第九バビレーヨ〔脱走兵の手記〕
ペイル達が舌戦を繰り広げている頃、ラグナとアルツは開館と同時にハークルの図書館を訪れていた。
「僕、いや私は図書館は初めてなので…」
「僕、でいいよ。本当は敬語も要らないんだけど…それは無理かな?」
そんな事を言いながら受付の司書の人に目的の本がある書架を教えてもらう。司書の人もラグナの青い目を見て驚いたような表情を浮かべていたが、ラグナにとってはそんな反応も慣れたものだ。
「何を見るんですか?」
アルツはそう言いながらも物珍しそうにいろんな本をきょろきょろ見ている。
「ちょっとこの国に伝わる伝承とかをね、私そういうの好きだから」
そんな事を言って適当に話をはぐらかしておいた、いきなり竜がどうのと言ってもアルツは驚くだろうし、伝承の類に興味があるというのも嘘ではない。
「アルツも何か読みたい本があったら取ってくれば?私につかず離れずで護衛するのも疲れちゃうでしょ」
「いいんですか?ここにある本ってみんな自由に読んでいいんですよね…」
そう言ってアルツは再びぐるりと周りを見渡す。プラセンの農村部に図書館などある筈も無く、あるとしてもせいぜい町長が持っているか教科用図書と呼ばれる簡単な読み書き計算の本程度だ。
「それではお言葉に甘えて…」
そう言ってアルツは席を立って書架の間に消えていった。それを見届けたラグナも、早速持ってきた本の頁を開く。その本はリルケーに教えてもらった本で、約500年前に当時のプラセンが白鷺山脈を越えて今のイグナスに侵攻した際に、途中で脱走した兵士が書き綴った手記だという。
ペラペラと頁を捲っていくうちに、すぐにラグナはその手記の虜になった。
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私は獄中にいる。敵を前にして逃げたからだ。散々罵られた、臆病者、誉れある隊の恥、狂っていると。
だがアレと対峙して逃げられずにいられる者の方が、私にとっては狂っている。アレを前にして我らの武器は等しく無力であった。どんなに鋭利に研いだ剣とてその固い皮膚に傷を付けること叶わず、どんなに魔術師が強化した矢を放とうとも矢の方が先に折れてしまう。そんなあの異形な鳥のような化け物を相手にどうしろというのだ。どうしろというのだ。
白鷺山脈を越え、新天地に入った。ここは名も無き土地、私を含んだ先遣隊は山の上から平野を見下ろした。"あの山の向こうには楽園がある"そう言われて半ば強制的に組み入れられた先遣隊だが、こうしてみると新しい島や大陸を見つけたかつての偉人のようで誠に気分の良いものだ。しかも開拓作業は奴隷の仕事であり、先遣隊はそれらを監督する役に就くと事前に約束されている。上手くすれば出世して高級士官になることも夢ではない、そう考えて自分の中にまだ野心がある事に我ながら驚いた。
目の利く兵士が何か叫んだ。どうも見下ろす平野に家らしき物があるらしい。よくよく目を凝らして見れば、確かに家のような物が見えた。参った、まずはあれら先住民の平定が仕事という事だ。
先住民がいる事は予定外だが、すぐに彼らも我らの威光の前にひれ伏すことになる。と隊長のルメイ少佐が言った。その通りだ、皇軍たる我らは世界で最も強く気高いのだから。その軍の庇護下に入れる事は、誰であれ感謝の意を尽くしひれ伏すであろうと思っていた。
先遣隊百余名が突如現れたからか、最初に接触した農民と思われる人は驚き固まってしまったようだった。
隊長が国の責任者に会いたいなどと突然言うものだからその農民は狼狽えてしまって、それを見ていた他の隊の者は笑っていたのはよく覚えている。だが私はその農民を見て心がざわつくのを抑えられなかった。目が青かったのだ。でもその時は、何故自分がこんなにも動揺しているのかわからなかった。
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「青イ目ノ民の伝記ですか?」
突然話しかけられてラグナは我に返った。見上げると興味津々といった顔で、数冊の本を持ったアルツが手元の本を見ていた。
「びっくりしたぁ、アルツは何を持ってきたの?」
「僕ですか?僕はこんな感じのものを…」
そう言って見せたのは、どれも外国の事が書いてある本ばかりだった。
「イグナス、ユラントス、ノータス…外国に行きたいの?」
ラグナがそう言うとアルツは思い切り頷いた。
「僕は生まれてからずっとセンザという村で過ごしてきました。まだこの年なのでヤンビャン侵入にも同行させてもらった事はありません。ずっと貧しい村のみんなと、理不尽な徴税を行う党の人しか見たことがありませんでした。だからこそ外国に行って色んなことを学んで、故郷やプラセンという国をもっとよくしたいんです。でもそれが出来ないから、まずその一番の障害になりそうな労働者党を打倒するためにオトポールに入ったのですが…」
最後は俯きながら消え入るようにそう言うと、再び顔を上げてにかっと笑った。
「でもペイルさんやラグナさんと一緒に来れて良かったです。道中で聞いたイグナス連邦の話は面白かったですし、正直言って瞳の色が違うラグナさんは最初はちょっと話しかけ辛かったのですが、こうして話せて良かったです」
幼さの残るその笑顔に思わずドキッとした自分の感情を抑える為にも、ラグナは船上でのペイルを思い返していた。暗くてよく見えなかったが、確かにペイルは誰かにイグナスの話を色々としていたようだ。この子だったのか。
「じゃあ、この騒ぎが落ち着いたらイグナスに来る?私も色々あってあんまり町には居ないんだけど、もし来るのなら案内するよ?」
「本当ですか!?」
「しーっ、図書館では静かにね」
余程嬉しかったのか大きな声を出したアルツを諫めると、アルツは照れたように頭を掻いてすみませんとだけ言ってラグナの横に座った。
そしてアルツが自分の持ってきた本を読み始めたのを見て、ラグナは手記の続きに目をやった。
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隊長が国の長だという男に対して、自分達の来た理由を高らかに話している。ここの先住民は髪の色は黒なり茶なり我々と同じだが、皆が青い瞳をしていた。それがどうも私の心をざわつかせる。
彼が国長だと言うが、どうもそんな風には見えない。農民に紛れて畑を耕していてもそうとは気付かないだろう。
だがすぐにそれ以上に驚く事が起こった。言葉が通じないのか隊長は身振り手振りで説明していたのだが、隊長がプラセン皇国に恭順しろと言えば、その国長はきっぱりと否定したのだ。
これには隊長や自分だけではなく、先遣隊の皆が驚いた。我らの皇帝の威光は地の果てにまで届いている筈なのに、この国長は偉大なる皇帝陛下の庇護下に入る事を拒んだのだ。
何やら隊長が怒鳴り散らし、私達先遣隊は再び国に戻る事になった。その道中で聞かれた話では、武力を持ってこの地に蔓延る蛮族を平定するとの事だ。その為に一度戻って武器を整え、再びこの山を越えて平定に向かうのだという。
正直に言えば私は辟易していた。命令に従うのが軍人とは言え、そう何度もこの道無き道を踏み越え白露山脈を横断するのは疲れるものだ。
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そこまで読んで、一旦ラグナは本から顔を上げた。横を見れば、アルツは"海外渡航の手引き"と書かれた本を一心に読んでいる。
「ねぇ、アルツ?」
「は、はい!なんでしょう」
「青イ目ノ民について、どう思ってる?」
突然言われて目をぱちくりとさせたアルツだが、すぐにぽつぽつと語り出した。
「可哀想な人達だな、と最初は思いました。結局は僕たちの祖先が追い出しちゃったわけで…でも今は会ってみたいと思っています。大きな鳥みたいな獣って、いわゆる伝説の竜だと勝手に思ってるんですけど、そんな獣と魔法を操るなんてそれこそおとぎ話みたいな人達がいるなら、是非とも会ってみたいです。
…もっとも、ラグナさんと会えて半分達成したみたいなものなんですけどね」
そう言ってアルツははにかむ。ちょっと悪戯心が湧いてきて、ラグナは「よく見てて」と言って人差し指と中指を立てた。
一瞬の後に、その指の先端から炎が吹き上がる。目を丸くするアルツをよそに、ラグナはすぐにその魔法の火を消した。
「誰にも言っちゃダメだからね?」
ラグナがそう言うとアルツは目を輝かせながら、ぶんぶんと首を振った。
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10日程経って、私はまたこの山を越えている。但し前回と違い道ははっきりとわかっているが、背中には大量の武器弾薬を積んでいるので足取りは重い。
先遣隊はいくつかに分割され、それぞれが道先案内人を務める事になった。私のいる隊は5番目、予想される先住民…いや、蛮族の攻撃には先に行った隊が対応する予定なので気分はさほど重くない。
尾根を越え、道が下りに入った時、先の方から1人の兵士が走って来るのが見えた。その見るからに憔悴しきった顔には見覚えがある、私と同じ先遣隊の人間だ。
尋常な敵ではない、とその兵士は言った。数は少ないが攻撃が全く通じない巨大な獣を従えているのだという。それを聞いた私達の隊は皆が笑った、そんな獣がいる筈無いだろうと。だが兵士は信じてくれとばかりに同じ話をして、山を越えて戻っていった。後ろの隊に伝えるのだろう。
だがその言葉の意味をすぐに理解する事になった。
我々の隊は100人ばかりの小さいものだったが、山をもう少しで降りきるといった所で敵の待ち伏せを受けたのだ。
しかし最初は皆が驚いた事だろう。待ち伏せと言えばまずは奇襲だ。敵が全く油断している状態でいかに最初に戦力を削げるかが大事だという事は、入隊当初にまず教わった基礎的な事だ。
だが敵は1人、相変わらず青い目をした男だった。それが何やら巨大な鳥とも翼の生えた熊か何かとも思わせる、異形な巨獣を従えて立っていたのだ。
構えよ、と隊長が発し私も含め皆が矢を番える。後ろに控えていた魔法師達が矢に強化魔法を乗せた、自分の引く矢が強化されていくのを感じる。
隊長の号令と共に一斉に矢が放たれた。大きな的だ、外す筈が無い。
だが矢の1本も、敵とその巨獣を傷付ける事は出来なかった。取り乱した1人が慌ててもう1本放ったが、それも弾かれた。
後ろの魔法師が防御魔法を使っていると叫んだ。それと同時に敵が薄く笑う。
その後に敵は何か言っていたが、何せ言葉が違うので全く分からない。だがここから先は通さないという事だけは分かった気がした。と言うのも、敵が我々より先発で出た筈の討伐隊の認識票を見せてきたからだ。
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再びラグナは顔を上げる。言葉が違うと言うのはわかる、ユラフタスの歴史書は古リハルト語だからだ。当時のユラフタスは古リハルト語を喋り、それが長い間にイグナス語になったと考えるのが筋だろう。
だが魔法師という単語が出てきたのは意外だった、しかも討伐隊に加わるという事はしっかり戦力として見られている。やはり過去のプラセンは魔法使いが戦力の主体を握る存在だという事だ。
しかし、ここで自分達の祖先が勝っていたらどうだっただろうか。ふとラグナはそんな事を考えた。
イグナスという国は成立せず、彼の地はユラフタスと盟友でいっぱいだっただろう。そうしたら自分ももっと違う家に生まれて、同じ青い目をした仲間や盟友達と暮らしていた事だろう。
でもそうしたらウィルにもメルにも、ペイルさんにもミラムさんにもルフィアさんにも会えなかったと思うと急に心が冷えた。次々に生まれ次々に死に、弱い者が喰われ強い者が生き残るこの世界で、結局何が正解で何が間違いだったかなどわかる筈も無いのだ。
「どうしたんですか?」
「ん?いや、ちょっと考え事をね」
隣に座っていたアルツがいつの間にかラグナの顔を覗き込んでいた。そう、こうしてアルツのような白露山脈の向こう側の人とこうして並んで座る事も無かっただろう。
「ラグナさんは色んな国に行ったりした事があるんですか?」
「私?私はイグナスとプラセン、それにナトぐらいよ。それも住んでたのは白露山脈の山の中で、最近になってようやく外の世界に出るようになったぐらいだもの」
そう言うとアルツは驚きの表情を浮かべた。
「そうなんですか?てっきり世界中を旅してるのかと…」
「そんな事無いよ、出来る事なら色んなところに行ってみたいとは思うけどね」
ラグナがそう言うとアルツは少しの間を置いて、おずおずと切り出した。
「もし…もし労働者党が倒されてプラセン共和国がナトと一緒になって、僕たちがあの田舎から解放されたら…イグナスに僕も付いて行っていいですか?」
思いがけない言葉にラグナは驚いてしまって、どうして?と聞き返すしかできなかった。
「僕は…世界を旅してみたいんです。今はまだ出来ませんけど、故郷が平和になったら必ず。だからその時にはその、ラグナさんやそのお友達の方と一緒に色んな所に行ってみたいなと…」
アルツは顔を赤くして、最後の方はほとんど消え入るような声でそう言った。
「私達と一緒に?いいんじゃないかな、1人だと心細いでしょ」
ラグナにはアルツの気持ちがよく分かった。初めて盟友の背に乗って森の外に出た時、いくら頼れるフレイヤがすぐそこにいるとはいえその心細さは森の中で迷った時以上のものだったのだ。
「いいんですか…?!」
「もちろん。旅は良いものよ、色んな風土、風習に触れて自分がその土地の人達の一員になったような気がして…
だからその為にも早くこの騒ぎを終わらせて、家族に堂々と旅に行ってきますって言えるようにしなくちゃね」
そう言うとアルツはまた、力強く頷いた。
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敵が異形の怪物に何か言うと、怪物はおもむろに口を開けた。そしてその瞬間、先頭に立ち矢を番えていた4人が呻き声を上げた。私のいる所からではよく見えなかったが、その弓は折れ腕に深い傷が付けられているのが見えた。激昂して直接襲いかかった数人もすぐ、持っていた剣を取り落とし利き腕をバッサリと切られていた。
敵の男がまた何か言う。何と言っているのかは判らないが、大方殺されないうちに早く出て行けとでも言っているのだろう。我ら皇軍に対して見上げた態度だとその時は思った。
剣や弓が通用しないのであれば魔法だとばかりに、隊長が後ろに控えていた魔法師に魔法攻撃を命じた。だがすぐに魔法師が否定の言葉を発した、あの獣には生半可な攻撃は通用しないと言ったのだ。
これには私も驚いた。私は魔法は分からぬが、時として剣や弓以上の強大な人智を超える技をも使いこなす魔法は、まさに最強の名を欲しいままにする技だと思っていたからだ。この隊に付いている魔法師だって軍の中では一流の筈である、その者らをもってして通用しないとは何事か。
ならば取れる手は限られる。兵法の書に載っていた古い戦の文献に、敵の強力な魔法師を魔法と通常武器の波状攻撃で退けたというものがあったのを思い出した。間も無くして隊長も同じ事を思い至ったのか、すぐに同じ作戦を指示した。我々が敵の言葉を理解できないのなら逆もそうである筈だ、堂々と作戦を話しても敵に露見しないのは有難い。
だが私の心のどこかにあった余裕は、この時を境に消し飛んだ。
防御魔法というものはひとえに使用する者の魔力量に依存するらしく、ならば魔力が切れるまで攻撃し続ければいい。防御魔法を展開する者はその間はそれに専念し、他の者が攻撃を受け持つ。それが魔法戦闘の基本だ。
だが今思い返してみれば、あの巨獣は防御魔法を展開しながら攻撃をしていた。その常識外れの所業にあの時気付いていれば、あのような惨状には至らなかったであろう。
真実あの巨獣は化け物だった。こちらがいくら数に任せて攻撃しようと、敵は全く涼しい顔でそれら全てを受け止める。それどころかその間にも少しずつこちらの兵士が倒れていくではないか。
ただ遊ばれていると気付いたのは半数の兵士が戦闘不能になってからだった。私もいつの間にか左腕から出血している、痛みを感じないのは興奮しているからだろうか。
気がつけば私は走り出していた。こんな連中を相手にしてはいられない、到底勝てる敵では無いと。
そして私は敵前逃亡で捕らえられた。皇軍の恥だ何だと散々罵られた。
だが皇都にいる兵士らはあの巨獣を知らないから、そんな悠長な事が言えるのだ。あれを前にしてはどんな強力な武器も魔法も、どんな強靭な精神も勇気も関係無い。一方的にただ自分の無力さを痛感させられるこの気持ちは筆舌に尽し難く、体験した者でなければ分からないであろう。
嗚呼、その時私は初めて気づいたのだ!これこそプランテールの教え、あの者こそ神の使い、あの獣こそプランテール神なのだと!
その後しばらくしてこの手記を書き出した頃、私の恩赦が決まった。あの地にて我らは敵の征伐を成したらしい。それとなくこの営倉の看守に聞いてみれば、相当の被害が出たらしいが何とか数で押し切ったような事を言っていた。最初の先遣隊の隊長であったルメイ少佐は、そのまま統治責任者になるとも言っていた。それに敵が自滅したという噂もあるようだ。
とにかく、我ら皇国は白露山脈の向こうへの足掛かりを作ったらしい。私はどうしようか、いっそ開拓者となり再びあの山を渡ろうか…
――――――――――――――――――――
そこで手記は終わっていた。本を閉じると同時にお腹が鳴る、夢中になって忘れていたがそろそろ昼餉の時間だ。
「アルツ、そろそろお昼にしない?」
そう言うとアルツはとっくにお腹を空かせていたようで、そうしましょうと頷くとすぐに本を片付けに行った。
ラグナは満足すると同時に、改めて"盟友"の秘めたる潜在能力に恐怖していた。先人が盟友に力を行使させる事を禁止させた理由がそこにありありと書かれており、自分が普段何を御そうとしているかを考え身を震わせた。
「戻してきました、行きましょうラグナさん」
「ん?そうね、どこかいいお店は無いかなぁ」
アルツのご機嫌な顔を横目に見ながら、この子の未知の冒険の為にも早くこの騒ぎを終わらせようと密かに胸に誓うラグナだった。
弟が2人いるものだからラグナは年下の男の子の扱いが上手いとかなんとか
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