歌劇「シナークの戦い」
ハーグ鉄道公団の貨物列車の車掌の仕事時間は、役所や店のそれと違ってバラバラだ。早朝から深夜まで、勤務場所だってイグナス中を飛び回っている。ウィルもかなりの頻度でシナーク以外の場所で仕事をしており、1人で暮らしていた頃は5日間ぐらい家に帰らなかった事さえある。流石にメルと暮らし始めてからはなるべく控えてはいるが、それでもそういった仕事があるのが貨物専務車掌の宿命だ。
そんなわけであくる朝、仕事を終えてシナークの貨物駅から自宅へと歩いていたウィルは、街角に設置されている広報板に興味をそそる文字を発見した。
「"歌劇 シナークの戦い"?なんだそりゃ…ってあれか、あのリハルトとの騒ぎか…あれが歌劇に?」
ふと考えた。確かに下手すれば自分もメルも死んでいたし、もしかしたらリハルトとそのまま全面戦争になっていたかもしれない騒ぎだった。公式には政権簒奪を企てたモロス元皇子の策謀と、それに乗せられたリハルト公国の暴走という事で落ち着いている。
竜の暴走やユラフタスのコルナー達の活躍はシナークや皇都サルタンでは多くの人々に目撃されたものの、その他の地域では極力伏せられていると聞いた。竜の力を欲してどこぞの馬鹿が白露山脈に入らない為だとミラムは笑っていたが。
有名な事件や英雄譚が歌劇になる事はよくあるが、そんな事情がある中であの事件をどう歌劇にするのか。ウィルは少し興味が湧いてくるのを自覚していた。
そんなわけで"ご自由に"と書いてある棚に刺さっていたその歌劇のビラを1枚抜き取ると、メルの待つ家へと帰っていった。
*
「あ、ウィルおかえり。ね、あさイチの郵便でこんなのが届いたんだけど…」
出迎えたメルはそういうなり一通の便箋を見せてきた。見ると皇族用の封蝋が押されており、差出人はアルフィール=ミラムとなっている。
「ミラムさんから?速達じゃないから緊急の用事でもなさそうだけど…」
そういって封を切ると、中から出てきたのは先ほど広報板で見たものと寸分違わぬものだった。
「あれ、これって…」
「何それ、シナークの戦い?歌劇?なんでまた」
「実は…」
そう言ってウィルは、広報板の棚から取ってきたビラを見せた。
「へぇ…あの騒ぎが歌劇にねぇ」
「だってさ。あれをどう歌劇にするんだか…って、招待券まで入ってるぞこれ」
そう言って便箋を逆さにすると、中から2枚の券と手紙が出てきた。
「手紙つきか、どれどれ…?」
その手紙にはミラムの文字で、サルタンで来月にネゴイムの事件を題材にした歌劇をやるそうなので是非とも観に来てほしい。と言う事が書いてあった。
「しかし今がスァナイム(5月)だろ?よくそんな短期間で作ったもんだ」
「ねぇ、これ…一番良い席じゃないの?」
そうメルに言われて招待券を見てみると、確かにいくつかある中の一番良い席の招待券だった。恐る恐るチラシを見てみると、その席は1枚3万ロンドとなっている。
「いや高いなってこれ、国立の歌劇団がやるのか。そりゃ高いか…職権乱用なのでは…」
「ま、まぁいいんじゃないかな?せっかく誘ってくれたんだし。それにその手紙、最後にしっかり『私の家にも寄って行ってね』なんて書いてあるし、顔出すのも兼ねて行こうよ」
「それもそうだな、来月ならまだ休み取れるし確認してみるよ」
歌劇など殆ど見た事が無いのもあって、なんだかんだで行く事にした2人だった。
*
アヴォイム(6月)のあくる日、雨季にしては珍しく晴天に恵まれた日にウィルとメルは公演が行われるサルタンへと向かった。
公演は夕方からだったのでまず挨拶がてらミラムの家に向かい来訪を告げると、あいも変わらず使用人を差し置いて真っ先にミラムが飛び出してきた。
「来たわね!いらっしゃい、まぁゆっくりしていってよ」
「相変わらず元気ですね、仕事とか大丈夫なんですか?」
思わずウィルが聞くと、ミラムは両手を挙げた。
「いやはや、頑固な人がいてね。これまでの不当に安く取引されていた品物なんかを市場と同価格にするってだけで、やれ"それじゃ商売が立ち行かなくなる"だの"国はウチを潰す気か"だの。それで潰れるようなら潰れちゃえって感じよまったく」
お手上げといった風のミラムに2人して苦笑していると、邸宅の方からルフィアが出てきた。いつも少し遅れて出てくる辺りさえも変わっていない。
「ほらほら、そんな所でウィル君達に吠えてもしょうがないでしょう。立ち話もなんだから、入って入って」
騒ぎの際に1人1部屋という事で割り振ってもらった部屋は、そのうち2部屋は元の客間に戻っている。ユラフタスの作る品物は全国に行き渡っており、その分付き合いも広い。その為、遠方から来る客人向けに寝泊まり出来る部屋が必要だという事で戻したのだ。最初は仮にも皇族の家に泊まるなど畏れ多いと渋っていた客人も、ミラムの才能が人柄か、泊まる事が多くなったという。
元より皇太子の妃という立場で広い邸宅を建ててはみたもののそれを持て余していたミラムにとって、ある意味有意義な使い方が出来ていた。
しかし1部屋だけは元のままだ。騒ぎの渦中で短い間ではあったがウィル達3人が寝泊まりした時にある程度の調度を揃えたのだが、それをそのまま置いてある。
客間とはいえ4人ぐらいまでなら泊まれる広さのある部屋なので、その部屋だけはミラムの近しい人達、つまりウィル達3人が来た時用の部屋というわけだ。
そして2人でその部屋に荷物を放ると、早速ミラムの待つ広間へと向かった。
「しかしよくこの短期間で、あの騒ぎを歌劇になんか出来ましたね」
出された茶を啜りながらウィルが聞くと、ミラムは当然と言わんばかりに答えた。
「そりゃそうよ。そもそもあの劇は皇族の推薦よ?」
え?という顔を2人でしたからだろうか、ルフィアがちょっと笑っている。
「さっきも話したけど、まだイグナス国民の中にはユラフタスに差別的だったり懐疑的な目を向ける人も多いのよ。だから国として"ユラフタスもイグナス連邦を構成する国民である"と内外に宣伝すると言うのもかねて、国民にも広くあの事件でユラフタスがどんな活躍を見せたか宣伝しようってわけなのよ」
成る程よく考える、とウィルは思った。それなら異例の速さも納得できるし、ミラムが招待券を送れるのもわかる。
「ちなみに私も見に行くし、ラグナちゃんも来るからよろしくね?」
「え?」
思いがけないルフィアの言葉に、再び素っ頓狂な声を上げていた。何と言うか、しっかりしている。
*
そして当日、馬車ではなく徒歩で4人揃って歌劇が行われる国立劇場に向かう途中、ユラフタスの協力者の店である四辻通りのアルビス馬車に寄ってラグナと合流した一行は、そのまま歌劇の行われる劇場へと足を進めた。
「見たことはあるけど入るのは初めてだな」
「私も小さい頃にお父さんに連れられてきた以来かなぁ、全然覚えてないや」
他愛も無い話をしつつ建物に入ると、そこには既に大勢の人が入場を待っておりがやがやという話し声がうるさいぐらいだった。
「すごい人だなぁ…」
「そりゃそうよ。この劇場自体は古いけど収容人数は3100人、しかもそれが満席で立ち見券まで売られてるらしいもの」
思わずウィルが呟くと、そうミラムが答えた。確かに見回してみれば上質な服を着た貴族風の人もいれば、普通の平民層の人も沢山いる。皇族の推薦と聞いてもっとお堅い人ばかりなのではないかと気を揉んでいたが、その心配はなさそうだ。ふと発券窓口の方を見れば、『当日立ち見券 300枚』の文字に横線が引かれて赤く『完売』と書かれている。物凄い盛況ぶりだ。
「なんかこう…俺達物凄い事件に足を突っ込んでたんだなって今更ながらに思うよ」
「私もね、ユラフタスの為にって思っての事だったのに、こんなことになるなんて思わなかったなぁ」
そうウィルとラグナが2人して感慨深そうに呟くと、ちょうど開場を知らせる放送が聞こえてきた。
「ほらみんな行くよー」
ルフィアがそう言って皆を先導して歩いていく。学舎の先生みたいだな、とふとウィルは思った。
ミラムが手配した席が一番良い席だという事もあり、会場への入口は別な場所にあった。高そうな装飾の施されたその入口を入ると、そこは舞台のすぐ脇だった。
「うわぁ…」
思わずラグナが感嘆の声をあげた。ずらりと並ぶ客席や大きな舞台は、当然ラグナにとっては初めて見るものだらけだ。
一般の客席に入る人達の雑踏に混じって、様々な楽器の音が聞こえてくる。舞台の手前には楽団の場所があり、劇中に流れる音楽を奏でるのだという。
「大きいのねぇ。私も初めて入ったけど、建築家の意匠が伝わってくると言うかなんと言うか…」
ミラムの呟きに思わずウィルは頷いていた。招待券を貰ってからふとこの劇場の事を調べてみたのだが、なんでも天井の装飾にルノーセン詩編を基にした彫像があるのだという。それを思い出して天井を見上げれば、確かに美しい装飾の中に物語が見えるような気がした。舞台の幕の角にはそれこそルノーセン詩編の挿絵に描かれていたような竜の彫刻が鎮座しており、ふとラグナの方を見やればやはりその彫像の方を目をキラキラさせて見ていた。
「こんな所にも"盟友"の姿が…」
「天井の装飾はルノーセン詩篇が元なんだって」
その呟きにウィルがそう教えると、ラグナは納得といった表情になった。
「成る程ねぇ…ってウィルもよく知ってるね」
「いや、図書館で読んだ本の受け売りだよ。この劇場を設計した人が、何としても竜の彫刻を作りたかったんだってさ。それが何故かまでは書かれてなかったけど、その為にルノーセン詩篇を口実にしたとか何とか」
そんな話をしていると開幕5分前を知らせる放送が鳴った。いそいそと決められた席に座ってみれば、確かに一番良い席と言うだけあってまだ幕が閉められている舞台の様子がよく見える。やがて会場の明かりが消されて舞台の幕が上がる、ウィルとメル、ラグナにとっては初めての歌劇が、何となくこそばゆい歌劇が始まる…
*
劇はあのシナークでの騒ぎになるまでの経緯を端折っており、竜によって街が破壊されそしてそれが竜によって収束していく。燃え盛る街で竜に乗ったユラフタスとシナークの人々が協力して、街や人を守っていく。大筋はそんな流れだった。
外交上の問題なのかリハルト軍の描写は出てこなかったが、それでも本来の伝えたい事である"ユラフタスもイグナス国民であり、私達の仲間だ"という事。そして竜と言う存在が気軽に触れてはいけない存在だという事が印象付けられる、そんな歌劇だった。
さて当然、この物語にはウィル、メル、ラグナの役もある。勿論名前は変えていたが。最終的にウィルとメルが暴れた竜の狂った原因を排除し大団円という、いかにも物語調な英雄譚という流れになっていた。ラグナは街や人を救う為に竜を飛ばした、ユラフタスの中の功労者という位置づけになっていた。
しかし実際はそんな綺麗な終わり方ではなく、また一人の英雄的な行動によって事態は解決しないという事はウィル達自身が一番わかっている事なのだ。だがこんな劇を演ずることができるのも平和だからこそ、なのでそういう野暮なことは言わずに劇は劇として大いに楽しんだ。
歌劇の翌日、ミラム達と別れたウィル達3人はシナークに向かう列車に揺られていた。ラグナもシナーク経由で帰るとのことで一緒だ。
「しかし俺あんなに顔立ち整ってないだろ」
「いやぁ、それ言ったら私だってあんなに可愛くは無いでしょ」
メルの言葉にウィルは俳優の顔を思い出す。あの舞台の上で歌い踊り、作り物の竜の背に乗って…本物を知るウィルにはどうにも張りぼてにしか見えなかった竜に乗っていたあの女性、確かに可愛げのある人ではあったなとは思ったが…
「いや、どう考えても本物の方が可愛いだろ」
「かわっ…そ、そんなこと言ったらウィルだって本物の方がカッコいいでしょ」
「はいはい惚気るのはそこまでにしてね2人ともー。聞いてる私が砂糖吐きそうになるよ」
2人のじゃれあいを止めたラグナだったが、2人から思わぬ反撃を喰らう。
「ほらメル、ここにもあの役者より格段にカッコよくて可愛い人がいるんだからやめだやめ」
「そうね、ラグナもここにいる本物の方が格段にカッコ可愛いもんね」
そう言うとラグナも顔を赤くして「そんなこと無いよ!と言うかカッコ可愛いって何よ!」とアワアワして、2人してそれを見て笑っていた。
―全く平和だな。こんな日いつまでも続けばいいのに…
恥ずかしがるラグナに抱きついてじゃれているメルを見ながら、ウィルはそんな事を考えていた。少なくとも自分の体験が、こうして歌劇になる事だけはもう御免なのだ。あれは恥ずかしすぎる。
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