ゲルナの憂慮
第2防壁の前で発生した軍が民間人を射殺するという前代未聞の事件が発生してから7日が経った。ペイム(4月)に入って暖かくなってきたが、民衆の心は冷え切ったままだ。
ヤンビャン全域に戒厳令が敷かれ夜間外出や不要な集会が禁止され、昼夜問わず警戒の兵士が街中を見回るようになった。その為に徴兵が強化されこれまで年齢的に徴兵されなかった少年や壮年、挙句に女性までも徴兵され皆がヤンビャン平民街の治安維持に回らせた。
だが党が自分達に銃口を向けたという事実はあっという間に平民街の至る所に広がり、3日にして脱走兵や命令違反が相次ぐ事態となった。その為に急遽徴兵された者らが戦地に送られ、代わりに隊の中から逃亡者が出たりした問題のある小隊などがヤンビャンの治安維持を務める事になる。
戦地ではろくに訓練もされていない、ただ軍服を着た民間人と言ってもいい者らばかりが送り込まれ、これまで以上に前線を後退させる要因となった。
ヤンビャンの空気はこれまで経験した事の無いほど暗いものとなり、治安こそ何とか維持されていたものの禁止されている筈の集会が兵士の目を盗んであちこちで行われていた。もっともその兵士の中には、非番の時に集会に参加する者もいたが。
そしてどの集まりでも語られるのは党への不満だ。結局党は何もしてくれない、それどころが従えない者を殺そうとする。今こそ自分達が政治の中心となるべきではないか。革命だ、革命を起こそう。だがどうやって?
一方で事件の話はすぐにオトポールの耳にも伝わっていた。事件の後にすぐに党が把握している秘密隧道は全て塞がれたが、それもあくまでブレンデルがいた頃に使われていた隧道のみ。その後に掘られた隧道は党には露見しておらず、未だにヤンビャンへの出入りは容易だという事だ。
そして一連の事件を陰から見ていたオトポールの兵士によってもたらされる報告を、ペイルもオールムも複雑な顔をして聞いていた。
「遂に起こったか、自分達が蒔いた種とは言えあまりいい気はしないな」
「それが普通だ。だがこの機を逃せば次は無い、早急にもう一度ヤンビャンに入って今度は民衆と共に貴族街に押し掛ける必要がある。何としても次、大統領府を堕とさねばならない」
ペイルは再びナトに一大攻勢をかけてもらい、瓦解寸前と目されるプラセン軍を完全に潰した後にヤンビャンに攻め入る事を想定していた。下手にプラセン軍を放置していると最悪挟撃を受けかねず、ならばいっそ軍を完全に敗戦一色まで追い込んだうえで大統領府を攻撃した方が敵に諦める者も出て来るのではないかと踏んだのだ。勿論その事も含めてハークルに行った際に説明済みなので、ナト軍としても着々と攻勢に出る準備を進めている筈だ。
「それでどうするんだ、いつ決行するとかどこを狙うとかは」
「まずは教化所を襲撃しようと思う」
ペイルの言葉にオールムは驚いた。教化所は貴族街の中にあり、大統領府を襲うどさくさに紛れてそちらも襲うものばかりだと思っていたからだ。
だがその疑問をぶつけると、ペイルは首を振った。
「いや、よくよく考えてみればおかしいと思わないか」
「何がだ」
「そのような政治犯、思想犯をヤンビャンの中心に捕らえておくかって事さ」
そう言いながらペイルは、奪った資料の中にあったヤンビャンの地図を広げた。
「貴族街のどこにも、そう言った施設が見当たらない。まぁ襲撃に備えて場所を秘匿しているという可能性もあるが…」
そう言ってもう1枚の資料を引っ張り出す。
「これはあの、クルセとかいう男から貰った物だ。地下道の図らしいが、この外部へ伸びる1本の地下道。これは何だと思う」
「非常脱出用か」
「俺もそれを考えた。だがそうだとしたらこんな所に記載しては、敵に地図が渡った時にどこに逃げるかが筒抜けだ。それに抜ける方向が変じゃないか?」
その言葉にオールムは地図を見る、確かに抜ける先は海の方向である南でも鬱蒼とした森の広がる西でもなく、少し傾斜のきつい丘陵の広がる北側だった。
「ここは…丘のある平原か。この辺はだだっ広い平原だけだし…と言うか出口が無くないか、この通路」
オールムは自分が見落としてるのでは無いかと何度か確認したが、他の地下道には描かれている出入口の印がそのヤンビャンの外に伸びている地下道にだけは無かった。
「そこに教化所があるとすれば、一番辻褄が合うんだ」
「…地下か」
「そうだ」
オールムは腕を組む。地下施設の攻撃など経験が無いので、なにぶん勝手がわからない。
「結局ペイルの手を借りる事になりそうだ」
「任せておけ、地下施設は入ってしまえばさほど大変でもないからな」
*
ここ数日の出来事に、ゲルナは一日中頭を悩ませていた。膠着どころか押され始めた戦線、大統領府にまで侵入を許したオトポール、そして党への不満を堂々と口にする愚かな民衆。それらの全てに苛々していた。
軍部から入る前線の状況は日を追う毎に悪くなっていく。イグル・エルヌーイとか言う砲兵隊長が考案したという作戦により前線兵は大損害、公然と命令に背く隊や兵士まで出てくる始末だ。そう言った奴らはまとめて爆弾を抱えさせて敵陣に突っ込ませたと言うが、それもさほど効果は上がってないらしい。栄光あるプラセン国軍の恥晒しを始末できたのがせめてもの救いか。
戦線は相変わらず塹壕戦で変わらないが、時々小競り合いが起こる度にどこかの塹壕が奪われたとかどの小隊が壊滅状態だとかいう報告が入ってくる。軍部からは寄せ集めの兵士では無理があると泣きつかれたが、足りない力は党に仕えられるという悦びで打ち勝てと言ったら引き下がった。どいつもこいつも精神力の弱い無能ばかりであると、ゲルナは真剣に考えていた。
無能と言えばこの大統領府の守衛達もこぞって無能だ。この神聖なる大統領府の中枢にまで連中の侵入を許した上、それをみすみす取り逃がすなど全くもってなってない。聞けば軍の作戦参謀、スィミルの執務室にも入られたという。一定以上の地位の部屋には入る為の鍵ですら特殊な保管場所に納められ、その場所には守衛が常駐している筈。だがその守衛も気絶させられておりまんまと鍵を奪われたという訳だ。しかもご丁寧に鍵は戻されていたという、事態の発覚を遅らせる為か。
そして愚かな大衆、あんな内容のビラを撒くオトポールも忌々しいが、それを本気にする大衆を愚かと言わずして何と言うべきか。
だが金も盲信も無いヤンビャン以外の国民はともかく、党は金を落としてくれるヤンビャン市民の離反は懐が痛い。戦線の回復にしてもオトポールの壊滅にしても、まずこればかりは本腰を入れて対応しなければならないのだ。
「交換手、イツェリをここへ」
ゲルナは億劫そうに有線電話を取ると、そうとだけ言って受話器を放った。
ややあって1人の男がゲルナの執務室に入ってくる。労働党で大衆への思想教育や党の方針を民間に落とし込む仕事を行う教導局と呼ばれる部署の局長、イツェリ・クーレだ。
「お呼びでしょうか」
「来たか。最近の平民街での騒動は知っているな?」
「ええ、全く嘆かわしい事です」
まるで他人事のようにイツェリは言う。いつもそうなのだ、他人事のようでいてその頭の中では様々な案が渦巻いている。良くも悪くも、事態を客観的に見れる男であった。
「この状況を打開するに、何か教導局から案はあるか」
「我々には力がある。それを今一度、誇示しなければなりませんな。党大会で行われるような党歌の歌唱やユールス様の肖像画への礼賛だけでは、もはや足りないという事です。本当はユールス様直々にお出ましいただければいいんですがね」
イツェリの砕けた言い方に、ゲルナは思わず顔をしかめる。
「そんな事出来る訳が無いと、貴様が一番わかっているだろう…!」
「冗談ですよ。ただユールス様直々に姿を見せてくれればありがたいのは確かですがね」
そう言われてはゲルナに反論はできず、口にしかけた叱責の言葉を素直に引っ込めた。
「だが力があるとどう示す。前回の第2防壁前での騒ぎでは、鎮圧した結果がこれだ」
「その通りです、あれには私も驚きました。党に逆らえばどうなるかと言うのは、ヤンビャンの市民たる者皆が知っていると思った我々が馬鹿でした」
そう言ってイツェリは肩をすくめる。民衆の反乱こそ教導局の指導が行き届かなかった結果なのだが、そんな事は意にも解さない。
「我々には我々の力を示す何かが必要です。これまではそれが思想の偉大さ、栄光、そして軍の力でしたが今こそもっと強いモノを欲するべきです。
さて、数ヶ月前に情報局が白露山脈から連れてきたと言う男、覚えていますか?」
イツェリに言われてゲルナは自らの記憶を辿った。そう言えば情報局が随分前に、伝説の存在と言われる竜を探していたなと思い立った。
「ああ、あの竜を探してた時に見つけたとか言う確か…」
「リンゼン、そう名乗っていましたな。情報局に問い合わせましたが、彼は竜を使う事が出来るのだとか」
「なんだって?」
イツェリの言葉にゲルナは思わず反応する。竜と言えば幻の生物、と呼ばれていたのは数年前までだ。白露山脈の向こう側にある国、イグナス連邦で起こった内紛は断片的ながら情報は入って来ていた。当然平民街にその情報が伝わる事は無く、党幹部などの高官のみが握っていた情報ではあったが。
ともあれその内紛を劇的に納めたのが、伝説の存在とされてきた筈の竜だった。反乱軍を鎮圧した際の圧倒的な力は、どんなに最新鋭の武器でも叶わなかったと聞く。それでいて見た目は美しく、その羽根はイグナス国内では装飾品として高値で取引されているのだそうだ。
「竜か…私も情報局から聞いただけであまり詳しくは知らないのだがな、竜を党の"強さ"としようと言うわけか」
「その通りです。私とて本物を見た事があるわけではありませんが、まずはそのリンゼンとやらに助力を仰ぎ竜を捕らえる。そして戦線に投入してみては如何でしょうか」
ゲルナは思わず竜が戦地を舞う姿を想像した。だが竜など絵でしか見た事が無く、それが本当の姿なのかも分からない以上はどうにも見当が付けられない。
「いや、それは竜を捕らえてから考えよう。我々にとっても竜は未知の存在、まずはその力を知る事からだ。だが先のイグナスでの内紛、そう言えばリハルト公国が攻めて来て負けたのだったな。あれも竜の助力か?」
「情報局によればその可能性が高いと。その情報源たるリンゼンも戦いには参加していなかったらしく、詳しい事は分からないそうです。しかし竜の力を持ってすれば、そのような軍隊など取るに足らないとも言ってたとか」
ゲルナは自分の野心が疼くのを感じた。情報が正しければ竜がいれば、それも一つの隊として整えられる程の数がいればナトだけでは無くオレウムの権益を寄越せと言ってくるリハルトにも勝てる可能性があると言う事だ。
どのみちナトとの戦いに勝った所でオレウムの資源をリハルトに渡すつもりは微塵も無かったが、そうした際に予想されるリハルトからの攻撃をどう防ぐかが課題でもあった。だがそれも竜の部隊を編成し、来るリハルト軍を徹底的に叩き潰せばいいだけの話。その強大な軍事力は近隣諸国への大いなる強みになり、それこそ領土拡大も夢では無い。
だがそれは全て、竜を捕らえられればの話だ。
「しかしだな、もしリンゼンとやらがもし断った場合はどうするつもりだ」
ゲルナがそう聞くと、イツェリは決まっているとばかりに薄く笑った。
「そんな事、ゲルナ様が一番よくお分りでしょう…」
察したゲルナは口角を吊り上げる。つまりは何としてでも、それこそ暴力をも厭わずリンゼンを従わせようと言うわけだ。
*
ゲルナからの直々のものとして、竜を捕らえよという極秘命令は情報局に届いた。当然それはリンゼンをプラセンに連れて来た張本人であるアイヒの耳にも入る。
「それで、私に竜の棲家を教えて欲しいと言うわけか」
リンゼンは自室の中でそう呟くと、向かいに座るアイヒが頷いた。
「そうです。膠着しているナトとの戦争を早期に集結させ、これ以上プラセン国民が無駄に死なぬように」
詭弁である、口先だけでは何とでも言える。リンゼンはそう思ったが、むしろこれは待遇改善のいい機会ではないかと考えた。事実上の軟禁状態であり、外出すらままならない。望めばどんな物でも用意してくれたが、元々広い森で暮らしていたリンゼンにとって狭い家の中が段々と苦痛になってきていたのだ。
「わかった。だが条件がある」
「何でしょうか」
やはり来たか、とアイヒも内心で呟いた。
自らで誘っておきながらアイヒは心の何処かでリンゼンを軽蔑していた。目の前の利を欲し、故郷を裏切るなどろくな者ではないと。そうして欲の皮の突っ張ったような者は必ずこう言った際に条件を言う。そんな者の言う条件など、どうせ無茶苦茶なものに決まっていると。
だがリンゼンの要望はアイヒの予想と大きく異なっていた。
「まずは軟禁状態の解放だ、戦争が終わってからで結構だがここは狭い。そして竜のおおよその棲家は教えるが、俺は同行しない。この2つだ、いいな」
ー謀る気か?いや、あるいは文明的な生活を知らないが上のものか…
だがその程度は条件のうちにも入らない。一も二もなくアイヒは頷いた。
「それと、一つ忠告しておこう」
では棲家を、と口を開きかけたアイヒより先にリンゼンが喋り出す。
「教えるのはあくまでおおよその棲家だ。竜の資料としても提出したが、彼らが営巣するのは子を成し産み育てる時のみ。その他はあの広い広い白露山脈をあちこちに移動していて、それこそ大量に捜索隊を出さねば見つける事は不可能と言ってもいい。
仮に発見できたとしても竜の力は人間のそれより大きく勝る。簡単には捕らえる事は出来ない、という事を念頭に置いておけ」
アイヒは唖然としていた、こいつはどっちの味方なのかと。
だがすぐに思い返す。そもそもこの男にとって、プラセン共和国だってどうでもいい筈だ。情報局にリンゼンを連れて来た際に、潜在的な危険たり得るならば早急に始末すべしと言われたが、その事も考えておかなければならない。
利がある方に味方するような男だ、今後の展開次第では裏切らないとも限らない。
そのすぐ後、リンゼンから聞き出した竜の棲家のおおよその場所は軍部へと回され、竜を捕獲する為の作戦が練られた。
大規模な捜索から始まり、その上竜の捕縛には多大な労力を必要とする事が予見されるこの作戦では、当然大量の正規兵を必要とする。
なのでプラセン軍は前線の脆弱な塹壕をいくつか捨て、防衛陣地を組んだ上でそこを新兵に守らせた。そうする事で正規兵を竜の捕縛へ回し、新兵は戦闘経験が無くても防衛陣地が守ってくれると言うわけだ。
だがプラセン軍の高官達は知る由も無かった。半強制的に徴兵され連れて来られた新兵はろくに食事も摂っておらず、戦う前から疲弊していた事を。
輜重隊が運んできた人数分の食糧はすぐに整理され、高官や大隊長などに多く、位が下がる毎に少なくなるように再分配されていた事を。
そして自分達よりかはちゃんと食べられている正規兵や小隊長に、新兵達が尋常ならざる恨みを抱いていた事を…
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