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「やあ、お待たせしました」
四十過ぎの、やや太り気味の男が入ってきた。だが、その表情が固まる。
「どちらが、ユーキさん?」
結城が片手を挙げる。
「友達の岬です」
結城がわたしを紹介したので、わたしは頭を下げる。
「とにかく座って。疲れてるみたいだな。まあ、そうだろう、当然だ。何か飲む?」
「お気遣いなく」
「コーヒーを三つ」
扉から顔を出して、辻は声を張り上げた。それから戻ると、テーブルを二つくっつけて並べ、椅子をそれぞれ準備する。片方に椅子が二つ並んだので、わたしと結城はそこに腰かけた。辻は向かいに座る。
トレーに紙コップを載せて、スーツ姿の女性が入ってきた。それぞれの前に置く。インスタントだろう。毒々しい色と匂いが立ち込める。わたしは頭を下げると、女性にお礼を言った。
「部長の手の早さには気をつけてくださいよ」
女性が耳打ちをした。わたしは驚いて彼女を見るが、すぐに姿勢を戻して、彼女は会議室から出て行ってしまった。
「まあ、とにかく、はじめまして。わたしが辻だ。ユーキさん、あなたが女性だとは思いませんでした」
「本名は結城静江。ボクは、本当はボクなんていいませんから」
「前田柚衣くんの恋人だと思っていたから、男性だと勝手に思い込んでいたよ」
「恋人ではありません」
「いや、悪い悪い」
黄色い歯を見せて笑う。どれだけ手が早くても、これにはとても乗れそうにない。せめて、三ツ矢教授か先ほどの日比野のように、スマートでなければ話にならないというものだ。
「一応新人研修という名目で来てもらっている。普段新人研修は三十分だ。誰も立ち入らない。余分な時間をかけたくない」
「ありがとうございます」
「だが、まずはこちらから。わたしが、広報部長だとどこで知った?」
辻は両肘をつき、あごの下で手を組んだ。
「メールではわたしは、ただ辻とだけ名乗ったはずだ。研修のときから、自分が広報部長だと、普段から言わないようにしている」
「間違っていないはずです」
「だから聞いている」
「こちらのホームページを見れば分かります。組織上部の人員は名前が載っていました。他会社のプレゼンに参加するほどの、辻という名前には、広報部長という役職になっていました」
辻はまだ表情を動かさない。結城を睨み、警戒しているようだ。
「それに、日比野さんをご存知でしょう。彼に聞きました」
「警察がそんな情報を漏らすのか?」
「それだけではありません。井崎取締役。神崎広報副部長。佐々木部長が、ユイを連れてここにプレゼンに来たとき、この場でそのプレゼンを聞いた人たちです」
「その通りだ」
「もしもこの中に、ユイの本当の恋人がいたとしたら、警察は佐々木殺しの犯人があなたたち三人の誰かかもしれない、と考えているのではないでしょうか」
「確かに、日比野警部が来た」
「あなたはユイの恋人ですか?」
「ありえない話だ。社長も、神埼も、あの日初めて前田柚衣くんに会った。わたしたちの中に彼女の恋人がいるなんて、警察も考えていないことだ」
「考えられなくても、可能性はないでしょうか」
「わたしの言葉を信じてくれるなら、わたしは彼女の恋人ではない。妻子ある身でね。社長も結婚している。神崎は、まだ独身だが、地元は岡崎だ。名古屋から四十分ほど電車に揺られる。会議があった日、彼は定時に帰ったはずだ。警察も裏を取っている」
「辻さんは、当日の九時から十時ごろ、どこで何をしていましたか?」
「まるでアリバイを聞かれているようだが、まあいいだろう。プレゼンのあと、当然N社のシステムを導入するかの会議が行われた。社長と、神崎は導入したいと言っていたが、わたしは反対した。それから、若いスタッフも同様だ。コンピュータに親しんでいるものほど、たいした価値はないと分かる程度のものだ。それを説明するが、社長は理解を示してくれない。もちろん、代案を思いつかないからなのだが」
そこで辻は言葉を切ると、コーヒーを一口飲んだ。
「駅前の地下にある飲み屋に移動してね、スタッフたちと飲み始めた。七時くらいだ。まあ、不満の残る会議だったから、その憂さ晴らしにね。途中の話までは覚えていないが、店を出たのは九時過ぎだったと思う。それからスタッフたちはカラオケに行ったようだけど、わたしは帰らせてもらった。家に着いたのは十時前、大府に住んでいる。それからネットを少しやっていた。掲示板の書き込み時間を見てもらえば分かる」
「掲示板に書き込むだけなら、他の場所からでもできます」
「家人の証言でよければ、当日きちんと家に帰ってるよ。警察がどう考えているか分からないけどね」
「ここから、佐々木の家は近いのですか?」
「そんなこと知らない。それこそ日比野警部に聞いたほうが的確じゃないか」
「そうですね、すいません。決してあなたを疑ってるわけではないのです」
「ああ、分かってるよ。彼女をかばいたい気持ちは。だが、顔に疲れが出ている」
「大丈夫です」
「とにかく、こちらから情報提供は惜しまない。これはユーキさんのために言っているんだ」
「ツツジさんは、いつも否定派でしたね」
「そうだ。だから君の力になりたい。これは本心だよ」
「ありがとうございます。でも、わたしはもう自殺なんて考えていませんよ」
「それならいいが。で、どうだね、これから少し外で話をしたいんだが?」
「いいえ。行くところがありますから」
わたしは携帯を取り出して時計を見た。すでに三十分が過ぎていた。




