康広は決めていました。
廊下の優希の血が散っていたのをスタッフが拭き、賢樹と突き飛ばされた康広は手当てを受けることになる。
「えー?僕大丈夫なのに~?」
「駄目だよ。診てもらいなさい」
賢樹にたしなめられるが、
「えー?だって、兄ちゃん、いつもイライラするとボッコボコだし、あれくらい」
「は?」
硬直する。
少年は示す。
「えっと~?ここ、蹴られたあと。ここも殴られたあと。この骨折は苛められたときのだけど」
「君も⁉」
「ん?だって、兄ちゃん家の絶対権力者だもん。言うこと聞かなかったらボッコボコ」
「お父さんは⁉お母さん……」
問いかけに首をかしげる。
「父ちゃん仕事だし、ゆう姉ちゃん学校と仕事。姉ちゃん怖がってるし、母さん『我慢しろ』って」
「はぁぁ?」
祐也と穐斗は優希に付き添い治療を見守り、泣きじゃくる竜樹は糺と主李と実里と日向と待つ。
「でも、良いんだ。僕、父ちゃんと母さん離婚したら、父ちゃんとおるけん。母さんとおっても、兄ちゃんの命令を聞けばっかりだもん、僕嫌だよ。おじさんは、姉ちゃんの事守ってくれる?おばさんも」
口のなかと頬の傷を治療してもらいつつ、クリクリとした瞳の奥に真剣な色を見る。
「ゆう姉ちゃん、大事にしてくれる?たつ姉ちゃんより大事にしてくれる?いっぱいいっぱい我慢しとる、ゆう姉ちゃんを大事にしてくれる?」
「そのつもりだよ。おじさんは優希を……優希と竜樹を大事に可愛がってあげようと思っている」
「姉ちゃん。いつも泣いてるか、泣きそうな顔で笑っているかなんだ。本当に嬉しそうじゃないんだ。昔はね?夏休み、ばあちゃんの家に行ったら、僕らの従弟を引き連れて、カブトムシをえやぁって取ってたんだよ‼一番‼」
「えやぁって……」
にぱっと笑い、
「ん?ばあちゃん家、山だからね?道を歩いてたら植えられてる樹の横の石とか根っこを昇って、『蹴るけんね~‼一番おっきいのはうちの~‼』ってだーんって蹴ったり、揺さぶって落とすんよ。姉ちゃん、一番好きなのはミヤマクワガタとノコギリクワガタ。オオクワガタもこんなの取ってたんよ」
サイズを示す。
現在では滅多にとれないサイズである。
「でも、姉ちゃんは捕っても放すんよ。帰る日に。エェェ?もったいないって、内緒で持って帰って、家の飼育箱で飼ってたら、僕、面倒見なくて、全部死んじゃった。それで姉ちゃんがそれを捨てるってことになったら、ギャァァァ~‼って気絶」
「気絶って……」
「共食い?首が外れたのとか出てきて、それ以来虫触れんなった。『『巫蠱』や……可哀想に、うちがお墓つくってあげないかん』……って」
醍醐は優希が不憫になった。
小学生が『巫蠱』の意味を知っている、それもすごすぎるが……その上、そんなことをさせられたら気絶するだろう。
一匹や二匹なら兎も角、虫の大量死……地獄絵図だったに違いない。
「姉ちゃんはすごくばあちゃんのところに行きたがってた。でも、夏休みも春休みも家の手伝いで行けなかったんだ。僕は行ってたけど」
「……お兄さんも?」
「ん?兄ちゃんは嫌いやもん。ばあちゃん家。ゲームもできんし、手伝いさせられるから。僕は面白いし、大好きやけど。たつ姉ちゃんも『洗濯しろ』って。僕だけ置いて、父ちゃん帰ってったよ」
「……」
言葉を失う。
「で、隠居のばあちゃんやばあちゃんに、姉ちゃんたちにって、で、持ってかえって内緒で渡したの。お小遣い。家の死んだじいちゃんやこっちのばあちゃんは僕や兄ちゃんにはお金くれたけど、姉ちゃんたちにくれんかったし、お年玉もお母さんに取られたけん」
「だ、だだだ……だんはん‼」
紅葉は、血のついたハンカチで涙をぬぐう。
「だんはん……‼あて、優希についててかめへんやろか……優希に……」
「気を付けや……」
「おおきに、だんはん……それにぼんもおおきに」
部屋を出ていく。
「姉ちゃん……笑ってくれるとええなぁ。姉ちゃんは僕の自慢の姉ちゃんなんよ。おじちゃん。お兄ちゃん」
エヘヘ……、
照れる。
「僕がいじめられてたら、庇ってくれたりね。勉強も教えてくれるんよ。僕ね、軍艦好きなんよ。大和とか長門、それに……」
小学生が語る……第二次世界大戦の船の数々を。
そして、その戦争がどうなったかまで。
「……まずは、まちがっとったんが、山本五十六が、真珠湾攻撃したときに、それまでは船での戦いやったのに、飛行機で戦うってことを成功させたんやけんね?その時に、軍艦は改造して空母程度にして、巨大戦艦なんか作らんで良かったんよ。必要なのは、沖縄を守る為の兵の配置とか、飛行機での戦争を産み出したんなら、飛行機の技術向上とかを極めるべきやった。無駄なもんは打ってくださいって言ってるような軍艦‼そがいなもん作ってどうするんねん。まぁ、今の日本の造船技術は世界でもトップレベルやけどね。それはあとで良かった~やろ?それ以上にいかんかったんは、無駄死ににしかならん特攻を繰り返したこと。大和なんか、死にに行くだけやったやんか。人間魚雷とか‼そんなんやったら、上のもんがやるわ~‼っていきゃいいんや。何で、僕より上のお兄ちゃん位の兄ちゃんらが、まだこれから生きていけるのに、当日『行ってこい』ってないやん?」
少年の口は動く。
「軍艦とか、日本の技術を集めとって僕は好きやけど、戦争は嫌いや。泣く人がおるんは嫌いや……姉ちゃんに泣かれたけん。戦争のこと考えたんや。軍艦、戦艦好きやけど」
「優希に……言われた?」
「一回だけ叩かれたんよ。呉にある戦没者の慰霊碑のこと。かっこえぇなぁって。僕も戦争の時があったら戦う‼で、慰霊碑に名前を彫って貰う‼って言ったら、パーン‼って『何がカッコいいの‼慰霊碑に名前が刻まれている人の殆どは、遺骨も遺品もないまま亡くなった人なんよ‼戦争に行って、何が残るの‼悲しみと憎しみと、後遺症に苦しむ人よ‼呉と同じ広島には原爆が投下された‼広島には今でも原爆症に苦しむ人がいる‼いまだに戦争から逃れられない‼そんなことも考えないで言うものじゃないの‼』って」
言葉を失う。
優希の強い思いと、戦争の嘆きを知って、それを伝えようとする姿を……。
「ちなみに……幾つの時?」
「んーと……小学校3年生‼姉ちゃん6年生‼姉ちゃん、アンネ・フランクの『アンネの日記』と、ドイツが作った大きな、アウ、アウ……なんとか強制収容所の本を読んでた‼」
「『アウシュビッツ強制収容所』だね」
有名な場所である。
「で、正座でお説教。でも途中でじいちゃんが『うるさい』って姉ちゃん殴られて『大丈夫やったか?』って、大丈夫じゃないのは姉ちゃんなのに、よくわかんなかったけど、でも一所懸命説明してくれてたのに……その時にじいちゃんが嫌いになった。その前から、姉ちゃんに怒鳴るおばちゃんが嫌いだった。ばあちゃんも僕を撫でる時は猫なで声で、姉ちゃんに命令するから嫌いだった。母さんも姉ちゃんが話しかけても無視して、後で大変なこと起こったら姉ちゃんや父ちゃんにヒステリー。嫌だった……」
「康広くん……」
「ありがとう。おじさん。お兄ちゃん。姉ちゃんが元気になって笑ってくれたらうれしい。あのね?写真で良いんだ‼元気になった姉ちゃんの写真、送ってくれる?」
「京都に来ればいい。お父さんと」
その言葉に目を見開き、首を振る。
「姉ちゃんが悲しい顔になったら嫌だから、良いんだ……。手紙でいいよ」
「康広くん……」
「甘えちゃったら、姉ちゃんが甘えられないじゃん‼」
エヘヘ。
頬をかくと、
「僕、父ちゃんとこにいってくる‼ばあちゃんに僕、父ちゃんといるっていいに行くから‼」
「場所わかるの?」
「あ、うん‼……‼」
突然扉が開き、入ってくるのは目付きの鋭い30代後半の女性。従えるのは、何故か手を合わせ拝むしぐさを繰り返す老婆。
タツエは年を聞いていたので75になるらしく、しかし今は疲労困憊で疲れきっているが、その年には見えないシワも笑いジワ、えくぼもあり微笑む顔に可愛らしさがあった。
しかし、この老婆は何かに取り憑かれたような目をしている。
「康広‼あんたここにおったんかね‼はよ出ていかんかね‼おいきや‼」
「うるさいわ‼ばばぁ‼」
あっかんべー‼
とする。
「なんやて‼うちを誰やと思とんで‼」
キンキンとヒステリックに叫ぶ女に、
「けいちゃん、ナンマンダブ……ナンマンダブ……誠一郎どこにおるんや⁉」
「やけんね、お母さん……ここにおって」
そういい捨て、きっと睨み付けるように賢樹を見て、軽く頭を下げると、
「私は曽我部経子と申します。私の義兄の家族がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません。姉は出てこれませんので、妹である私が参りました。こちらは母です」
「義兄……あぁ、良明はんですか?ご迷惑も何も、狭心症の発作を起こして入院されてますが?お見舞いには?」
「いえ、義兄の家族が迷惑を……こちらで、何とか……収めていただけませんでしょうか?」
差し出す小風呂しきに包まれたものを見て、
「あぁ、良明はんの入院費用で?」
「こちらで収めていただけませんでしょうか?義兄の家族の迷惑料です‼」
じれたように包みを開く。
札束が幾つか入っていた。
「もしかしはって……これ、誠一郎はんでったか?あのぼんがあてや優希に暴力を振るたこととこの康広くんにしはったこと、日常的な暴力を聞かんかったことにしてくれはらしまへんか、と?」
「……家の名前を、汚す訳にはいけんのです。誠一郎は跡取りですから‼」
「優希や竜樹や良明はんや康広のぼんは?」
「康広は家の男ですから、言い聞かせます。義兄も曽我部の家におらせてもろとることを、よぉわかっとると思います」
伏見稲荷神社の狐は神のみ遣いだが、この狐は悪事をたくらむ……。
にぃっと笑った、賢樹は厳しい声でいい放つ。
「こん程度の端金もろて、はいはいと訴え取り下げるとおもとんでっか?あんさんは‼エェ?あてらを下にみとんでっか‼あぁ、そないでしたなぁ。義理とはいえお兄はんが大病わずろうとんのに、旅行に行く金はある。姪が進学を望んどんのに、金はない言うて、甥ぼんにはブランドの時計、バッグ、姪にはそのお古のべべ着せて、あんさんのその格好もなんや‼謝罪に来るなら、その化粧や口紅、派手なブランドで飾った格好で来るんがまちごうとりますわ‼おかえりやす。その前に、おにいはんの病室に行って、それをお渡しや‼醍醐‼案内しぃ‼あては優希のとこに行くわ‼ぼんもおいで」
「はーい‼おいちゃん……おいはん、かっこえぇなぁ‼」
目をキラキラさせ、康広はついていくのだった。




