ペイルの策謀
丘陵での戦いが始まって数刻もすると、攻撃隊は実際に攻撃を行う部隊と予備の武器弾薬や食糧などの兵站を輸送する輜重隊とが分断されていた。ペイルの案の下で、クィルツ隊が巧妙に2つの間を離れさせていったのだ。
そして悲壮な進軍を続ける攻撃隊から離れた輜重隊は、クィルツ隊の略奪の餌食になっていた。輜重隊にも防衛の為の兵はいたが丘陵を通る為の縦陣では本来の力を発揮する事も出来ず、次々と拘束されていった。
ペイルはあくまで殺しはせず、拘束するように指示していた。そうする事で必要以上の憎悪の感情を生ませず、かつまとまった量のプラセン共和国正規軍の装備を手に入れる事が出来ると言うわけだ。あえて生きながらえさせ、そして装備だけは奪われる。敵に与える心理的な影響も大きい。
そして時間を見計らって、プラセン軍の先頭と交戦していた兵士を一斉に引き上げさせる。すると攻撃隊は思惑通り、一気に丘陵を抜けてムルザの目前へと迫ってきた。
風に乗って軍の威勢のいい声が聞こえてくる。オトポールの兵士の中には恐れる者もいたが、ペイルは何も心配していなかった。罠は幾重にも重ねた。突破出来るものならしてみろ…と。
ややあってプラセン軍がムルザに向けて進軍を始めた。
「奴ら、後方の兵站は捨てたのか?」
「バカ言え。支援無くして戦争が出来るか」
「だが手筈通りなら、クィルツ隊長の部隊が兵站を襲った筈だろ?あそこにはいない筈だ」
兵士達には末端の一兵に至るまで、この作戦の概要を説明していた。こうする事で兵はただ指示を待つだけではなく、自分で考えて動けるようになる。それがペイルの信念だ。
そして兵士全体に作戦を説明するもう一つの理由、それは最後の作戦会議の前にペイルの元にもたらされた。
「ペイルさん、ちょいといいですかい」
「なんだ」
指揮を飛ばす天幕に、1人の兵士が入ってきた。装備を見るに農民上がりの義勇兵だろう。
「おらァ兵法はわからんけんども、指揮官サマは敵とどこで戦うおつもりで?」
「取り敢えずは丘陵の手前の平原だ。色々と罠を仕掛けてある場所に誘い込む」
「あそこは捨て田なンす。イネとか育ててたんでまだ堰を開けば水を引き入れるンす。水の張った田んぼってなァそりゃ歩き辛いもんで、敵も足を取られるんじゃないかと思ったンすが…」
オトポールの兵の出身は様々だ。元より兵として志願した者もいれば、農民や町民から募った者もいる。今回の戦いに限っては、町が危ないと100人ばかりの義勇兵もいる。その中にはペイルやオールム達が思いつかなかった事を考える者もいる。
「成る程…その田んぼはもう使わないのか?」
「ンです。害虫が湧いたとかで、もう使わない筈ですわ」
「分かった、ならば害虫駆除といくか。その堰を開こう、お前は出来るな?」
「あ、あっしですかい?」
「言い出したのはお前だろう。手伝い兼護衛の兵士を5名ほど付けよう。信号弾で合図するから、そうしたら…」
そう言ってペイルはその農兵に何をするべきかを教える。そして最後にこう付け加えるのを忘れなかった。
「これが見事に当たったら、褒賞は弾むぞ?」
そう言うと不安そうな顔をしていた農兵は途端に笑顔になって、颯爽と堰へ向かっていった。
ー金が・世界を・支配するか…よく言いえてるというか、だな。
ペイルはそんな事をぼんやりと考えながら、これから戦場となる平原を見やった。さて、敵はこちらの思惑通り踊ってくれるだろうか。
*
一転ムルザ攻撃隊を任された隊長に策など無い。そもそもプラセン軍自体、内部構造は腐敗した組織のソレであり、武功を挙げるよりも贈賄の方が出世は早い。そして隊長も親が貴族で高額納税者である、というただその一点のみで隊長を任された身だ。元より戦術云々などと言うのは持ち合わせておらず、圧倒的な武力をもってムルザを制圧するという漠然とした考えしか持っていなかった。
そしてその浅はかな考えは、少しばかりの智略によっていとも簡単に崩壊する事を嫌という程身につまされる事にまだ気付いていない。
「輜重隊が来ないだと?後から来るだろう。仮にも栄光あるプラセンの兵だ、あんな野蛮な連中に遅れを取る事などあり得ない」
輜重隊が来ない事を報告した兵にそう言って隊長は隊を進め、遂に遠くにムルザを認めるまでの場所に来た。丘陵を越えれば穀倉地帯の平原であり、日もすっかり高くなった今では遠目には敵の陣営と思しき影も見える。
「今こそ我らの威厳と栄光を見せつける時!総員、進めぇ!」
そう言って隊を進めた直後、先陣を切る歩兵部隊が何かを踏んだ。それが何かを確認する為に立ち止まる暇など無く、後続の兵士も次々と踏んでいく。
ややあって隊全体を異臭が覆った。
「何の匂いだ?」
「これは…馬かなんかのクソの匂いだ!」
「馬糞だと!?戦い方にも品が無いのか連中は!」
悪態をついて何だかんだ言っても兵士達は慌てていた。近くにあった水溜りに慌てて数名が駆け込み靴の裏を洗おうとしたが、そこでまたおかしい事に気付く。
「うわっ!こりゃ小便だ!」
「あいつらは俺達の事を馬鹿にしてんのか!」
誇りの高いプラセン軍の兵士にとって、こんな屈辱は無い。普段は下賤な連中とさえ思っているオトポールに、よりによってこんな姑息な攻撃にまんまと引っかかった事は苛立ちを増長させるばかりだった。
そうして臭いに耐えかねながらも進むと、今度は枯草を積んだ茂みの中から火炎瓶が投擲された。火炎瓶は見事な放物線を描くと、部隊の真ん中であったり手前に落ちて派手に火をあげる。
「また火炎瓶か!」
「あの茂みに敵がいるぞ!」
そんな声を尻目に数名の兵士が茂みに近付くと、突如その茂みが大爆発を起こした。
「なんだ!罠か!?」
叫ぶ間にも他の茂みに近寄った兵士が、同じく爆発をもろに食らって吹っ飛ばされて動かなくなる。
「茂みには近付くな!火炎瓶は避ければ良いだけだ」
そう檄が飛ぶが進軍していた道の両脇には枯草が沢山積み上がっており、今更脇に避ける事も出来ずただただ防戦一方となるしか無い。
時期が時期なだけに漠然と枯草が積んであるのは当たり前と思っていたプラセン軍だったが、そこが捨て田であり本来枯草の塊が無い事など農民出身の兵などいない軍にわかる筈もなく、ペイルの一計に翻弄され続けていた。
苦戦しつつ進むと不意に道の両脇の枯草が無くなった。明らかに不自然なのだが、その枯草に苦しめ続けられた軍にとってはまさに救いである。
「散開しろ!敵陣を包囲し、殲滅するのだ!」
隊長の威勢のいい声が上がる。少なくとも糞尿を踏んづけたり火を浴びるのはまっぴらだと、兵士達も次々と道をそれて田んぼに入っていった。
そして一番最後にあった枯草の塊には、オトポールの兵が潜んでいた。最初こそ枯草に攻撃を仕掛けては爆発を繰り返していたが、アレに攻撃したら爆発すると分かってからは隊が進むに連れて攻撃されなくなっていた。
ペイル達は枯草の塊には全て火炎瓶や動物の皮に油を入れたモノを投擲する装置、そして爆発装置を準備し、少し離れた場所から縄を一本切れば遠隔で操作出来るように仕込んでいた。プラセン側からすれば無人の攻撃機が無数にあるようなものだ。
最後の塊にだけ本当にオトポールが潜んでいたとしても、また爆発するかもしれないという心理的効果から誰にも気付かれていない。そしてその兵も、プラセン軍を攻撃する為にいるわけではない。
「最後尾が抜けた、狼煙を上げろ」
そう言って枯草に潜んでいた兵が、合図の為に用意した狼煙を上げる。爆発やら火炎瓶やらで枯草が燃える中で、今更煙の筋が1本増えたぐらいではそれが狼煙だと分からない。しかし狼煙はあえて黒煙を焚く事でそれが合図だと認識出来るようにしていた。その狼煙を確認したムルザ側の基地では同じく違う場所にいる者に合図を送る。
「この狼煙からは、プラセン軍の自由にはさせない」
ペイルは作戦会議の場でそう言った。
*
先程より少し近づいてきたオトポールの陣から信号弾が打ち上がった。
「気を付けろ!何か来るぞ!」
警戒心だけは強くなっていた隊長が叫んだ。しかし必要以上の警戒に対して、訪れた変化は隊にとってあまりに些細なものだった。
「水…?」
「水だな。まさかこれしきの水で水攻めのつもりか?」
そんな冗談に兵士の中から笑い声があがる。実際あらゆる所が水浸しになったが水深はせいぜいくるぶし程度、川での訓練などに比べたら無いに等しいぐらいだ。
やがて少し土が盛ってある畦道以外は全て水に浸かり、プラセン軍の兵士もほぼ全員が水の中を進んだり濡れた裾や靴を引きずって歩くような格好となった。
馬鹿にしつつも結局のところ水浸しの道を歩くのは大変な労力が必要なわけで、必然的に進軍速度は落ちる。
もうムルザ攻撃の予定時間は過ぎていたが、妨害工作もあって未だに辿り着けずにいた。
そして、戦局を一転させる出来事が起きる。
「火だ…」
「火だ!おい!水の上を火が!」
それは異様な光景だった。水の上を滑るようにして、火が襲ってくる。
ペイルが立てた作戦とは、プラセン軍をわざとこの捨て田に誘い込み、オレウムで取ってきた油を混ぜた水を引き込む。堰を閉めた後にその油に着火すれば文字通りこの田んぼは火の海となり、逃げられるとすれば畦道か街道しか無くそこさえ守るのならば少数兵力でも十分対抗し得る。というものだった。
猛然と襲ってきた火は次々とプラセン軍を飲み込んでいく。それは油を含んだ水を吸った服にも引火し、兵士の軍服を、皮膚を、そして戦意をも焼いていった。
「お、俺はもう嫌だ!」
「そうだ!こんな所でむざむざ死にたかない!」
水の上を火が走るという異常な状況に先程までの余裕は雰囲気は即座に消し飛び、徐々に脱走する兵士が出てきた。焼け焦げた、辛うじて軍服とわかるそれを体に引っ掛けて逃げる様は、敗残兵と言う他無い。
中には軍服を脱ぎ捨てて果敢に進む兵士もいたが、所詮まともに歩ける道は畦道しか無い。その畦道も中には油を撒いたりして燃え盛っているものもあり、右往左往するうちに必然的にオトポールの兵が待ち伏せしている場所に出るように仕掛けられていた。
「来たぞ!撃て撃て!」
号令の下で、オトポールの兵士達がプラセン軍に攻撃する。オトポール側も一応銃などは所持していたが数は少ない。その他に大した武器も無く、速射の出来ない古い銃から弓矢、投石機まで混ざっている何でもありの攻撃だが、それでも弱っているプラセン軍には強力な攻撃となり得た。
轟々と燃え盛る戦場を抜けてきたプラセン軍の兵士に次々と弾丸が、弓が、石が襲い掛かる。元より動力革命により剣や弓を使った近接戦闘が廃れた今、わざわざ動きにくい鎧などを着ている兵士がいるわけも無く、その柔らかい身体に次々と穴を穿ち命を吸い出していった。
ややあって、遂にプラセン軍が撤退を始めた。既に指揮系統は崩壊しており、隊長の姿は前線には無い。誰が命令したわけでも無く、皆が生き残る事を求めて行軍してきた丘陵を目指して走っていく。
「奴ら戻っていくぞ!」
「勝った!ムルザを守り抜いたんだ!」
ムルザの町とオトポールの兵の歓喜を聞きながら、ペイルは1人、険しい顔で戦場を見ていた。
ー結局、俺は人を殺すのか。輜重隊は生かす事が出来たが、こればかりは…
「どうしたんだ大将、嬉しくないのか?」
1人の兵士がそう話しかける。ペイルは振り向かずに答えた。
「後であの場所に行ってみろ。そこで戦争を知るといい」
その迫力に気圧されたのか、兵士は不思議そうな顔をしながらも仲間の輪に戻っていった。彼らが幾重にも折り重なった焼け焦げた肢体を見て、言葉にならない言葉をあげるのはそう遠い話では無い。
*
数日後、ムルザに衝撃的な知らせがもたらされた。
「またプラセン軍が動いたって?」
「そのようです。ただこのムルザをまた攻撃する、といった様子ではありません」
オールムが部下の報告を難しい顔をして聞いていた。再び動く事があれば、それはもう一度ムルザを攻撃する事かと思っていたがそうではないらしい。
「どこへ向かっているかわかるか?」
「は、どうも南のスレト関に向かったそうです」
「スレトか。わかった、ありがとう」
その報告を受けて部隊長とペイルが招集される。
「軍が今度はスレト関に向かっているらしい」
ペイルがそう言うと、他の3人の部隊長は一斉に得心の表情を浮かべた。
「ムルザが駄目ならスレトか、順当だな」
カランの言葉に他の3人も頷く。実際突然ヤンビャンから送られてきた手紙にはムルザを落とした後は、そこを前線基地として本格的にオレウムへの侵攻に移るとあった。
「スレト関ってどこなんだ」
「国の南の海沿いにあって、この国が二分する前はオレウム手前の関所として栄えた町だ。今は無人らしいがな」
「ここからどのくらい離れてる」
「歩いたら3日はかかるな」
オールムの説明に尋ねたペイルは考える。もしこの町を再び攻撃するのであれば、いくらなんでも遠すぎる。
そんな中、突如1人の兵士が駆け込んできた。
「至急!至急です!」
「何事だ!」
兵士は姿勢を正し一礼すると、懐から1枚の紙を出した。
「マレス-ナトより鳩便、二重赤線です!」
その言葉に部隊長は一斉に顔を強張らせた。オトポールとマレス-ナトとの間で交わされる伝書鳩を用いた文書において、二重赤線とは緊急事態を表す。
「それでなんと?」
「は、『マレス-ナト国軍は本日をもって、オレウムへの侵攻を開始した。オトポールについては、可能な限りプラセン国軍の目をヤンビャンに向けさせて頂きたく思う』以上です!」
誰もが閉口した。マレス‐ナトもオレウムに侵攻する、それはオレウムで両国間での戦争が始まることを意味する。そしてオトポールにはヤンビャンに行けと言う。つまり"我々の為にヤンビャンで戦え"という事だ。
「ナトがオレウムを攻めるか、国力の差は圧倒的だと言うのに…いや、俺はこういった国家間の駆け引きはわからん。ペイルはどう見る?」
カランがそう言うとペイルも重い口を開く。
「結局は資源だと言う事だ。確かにあの地に眠る油を手に入れる事が出来れば、国際的に力を誇示できるしそれは発言力にも繋がる。だが情勢を見ればプラセン共和国軍の方が圧倒的優勢だし、いくら周辺国がナトを支持しようと負け戦と分かっている戦いに派兵しようなんて国も無い筈だ。共倒れしたら勝ったプラセン共和国から何を言われるかわからんしな」
「だとして、何故俺達にヤンビャンを攻めろと言うんだ」
「鳩便通りだ。国内で内戦状態を起こせば、党はそちらの処理にも追われる。オレウムでの戦争、ヤンビャンでの内戦。その両方を的確に捌ける有能な将が、果たして党にいるかな?」
ペイルの含みを持たせた言い方にオールムの目が光った。
「つまり、ペイルとしてはヤンビャンを攻めるのは今だと」
「そうだ。全力で叩いて最大の効果をあげられるのは今しか無いと思う。勿論ナトと連絡を取り、向こうが一大攻勢に出たのを見計らってこちらも動かなければならないがな」
「成る程、ではそのようにナトに返事をしよう。カラン、クィルツ、ナレス、兵を再び参集させろ。忙しくなるぞ」
3人の部隊長は力強く頷く。誰もが直感的に理解していた。この戦いこそが、プラセン共和国の一党独裁体制に楔を打ち込む絶好の機会だと。
*
「フュリアス様、あちらは何と?」
「こちらが一気に動く機会を見計らって、ヤンビャンに攻め入るとの事だ。しかも貴族街まで侵入すると言っている」
マレス-ナト民国の首都、ハークルの屋敷で、民国議会議長のフュリアス・ハイルと国軍総司令官のマイス・ハンドリヒが会談を行っていた。内容はもっぱら、オレウム侵攻とそれに呼応して動くよう要請したオトポールの事だ。
「その言い方だと彼らは貴族街に侵入出来る算段が立ったのでしょうか」
「らしいな。実際、こんな物まで送ってきた」
そう言ってフュリアスは、オトポールから帰ってきた鳩便に一緒に括られていた紙を見せた。それはヤンビャンから送られてきた花瓶に同封されていた手紙の書き写しだった。
「これは…!」
「信憑性は五分と書いていたが、現にその内容通りプラセン軍は動いている。近日中には本格的にオレウムに入ってくるだろう。こちらもこの時期に動いて正解だったわけだ」
フュリアスの言葉を聞きながらもマイスはその手紙を舐めるように読んでいた。戦争において敵軍の動きが分かるという事は、たとえ兵力差が大きかったとしても十分な勝機をもたらす。軍にとって喉から手が出るほど欲しい情報なのだ。
「さて彼らに応える為にも、マイス。計画をプラセンの目を一気に引きつける程、今よりも派手なものに出来るか」
フュリアス言葉の意味を汲んでマイスが考える。
「元よりプラセン共和国からの併合を退け建国当初の混乱に乗じて第三国に攻められない為に設立された我が軍ですが、所詮兵力と言えば自衛力程度。いくらリハルト公国からの武器供与があるとは言え、なかなかこれ以上の戦力拡大は…」
「それこそ持久戦でも虚仮脅しでも何でもいい、敵の目をオレウムに引き付けるのだ。彼らが上手くヤンビャンで立ち回る事が出来れば、プラセン共和国としてはオレウムばかりに構ってもいられなくなる。そうなれば結果的にこちらの戦局も好転する筈だ」
その後も少しばかり今後の予定を話し、2人は別れた。既に戦争という名の賽は投げられ、自国の兵を死地に送り出す決定をしたのだ。その賽のどの目が出るか、それは各々の最善を尽くしてこそわかると自らを納得させて。
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