ムルザ防衛戦
「ありがとうね、フレイヤ」
そう言ってラグナはぐっと首をもたげたフレイヤの首を撫でると、すぐに解放した。フレイヤは一啼きすると力強く西の山脈へと飛んで行った。彼処は白露山脈、一際高く聳える山の名をマレス山と呼ぶ。
今頃は文を落としていった街の衆が、指定された場所に積み上がった穀物の箱を見て驚いているだろう。
ラグナの考えた作戦は単純にして分かりやすく、それでいてオトポールの部隊長を驚かせるものだった。
自らの盟友たるフレイヤの力を借り、イグナス軍からウィルとメルを救い出した時と同じように空から睡眠魔法をかける。そうして全員眠らせたうちに運ばれる穀物を奪い、離れた場所に置いてくる。
終わったら集積所のある街や近隣の街に穀物を置いた大体の場所を記した文を投下し、これを取りに行かせる。いたって単純だ。
竜だの何だのと言うのは当然伝説の存在でありオールム達は作戦に対しては懐疑的だったが、ペイルの説得とラグナが実際にいくつか魔法を実演してみたりして最終的には納得したのだ。
そうして夜の郊外で念の為に持ってきた竜魂石入りのペンダントを使ってフレイヤを呼び、空からいくつかの列車を襲ったというわけだ。
勿論魔法戦においては、防御魔法を展開すれば睡眠魔法など簡単に防御出来る。だがこの科学による平等を謳うプラセン共和国において魔法による襲撃など想定している筈も無く、いとも簡単にラグナの単独作戦は成功に終わった。
だが当然党にとっては失態もいいとこだ。まだ徴税の穀物が何者かに奪われたという事は徴税を担当する部署と一部の党幹部しか知らなかったが、これが大々的に世間に広まっては党への信頼の低下に繋がる。ムルザやオレウムへの侵攻を控えたこの時分にそれはまずい。
なので党は揉み消す事にした。襲われた列車に乗っていた者は文官から兵士から公務官から、そして機関士に至るまで全員が口封じの為に投獄された。
そしてその一方では当該の貨車を調べたりと、何としても列車を襲った犯人を捕まえようと躍起になっていた。
そして貴族街に住むリンゼンに襲撃の話が耳に入ったのは、それから3日後のことだった。
「…というか不思議な事があったそうですよ。全く油断も隙も無いものです」
護衛の兵士がそう軽い口調で言う。いくら緘口令を敷こうと皆が喋らないというのも不可能であるし、当然徐々にそういった噂は広がる。そしてこの兵士、噂話が大好きなクチだった。
「その眠らされた人達は健康面に問題は無かったのか?」
リンゼンがそう聞き返すと兵士は少し考えて答える。
「いえ、これも聞いた話ですけど誰も病を患っていたり健康的に問題のある人はいなかったそうですよ。前日までの睡眠時間も十分だったとか」
そんな事まで噂として広がっているのはいささか統制に問題があるのではないか、と内心で思ったのはさておき、リンゼンは適当に相槌を打つ。
だがリンゼンの胸中には、犯人が誰かはともかくどうやって眠らされたかの検討は付いていた。
ー魔法しか無い。党に敵対する勢力に魔法が使える人間がいるとしか思えない。しかしこの国は魔法を嫌い排除した国、誰がどうやって…そしてこれを誰に伝えるべきか…
「あれは魔法によるものだと?そんな筈が無かろう」
結局リンゼンは自らをプラセン共和国へと誘ったアイヒにその事を告げた。
「しかしそんな風に突然人を眠らせるなど、魔法以外に思いつかない」
「敵に魔法を使えるヤツがいるとでも言いたいのか」
「そうだ」
リンゼンが断言するとアイヒは軽く笑った。
「あり得ない、とだけ言っておこう。説明したから分かってるとは思うが、確かに今でも稀に生まれながらに魔法が使える子供もいる。だがそういう子供は党にある"暗隊"と呼ばれる秘密部隊が見つけ出し、5歳になった年に攫ってくる。ここまではわかるな?」
リンゼンは無言で頷く。確かにそんな話をされた記憶がある。
「攫ってきた子供達は大概がヤンビャン以外の街に生まれた子供、即ち飢えている。そこに潤沢な食べ物と徹底した思想教育、そうして党への忠誠を揺るぎない物とし、魔法技術を磨き上げたうえで"暗隊"の一員へと仕立て上げる。これまで魔法が使える子供の唯の1人の取り逃がしも無い」
「つまるところその暗隊以外にこの国に魔法を使える者はいないと言いたいのだろうが、だがこれでも魔法を生活の供として暮らしてきた一族として言わせてもらう。そんな事が出来るのは強大な体内保有魔力を有し、かつ魔法の使いに長けた者でしか出来ない。睡眠魔法は難しい部類にあたるからな」
リンゼンがそう言うとアイヒは暫し俯き考え、やがて口を開く。
「…わかった。私から作戦参謀のスィミル中佐に進言しておこう」
そう言ってアイヒは部屋を出ると、真っすぐ大統領府の軍作戦室に向かった。
*
数日後、ヤンビャンの貨物駅近くの広場には、プラセン軍総勢5000人からなるムルザ攻撃隊が整然と並んでいた。
「諸君!近い将来、我々は大きな勝利を得ることになる。そしてこの戦いはその前哨戦、我らの永久の栄光に最初の花を飾るものだ。プラセン軍万歳!ユールス様万歳!」
攻撃隊の隊長の宣言と共に民衆からは万雷の拍手が、兵士達からは「万歳!」の叫び声が飛んだ。
やがて喇叭の音と共に専用の列車が駅に滑り込む。士官以上の兵士は客車に、下士官や一兵卒の兵士は貨車にそれぞれ乗り込む。勿論1本の列車だけでは5000人も運べないのでその後の何本かに分かれて郊外の定められた地点まで行くのだが、何事も最初は高らかに行うものだ。
党としては先日のオトポールが起こしたヤンビャンでの騒ぎ及び、その騒ぎの後の求心力の低下を、本格的なオトポールの壊滅をもって精算しようと考えていた。オトポールを徹底的な悪に仕立て上げ、その掃討の為の攻撃が誤って民間人をも巻き添えにしてしまった。全ての元凶であるオトポールはこの通り全滅させたので安心して欲しい。という筋書きだ。
そして来たるオレウム侵攻の為にもムルザは潰しておかなければならない、と言うのが軍の共通認識だ。国境付近に鉄道で行けるのはムルザまで、そこからは徒歩での進軍となる。そうなると必然、前哨基地はムルザとなりオトポールから妨害を受ける可能性を排除しておくのはそもそもの作戦の根幹なのだ。
この一連の作戦は軍や党にとっても大事なので、今後の全体の大まかな流れ。何日に誰が率いるどの部隊がどこに行くなどの情報は様々は場所に共有されている。それは勿論、特殊部隊である暗隊も同じくだ。
その暗隊に稀代の天才と呼ばれる男がいる、名をクルセ・ニガルス。他の十余名と同じく5歳の時に親元から引き剥がされ、このヤンビャンで訓練を受けてきた。火の魔法を得意とするクルセはその才能をめきめきと上達させ、若くして暗隊の2つの小隊の片方の隊長を任されていた。
暗隊の小隊長という地位は普通のプラセン軍で言えば少佐と肩を並べる程であり、そこらの兵士以上に細かい情報を手に入れる事が出来る。肩書は信用に等しい、素性はともかくもだ。
暗隊はムルザやその後のオレウム侵攻には参戦しない予定ではあったが、クルセは軍の詳細な動きの書かれた複写を資料として手に入れていた。最初から勝ち戦と決まっているようなムルザ侵攻で軍部全体が浮ついている中で、クルセは貴族街にある自宅の書斎で複写をさらに簡略化したものを紙に書いていた。
やがてそれを書き終えるとその紙を便箋に入れ、自らの足でヤンビャン中心の貨物駅へ向かった。ヤンビャンと他の街との間で貨物の行き来は少ないが全く無いわけではない。
「送る荷物に入れ忘れてたモノがあったんだ」
そう言いながら階級を示す軍隊手帳を見せて、易々と貨物駅の構内へと入る。ムルザ方面に向かう貨物の中から自分が昨日に頼んでおいた荷物を見つけると、便箋をその中に忍ばせた。そうして何事も無かったかのように駅を出て自宅に戻る。
貴族街ではいよいよ始まる大規模な作戦に誰しもが高揚していた。
「我がプラセン共和国が負ける筈が無い」
「オトポールなど一族郎党根絶やしにしてしまえばいいのだ」
そんな会話をしていた官僚と思しき2人組の隣を通った時、クルセは誰にも聞こえない程小さな声で呟いた。
「そう簡単にいくと思うな」
*
翌日、ムルザ侵攻軍が郊外に前線基地を設営している頃、朝イチのヤンビャンからの列車からムルザの町長宛の奇妙な荷物が届いた。
「なんじゃこりゃ、差出人も書いてないし…まさか爆弾とかじゃないだろうな」
そんな事をぶつぶつ言いながら恐る恐る封を開くと、中には小ぶりな花瓶が入っていた。
「花瓶?このご時世に調度品なんて誰が…ん?」
そこで町長は荷物の中に1つ、便箋が入っているのに気が付いた。
自分宛の荷物に入っているのだから自分に向けてのものだろうと封を開けたが、読んでいるうちに顔色が変わっていくのを自覚した。
「こりゃあ…大変だ。すぐにオトポールに伝えなければ」
町長はすぐにオトポールの拠点となっている家に向かい、たまたまそこにいた部隊長のクィルツに手紙を見せた。
「いつこれが?」
「ついさっきです。ヤンビャンからの朝イチの列車で届いたとか…」
「…わかった、他の部隊長とも相談して対処を決める。決まり次第町長にも伝えるから少し待っててくれ」
そう言うとクィルツは便箋を持って他の部隊長の元へと向かった。
数刻後、暫定的にそのまま本部として使っている元々のローランドの家には、もう何度目かわからない4人の部隊長とペイル、そしてラグナが招集されていた。
「これが件の手紙だ。今朝、町長から届いたらしい」
そう言ってクィルツが紙を机の上に置く。
「信頼出来るのか?」
オールムがそう言うと、クィルツは首を縦に振った。
「何故だ」
「読んでみろ。特に最後の1行だ」
そう言って他の5人は手紙に目を落とす。そこには今後のプラセン軍の行動予定や規模などが簡単に書かれていた。そして最後にこう書き加えられている。
「カルス・リルケーは生きている。か…」
ぽつりと呟いた言葉が、まるで胸の内に染み入るようだった。助けに行こう行こうと思いながら未だに助けに行けていない同士。既に死んでいるかもしれないという諦めにも似た感情があった中で、その一文はオールム達の心に深く染み入った。
「そうなるとこれは、間違いなく党の側の誰かからの物だ。しかし…誰が何の為に?」
オールムのその疑問に答えられる者は誰もいなかった。
「とりあえず、これを信用するのならば明日か明後日のうちにムルザに押し寄せるプラセン軍の迎撃だ。今から兵の準備は大変だが、出来るか?」
オールムがそう言って他の部隊長を見回す。そうするとナレスが声を上げた。
「兵の準備は何とかするわ。でも住んでる人達はどうするの?明日か明後日に来るならだいぶプラセン軍は近くまで来てる筈だし、避難と言っても派手に移動させたら必ず見つかるわ」
「そうなると秘密裏に避難させるかあるいは…」
そこまで言ってオールムは押し黙ったが、その後に続く言葉は想像に難くない。
攻め入る国軍に応戦するのだ。
だが応戦すると言ってもろくな武器も無く人員もいない。幸いにしてヤンビャンに攻め入る為に普段より多めのオトポールの兵がムルザにはいたが、それでもせいぜい300名と言った所だ。便箋に記されたムルザ攻撃軍は5000名、到底勝ち目は無い。
「結局、小規模な軍が大規模な軍を相手にする場合は遊撃戦をやるのが最も効率的だ。前にヤンビャンでやったように罠も大量に仕掛けてな」
ペイルがそう言うとカランが頷く。カランは実際そうしてヤンビャンの守備隊と対峙し、勝利と言ってもいい程の戦果を得ている。
「無理に勝とうとせず、相手の戦意を徹底的に挫く事。その為には意地だの誇りだのに惑わされず、ひたすら合理的に最小の労力で最大の効果を上げる事のみを考えるべきだ。この辺に森はあるか?」
「ムルザからヤンビャンの方面に少し行った場所に大きな森や丘陵がある。そんなに高くない丘だから鉄道や街道は坂道や木を切り拓いたりしてそこを抜けてくる場所だ」
カランの説明に、ムルザに来た時の車窓を思い出す。確かにそこそこ長い時間森の中を走っていたし、坂が急なのか何度か止まりそうなぐらい汽車の速度が落ちていた。
「もしその場所を迂回するとすれば?」
「ここを攻め入る気なら非効率的だな。かなり南北に迂回しなければならない」
「ならば決まりだ。まずその隧道を潰し、鉄道でこの町に来れなくする。そうなれば敵はそれこそ意地の塊、必ずその森を正面突破してくるだろう。そこで迎撃して足止めし、その間に他の町に散った兵を搔き集めるしか無い」
作戦方針が決まると、隧道を埋める要員の他は罠の準備に取り掛かる。よく使っている火炎瓶などもムルザでは瓶がそもそも手に入りにくい為、獣の皮で作った容器で代用したりと手間がかかる。
「オレウムはここから近いんだよな?黒い…油が採れる場所はあるか」
ペイルがそう言うとオールムは訝しげな目を向けた。
「あぁ、半日もあれば往復出来る。油もあった気がするな。だがそれがどうした」
「町の衆にも手伝ってもらって大量に汲んできて欲しいんだ。敵より有利なのは、この油を使えるという一点のみだからな」
*
翌々日未明のまだ夜の白む前、ムルザから少し離れた森にムルザ攻撃隊の姿があった。鉄道を使ってここまで来たが隧道が使えないとの連絡が入り、急遽隧道手前の森の入口に布陣したのだ。
「全く連中め、姑息な真似をしおるわ」
攻撃隊の隊長はそう呟くと、これから超えなければならない鬱蒼とした森の広がる丘陵を見る。そうは言っても街道はしっかり整備されているし、特段困難というわけでも無い。そもそも鉄道が使えない時点で情報が漏れている事を疑うべきなのだが、それに気付く者は誰もいなかった。
まず斥候が丘陵を越え、進路の安全を確保する。3人1組の斥候兵は馬なら1時間もあれば往復出来るその丘陵を軽々と越えていった。
ペイルはこの斥候は見逃すように命じていた。プラセン軍がどのような指揮形態なのかは判然としないが、斥候にそこまで大軍で行く筈も無く、少数なら十分に制圧出来ると考えていたからだ。
そんな思惑も知らず斥候達は無事に森を抜けムルザの町を認めると、すぐに今来た道を引き返していく。
「我が軍の進路に異常は認められません!」
「わかった。下がって良し」
斥候の報告を聞くまでも無く、攻撃隊は皆浮き足立っていた。
当初の予定より長い進軍になるが、それでも戦う場所は敵の本拠地であるムルザだ。敵の本拠地まで来れているという時点で自分達が優位だという事である。
その上彼我の兵力差は歴然であり、どう贔屓目に見てもプラセン軍が負ける事は無い。皆がそう思っていた。
しかしその思惑は、丘陵の中腹まで来た頃に打ち破られる。
ムルザへと続く街道を進軍する攻撃隊に最初の一報が入ったのは、丘陵の半分くらいに差し掛かった森の中だった。
「伝令!最後尾の輜重隊に襲撃!」
「何だと!?」
その言葉に隊長は驚き、同時にこの場所で襲撃される事への恐怖を感じた。
街道とは言え決して広い道では無い。必然的に攻撃隊は細く長い陣形を組む事を強要される。勿論敵の襲撃が無い事が前提ならば全く問題は無いが、襲撃があるとその陣形は非常に不利だ。
「こんな所で襲撃…情報が漏れていたのか?とにかく応戦しろ!後部の兵を向かわせ応戦するんだ!」
そう指示をしたのも束の間、今度は前方から騒々しい音が聞こえてきた。
「何事だ!」
「前方にも敵がいます!挟み撃ちです!」
隊長は一瞬頭が真っ白になった気がした。そもそもこの丘陵を通る事自体が予定外なのに、挟撃される事など全く考えていない。本来ならば鉄道の隧道が使えず丘陵を通る事を余儀無くされた時点で、一旦ヤンビャンに戻り体制を立て直すべきだった。しかし功を急ぐ気持ちと油断が相まって、絶望的な状況を生み出してしまったというわけだ。
「これでは進軍も撤退も出来ないではないか…!」
「前方の敵の方が攻撃が手薄いとの事です!」
悩む隊長にその報告は、まさに突破口だった。
「よし、ならばこのまま進軍だ。一気に敵を打ち破り、ムルザへなだれ込め!」
隊長はこうなって尚、心の内ではオトポールの事をロクに統制も取れない烏合の衆程度に思っていた。それは隊の兵士達も同じで、予期せぬ襲撃に一瞬たじろぎはしたものの隊長の号令の下で進軍していった。
そうして攻撃隊が徐々にムルザへ近づいて来る事は、逐一ペイルの耳に入っていた。オールム達4人の部隊長は、それぞれ兵を率いて戦っている。攻撃隊を挟撃しているのはクィルツ隊だ。
ペイルはと言えば、町外れに司令基地を置き、そこで参謀さながらに各隊に指揮を出していた。
「敵は間もなく森を出るとの事です」
そう連絡の兵が言うと、ペイルはほくそ笑んだ。
「あくまで引く気は無い訳だ。ならこちらも第二段階だ。ナレス隊に連絡、手筈通りに敵を痛めつけてやれ」
そう言うと連絡の兵は一礼して去っていく。作戦は次の段階に入った、攻撃隊を待ち受ける嫌がらせのような攻撃はまだまだ続く。
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