第2話 Reddish brown wilderness
「―――目標地点到達ハ一時間二十五分後、12:00トナリマス。周囲ニ敵機及ビ脅威トナリエルモノハアリマセン。コノママ予定通リノルートデヨロシイデショウカ?」
「ああ、それで頼む。俺はひと眠りするから着いたら起こしてくれ」
「了解シマシタ。当機ハコノママ自動運行モードヲ継続シマス」
果てしなく続く荒野。ひび割れた大地に枯れた草木、ごつごつとした岩場が点在する場所を、一機の戦闘機の様な、黒い機体が砂埃を巻き上げながら低空飛行で何処かへとひた走っていた。その機体の内部、一人用のリクライニングシート、そこに座る中年男性は背もたれを倒して目を閉じた。すると、それに合わせるようにこれまで光を放っていたモニターが暗くなり、非常灯の青い光だけが暗闇で小さく輝く。ひと一人がゆったりとくつろげる空間、そこにはレバーやスイッチなどは無く、アクセルペダルも無い。あるのは背を預けられるシートと腕を置く肘かけ、両手にそれぞれ握る事が出来るグリップハンドル、そして伸ばした足を置ける台といくつかのモニターだった。簡素であるが近未来的な操縦席、それに対して男は不釣り合いな中世の平民の様な衣服を纏っている。ぼさぼさっとしたダークグレーの長髪を後ろで束ね、顎に無精髭を生やした彼は女性の機械音声ナビゲーターと会話を終えると眠りについた。
目蓋を閉じて数分後、深い眠りに着く前にそれは起こる。鳴り響く緊急アラート。まだ到着には早い、何事だと慌てて男は上半身を起こした。
「緊急事態発生、前方ニ想定範囲外ノ時空空間圧縮ポイントヲ発見、緊急回避シマス」
「なっ…!この星で空間転移だと?んな事はありえないだろ」
信じられないと疑った男だったが、目の前の光景にその考えはすぐに改めざるを得なかった。眩い光が視界を奪う。どうにか接触を免れた機体は岩場に直撃寸前の所で停まった。
「損害箇所はあるか?」
「問題アリマセン、ルート修正モ完了シマシタ」
「そうか…良かった。で、一体なんだったんだアレは」
「生体反応ヲ確認、種族ハ人間デス」
「ヒトが生身で転移だと?馬鹿な、そんな訳あるか」
男はモニターを操作して画面に映る人物を拡大表示にして確認した。その姿に半信半疑だった態度を改める。ナビゲーターの言う通り、それは人であり、女の子のようであった。
少女はこちらの機体に近づこうとせず、辺りをキョロキョロと見まわしている。その様子から敵意や悪意などは感じられない。となるとこれは何か事故にでも巻き込まれたクチだろう。そう踏んだ男は機体から出て大地に降り立つ。
「(とりあえず身元を確認するか)」
腰のホルスターに仕舞ってあるハンドガンを握り、少女に照準を合わせながら歩み寄った。
第2話 Reddish brown wilderness
「あ、怪しい者じゃありません!!その、私はただの通りすがりの女子高生で…」
銃口を向けられて気が動転してしまったのか、鳴鳥はしどろもどろになりながら無害である事をアピールする。しかし言葉が通じないようで、その出鱈目な言い訳は全く伝わっていないようだった。男は銃を構えたまま、聞いた事のない言葉で話しかける。
「(そ、そうだ。外国人に日本語じゃ伝わらないよね…!よし、ここは英語で―――)あー…アイアムノットアダウトフルパーソン。 ウェアーイズディス?」
今度は落ち着いて、片言だが自分は敵意など無い、ここが何処であるか分からなくて困っていると述べた。だが、それも伝わらなかったらしい。男はそれに応える事は無く黙りこんだ。意思疎通が上手くできなくて鳴鳥が困っていると、男は何を考えているのか、スッと銃を下ろした。彼は空いている左手でジャケットの胸ポケットから何かを取り出し、握った物を鳴鳥の前へと放り投げて寄越した。彼女の足元、地面に落ちているのは銀色に輝く小さなケース。戸惑う鳴鳥に、男はそれを拾うように顎を上げて促した。考えていてもしょうがない、逆らったらまだ仕舞われていない右手の銃で撃たれてしまうかもしれない。そう思った彼女は大人しく指示に従いケースを拾い上げる。手のひらサイズのケース、その中に入っていた物はシルバーの筒状イヤーカフスだった。なぜ突然見ず知らずの者にこのようなアクセサリーをくれるのだろうか?混迷を極める男の行動に鳴鳥は目をパチクリさせる。そういった彼女の動揺を意に介さず、男は顔を横にそむけて耳の周りの髪を掻きわけて露わにする。隠れていた耳に光るのは鳴鳥が今手にしている物と同じイヤーカフスだった。それをトントンと人差指で叩き、自分と同じように装着しろという指示をジェスチャーで示した。コクリと頷くと鳴鳥は両耳にイヤーカフスをはめる。すると予期せぬ事が起きた。
「…ようやく会話が成立するな」
「え?これはどういう事なんですか?」
イヤーカフスを耳に着けた途端、これまで聞き取れなかった、理解できなかった男の言葉がハッキリと分かるようになった。摩訶不思議な現象にますます混乱する鳴鳥。そんな彼女の質問に答える事はなく、男は淡々と問いかけた。
「お前はどこの星からどうやって来た?その身なりから察するにこの星の人間ではないのだろう?」
「『ほし』?…わ、私は日本の東京―――」
「『ニホン』?『トーキョー』?聞いた事がないな。で、転移はどうやって行った?」
「えっと…気がついたらここに居たので…。どうやってここに来たのか分からないんです」
「…となると転移事故に巻き込まれたクチか。どうやら俺は厄介な拾いモノをしたみたいだな」
やれやれと肩を落としてため息をつく男は警戒を解いたのか、右手に握っていた銃を腰のベルトに着けているホルスターに仕舞い、くるりと踵を返して歩き出した。そのまま数歩進んだ所で振り返ると怪訝な表情を浮かべる。
「こんな所に居てもどうしようもないだろう?付いてこい、近くの町まで…いや、この星に難民を預けられる機関は無いか。まぁとにかく任せろ」
「あ、はい。その…ありがとうございます」
言い方や態度はそっけないが、どうやら助けてくれるらしい。色々と尋ねたい事はあるが、鳴鳥は素直に従い男の後を追うように歩き出した。このまま悩んでいてもどうにかなる訳でもない、それに彼は武器を所持している。ここは大人しく言う通りにしておいた方が身のため。そう、彼女は判断したようだ。彼の行く先には黒い金属で出来た戦闘機がある。コックピットの横で男が手をかざすとハッチが開く。彼は手慣れた様子で座席に座るとモニターに触れた。
「星の名称検索『ニホン』『トーキョー』で頼む」
「了解シマシタ」
男が問いかけると女性の機械音声が応えた。しかしその質問は見当外れであると鳴鳥は気づき、途中で割り入る。
「あ、あの!日本と東京って言うのは国名と首都の名前であって…―――って、え?『ほし』って惑星とかの『星』の事ですか?!という事は今居る此処は―――」
「おい、それを早く言え。ちなみに此処は『フェルスボウデン』って名の星だ」
「星…?ここは外国じゃなくて違う星…そんなまさか…」
目を見開き視界を彷徨わせていた鳴鳥は崩れる形でへたり込んだ。さらりと当たり前のように告げられた男の言葉に強烈な衝撃を受けたのだろう。今在る事実を否定するように、頭を抱えて首を横に振る。その様子に男はしまったと罰の悪そうな顔をした。
「お前、その様子だと後進惑星の人間か?」
「…こうしん…惑星……?」
「あー…。そうだな、質問を変える。お前の母星は他の惑星へ行き来する方法が無かったのか?」
「他の星…。月に行ったって話は昔にありましたけど、確か一度きりでその後は無人探査だとか」
「つまり他の星の住人とコミュニケーション、接点は無かった訳だな」
「異星人ですか?そんなの居る訳―――」
「…俺はその異星人な訳だが」
「!?」
追い打ちをかけるような男の言葉に鳴鳥の頭は情報を処理しきれずに真っ白になった。
鳴鳥が目を覚ました場所、それは先程男が座っていた機体の座席の後ろ、補助席の様な小さな椅子だった。開いていたハッチは閉じられ、ガラスみたいな透明な板越しに景色が横へと流れている。前の座席、操縦席には男が気を失う前と同様に座っている。
「ようやく目が覚めたか」
「あ…やっぱり夢じゃないんですね」
男は鳴鳥が意識を取り戻したのを確認すると眉根を潜めながら訊ねた。
「お前の暮らしていた星では魔物…人間に害をなす生物が居たのか?」
「魔物?いいえ、地方では熊に襲われたり、海で鮫に襲われたりとか、あるにはありましたけど。どちらも気を付けていれば滅多に遭遇しないかと」
「日常生活で脅威は無い、と言う事か」
「はい」
「治安はどうだ?護身用に武器を携帯していないと表は歩けないか?」
「私の住んでいた国では法律でナイフや銃の所持が認められていませんでしたから、治安は良い方だと思います。あ、海外では銃社会な国もあります」
「そうか…お前が住んでいた国は随分と暮らしやすそうだな」
自分の住んでいた国を褒められて内心喜びを感じた鳴鳥であったが、彼女は男の言葉に同調することなく否定しようとした。治安が良いからといって暮らしやすい訳ではない。全く問題の無い国や社会などある筈もないからだ。他の国からは良く見えても、その国の国民は現状に満足している訳ではない。―――そう、返答しようとした言葉は男の問いかけで遮られた。
「で、これはなんだ」
「え?それは…ナイフですか?」
男が手にしているのは折り畳み式のナイフ。それを見せつけられ、鳴鳥は戸惑いながら答えた。何故こんな事をこの人は聞くのだろうか、疑問符を頭の上に浮かべて小首をかしげる彼女に対し、男は疑惑の眼差しを向ける。
「しらばっくれるつもりか?これはお前の懐に入っていたモノだ」
「へ?な…なんで!?」
「何でかはこっちが聞きたい。お前がなかなか起きないから所持品に手掛かりがないか勝手に調べさせて貰った。で、これが出てきた訳だが、護身用では無いとすると商売道具か?」
「商売道具ってどういう意味ですか?」
「無害で無防備な振りをして、近づいてきた親切な人をグサリと刺して金目の物を奪う。追剥の手口だ」
「そんなことしません!」
「だったらこれは何だ?」
「そ、それは…その」
だんだんと疑惑の色が深まっていくのが見て取れる。しかし鳴鳥には全く心当たりがなかった。疑いの視線から逃れるように男の手にするナイフをまじまじと凝視する。すると、ある事を思い出す。そのナイフには見覚えがあった。遡る事数時間前、彼女はそれを突き付けられていたのだった。
「それはこのジャケットの持ち主の久城センパイの物です!これ、男物のジャケットですよ!私の持ち物ではないんです。そうだ、あの時不良から取り上げたのを仕舞ってそのまま―――」
そこではたと気が付く。このジャケットを貸して貰った理由を。そして目の前の男は懐にナイフがあったと言った事を。つまりは―――
「―――見たんですか」
「は?何をだ?」
「決まっているじゃないですか!このジャケットの下!」
「ああ、確かに見たが、お前の居た星では引き裂いた服を着るのが流行っているのか?」
「見たんですね!!」
鬼気迫る鳴鳥の表情に気圧され、男はたじろぎながらもコクリと頷いて肯定した。すると彼女はガクッと肩の力を失ってうなだれる。ここまでショックを受けるとは想定していなかった男はさすがに気の毒に感じたのか、素直に謝罪の言葉を述べた。
「勝手に調べたのは悪かった」
「…いえ、いいんです。助けていただいているのに気を失ってお手間を取らせた私が悪いんです」
「まぁ見られて減るようなものではないしな。気にする事はない。」
「………は?」
男のフォローに鳴鳥の眉がピクリと動く。彼なりの気休めの言葉だったようだが、それは逆効果だったようだ。鳴鳥はショックを受けて自暴自棄になっていたが、彼女の中でふつふつと怒りの感情が芽生え始めた。
「確かに、見られて減る物ではないですけど。こういった事柄をそういう言葉で片付けるのは如何なものかと?」
「は?いや、お前。さっき自分が悪いって言っていただろう」
「言いました。でも私だけが悪いとは言っていませんから」
遠まわしにあなたが悪いと言われたような気がした男は口端をヒクつかせる。彼にとっては至極どうでもいいつまらない事、しかしそれは彼女にとってはさらりと流す事の出来ない重大な事。価値観の違いに二人の間柄はどんどんと険悪なムードへと変わる。売り言葉に買い言葉。男は言ってはならない一言を口にした。
「…そもそも見る価値のある身体ではないだろうが」
「なっ…!」
事実を言われた鳴鳥であったが、怒りは抑えられなかったようだ。気にしているところを指摘された彼女は顔を真っ赤にしながら喚く。
「なななななんて事を…!失礼ですっ!デリカシーってものが貴方には無いのですか!?」
「事実を言って何が悪い」
「そういう発言で傷つく人もいるんです!」
「現実に目を背けてどうなる。虚しいだけだろ」
「だから!こういった事はデリケートな問題なんですよ。それに対してその言葉は最低です!」
そんなこんなで口喧嘩をしている内に二人が乗っている機体が目的地に着いたのだろう。いつの間にか流れていた景色が止まっていた。くだらない話はここまでだと言わんばかりに、男はやれやれと肩を竦めながら言った。
「お前、自分の立場を分かっているのか?」
「そ、それは」
「この先どうする?一人で何とかできるのか」
「ぐぬぬぬ」
まさにぐうの音も出ない状態。鳴鳥は不満げな、何か言いたげな表情で黙りこくる。しかしこのまま関係を悪化させるのは得策ではない、そう考えに至った彼女はこれまでの非礼を詫びた。
「…感情的になってすみませんでした」
「ま、俺も言いすぎた。済まなかったな」
あっさりとした幕切れ。少々拍子抜けする所だが、元々彼は鳴鳥の小言などそれほど意に介していなかったのだろう。寧ろからかって遊ばれていた節もある。見知らぬ土地に居る不安、それが彼との会話によって幾分か和らいでいる事に鳴鳥自身は気が付いていなかった。
「さて、これからなんだが。俺は仕事であの町に行かなければならない」
機体から大地へと降り立った男は遠くに見える断崖を指さす。これまでひび割れた大地とごつごつとした赤茶色の岩、枯れた草木しかなかった平地が続いていたが、彼が示した先には高い断崖絶壁が、その麓に人工の灯りが点在している集落らしきものがあった。
「ここにお前だけを残して行くのも不安だからな。仕方がないから付いてきて貰うぞ」
「え?この乗り物はここに置いておくんですか」
「これはARKHEDだ。それから、この星はお前の母星と同じ後進惑星だ。この機体を目撃される訳にはいかないからな」
そう説明しながら男は大きな岩場の陰に停められた機体の横、青色に光る円状の模様に手をかざした。すると、機体がスゥ…と姿を消す。どうやらステルス機能で隠しておくようだ。透けていてなにも無いように見えるが、鳴鳥が手を伸ばし触れてみると、そこには確かに金属の感触があった。
これで準備は整った。かと思われたが、男は立ち止まったまま鳴鳥の頭からつま先まで眺めていた。顎に手をあて、なにかを考え込んでいる。少しして考えが纏まったのか、男は機体から降りる時に持ち出したトランク、今は彼の足元にあるそれを開いて茶色いフード付きの外套と、手の平より少し大きいサイズの金属ケースを取り出す。
「お前の格好は目立つ。少し大きいがこれを着ろ」
「あ、はい。ありがとうございます」
男の身長は鳴鳥の身長より彼女の頭ひとつ分くらい大きい。彼が着るとひざ下位の丈のコートだが、鳴鳥が袖を通すと丈は足首まで、袖はだぶついている。近未来的な乗り物に異星人だと名乗る男。それに反して彼の服装が中世の様な天然繊維の布と革でのみ作られた服である理由が分かった。
もうひとつ、手にしていた金属ケースを開くと、そこには金属製のチョーカーがあった。幅が広く、首にぴったりとはめるタイプのチョーカー。男はそれを手にするとボタンを操作する。すると、銀色に輝いていたそれは木目調のデザインに変化した。
「これは?」
「発声用の言語変換装置だ。俺達は今、互いに聞き取り用の装置をしているから会話が成立する。だが、これから向かう先にはこの装置を着けていない者達ばかりだ。相手の言う事は聞き取れてもこちらの言葉は伝わらない」
「なるほど。わかりました」
そこではたと気が付く。イヤーカフスタイプの装置は二人とも同じ物を着けているが、男はこのチョーカーをしていない。何故なのだろうと首をかしげつつ装着する鳴鳥に彼は答えた。
「首に輪をするのは気分的に、な。俺は手術をして奥歯に埋め込んでいる」
「そうなんですか…。なんだかすごいですね。あ、もしかしてどこでも好きな所に行けるドアとか、光を浴びせると大きくなったり小さくなったりする懐中電灯もあったりするんですか?」
「ん?お前の母星ではそんなものがあるのか?」
「い、いえいえ。ただそういうモノが出てくるお話があっただけです」
「…そうか」
男はトランクを提げると町に向かって歩き出した。鳴鳥は余った袖を捲り上げながら彼の後に続くように歩く。今度こそ準備は万端な筈だが、鳴鳥はある事に気が付き男に声を掛けた。
「そういえばまだお互いに名前を知らないですよね」
「言われてみればそうだな。俺の名はジルベルト・ジャンディーニだ。短い間になると思うがよろしくな」
「私は奈々塚鳴鳥といいます。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ナナツカか、変わった名だな」
「あ、鳴鳥です!ナトリ・ナナツカです。名は鳴鳥で姓が奈々塚です」
「ん?そうなのか。まぁよろしくな、ナトリ」
「はい…!」
三十分程歩き続けた先、そこには辺りに点在する岩と同じ色、赤茶色の岩を重ねて造られた箱状の建物がいくつも並んでいる。人が住むだけあって、ここにはこれまで見られなかった木々や草木が僅かだが生えていた。
ジルベルトは迷う様子もなく、目的地へと歩いている。その途中ですれ違う人達は女性やお年寄り、子供が多く大人の男性は少ない。空がどんよりと曇っている為、時間が把握できなかったが、どうやら今は日中なのだろう。
人通りの少ない町の中で真っ先に向かって行ったのは商業区画である。ジルベルトはとある商店の前で足を止めた。そこは衣料品店であり、そのお店はショーウインドーに流行りの衣服がディスプレイされているような店ではなく、どちらかと言えば作業着、見た目より機能を重視した品々を取り扱う店であった。そこでジルベルトは手早く鳴鳥用の衣服、シャツとチノパンと靴下を替え分を含めて二着づつ、革のショートブーツを一足購入した。
「(…あれ?もしかして男の人とこんな風に衣服を買い物に行くのって初めてじゃ)」
鳴鳥の初ショッピングデート。相手は十歳は離れているだろう顎に無精髭を生やしている中年男性。買い物を楽しんでいるような様子ではなく、寧ろ面倒臭そうな態度である。「この服どう?似合ってる?」なんて台詞は無い。
「(うん、これはカウントに入れなくていいや)」
「これで全部か」
購入後、すぐに着替えた鳴鳥。彼女の姿はこの町の住人と大差ないように見える。外套の下に着ていたジャケットと制服はこれまた買い与えられた革の肩掛け鞄に仕舞った。荷物になるが、ここで捨てる訳にはいかない。特にこのジャケットは借り物だからだ。
準備は整った…と思われたが、鳴鳥は買い忘れがある事に気が付いた。だがすぐには言いだせない。それは年若い女性が男性の前で口にするには憚られるモノである。頬を赤く染め、目線を逸らし、もじもじと何か言いたそうな鳴鳥。ジルベルトは言いたい事があるなら早く言えとせっついた。
「何か買い忘れがあるのか?この際金は気にするな。と言っても無駄な物は買わないぞ」
中々羽振りの良い事を言ってはいるが、鳴鳥は知っていた。ジルベルトは購入の際に領収書的な物をちゃっかりと貰っている事を。無事に家に帰れたら請求されるのだろうか、それともジルベルトの仕事先で経費として下りるのだろうか。不安な所である。
ともあれ、その必要なモノはせめて今着用している分を合わせて最低二枚は欲しい所だ。もごもごと言葉を濁らせながら、なるべく直接的な表現は避けて伝える。
「えーっと…。その……服が二着と言う事は宿泊するって事ですよね」
「ああ、この町に二、三日滞在する事になるかもしれんな」
「そう…ですか…。で、ですね。着替えを…」
「着替え分なら買っただろうが」
「…アウターとボトムスは。………い、インナーがまだ」
「…」
ジルベルトはようやく理解したようだ。眉間に皺を寄せ、心底うんざりしたような表情を見せつけて黙った。そして無言のままこの町で使用できる紙幣で一番大きな額を鳴鳥に渡した。自分で買ってこいという事だ。鳴鳥はお礼を言い、手早く選んで購入して戻って来た。一応、領収書の様なものも貰っておいた。
必要最低限のものを買い揃えた二人はジルベルトが仕事をする為の場所へと向かった。
「ここだ」
「随分大きなお屋敷、ですね」
町の奥、断崖を背にした屋敷へと辿り着く。そこはこれまでの簡素な家屋ではなく、立派な門と玄関まで続く石畳、そしてひと際大きな建造物があった。
「今更かもしれないが、お前は黙っていろよ。余計な事は一切するな」
「む。私ってそんなに信用ないですか?」
じっ…とジルベルトは鳴鳥を見つめる。疑いの眼差しを向けられているようなので、ここは退くものかと彼女は見つめ返す。しかし彼の相手を見透かすような鋭い視線に耐えきれず、徐々に目を逸らした。二人は暫く無言で見つめ合っていたが、ジルベルトがため息と共に口を開いた。
「一応念の為に、だ」
「…わかりました」
返事を聞き届けたジルベルトは木製のドアへと向き直り、金属製のドアノッカーで戸を叩いた。程なくして重そうな扉が開き、屋敷の主に仕える執事らしき細身の老人が出迎えた。
「中央から来ました。ジルオット・ジラルディーニといいます」
そう言いながらジルベルトは手紙を手渡した。老人は手紙を受け取ると中身をざっと確認する。そして不思議そうにジルベルトを横目で見ていた鳴鳥へと視線を向けた。
「この者は助手のナナリー・ナトリアです」
ジルベルトに紹介され、鳴鳥はぎこちなくお辞儀をした。先程、お互いに自己紹介した時と名前が違う事に疑問を抱いていたが、彼の言っていた言葉を思い出して得心がいったようだ。この星は後進惑星とやらで高度な文明をもたらす訳にはいかない。つまりは秘密裏に動いている為、偽名を使う必要があるのだと。そうならそうと前もって教えてくれててもいいのに、と鳴鳥は内心思っていた。
「中央の学者先生でしたか、お待ちしておりました。わたくしはこの館の主の執事を務めております、ゴンザレスと申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「主は奥の執務室に居ります。こちらへどうぞ」
うやうやしく礼をしたのち、老人はジルベルトのトランクを預かると執務室まで案内をした。外装から把握はしていたが、この屋敷の主はこれまで目にしてきた住人達よりも裕福なようだ。足元の絨毯、飾られている調度品などから窺い知れる。
「グレゴリオ様、客人がお見えです」
「おお、待っていたぞ。中に入りたまえ」
扉をノックし、老人は向こう側に居る者に声を掛けた。主の了承を得て、二人は室内に通される。部屋の奥、書類が積まれたどっしりと重厚感のあるデスク。そこにある革張りの椅子に座っていた男性、歳は五十を超えているだろうと思われる大柄で、狸の様な腹をした彼は精悍な顔つきをにこやかな笑顔に変えて、立ち上がり歩み寄って来た。
「お初にお目にかかります。中央から来ました、ジルオット・ジラルディーニと申します」
「じょ、助手のナナリー・ナトリアです」
先程の玄関でのやり取りから学んだのか、鳴鳥は自ら偽名を名乗った。一礼をした後、横目でジルベルトの表情を窺うが、彼は真面目な顔をしたままだった。喋るなと釘を刺されていたが、この程度なら問題ないのだろう。怒られるかと思ったが、どうもないようで鳴鳥は胸をなでおろす。
「遠いところからわざわざこのような田舎町によくぞ来て下さいました。私がこの町、『ラザン』の町長、グレゴリオ・オルバーンです。いやぁ~正直なところ何度か依頼を出してことごとく断られていたので駄目かと思いましたよ。いやはや、何事も諦めずに続ける事が大事、ですな」
「喜んでいただけるのは幸いですが、わたくし共でお力になれるかどうか…」
「いえいえ、来て頂いただけでも一歩前進ってものです」
挨拶を交わしたのち、グレゴリオに勧められて応接用のソファーへ鳴鳥とジルベルトは座る。向かい合って座ったグレゴリオはこれまでの笑顔を崩し、真剣な眼差しを向けた。
「単刀直入に言わせて貰いますが、学者先生にお願いしたいのはですね、この町から少し離れた所にある採掘場なのですが―――」
この町の成り立ち。それはグレゴリオが若かりし頃、鉱脈を発見したことから始まった。彼はこの星で主な燃料とされている鉱石で富を築き、そして鉱山町を作り、初代町長となったそうだ。
順調なように思われたが、そこで問題が起きた。グレゴリオが発見した鉱脈は30年程で掘り尽くされてしまったのだ。彼はこの町から離れた場所で再び鉱脈を探すように指示を出したが、そこで採掘されたのは燃料ではなくて別の鉱石。それはただ妙な模様が出ているだけの使いようのない石ころである。それだけであるなら他の場所を再び探せばよいのだが、妙な鉱石と共にある物が発掘されたのだった。
「詳しい話は現場に赴いてからにしましょうか。ゴンザ、馬車の手配を頼む」
「畏まりました」
馬車の準備が整い、鳴鳥達は玄関ホールへと向かう。そこではウェーブがかった金髪の少女とメイドが言い争い…と言うより、少女が一方的に何やら喚いていた。
「どうしたんだリリアン。客人の前でそんな大きな声を出して」
「お爺様…!」
『リリアン』とグレゴリオに呼ばれた少女は彼の顔を見た途端、ぱぁっと笑顔に花を咲かせた。嬉しそうに彼の元へと近寄るが、そのスピードはゆっくりだった。と言うのも彼女は木製の車椅子に座っている為、素早く駆け寄る事が出来ないのだ。
グレゴリオは鳴鳥とジルベルトに少しばかり時間をと断りを入れ、リリアンに近づいて彼女の目線に合うように腰を低くした。
「お爺様、その方々は中央の学者先生なのでしょう?わたくしもお話がしてみたいですわ」
「済まないリリアン。儂と客人はこれから採掘場に行かねばならん」
「むぅ。またお仕事なのですか?」
不満そうにむくれる孫娘に対してお爺様はたじたじのようだ。それを見かねたのか、ジルベルトが二人の元に歩み寄って提案をした。
「差し支えなければですが、この時間帯だと今日は下見程度に終わると思います。だとしたら夕食時かその後にならお孫様の話し相手になれますよ」
「本当!?それならわたくし楽しみに待っておりますわ」
「先生、気を遣わせてしまったようですみませんなぁ」
「いえいえ、お気になさらずに。私の話でお孫様が楽しんでいただけるか分かりませんが」
「(意外だな。ジルベルトさんは子どもに優しいんだ)」
少し離れた所から三人のやり取りを見ていた鳴鳥は、ジルベルトの対応に驚いたと同時に感心した。これまでの彼はどこか斜めに構えたような態度で接していたように感じたが、こういった気遣いもできるのだと知る。人当たりのいい感じ、以前との変わりように驚きつつも一つの疑問が生まれた。自分の時は銃を突きつけられたり身体的特徴を馬鹿にされたりしたのに今回はあまりにも違いすぎると。
「(もしかしてロr…)」
「言っておくが、俺にそういった趣味はない。さっきのは仕事を円滑に進める為だ」
用意された馬車まで歩いている途中、ジルベルトは鳴鳥だけに聞こえるようにぼそっと呟いた。なぜ考えている事が分かってしまったのかと彼女は眼を見開いて口をぽかんと開けて驚く。口に出していたのかと慌てて手で塞ぐがそうではない。本人は感情を隠しているつもりだが、思っている事がわかりやすく顔に出てしまう事を彼女自身は気が付いていなかった。