竜狩り〈前編〉
相当厄介な事になったな、とノーファンは手元の手紙を見てそう思った。
白露山脈の向こう側で何が起き、その中でラグナとペイルが何をしているかは逐一送られる鳩便で知ってはいた。当然その情報を勘案し、労働者党とやらがリンゼンを通して竜の力を知り、そして欲しがる可能性も考えてはいた。
だがラグナから送られてきた長い手紙には、遂に労働者党側の人間が竜の力を手に入れることを仄めかしたとある。つまりは本格的にこの山脈に大軍を攻め入らせ、"盟友"を狩ろうと言うわけだ。
「ノーファン様、ラグナはなんと?」
ラグナの父グロースは、ノーファンに呼ばれて家に来ていた。それまでも隣国へ偵察行へ赴いたラグナの様子が知りたくてノーファンの家に行ってた事はあったが、そのノーファンから呼び出されたのは初めての事だった。
「かなり大変な事になっておるようでの…内容が内容だけにまずはコルナーに伝えるべき話じゃが、お前も気を揉んでいると思ってな」
そう言って手紙をグロースに渡す。内容を呼んだグロースも、自分の顔色が変わるのを感じた。
「これは…私達の森に来ると言うのですか…?」
「そういう事じゃろうな。プラセン共和国とやら…もう今となっては明確に"敵"と呼ぶべきか、どの程度の戦力で来るのかは分からないが我々としても表立って"盟友"を先頭に出すわけにはいかぬからのう」
そう言ってノーファンは椅子にもたれかかると溜息を吐いた。また戦禍に身を投じなければならないのかと。
その後コルナー達が集められ話し合いをし、まず盟友達はこの村や他の安全な場所に匿う事とした。村は結界で覆われており、いくらリンゼンがその事を漏らしていたとしても結界には入れないからだ。
そして白露山脈のこちら側に攻め入るという事は、明確なイグナス連邦への侵攻ではないかという意見も上がった。それを言ったコルナー自身もイグナス連邦と和解してからと言うものよく街に下りていた者で、閉鎖的なユラフタスにあって多少の国際感覚を持ち合わせている者であった。
ノーファンはすぐにイグナス連邦の首都であるサルタンにもこれを報せ、領土侵犯として軍に対処してもらえないかと打診した。そして二つ返事で了承を得るとすぐに親善大使のようになっているミラムが駆け付けた。
「なに、またあの娘はややこしい事に首を突っ込んでるとか」
「そのようじゃの。全く、行く先行く先で問題ばかり拾ってくるわい」
そう言いながらもノーファンの目は子を慈しむ祖母そのものだ。
「それで、竜の力欲しさに隣国が攻めて来ると言うのは本当ですか?」
「本当のようじゃ。とにかくこれを見てみい」
そう言って手渡されたラグナからの手紙を、ミラムはじっくりと呼んだ。どのような経緯で隣国プラセン共和国に侵入し、そこで何を見て何が起こっているのか。総合的に判断し決断を下すのはルメイ16世たるローランド皇子の権限だが、ユラフタスとの間を取り持ち、ましてや敵の目的が竜である事を考えれば、宮殿随一のユラフタスの理解者であるミラムの意見も必要となる。
「…ありがとうございます。プラセン共和国という国は、まるでモロスそっくりみたいな人が本当に国を治めてるのね」
そうだとすれば、国民の辛苦が手に取るように分かった。仮にも皇位簒奪事件を企てたモロスの妻として過ごしたミラムには、権力と言う物がいかに人を狂わせ堕落させ、そしてその周囲の人々を不幸にするか知っている。
「そう言う事じゃな。じゃからこそおぬしらに助力を求めたというわけじゃ」
「話は分かりました。取り敢えずサルタンに戻り、私の口からもこの現状を訴えてみます。ただこれから軍を編成して間に合うかどうか…」
手紙が届いて既に2日、書き方から察するにプラセンは既に軍備を整えていると見てもおかしくは無い。いくら敵は山越えをする必要があるとは言え、今からイグナス軍を向かわせるならば間に合うかどうかは微妙だった。
*
ユラフタスやミラム達の懸念は的中する事になる。ノーファンとミラムが話していたその頃、ヤンビャン近郊にあるプラセン軍駐屯地には千を超す兵士が集結していた。
「諸君!君達はこれから未知の生物を相手にすることになる。だが恐れてはならぬ、所詮は人間に劣るモノだ。栄光ある我々プラセン軍が後れを取る事などあり得ないのだ!」
竜の捕獲隊として選抜された正規軍の兵士を前に、隊長として選任されたジグル・カリストは士気を高め鼓舞するような演説をする。これはオレウムを巡る戦争を終わらせ、プラセン軍兵士の死者を減らす為。竜こそ新たな労働者党の象徴であり、支配をより確固たる物にする為。諸君らはその為の竜を捕らえる、極めて重大な任務に選ばれたのだと。
リンゼンからの竜を甘く見るなと警告は完全に無視されていた。勿論未知の任務であるにも関わらず、捕獲隊に特別な手当てが出るわけでも無い。しかしそれらは兵士一人ひとりの党への盲信と、特別任務という”自分達は選ばれた”と事を意識させる事で巧みに士気を上げていた。
号令の下、大量の兵士が白露山脈に向けて進軍していく、重武装であり大砲なども準備して馬に牽かせている。それを遠く離れた場所で数人の男が木陰に隠れて見守っていた。
「奴ら出発したぞ」
「しかし、その竜ってのは本当にいるのか?」
「そんなこと知るかよ。だけどペイルさんが言ってたんだし、実際あの山の向こうの国じゃ大っぴらに公表したとか言うじゃねぇか」
「そうだけどよう、幻の生き物が実はいますなんて言っても想像できないよなぁ」
「全くだ。ほら、戻るぞ。とにかく動き出したって事を伝えなきゃだ」
そう言って男達は静かにその場を離れる。彼らはオトポールの兵士だ、ペイルの指示の下でひっそりと軍の駐屯地を監視し何か動きがあったらすぐに伝える役目を担っていた。
なので当然、軍が動いたと言う情報はすぐにムルザに戻ったばかりのペイル達に伝わった。ペイルとしては竜の捕獲に向かった隊については、ユラフタスやイグナス軍で十分対処し得ると考えており、むしろそうして軍の守りが手薄になった所でヤンビャンに攻め入り、群集心理を煽り立てたうえで一気に大統領府に迫ると言うのが今後の作戦予定だった。
だが当然そこには懸念も存在する。
「やはり動いたか、後はオレウムの戦況だが…」
そう呟いて遠くオレウムの事を考える。ナトから来る情報では未だにオレウムの戦線はナトが優位、むしろ竜の捕獲に正規兵を捻出しそれを徴兵で補ったのか兵士の質が落ちていると言う。この状況でヤンビャンに攻撃をするという事は、負け戦濃厚なオレウムでの戦闘を放棄し軍を反転、ヤンビャンに向かわせたうえで自分達を含む蜂起軍が内外から挟撃される恐れがあった。
また、考えにくいが竜を予想以上に早く捕らえる事に成功してしまえば、リンゼンの口添えもあったとしてあっという間に自軍の戦力に組み込んでしまうだろう。そうなれば竜を相手にしなければならないのは自分達だ。
万が一そうなったとしても、ラグナがフレイヤや他のユラフタスを率いて対抗すれば勝てはするが、それはそれで"竜の力を見せつけてしまう"事になる。結局は人の手でどうにかしなければならないのが実情だ。
「ペイル、まだ準備万全とは言えないが兵士達の士気は高い。後はいつ攻め込むかだが…」
オールムはいよいよ労働者党を打倒できるとあってか、興奮した口調でそう話しかけてきた。
「まだ時期尚早だ。とりあえずナトには少し負けてもらわなければならんな」
「どういう事だ」
ペイルは自らの考えを披歴する。むしろ今はナトに少し負けてもらい、党や軍の上層部にオレウムでの戦闘に勝機を感じてもらわなければならない。そうして逆にオレウムから撤退しづらくする事で、ヤンビャンに攻め入る際の自らの背後を安泰にすると言うわけだ。
「成る程…そこまでは考えていなかった。早速、ナトに鳩を飛ばそう」
そう言ってオールムは近くの兵士に文を認めるよう命ずる。いずれにしても教化所から捕虜となっていた仲間を連れ戻し、今はその手当で精いっぱいだ。いくら前回の徴税でこれまで以上に食料の秘匿に成功しているとはいえ、オトポールの為にと供出してもらっている食料にも限度がある。なのでペイルにとっても、早く事態を収拾させたいのはやまやまなのだ。だが焦りは失敗を生むとわかっているからこそ、努めて冷静に事を運んでいるに過ぎない。
思えば季節はスァナイム(5月)に入った。この国に来たのが昨年のオゥトム(10月)だから、もう半年以上ここにいるわけだ。いくら鳩便で連絡しているとはいえ、そろそろ決着をつけてイグナスに帰りたいというのもペイルとラグナの偽らざる本音でもあった。
「半年以上も経つか、帰っても貸し馬車屋に籍あるかな…」
戦場に似つかわしくない物悲しいペイルの呟きは、風と共に消えていった。
*
竜の捕獲隊は鉄道でプラセンで唯一入国手続きを行っている町であるクルストに向かうと、そこから徒歩で白露山脈に入った。重装備での進軍なので速度は歩兵のみの時と比べて劣るが、それでも息を上げる牽引馬や兵士に鞭打ち、山に入って3日目には尾根を越えてイグナス連邦側に入った。それは奇しくも500年前、ルメイ少佐率いる先遣隊が通った道と同じだったのだが、その手記すら禁書扱いされているプラセン共和国においてその事に気付く兵士はいなかった。
「我々は尾根を越えた、ここから先の大森林の中に竜は棲んでいるという」
ジグルはそう言って森を見下ろした。広大な森とその先に広がる平野、その平野には町が点在している。これが噂に聞くイグナス連邦と言う場所なのだろう。
「当初の予定通り、まずは森の入口に野営を作りそこから5名単位で捜索隊を出す。発見次第、すぐに連絡するように。またもし、この森にいるという現地住民に接触した場合、制圧できそうであれば制圧し竜の棲み処を聞き出せ。以上だ」
そう言って隊は再び進軍する。やがて山を下りて行き森林の手前に野営を築くと、そこから複数の捜索隊が大森林に入っていった。
対してイグナス軍は臨時で森林内を捜索する小規模の隊を編成すると、シナークの駐屯地を経由してユラフタスの村に入った。竜の捕獲の為に森に入るのであれば、まずはその捜索から始まる筈。ならば敵と同じく森を捜索して各個撃破しようというわけだ。
とは言え道無き密林の中を案内も無しに歩くのは自殺行為なので、ノーファンの手助けもありイグナス軍の隊には各隊に1人ずつユラフタスの案内人が同行した。そうしてイグナス軍とプラセン軍は、ほぼ同時に白露山脈の麓の森林の中を歩き始めた。
やがてイグナス軍の一つの隊が、森の中を進む見慣れない一群を発見した。
「おい、あそこ…」
「俺達の制服ではないな、そうなれば…」
見つけたのはイグナス軍の中でも陸上戦闘に特化した、ロヴェル機甲師団第二聯隊の歩兵隊だった。そもそも道無き道を歩く訓練を欠かさない彼らが、見るからに歩くのもおぼつかない僅か5人の敵に後れを取るわけが無い。
「動くな!ここはイグナス連邦領土である!貴軍らの所属、行動目的を言え!」
イグナス軍の1人が銃剣を構え、敵前に飛び出し誰何する。プラセン軍側は一瞬面食らったようだが、すぐに周りを見渡すや囲まれている事を悟り投降した。自軍の野営に緊急事態を伝える暇も無い早業であった。
そうして幾つかの隊がプラセン軍と会敵したが、当然イグナス軍とて急ごしらえの部隊。中には陸戦部隊ですらない兵士もおり、中にはプラセン軍と打ち合いになりその隙に野営に敵襲を知らせる事に成功した捜索隊もあった。
「敵軍と会敵しただと?イグナス軍がもう出張って来たか…」
プラセン軍のジグルはそう言って頭を抱えた。自分達の行動は絶対秘匿であった為に、イグナス軍の行動の速さに驚いていた。
だがその一方で勝算もあった。訓練に訓練を重ねたプラセン軍がこのような国の軍に負けるとも思っておらず、とにかく竜の棲み処が判明し確保さえしてしまえばそれでいいと思っていたからだ。判明すれば後は、プラセン軍最大の秘匿部隊である暗隊を差し向ける。
ヤンビャンに来たと言うこの森の先住民の話によれば、竜は強力な魔法を使うという。魔法などと言う非平等的なものなどまともに信じてはいなかったが、竜に詳しいその先住民が言うのだから間違い無いのであろう。魔法には魔法を、という訳らしい。
やがて森に入った幾つもの捜索隊の一つから有望な報せが入った。
「隊長、第26捜索隊から棲み処発見との報です」
「見つけたか!場所はどこだ」
部下からの報告を聞くと、隊長はすぐに同行した暗隊第1小隊を呼び出した。
「…いよいよ、ですかな」
「そうだ。話は聞いていたな、行け」
暗隊の第1小隊長であるオリャスクは無言で頷くと、部下の9名と共に森に入っていく。
「全く、気味の悪い連中だ」
ジグルはそう呟くと、竜を捕らえた後の撤退作戦に思いを馳せた。竜を捕らえ凱旋すればそれが党の新たな象徴となり、自分は栄光と地位が確約される。それは目前へと迫っていた。
*
数刻後、暗隊は報せの入った竜の棲み処へとやって来た。
「死んでいる…?」
そこにあったのは友軍の死体だった。簡単な検分をしたオリャスクはぽつりと呟いた。
「…待ち伏せだ」
その言葉と同時に四方から銃声がした。隊員の全員が反射的に防御魔法を展開し、同時に水魔法を使える数人が銃声のした方に向けて水を細く鋭く、かつ勢いよく放つ。そうした水は最早刃物のようなもので、暗隊が手を向けると同時に向けた先に木が次々と切り倒れていく。
やがて攻撃が止むと、草の擦れる音の他に呻き声がいくつか上がった。オリャスクの合図で部下がそこに向かってみれば、銃を取り落とし足を押さえる敵軍がいた。見れば膝から下が無い、水魔法により切断されたのだ。
「この…侵入者め…!」
そう言ってイグナス軍兵士が腰の小銃に手を掛けたが、それより早く自らの銃でその命を刈った。わざわざ魔法を使うまでも無いと言う事だ。
「竜はどこだ」
オリャスクはそう言って周りを見回す。竜の大きさは分からないが、木の枝や草で作られた棲み処を見るに相当の大きさなのだろう。
それ程の大きさであれば地上で逃げたのであれば多少は草が踏み倒された形跡があってもいいものだが、探してみてもその痕跡は無かった。
「空でしょうか」
部下の言葉にオリャスクは首肯する。だが魔法戦闘隊とて空を飛べるわけでは無い、また最初から探し直すしかあるまい。
しかしそう思っていたその時、風に乗って啼き声が聞こえてきた。
「…今のは?」
「野生動物の鳴き声と言うには、聞いた事が無いものですね」
オリャスクも部下達も耳を澄ますが、同じような声は聞こえて来ない。その代わりにブーンとした低い音が聞こえてきた。
「飛行機…か?」
プラセン軍は仮想敵であるナトの航空戦力がほぼ無い事とそもそもの工業技術の劣悪さにより、航空戦力は極めて小規模であった。その為、暗隊の誰もが音だけで何かを判別できないでいた。
「そうだとしても見つからないだろう。ここは深い密林の中だ、空から見つけられるとは思わない」
部下の言葉に皆が頷く。
「風上の方に行くぞ」
オリャスクはそうとだけ言って、啼き声の正体を追って森を踏み分けて行く。その後に部下達も続いた。
やがて音を殺しながら森の中を進むと、2人の人影に連れられた巨大な獣の姿が見えた。足元にはその獣を小さくしたような影も見える。
「赤子連れか」
「そのようです」
都合のいい事だ、とオリャスクは心の中でほくそ笑んだ。竜の実力がどれほどであれ、赤子さえ押さえてしまえば親も言う事を聞くだろう。同行している人は2人、どちらも軍服を着ていないから現地人なのだろう。ならば取るに足らない存在だ。
「…行くぞ」
その言葉と共に部下が散開する。1人が小さな火炎球を2つ生み出し、それを高速で打ち出した。まずは竜の下にいる人間からというわけだ。
放たれた火炎球は狙い通りに真っ直ぐ飛んで行ったが、当たるという所で何かに弾かれたかのように霧散した。
「何者だ!」
声が飛ぶ。防御魔法を展開したのだろうが、だとしたら人間なのか竜なのか分からないが魔力を察知する能力は極めて高いと見える。
質問に答えずオリャスクの隊は連続して攻撃を敢行する。だがすぐに生半可な事では倒せない事を悟った。
先程敵兵を屠った水の刃を直接向けても、それは防御魔法にことごとく弾かれていく。暗隊同士の模擬戦で防御魔法を打ち破ったその魔法がだ。
「隊長…!」
「教えた筈だ」
救いを求める部下にオリャスクはそうとだけ言った。暗隊はこう教えていた。魔法を使う為の魔力は有限であり、攻撃を続ければいつか相手の魔力が切れる。そこが勝ち目なのだと。
だが暗隊は竜の持つ潜在的な魔力量の多さを知らなかった。磨きに磨いた魔法を10人がかりで行使すれば、こんな防御魔法など容易く突破出来るとオリャスクは考えていたのだ。
暗隊が四方からありとあらゆる攻撃魔法を仕掛けるが、そのどれも竜や敵に当たりもしない。やがて敵もこのままでは埒があかないと悟ったのか、おもむろに懐から銃を出すと空に向かって3発撃った。
「何かの合図かもしれん、気をつけろ」
オリャスクはそう言ったが、それでもまだ竜を捕らえられる自信があった。何せ自分達は党最大の秘密部隊にして最強の部隊。こんな得体の知れない奴らに負ける筈が無いのだと。
その過剰とも言える自信は攻撃の手を強める事こそあれど、空に向かって撃った銃と先程の飛行機の音を結び付ける事は無かった。
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