壁の外へ
今回は短めです。
このヤンビャンにも多くはないとはいえ、商いを目的とした人は訪れる。ただわざわざ遠く海を渡ったリハルト公国やその属国、そしてユラントス王国などの遠い国々ばかりだ。
国に入る前にラグナが話していた行商もユラントス王国の出のようで、これ幸いと2人もユラントス王国から来たと偽って入国していた。
ユラントスは島国で日光が強い為に、黒目黒髪はさして珍しいものではない。ラグナの青い目について何か言われたら、いくつかある島のうちの少数民族だとでも言って誤魔化すつもりだった。
そしてヤンビャンから出る際にも、国を偽った事は幸いした。
入国する時とは別にヤンビャンに入る際に貰った滞在許可証を返すと管理官は気怠げにそれを手に取り、記載内容に間違いが無いことだけ確認すると「行ってよし」と短く言った。
どこから来た人であろうとそれを確認するのを蔑ろにするのは、つまり入出国の管理体制に大きな問題があるのだが、管理はと言えばこの通りの杜撰さだ。
「こんな簡単で良いんですか?」
「良いわけが無いが…まぁ俺達にとっては好都合だ」
入国した時に乗った列車の出発地である国境の町へと向かう列車を前にして、ペイルは辺りを注意深く観察し始めた。商人であるという名目上、ヤンビャンから乗れる列車は外国人用の1本しか無い。しかしオールムの助言を元に、ヤンビャンから出る手続きだけを済ませた上で別の列車に潜り込む事にしたのだ。
「でもこんな方法を取らずに、一昨日の隧道で行くんじゃダメなんですか?」
ラグナがそう聞いた。
「ダメでは無いが、俺達が確実にヤンビャンから居なくなったって証拠は残しとかなければならないもんでな。これからやろうとする事を考えれば、この国から俺達は書類上出ていた方がいい」
そう言うとペイルは、国境の町クルストへと向かう列車の前にいる男に声をかけ、書類を渡した。
「これが俺とこの娘の入国許可証だ。頼むぞ」
「わかった。君たちも、くれぐれも兵士に見つからんようにな」
そう言って男は列車に乗り込んで行く。
「今の方は?」
「オールムと打ち合わせた結果、とでも言うかな。俺らはめでたくヤンビャンを出たわけだが、これだと当然この国の中に居ることになる」
その言葉にラグナが頷く。
「するとこの国にとっては、外国人がヤンビャンでない何処かにいるということになる。必死に良く見せようと張りぼての建物まで建てる国が、それを見逃す訳がない。だからあの男ともう1人適当な娘を連れて、俺らの入国許可証を使ってこの国を出てもらうのさ」
「成る程、私達はこの国からいなくなるわけですね」
「そういう事さ」
*
数刻後、2人はプラセン国内の地方都市の一つでありオレウムに近い、ムルザと言う町へ向かう列車へと乗り込んでいた。1日に数本しか無いその列車だが乗っている人はまばらで、誰もヤンビャン市民のような白い服を着ている者はおらず粗末な服を着て乗っていた。
(なんか行きの列車みたいですね)
(たった3両なのにな。しかも俺たちが乗っているこの車両は下等、最後尾の車両は上等だそうだ。そっちには何やら偉そうな人が何人か乗ってたな)
そう聞いてラグナは驚いた。イグナスの鉄道にも特別席は存在するが、それは一等、二等と分けられる。プラセンの様に上等下等などと言う、失礼な言い方はしない。
「まぁ憤る気持ちもわかる、私は下等な人間なんかじゃないってな。だがここではそれが罷り通ってる。それを許しているのはどうせ労働者党だろう。国の財産たる国民をどう思ってるかがわかるというものだ」
ムルザに向かう地域路線から見る景色は、ヤンビャンに向かう際に乗った列車から見たそれとは大きく異なっていた。
あの白い町とは異なり町にはしっかりした建物は少なく、殆どが小屋のような家々が並んでいた。そこに動力革命の片鱗は無く、革命以前の生活から魔法を抜いたような雰囲気だった。
ある駅に止まった時などは、偶然見えた駅務室の中で火打ち石を使って火を起こしている光景が見えた。
「あれは?」
「火打ち石だな。あぁやって石と石を打ち付けて火花を起こして、それを藁なんかに移すのさ」
そうペイルが解説すると、ラグナは興味深そうにその光景を見ていた。
「魔法があればあんなに手間掛けなくてもいいのに…」
「全くな。ま、あぁいった事が出来る出来ないが、かつての魔法の使える者と使えない者とのいざこざを生み出したと言ってしまっても過言じゃないわけだが…」
ラグナの呟きにペイルがそう返すと、ラグナは押し黙ってしまった。100人いれば100人が魔法が使えるのが当然のユラフタスにあって、魔法が使えないという事が想像出来なかったのだ。
*
いくつかの丘や森を越え、列車はムルザの駅に着く。
ムルザの駅は土が盛ってあるだけの乗降場と簡素な木組みの駅舎だけの寂しいものだった。駅員も他の者と同じように陰鬱とも呼べるような顔をしており、明らかに他の人と違うペイルとラグナも一瞥しただけで、すぐに後の人の切符を受け取っていた。
「イグナスの地方でも、なかなかこんな光景は無いな」
そうペイルが呟くほど、ムルザの街は廃れていた。しかしそれでも逞しく人は住んでおり町は生きているのだ。
ムルザに着いたのは昼頃だったが、オールムの助言通り昼餉は列車内で済ませていた。最初は駅前に飯屋ぐらいあるだろうと思いつつ助言を聞き入れたペイル達だったが、駅前を少し歩いただけでその助言が正しいことを実感した。
「店と言うものは無いのか」
「みたいですね…皆さん食べ物とかどうしてるんでしょうか」
「皆が自給自足さ。店を出せる程、物は余っちゃいない」
2人の疑問に答えたのは、いつの間にか近くにいたオールムだった。
「まずは無事に来れて良かった。ヤンビャンの外なんてどこも似たようなものだが、見ての通りここはかなり貧しい方だ」
オールムが説明しながら歩きだす。オールムやカルスも痩せているとは思ったが、ここの人達はもっと酷かった。中には下腹部が膨れている子供もいる。栄養失調を起こしているのだ。
「ヤンビャンから遠い程、住んでる人達の栄養状態は酷くなってるんだ。ただその代わり、労働者党の目線も少なくなってくる。オトポールの拠点がここにあるのも、監視の目が届きにくいからだ」
そう言いながらオールムは、入り組んだ路地を歩いていく。辺りに漂う臭いにラグナは顔を顰めていたが、ペイルはこの臭いを知っていた。
ーこれは、死の匂いだ…
ペイルにはかつて軍に所属していた際に、ユラントス王国と現在ではリハルト公国の属国となったある国との戦争に従軍した事があった。ユラントスはイグナスにとって重要な交易国であり同盟国であるがゆえに、敵からの攻撃に際して派兵されたと言うわけだ。
そしてその戦場の一つに、敵に包囲され兵站の尽きた約500名もの大隊がいた。食べる物も飲み水も無い中で深い森の中で決死の抵抗を続けていたその部隊は、ペイルを含めたイグナス人部隊が救出した時にはその数を30人にまで減らしていた。
その部隊が根城としていた洞窟の中の臭いが、ちょうどこのムルザの裏通りに漂っていたのだ。
「この辺りは決して土地が痩せているわけでは無い。ナトとの戦いで荒らされた土地はあるがな。こう言った地方で取れる農作物は、片っ端からヤンビャンに送られる。ヤンビャンのあの物の溢れようを見ただろう?」
「確かにな。あれだけの町にはそれ相応の人口がいる筈なのに、それだけの食糧をどう賄っているのかと思ったがこういう事か」
そう言いつつオールムは、一つのあばら家へと入っていく。付いて中に入ると既に数人の男女がいた。
「その2人か?」
「そうだ、彼らも貴族街に用事があるようでな。色々と有益な情報も持っているので共闘する事にした」
オールムがそう言うと最初に問うた男がおもむろにに立ち上がり、ペイルに向けて手を差し出した。
「挨拶が遅くなったな。俺はブレンデル・シュルツ、一応はこのオトポールの長だ。短い間だけだろうが、よろしく頼むよ」
すぐに組織の長が出てきた事にペイルは少なからず驚いていた。事の善悪や政府がどうであれオトポールの事を反政府組織と認識していたので、オールムが窓口となり長は絶対に顔を見せないと思っていたのだ。
「あぁ…よろしく頼む。しかしそんなにあっさりと素性の知れない俺達に姿を見せていいものなのか?俺達が労働者党の間諜だとは思ったりしないのか」
そう聞くとブレンデルは小さく笑った。
「一応調べさせてもらったさ、先日は仲間たちを助けてくれたって言うしな。それにその娘、青い目をした人はこの国では目立つ。クルストに鳩を飛ばして聞いてみたが、それらしき人を見たって証言があったしな。それをもって君達は安全だと判断したわけだ」
ブレンデルの言葉にペイルは内心で感心していた。意外としっかりしていると。
*
「つまりその娘は魔法が使えて、労働者党の連中が実は魔法を使った技術を持っているとそういうわけだな?」
オールムとペイルがヤンビャンでの顛末を話すと、ブレンデルは複雑な顔をして考え込んだ。
「何よりあの壁には魔法で防御でされているという事は、俺達にとっても予想外だった」
「一つ気になったんだが…」
ペイルが口を開いた。
「そもそもあの日、なんでオールム達はあそこであんな騒ぎを起こしていたんだ?」
「そうか、その事を言っていなかったな。先日、仲間が数人捕まったんだ。政権を批判し民衆を扇動したとか言ってな。その仲間はあの壁の内側にある教化所に…要するに刑務所だ、思想犯専用のな。そこに囚われている。
それで助けるために地下隧道を掘っていたんだが、掘り抜けない固い地盤にあたってしまった。そこで爆破することにしたんだが、それを地上から悟られない為にあえて騒ぎを起こしたのさ」
「つまり扇動ってわけだな。それでその隧道は抜けたのか?」
その言葉にオールムは残念そうに首を振った。
「いや、爆破してみても駄目だったようだ。恐らくそれも魔法なのだろうがな」
「そこでだ。是非ともラグナさんに力を貸してほしいわけだ」
不意にブレンデルはラグナに向き合った。
「私にですか?」
「そうだ。今の話を聞いて分かったと思うが、私達には魔法に関する知識は一切無い。あのヤンビャンの平民街と貴族街とを隔てる"矛盾の壁"さえ何とかなれば、圧政に喘ぐ我々にも光明が見えるのだ。貴女を危険な戦場に出すことはしない、どうか協力をお願いしたい」
そう言われて頭を下げられてしまっては、人のいいラグナは頷かざるを得なかった。メルが"盟友"に乗ってシナークへの先導を頼まれた時、こんな気持ちだったのかなと回想しながら。
その後は具体的な作戦会議となった。今一度ヤンビャンへと入り矛盾の壁に施された魔法の性質を解析し、可能であればその結界に穴を開ける。不可能であればその弱体化を試み、通常攻撃による突破を目指す。
貴族街には深夜に進入しオトポールの戦力の半分を差し向け、兵士や労働者党の関係者などを制圧する。
オールムは500名の戦闘員と共に労働者党の本拠地であり独裁者ユールス・カダルの居る、中心にある議事堂に突入する。他国で行われたような派手な行進などを伴ったものでは無く、国の中枢を電撃的に襲撃し、可及的速やかにこれを制圧する。というのがオトポールの考えた反乱計画だった。
これまでも何度かそういった計画は立てられたが、強固な"矛盾の壁"を破る方法が見つけられなかった事と、実行に必要不可欠な人がそういう時になると労働者党に拘束され実行できないでいたという。
当然オトポール内に間諜がいることが疑われブレンデルの号令の下、密かに調査も行われたという。しかしそれでも間諜が誰かを探り出すことは出来ず、反乱も計画倒れになっていたのだという。
未だ正体の掴めない間諜を恐れて秘密厳守の為、作戦はオールムとブレンデル、そしてペイルとラグナのみで作成された。オトポールにしてもペイル達にしても、せっかくの機会を逃すわけにはいかないのだ。
*
早く作戦を実行したいのはやまやまだが、人数を集めて訓練をしなければならない。という事で、実行は翌月であるフィソウム(11月)となった。とはいえ実質は20日も無いのでかなりの突貫訓練だ。
ブレンデルはラグナを"矛盾の壁"対策に、軍経験のあるペイルには兵を率いさせることに固執したが、ペイルが猛烈に反対してラグナと一緒に行動することを認めさせた。そうまでして別行動にさせたがるブレンデルに違和感も覚えたが、恐らく最初に"矛盾の壁"の内側へ入ることになるラグナと一緒に行かないわけにはいかないのだ。
そんなわけで日を追うごとにムルザには、各地に散らばっているというオトポールの男たちが集まってきた。だがその姿はオールム達と大した差は無く痩せており、ムルザ以外の街も食糧事情がいいわけではないという事を否応なしに見せつけてくるかのようだった。
しかしそれでも郊外で密かに訓練は行われる。とはいえいくらヤンビャンから遠く離れたこの地でも軍事訓練もどきの事をすれば、すぐに労働者党に嗅ぎ付けられる。そんなわけでオトポールはオレウムの中で訓練を行っていた。ここでならどうとでも言い訳が付く、と考えたのは前代のオトポールの長だ。これもブレンデルは領土問題に足を突っ込むべきでないと変えようとしたらしいが、結局いい代替地が見つからなかったのと古参からの反対もあって、この場所に落ち着いているのだという。
ペイルはブレンデルの言い分に訝しみもしたが、筋は通っているので深くは考えない事にした。それより今は兵士達の訓練と、数少ない"矛盾の壁"の内側の情報を集める事だ。
ちなみに日本に鉄道ができた1872年当時は、本当に上等中等下等という区分で席が発売されていました。
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