えに背く者には、その者の思いもよらぬ罰を私は与えよう。
嘯くな、驕るな。常に我が教えを胸に秘し、中路を歩く事に努めよ。"
中路と言うのは神の宣らすところで言う、常に自らを戒め畜生に堕ちる事無く、平等に生きよという教えである。
その意味で言えば、確かに労働者党の在り方は中路も何もあったものでは無い。民から搾取し自らの私腹を肥やし、民草の飢えを他所に飽食に明け暮れる。現にゲルナや他の高官の恰幅のいい事、ヤンビャンの平民街でもそうそういない体だ。
だが今見たものはなんだ。プランテールの聖典のごとく、青き目をした者がどんな鳥よりも大きい鳥を従えている。俺は神の使いを見たのか?いや、あれはラグナだ。理解が追い付かないがこれだけは言える、どうやら助かったらしいと。
「な、なぁペイル。最初からこうしていれば…」
「だからここで見た事は忘れてくれと、ラグナは言ったんだ」
オールムの言葉は他の兵士達の総意に近い物でもあったが、しかしペイルはそう言って切り捨てる。疑問の顔を浮かべるオールム達を前に、ペイルは続けた。
「権力者から見て、あの力は魅力的すぎる。一瞬で敵兵や高官達を眠らせたのも竜がやった事だし、この銃一つでもわかっただろう」
そう言って改造銃を見せられてはオールムも首肯せざるを得ない。事実敵は一瞬のうちに全員眠ってしまったし、そもそも竜の力を用いた銃が無ければここまでは来れなかった。
「竜は、一歩誤れば一頭で一国を滅ぼせるだけの力を持つ。彼女は大昔からその竜を守ってきた民族の一員。その怖さを知っているからこそ、ここまで来てようやく力を行使する事に決めたんだろうな」
ペイルにそうまで言われてしまってはオールム達も反論することは出来ない。ラグナが執拗に、ここで見た事は忘れてくれと言った理由が分かった気がした。
*
大統領府から飛び降りたラグナを背に乗せて、ラグナの盟友、フレイヤは一直線に平民街を目指す。上空から見た街並みはかつての面影は無く、少し様子を見ただけでも敵兵がオトポールや平民を追い回し、無差別に破壊や殺戮行為を繰り返している。
《ラグナ、いいのか?この状況から逆転させるのなら、どうしても大量破壊魔法が必要だが》
「良くは…ないかな。でもいずれにしてもここで労働者党…敵を完全に倒さないと、リンゼンさんが渡した情報がいつかこの国の病巣になって私達に帰ってくるもの」
フレイヤの言う大量破壊魔法は、コルナーとして教わってはいるもの絶対に行使してはいけない魔法の一つに入っているものだ。過去にユラフタスがまだイグナスの平野に住んでいた頃、攻め入って来たプラセン皇国軍との戦争の際に使われたという記録はあるらしいが、今では禁忌の技となっている。それを使うという事は竜の秘めたる力を解放する事であり、再び竜の力を悪用しようというものを生みかねない行為でもあった。
だがリンゼンは竜の力を、その一端とは言えイグナス以外の国へと渡してしまった。最初はペイルと共に偵察で入ったこの国だが、もはやここで完全に労働者党を倒さねば取り返しがつかない所まで来てしまった。オトポールにもこれを見せつける事になってしまうが、そこはオールムさんの良心を信じる他無い。
「行くよ、フレイヤ。あんまり派手にはやらずにね」
《分かってる。さて…行くぞ》
天翔ける竜は急降下し地上に急接近する。敵味方関係無しに何やら動転したような声が聞こえ銃弾やら砲弾が飛んでくるが、そんなものは本物の竜が展開する防御魔法の前では全くの無力である。
地上すれすれを飛びながら、ラグナは目視で敵兵の場所を伝えフレイヤがそれに従って魔法で不可視の印を付けていく。魔法に明るいものがいれば自分の体に魔法による印が付けられた事や、それを剥がす方法を知っている事もあり得るかもわからないが、ここは魔法を排除することで平等を謳う国。プラセン兵達は自らの上空を高速で通過する鳥のような生き物にただ驚き、そして何も出来ずにいた。
町の一角にいた数百の敵兵に印を付けた所で急上昇する。再び街を上空から俯瞰したところで、フレイヤは口先に大量の魔力を注ぎ巨大な火の玉を作り始めた。
魔法が放たれる瞬間を一瞬想像する。敵は確かに一掃できる、間違いなく確実に。だがこの瞬間、盟友は世界に解き放たれる。イグナスとの戦いだけならば、まだどうにかする事が出来た。リハルト兵も一部目撃はしたが、十分封殺できる程度だった。
だがこの眼下に広がる国に盟友の力を知らしめてしまえば、いつかそれは外国に知れ渡り新たな戦いを生み出す火種となるかもしれない。しかし…
―ここでリンゼンが蒔いた種を収穫するのも、同じユラフタスの使命だ。
意を決して背中の角越しに、フレイヤに魔法を発動するよう指示を送る。刹那、作り上げた火の玉から夥しい数の火の矢が生まれ、猛烈な勢いで地上へと降り注いでいった。
矢は印に向かって正確に飛んでいく。地上ではプラセン兵の頭上に、火の矢が降り注いでいった。
少し経つと、平民街の一角からプラセン兵がほぼ完全に掃討された。残った兵士は僅かで、それもオトポールの兵士や平民達が追い詰めていく。
ラグナは結果を見る事も無く、次の場所へとフレイヤを誘導する。そして同じように敵にのみ印を付け、火の矢を浴びせにかかる。数か所も同じ攻撃を行うと、平民街からほぼ全ての敵兵が消えた。あまりに圧倒的な力であった。
「次は貴族街…いや、あれは!」
貴族街に向けて進路を取ろうとした矢先、視界の端に見慣れた姿を捕らえた。アルツだ。他の者と同じように物珍しげな顔を浮かべてこちらを見上げている。だがラグナの目は、その後ろから銃剣を片手に接近するプラセン兵に注がれていた。
「アルツ…!」
生きている敵兵という事は、先程の攻撃の際に印を付けられていないという事だ。既にかなり接近しており、魔法攻撃で仕留めるとなると誤射する危険性も高い。となれば一番確実なのは、直接降り立って自らの防御魔法の中に入れてしまう事だ。
自分に向かって真っすぐ下りてくる巨獣を見て、アルツの目が驚愕に見開かれる。だがすぐにその背に乗る人物を見て、違う意味で驚きの表情を浮かべた。
「ラグナさん!?」
そう叫ぶと同時に、強烈な下降気流がアルツとその後ろにいた敵兵に襲い掛かる。敵兵は状況を理解しかねないまま飛ばされかけた銃剣を持ち直すと、ろくに狙いも定めず乱射しだした。かなり近くまで接近していたので普通なら外す筈の無い距離だったが、しかし銃弾は全て見えない壁に弾かれたかのようにアルツに当たる事は無い。
「うわっ」
アルツは案の定背後から近づいてきた敵には気づいてなかったようで、突如聞こえた銃撃音に驚いて足を滑らせた。そこに丁度飛び降りたラグナが腕を差し出し、片手で抱くようにしてアルツを受けとめる。咄嗟の行動に思わずアルツの頬に朱が差したが、構わずそのままフレイヤの後ろに回ると鋭く指示を飛ばした。
「フレイヤ、お願い!」
その一言だけで理解したフレイヤは、顔をおもむろに敵兵の方に向け一つの魔法を放つ。すぐに銃剣を取り落とした音が聞こえ、敵兵はその場に崩れ落ちた。
「ラグナさん、あれって…」
「魔法で眠らせただけ。とにかく乗って!フレイヤよろしく!」
ラグナが先に乗って背中の角を掴むと、その後ろに乗るよう促す。掴む所の無いアルツはおずおずとラグナの方を持ったが、すぐに前から声が飛んできた。
「そこじゃダメ、早めに飛ぶから腰にしっかり腕を回して」
それっていわゆる後ろから抱く姿勢なのでは、と一瞬躊躇したが、早くと急かされたので意を決して腕を回して自分の体をしっかり固定する。その瞬間、勢いよく空へと飛びあがった。
2人を乗せたフレイヤは今度は貴族街を目指す。貴族街にも敵はいるわけで、今度はそちらの掃討という訳だ。
アルツが恐る恐る眼下に広がる光景を見る中で、ラグナは先程と同じように地上すれすれを低空で飛行させる。そして見つけた兵士に片っ端から魔法で印を付け、今度は弱い火の玉を作り出し一斉に放っていく。平民街で行ったそれより遥かに殺傷能力の低いその矢は、しかし寸分違わず貴族街にいた敵兵へと刺さっていく。ヤンビャン中にいたプラセン兵は、僅か一頭の竜によって有り得ない速さで制圧されたのだ。
「ふぅ…」
ラグナは一息吐いて辺りを見回す。銃声はもうほとんど聞こえず、先程までの戦いが嘘のような静けさが、夕暮れの町を覆っていた。
「あ、あの…」
不意に後ろから声がして振り向くと、そこには密着してるが故に視界いっぱいのアルツの顔。先程までの緊張とは違う意味で、自分の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
「な、なに?どうしたの?」
妙に裏返った声が出てしまって、角越しにフレイヤが笑いを堪えているのが伝わってくる。
「早く…降りませんか?その、恋人でも無いのにいつまでもこうしてるのも…」
その気恥ずかしげな声に、ようやくラグナは自分がアルツにどうされているのかを冷静に認知した。耳元に感じる息遣い、自分の前に回された腕。つまり、いつだかリッシュの上でメルとウィルがやっていたそれである。
ガクッと高度が下がり、慌てて体勢を立て直した。
「だ、大丈夫ですかラグナさん」
「大丈夫、大丈夫じゃないけど大丈夫。取り敢えずオールムさん達のいる大統領府の屋上に降りるね」
少し慌てた声色でそう言いながら、街の中心へ進路を取る。
《ラグナさんよ、人のを見るのは良いのに自分がやられたらダメなのか》
「うるさいなぁ!もう!」
「?」
フレイヤにからかわれアルツにも不思議そうな顔をされながら、2人と1匹は静かに大統領府の屋上へと着陸した。
下からは微かに歓声が聞こえて来る。戦いは終わったのだ。
*
あれだけ外を騒がせていた銃声がほとんど聞こえなくなった。あの竜とやらが勢いよく平民街へと向かい、この高さから見ても時々建物の影に隠れて見えなくなるぐらい低空で飛行した後に上昇し、巨大な火の玉を作り上げたかと思うと火の雨が降り注いだ。
それもこれも全部魔法なのだが、本格的な魔法を初めて見たオールムにとっては全然頭が追いつかない。他のオトポールの兵士もそうなのだろう、何が起きたのか分からないと言ったような表情をしていた。
だがその中で1人、ペイルだけは苦々しい顔をしていた。結局ラグナに竜の力を行使させてしまったのだ。しかもフレイヤの放った魔法は、人間の魔法量で出来るような攻撃では無かった。まさに竜だからこそ出来る攻撃だとも言える。
しかしその魔法を大勢の者が目撃してしまった。オトポールはどうにかなるかもしれないが、万が一避難民の中に外国人がいるとその口から噂は必ず広まっていく。
とは言えユラフタスはもはや1人では無い、保護政策はイグナスの仕事だ。
とにかく今は、この戦いが終わった事を知らしめなければならない。未だに抵抗を続ける敵に、オレウムで戦い続ける両国の兵士に、そしてここで眠っている高官達に。
「作戦終了だ」
「は?」
突然のペイルの言葉に、呆然としていたオールムは思わず聞き返した。
「作戦終了だ。屋上の旗を下げるのが合図だろ?」
「あ、あぁ。そうだが…でも大丈夫か、ラグナちゃんは」
「大丈夫だ。あいつはあれで、結構な死線をくぐり抜けてるようだがな」
「…分かった。おい!屋上に出るぞ!」
オールム達が仲間を連れて屋上へと上がる間にも、ペイルは再びこちらに向けて飛んでくる竜から目を離さなかった。
その長い1日を終えようとする夕陽に照らされて竜の身体は美しく輝き、人がそこに神を見たとしても不思議では無いほど息を飲む光景があった。
「こりゃ、帰ったら色んな人から怒られそうだ」
ペイルはそう独り言ちると、まずゲルナを起こしにかかる。聞きたい事は山ほどあるし、もう休憩は充分だろう。
何より、自分で歩いてくれない人を牢屋に閉じ込めるのは手間なのだ。
拳を一発頬に喰らわせれば、すぐにゲルナは目覚めた。最初は何やらわめいたが、やがてその声を掻き消すかのように地鳴りのような歓声が聞こえてきた。
「なんだこの歓声は!?」
「貴様らの負けだ。ちょうど屋上の労働者党旗とプラセン共和国旗が下ろされたから、平民街のオトポールの兵士が歓喜の声を上げてるんだろうさ」
「負けだと?そんな事があってたまるか!偉大なる労働者党が…」
また何か喚き出したのでもう一度頬を殴り付け、その後無理矢理立たせて外を見させる。ぶくぶくと太った身体は重かったが、じきに痩せるだろう。
「なんだ、これは…戦ってる者はいないのか!」
「いないな。プラセン兵は全員が戦死、または捕虜だ」
未確認だが、ラグナが本気を出したのであれば間違いあるまい。
「嘘だ、私の国が…」
「私の国だと?ならばこの国が先延ばしにし続けてきた問題も、まとめて責任を取るんだな。もはや貴様らも虜囚に過ぎない。諦めろ」
「虜囚だと!?ふざけるな!私はこの国の最高責任…」
「ユールス様にでも助けてもらうんだな。こういう時の為の飾りでは無かったのか?」
最後にペイルがそう言うとゲルナはがっくりと項垂れた。
*
カランは信じられない面持ちで目の前の光景を見ていた。敵から鹵獲していた銃や銃弾はいつの間にか戦死した仲間のものとなり、先程まで一緒に行動していた兵士はいつの間にか自分ともう1人だけになっていた。
もはや遊撃戦の体を成しておらず負けを覚悟した瞬間、上空に鳥のような姿が見えた。
鳥など珍しくも無いが明らかにそれは違った。鳥というにはあまりに巨大で、神々しさすら感じる姿。見えたのは一瞬だったが、その背に乗る人の姿ははっきりと分かった。
「ラグナちゃんか…!」
「ラグナって、あのペイルさんの連れてた子ですか」
「そうだ。青イ目ノ民にそっくりだとは思ったが、まさかその青イ目ノ民なのかもな」
「あれは500年前の伝記ですよ?」
「分かってるさ、でも…危ない!」
視線の端に建物の影から敵兵が出て来るのを捕らえた。敵もこちらに気付くと、すぐにあの奇妙な銃を向けてくる。撃ってくる前に素早く近くの死角に隠れると、手持ちの銃だけ突き出して敵の方へと乱射した。弾倉を変える時に今度は敵が撃ってくるが、破壊力が自らの銃の比ではない。
手持ちの銃弾はもうほとんど無く、こうなっては逃げるしかない。しぶとく逃げ回ってきたが、流石に限界かと悟ったその時、悲鳴と共に敵の銃撃が止まった。
「増援か?」
「分かりません、取り敢えず行ってみましょう」
敵がやられたとなれば逆に装備品を奪う機会にもなる。弾の無い銃でも無いよりマシと、銃を構えゆっくりと先程まで敵の姿が見えていた場所へ接近する。
虚勢を張りつつ油断無く敵の隠れていた場所に接近すると、そこには首筋に火傷の跡がある複数の敵の死体があった。
「奇妙なやられ方だな」
「はい…それに、なんか変じゃないですか?銃声がほとんど聞こえない」
その声を聞いてカランは、注意深く耳を澄ませてみる。確かにあれほど聞こえていた銃声も大砲の音もほとんど聞こえず、不気味に静まり返っていた。
その後も鹵獲した銃を構えながら歩いてみたが、味方の兵士や民間人と会う事はあっても敵兵はそのほぼ全員がやられていた。
「何があったんだ」
半ば呆然と瓦礫に座り込んでいた1人の民間人に尋ねると、にわかには信じがたい返事が返ってきた。
「矢が…火の矢が降ってきて、敵兵を全員打ち抜いたんだ」
「矢だって?」
聞いた時は半信半疑だったカランだが、その後誰に聞いても同じ答えが返ってきた。そんな不思議な現象が起こせるとしたら、心当たりは一つしかない。
「ラグナちゃんか…」
そうとしか考えられなかった。魔法について詳しくは無いが、魔法を操るあの子ならばこんな事ができても不思議では無い気がした。
それにあの巨獣も何か関係があるのだろう。1人の兵士として興味が湧かないでもなかったが、まずはこの現状を整理する方が先だ。
水筒に残った最後の水を飲み干すと、どこからか歓声が聞こえてきた。反射的に大統領府の方を見ると、矛盾の壁越しに少しだけ見えていた建物の屋上から2つの旗が降りていくのが見えた。
その場に一緒にいた兵士や民間人が大声を上げる中、カランは全身の力が抜けたようにその場に座り込んだ。
-戦争は終わった。俺達の勝ちだ…
夕陽は輝きを失いながら地平線に沈んでいく。新暦806年ペイム(4月)も終わり、ヤンビャンの長い一日が暮れようとしていた。
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