表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ニュクスの海に溺れて  作者: なつ
第三章 ミサキ
16/23

4

「やあ、お待たせしました」

 四十過ぎの、やや太り気味の男が入ってきた。だが、その表情が固まる。

「どちらが、ユーキさん?」

 結城が片手を挙げる。

「友達の岬です」

 結城がわたしを紹介したので、わたしは頭を下げる。

「とにかく座って。疲れてるみたいだな。まあ、そうだろう、当然だ。何か飲む?」

「お気遣いなく」

「コーヒーを三つ」

 扉から顔を出して、辻は声を張り上げた。それから戻ると、テーブルを二つくっつけて並べ、椅子をそれぞれ準備する。片方に椅子が二つ並んだので、わたしと結城はそこに腰かけた。辻は向かいに座る。

 トレーに紙コップを載せて、スーツ姿の女性が入ってきた。それぞれの前に置く。インスタントだろう。毒々しい色と匂いが立ち込める。わたしは頭を下げると、女性にお礼を言った。

「部長の手の早さには気をつけてくださいよ」

 女性が耳打ちをした。わたしは驚いて彼女を見るが、すぐに姿勢を戻して、彼女は会議室から出て行ってしまった。

「まあ、とにかく、はじめまして。わたしが辻だ。ユーキさん、あなたが女性だとは思いませんでした」

「本名は結城静江。ボクは、本当はボクなんていいませんから」

「前田柚衣くんの恋人だと思っていたから、男性だと勝手に思い込んでいたよ」

「恋人ではありません」

「いや、悪い悪い」

 黄色い歯を見せて笑う。どれだけ手が早くても、これにはとても乗れそうにない。せめて、三ツ矢教授か先ほどの日比野のように、スマートでなければ話にならないというものだ。

「一応新人研修という名目で来てもらっている。普段新人研修は三十分だ。誰も立ち入らない。余分な時間をかけたくない」

「ありがとうございます」

「だが、まずはこちらから。わたしが、広報部長だとどこで知った?」

 辻は両肘をつき、あごの下で手を組んだ。

「メールではわたしは、ただ辻とだけ名乗ったはずだ。研修のときから、自分が広報部長だと、普段から言わないようにしている」

「間違っていないはずです」

「だから聞いている」

「こちらのホームページを見れば分かります。組織上部の人員は名前が載っていました。他会社のプレゼンに参加するほどの、辻という名前には、広報部長という役職になっていました」

 辻はまだ表情を動かさない。結城を睨み、警戒しているようだ。

「それに、日比野さんをご存知でしょう。彼に聞きました」

「警察がそんな情報を漏らすのか?」

「それだけではありません。井崎取締役。神崎広報副部長。佐々木部長が、ユイを連れてここにプレゼンに来たとき、この場でそのプレゼンを聞いた人たちです」

「その通りだ」

「もしもこの中に、ユイの本当の恋人がいたとしたら、警察は佐々木殺しの犯人があなたたち三人の誰かかもしれない、と考えているのではないでしょうか」

「確かに、日比野警部が来た」

「あなたはユイの恋人ですか?」

「ありえない話だ。社長も、神埼も、あの日初めて前田柚衣くんに会った。わたしたちの中に彼女の恋人がいるなんて、警察も考えていないことだ」

「考えられなくても、可能性はないでしょうか」

「わたしの言葉を信じてくれるなら、わたしは彼女の恋人ではない。妻子ある身でね。社長も結婚している。神崎は、まだ独身だが、地元は岡崎だ。名古屋から四十分ほど電車に揺られる。会議があった日、彼は定時に帰ったはずだ。警察も裏を取っている」

「辻さんは、当日の九時から十時ごろ、どこで何をしていましたか?」

「まるでアリバイを聞かれているようだが、まあいいだろう。プレゼンのあと、当然N社のシステムを導入するかの会議が行われた。社長と、神崎は導入したいと言っていたが、わたしは反対した。それから、若いスタッフも同様だ。コンピュータに親しんでいるものほど、たいした価値はないと分かる程度のものだ。それを説明するが、社長は理解を示してくれない。もちろん、代案を思いつかないからなのだが」

 そこで辻は言葉を切ると、コーヒーを一口飲んだ。

「駅前の地下にある飲み屋に移動してね、スタッフたちと飲み始めた。七時くらいだ。まあ、不満の残る会議だったから、その憂さ晴らしにね。途中の話までは覚えていないが、店を出たのは九時過ぎだったと思う。それからスタッフたちはカラオケに行ったようだけど、わたしは帰らせてもらった。家に着いたのは十時前、大府に住んでいる。それからネットを少しやっていた。掲示板の書き込み時間を見てもらえば分かる」

「掲示板に書き込むだけなら、他の場所からでもできます」

「家人の証言でよければ、当日きちんと家に帰ってるよ。警察がどう考えているか分からないけどね」

「ここから、佐々木の家は近いのですか?」

「そんなこと知らない。それこそ日比野警部に聞いたほうが的確じゃないか」

「そうですね、すいません。決してあなたを疑ってるわけではないのです」

「ああ、分かってるよ。彼女をかばいたい気持ちは。だが、顔に疲れが出ている」

「大丈夫です」

「とにかく、こちらから情報提供は惜しまない。これはユーキさんのために言っているんだ」

「ツツジさんは、いつも否定派でしたね」

「そうだ。だから君の力になりたい。これは本心だよ」

「ありがとうございます。でも、わたしはもう自殺なんて考えていませんよ」

「それならいいが。で、どうだね、これから少し外で話をしたいんだが?」

「いいえ。行くところがありますから」

 わたしは携帯を取り出して時計を見た。すでに三十分が過ぎていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ