第八バビレーヨ〔カルスの生い立ち〕
その日、カルスの両親は畑仕事を近所の人に頼んで、赤子を連れて汽車でヤンビャンへ向かっていた。
プラセン共和国ではヤンビャン以外の街は等しく貧しい。ヤンビャンを維持する為の巨大な畑と言っても差し支えないほど、農作物を作っては搾取され続けているのが現状だ。
だがそんな所でも男女の営みがあり新たな命が産まれる。もっともそれは党の政策にある"新たな子供が産まれヤンビャンに赴き国民登録をした家庭及びその親類には、3年分の徴税の税率を減免し、かつ祝金を授ける。また往復に鉄道を用いる際には、それを党が保証する"というものの為であるというのも大きい。
徴税の減免は、マルカラーノ達にとっては非常に大きい。ましてやそれが本人達だけではなく親類にも及ぶとなれば尚更だ。
そんなわけでマルカラーノ達は農作業の間に子育てをする家庭も多い。しかし減免は3年までであり、子供が3歳を迎えた頃からは子供共々、食べ物に困る生活となる。
そこでもう1人子供が産まれたり、あるいは上手く他の親類に子供が産まれたならばその子供はあまり困る事なく育ち、そうでなければ栄養失調で斃れていく。
ヤンビャンに着いてからは市民局に赴き、新しく産まれた子供の名前を国民として登録する。
女の子である。カルス性の両親に名前はリルケー、3人目の子供で次女だった。3人目とはいえ1人目の長女は産まれて早々に死んでしまったので、実質は2人目だ。
さておきリルケーはすくすくと育ち、3歳になった頃にちょうど親戚に子供が生まれたおかげで食べるものにも困る程の困窮した生活を送らずに5歳になった。
*
「おかあさん、あのね、メルズが居なくなっちゃったの」
5歳になって少しした頃、近くに住んでいた友達のメルズと遊ぶと言って家を出たリルケーはそう言って帰ってきた。
「メルズくんが?昨日も遊んでたんでしょ?」
「うん。だから今日もと思ってメルズのおうちに行ったんだけど、おかあさんが出てきて『メルズは居なくなっちゃったのよ』って…」
リルケーがそう言うと、母は何かを察したのか急に真顔になってリルケーの両肩に手を置いた。
「ねぇ、メルズくんは何か不思議な事が出来たりしなかった?」
「え?それは…」
「いいから」
母の剣幕に押されて、リルケーはぽつりぽつりと語る。
「メルズは…何もないところから火を出したりするのが得意だったの。熱くないの?って聞いたら、不思議と大丈夫だって」
「リルケー、よく聞きなさい。もうメルズくんは帰ってこないわ、リルケーも忘れなさい」
「どうして…どうして!?探しに行かなくちゃ!」
「駄目よ、絶対に駄目!忘れなさい」
あまりの剣幕にリルケーはそれ以上言うのをやめた。5歳の子供にとって親の言う事は絶対に等しく、それ以上に幼心に何か触れてはいけないモノを感じ取っていた。
*
10歳を過ぎて色々と分別が付いてくると、段々と自分が住んでいる国の歪んだ現状が理解できてきた。
友達のメルズは帰ってこないし、それ以降もごく稀に5歳ぐらいの子供がいなくなったという話を聞いた。毎年フィソウム(11月)の終わりに首都であるヤンビャンからやってくる徴税人は、両親や親戚、友達の家を回って大変な思いをして育てた農作物を奪っていく。
ある時やりきれなくなって親に「どうして黙って持って行かせちゃうの?」と聞いたら、それはもう自分達にもどうしようもない事だと言われた。
その頃からリルケーは何とかしてこの差別をどうにか出来ないかと考えるようになった。それは一見すれば少年少女によくある正義感から来たものかもしれないが、ともかくもリルケーは絶対にこんな理不尽をどうにかしたいと考えるようになった。
15歳を迎えた頃には親の農作業を手伝いつつも、その足は自ずとプラセン自由同盟へと向かっていた。親は何も言わなかった、それどころかどこからかオトポールの会合の日などを聞きつけリルケーに励ましの声を掛けていた。
ヤンビャン以外に住む国民は普通は現状に不満を抱きつつも、歳を取るにつれてどこかその搾取される現状に諦めの感情が生まれ、いかに明日を生きていくかだけを考えるようになる。抵抗は無駄だといつかどこかで悟るからだ。
しかしリルケーは違った。オトポールとして活動するようになって、リルケーはこの国の歪んだ現状をこれまで以上に認識していた。結局のところ徴税の際に兵士達が言う「ユールス様の為に捧げよ」とか言う中の、ユールスと言う人がこの国の最高権力者であり労働者党という組織が実権を握ってやりたい放題やっている。自分や親や親戚や友達が必死に育てた作物を一方的に奪い取り、ただただ消費している。その事がどうしても許せなかった。
そしてリルケーはどうしてもメルズの事が忘れられなかった。初めて親しくなった異性の友達というのもあるのか、あるいはそれは幼心ながらに抱いていた友達以上の何かなのかそれはリルケー自身にもわからない。
だが一緒に遊んで泥だらけになって転げ回って、別れ際に男衆がやっていたようにげんこつを突き合わせた事など何年経っても鮮明に思い出せる程だ。
一緒に作った花飾りは隧道の出入口を兼ねた自宅に飾っていたが、党に連行されてからどうなったかはわからない。
*
鈍い金属音がして回想から覚めた。
ここは独房の中、先日の裁判と言う名の何かで死刑を言い渡された後にカルスは再び教化所に戻された。まさに文字通り"死ぬまで働け"と言う事だ。
ふと仕事場に掲げられている標語を思い出して一人苦笑した。
ー"働けば解放される"か、結局解放なんてされないじゃない。
もう一度鈍い金属音と共に、独房の壁の下にある穴から夕餉となる食事が滑り込まれてくる。
丸1日ぶっ通しで働かされた身は暖かいものを欲しているが、そんな物は当然出ない。お世辞にも美味しいとは言えない雑穀と汁物をささっと食べて、硬い寝具に横になる。
季節が季節なので夜にもなるとそこそこ冷えるのだが、薄い毛布が1枚あるだけで底冷えする床には敵わない。だが無いよりマシだと薄汚れた毛布にくるまって目を瞑った。
凶作の年などは売れるモノは片っ端から売って食べ物に変えたので、真冬の日に藁を被って寝た事もある。それに比べれば遥かにマシと言うものだ。
そんな事を考えながら、カルスは再び回想を始めた。
*
正式にオトポールの一員となってからは、かなり精力的に活動していた。
ちょうど新しいヤンビャンへの秘密隧道を掘っている最中で、掘削などの力仕事は男衆がやったもののリルケー達女衆も裏方の仕事を手伝い、隧道が完成した時には男も女も無く抱き合って喜んだ程だ。
「この言葉、どういう意味なんですか?」
リルケーはそう言いながら、作ったビラに大きく書いてあった『すべて国民は"平等ではない"という唯一点において平等である』という所を指差した。
「労働者党は"平等"を宣伝しているでしょ?」
その場にいた、当時は一兵士に過ぎなかったナレスが答える。
「そうですね」
「元々昔のこの国は、隣のマレス-ナト民国と一緒だったって事は知ってる?」
それは当時のリルケーは知らなかった。当然ヤンビャン以外の農村に初等教育を受けられる場所などあるはずも無く、これもまた"ユールス様の慈悲"で与えられた党の宣伝が盛りに盛られた教育書があるだけだ。簡単な読み書き計算は親が教えるのが慣例だが、流石に歴史までは誰も教えてくれない。
「いえ…初耳です。その隣の国の名前も最近まで知らなかったので…」
「そうよね、私もオトポールに参加して初めて知ったもの。でもそうなのよ。魔法の存在はわかる?」
「はい、多少は。目に見えない不思議な力と言うか何と言うか…」
「今みたいになんでも科学技術がどうこう言う前は、みんな魔法が使えて魔法で国が成り立っていたんだって」
ナレスの言葉にリルケーは驚いたが、ナレスは滔々と喋り続ける。
「でも魔法もいっぱい使える人と使えない人がいて、その不公平を無くそうって言ったのが今の労働者党なのだそうよ。それで魔法を使い続けようって人達と戦って、国が2つに分けられて出来たのがこのプラセン共和国なのよ」
「それだと…マレス-ナトはまだ魔法を使っているのですか?」
「鋭いわね。その通り、マレス-ナト民国はまだまだ魔法を使い続けているわ」
そこまで聞いてリルケーはある事を思い出した。
「この国にも魔法を使える人は生まれないのですか?」
「生まれるみたいね。でもその子供達はみんな、5歳ぐらいになると忽然と姿を消すらしいのよ」
そう、忘れもしないメルズの事だ。薄々察してはいたが、やはりメルズは党に連れ去られたと見て間違いないらしい。
「その…連れ去られた子供はどうなるんですか?」
「さぁね、党にとっては魔法が使える人は忌むべき敵みたいだから、秘密裏に消されてるか…って、どうしたの?」
「え?」
リルケーは知らずのうちに涙を流していたらしい。それには本人が一番驚いたが、幼い頃にそんな友達がいたと言う事を話すとナレスも納得したように頷いた。
「成る程ねぇ…魔法が使えた幼馴染か、確かに親御さんの言う事もわかるよ。私が同じ立場ならやっぱりそう言ってたもの」
「そうですが…」
「諦めきれないんでしょ?」
「はい」
リルケーは躊躇い無く頷いた。ヤンビャンへ幾度となく侵入し宣伝のビラを撒いたりしているけど、最近の目的はメルズを探す為だと言ってもいいほどだ。
「わかった。正直私もオトポールとして参加して長いけど、連れ去られた子供がどうなったかって全く分からないのよ。でも何か情報があったら、真っ先に貴女に伝えるわ」
「ありがとうございます!」
「それとね」
そう言ってナレスは言葉を切った。
「マレス‐ナトに行ってみない?」
*
それから3年後、18歳になったリルケーは他のオトポールの同士数人とマレス‐ナト民国へと足を運んでいた。
勿論密出国であり、万が一国境警備隊にでも見つかったら命は無い。しかし2国間でどちらの領土か決められていないオレウムと呼ばれる場所があるらしく、そこにさえ入ってしまえば大丈夫なのだと言う。もしそこでプラセン共和国の国境警備隊が警察行動を取れば、マレス‐ナト民国からすれば暗にプラセン共和国が『オレウムは自分の領地だ』と主張しているようなものだとも取れるから、無意味な外交問題を避ける為にも間違いなく手は出してこない。と、ナレスが語ったが正直リルケーにとっては半分も理解できていない。
何より、名前しか知らない自由な国と言われる隣国に行けると言うのが楽しみで仕方なかった。オトポールはその隣国から色々と支援を受けているらしく、今回はその調整やら話し合いの為に行くのだという。なのでリルケーはおまけというわけで、現地では自由に動いて良いとも言われている。
ナレスを含めた他の数名の同志と共に郊外のムルザという街に着くと、いよいよ本番である。
地道な努力の元に得た国境警備隊の監視網の穴を潜り抜け、野生の獣のように音も立てずにオレウムを目指す。
途中で何度か気付かれそうになった時もあったが、その都度他の同士が少し離れた所に素早く移動し様々な動物の鳴き真似をして気を逸らせる。まさに綱渡りを繰り返して、とうとうオレウムとを隔てる柵のところまで来た。
「いいか、柵には絶対触るな。電気が流れていて感電するからな」
そうここまで隊を率いてきた長が注意をする。電気というものをヤンビャンの目抜き通りにある電灯ぐらいでしか知らないリルケーにはいまいち、電気の何が危険なのかが分からなかったが周りの大人達が神妙な顔をして頷いていたので従うことにした。気にならないわけではないが、独断で動く事が危険な事ぐらい承知している。
柵の高さは背丈以上だったがそこはオトポールもさるものながらしっかり地下に隧道を掘ってあり、長が見つからないように隠された入口の扉を開けると、まるで地面が急に開いたような錯覚を覚えてリルケーは内心で驚いた。
*
夜通し歩いて日を跨ぎ跨ぎ、3日目のすっかり暗くなった頃にようやくマレス-ナト民国への国境へと辿り着いた。そして国境の街で小休止した後に再び歩き続けて、目的地の首都ハークルに着いたのは4日目の朝だった。
殆どが男の中で女性はリルケーとナレスのみであり、ナレスは何度か来ているようで慣れた顔をしていたが、リルケーは全身痛くて堪らない。
「大丈夫?死にそうな顔してるけど」
見かねたナレスがそう声を掛けると、まさにそんな顔をして「大丈夫…じゃないです」と返事をした。
「だよねぇ。私も初めて来た時はリルケーみたいな感じだったもの。まあリルケーは帰るまでは自由行動で良いって許可貰ってるから、街にある整体の先生の所にでも行ってくればいいんじゃない?」
「せーたい?」
聞き慣れない言葉にぽかんとした表情を浮かべたリルケーが可笑しかったのか、ナレスは堪らず笑った。
「いや、ごめんね?そうだよね。つまりは体をほぐしてくれるような所よ、私も何回か行ったけど信じられないぐらい体が軽くなるのよ」
むっとした表情のリルケーにナレスはそう言った。
「そんなものが…でも私、お金とか全然持ってないので…」
リルケーが一転して不安そうな声でそう言うと、ナレスは自分の財布から数枚の紙幣を抜き出すとリルケーに握らせた。
「これって…」
「いいのよ、活動費だから。この国には3日間は滞在する予定だし、そのお金もナトの人達が2日働いて手にできる金額ぐらいはあるから、3日間それで遊んできなさいな」
リルケーが恐縮しながら受け取ると、ナレスはすぐに他の同志達とどこかに行ってしまった。一応宿の場所は最初に確認していたので問題は無いが、突然そんな大金を渡されてもひたすら貧しい生活を送ってきたリルケーに、すぐにやることなど思いつかない。
*
「あんなに気持ちいいことがあったなんて…」
"整体"と大きく書かれた看板のある店から出てきたリルケーは思わずそう呟いた。実際最初は痛くて痛くて堪らなかったのだが。
「いや、痛いのと気持ちいいのがごちゃ混ぜの…まぁいいか」
そんな事を言いつつ街をふらつく。
とりあえずナレスの言う整体には行った。さて次は…
そう街を見回っていると段々と生まれ故郷であるプラセンの村や何度も侵入した、労働者党の言うところの"世界で最も活気に溢れた美しい都市"であるヤンビャンとこのハークルの違いが目に付くようになってきた。
まず街の活気で言うならば遥かにハークルの方が賑わっている。見た事も無い服を着て聞いた事も無い言葉で喋る人ともう何人もすれ違った。
歩いている途中でプラセンとマレス-ナトは言葉や文字は同じだけど、外国に行けばそれらはみんな違うのだと聞いた。聞いた時にはそんな馬鹿なと思ったが、実際に見て聞いてみると驚くより先に、自分の見ていた世界の狭さを知ったような気がした。
そして何より自由な事、道端に店が出ていて自由に食べ物や飲み物を買える。配給ではない。衣服を売っている店がある、店内を覗いてみれば色とりどりの服に目がチカチカした。ここではあの殺風景な国民服を着なくても済む。
昼時になったので安い食堂を探して店に入った。道を聞いた人曰く"安くておいしい"とのことだったが、果たして値段は手持ちのお金で十分すぎる程だったし、味もなかなか美味しくて2度驚いた。安ければマズい、美味しいものが食べたければ金を出せというヤンビャンの街とは大違いだ。
何より驚いたのが、昼餉を食べている時に隣の卓から聞こえてきた会話だ。
「聞いたか?北部カレント領の領主が税金を私的流用だってよ」
「本当かよ。そういう悪徳領主はもういないものだと思ったけど、まだそういう悪徳領主もいるんだな」
そんな一見して他愛の無い話でも、プラセン共和国において貴族階級への陰口は死罪になる事もあると言う。思わず辺りを見回し公務官などがいないか確認したが、その会話の続きを聞いてリルケーはいよいよ驚いた。
「ホントだよな、領民の治めた税金だぜ?西部のルッテルス領じゃその税金で新しい灌漑用水を引いたって言うじゃねぇか、なんでこう違うかねぇ」
「そうなのか。さっさと牢屋にでもぶち込んで、もっといい領主を据えればいいんだよな。そう言えばルッテルス領と言えば…」
ここで話はそのルッテルス領とやらの話になったが、リルケーは信じられない事を聞いた気がして暫し呆然としていた。
ここでは公然と批判することが許されている。それが何より衝撃だった。
幼い頃、徴税に際に少し離れたところに住んでいた叔父が死んだ。その年は昨年に比べて増税だと言って普段より多く作物を持って行かれ、村人皆がどう冬を越えようかと頭を抱えていたのだ。そしてそれに耐えかねた叔父が「ユールス様がなんだ!慈悲深いと言うのなら私達を空腹から解放してくれ!」と徴税に来た公務官や国軍の人に向けて言ったのだ。
それを聞いた軍の兵士は顔色一つ変えずに「ならば解放してやる」と一言だけ言うと、叔父の頭を銃で撃ち抜いた。その時初めて、抵抗は無駄であり批判は罪であるという親の言う事が理解できた。
だがここではどうだ、どう見ても平民である隣の卓の男が公然と偉い人を批判している。誰が止めるでも咎めるでもなく、何でもない日常会話の一つにそういった話題が出て、そして流れていく。
ーこれが自由…
ぽつりと呟いたリルケーはその時初めて、プラセン共和国の目指す場所を見た気がした。
前話で書こうと思ったのですが、思った他ボリュームがありそうなので別話で…
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