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私がこの街と出会ったきっかけは、知り合いの一人がこの町から届いたという絵葉書を見せてくれたことだった。
どこか高いところから撮られたらしい、一面の青だけが広がる写真だった。
それは海なのだという。
海といえば濁った暗い色の液体か、旅行会社のパンフレットの澄み切った嘘くさい水色しか思い浮かべられなかった私は、その青色に驚いた。
それはただの水なのだ。飲めもしない塩水。何を溶かしたらこんな色になるというのか。とろりと甘く、柔らかく、それでいて掴みどころのない、青としか表現できない青色だった。美しい。
私の精神はそのたった一枚の写真に吸い込まれて、捕らわれてしまった。
その年の夏、私は初めて平坂に足を運んだ。海を目指して。電車に揺られて、バスに乗って、港までたどり着く。
しかしそこに海はなかった。
正確に言えば、水だけがあった。濁っても澄んでもいない、中途半端な海水がゆらゆらと居心地悪そうに揺れているだけだった。ひどく裏切られたような気がした。
私は近くの売店に足を運び、青い絵葉書を置いていないかと聞いた。
「ええ、ちょうどありますよ。最後の一枚です」
それはあの青い絵葉書だった。私はそれを買い、撮影した人物の名前を確かめた。
斉地一臣。写真になど興味のなかった私には当然聞き覚えのない名前だった。店員にこれを撮った人を知らないかと尋ねると、幼少期に平坂に住んでいた人物で、時々ふらりとやって来ては写真を撮っていくのだと教えられた。
「記念館にも行ってみるといいよ。彼の撮った写真もあるはずだから」
私は平坂の海への憧憬をすっかり失っていて、その代わり斉地一臣という男に興味を持った。
記念館へ行くには一度駅に戻ってバスに乗るのが楽だと教えてもらい、言われた通り一時間に一本しかないバスを待った。
バス停にはもう一人男がいた。彼も観光客なのだろう、田舎には不釣り合いな垢抜けた雰囲気を纏っていた。申し訳程度に設けられたベンチの端と端に座って、ただそれだけだった。
バスがやって来て、彼に続いて乗り込む。車内に乗客はいなかった。眠そうに欠伸をした運転手に少し不安を覚えたが、動きだしたバスに慌てて席に座った。
そう時間はかからずに記念館についた。記念館にしては少し派手だな、と思う。あの屋根についた角なんか、意味が分からない。
「…宇宙人」
私より後にバスを降りた彼はそう呟いて館内に入っていった。宇宙人?何のことだろう。彼に続いて館内に入ると、涼しくてほっとした。
「ただいま特別展の期間中で通常の展示はご覧になれませんがよろしいですか?」
受付に座っていた男はそういった。
「え?あ、はい」
それでは斉地一臣という男の写真は見られないのか。少し残念に思ったが、せっかくここまで足を運んだのだから、という思いで見ていくことにした。
明日もあります