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醜きモノ

作者: 気野

「坂の上の雲」や「八重の桜」を見ていてふと思いついた作品です。

西郷大将が太政官の職を辞し、故郷の薩摩に帰ったという話は、東京から遠く離れた名古屋鎮台の歩兵第六連隊にも聞こえていた。世の中では廃藩置県と版籍奉還による幕藩体制の消滅により多くの士族が失業し、太政官に対し不満を募らせていた。そんな中で維新成立の最大の功労者たる西郷大将が下野したとなれば、世の人々は自然と「西郷は世直しをする気だ」という期待を寄せる。財政難解決のため、幕藩時代以上の重税を設けた太政官に対して、一般民衆からの恨みも破裂寸前となっていた。


「名塚はどう思う?」


ある日の夜、連隊の士官室でのんびりと酒を飲んでいた名塚は、先ほどから他の士官と議論していた同僚に話を振られた。


「どう、とは?」


「西郷大将のことだ。やっぱり蜂起する気なのか?」


「俺は西郷大将じゃないからわからんよ」


素っ気なく返す名塚は再び一人の晩酌を始める。同僚たちはその反応が気に入らないのか必要以上に突っかかって来る。


「ぬしはかつて賊軍に加わっていたそうではないか。太政官が倒れるのは喜ぶべきことではないのか?」


「それとも、まさか仇敵の薩摩が官を倒すことが気に入らないのか?」


「……下らん」嫌味を文字通り切って捨てる名塚の口調は、これ以上何か言えば叩っ斬るぞとでも言っているようだった。


「西郷がどうなろうと、官がどうなろうと俺の知ったことじゃない。だがあえて言えば、過去の一旧藩によって存在が危ぶまれるような官ならば、そもそも幕府を倒せたわけもない」


名塚は少し饒舌になっていた。腹の底に貯め続けていた言葉を、この際一気に吐き出そうとしていた。

名塚は尾州藩の足軽の家に生まれたが、尾州が新政府軍に付いた時には脱藩し、旧幕軍に加わって東北から函館まで転戦し


「じゃあなんで貴様は戊辰の折、賊軍に加わった?」


「つまらんからさ」吐き捨てるように言う名塚に、一同は困惑した。猪口の中身を一気に飲み干した名塚は、そのまま喋りだす。


「日本を新しい国に作り替え、西欧列強に対する強国にすることには、俺自身賛成だ。だがだからといて、日本すべてが今までの自分を忘れ、新しきものばかりに突き進む様は、まるで光にたかる蛾ではないか」

歯に衣着せぬ辛辣な言葉に、同僚たちはひるんだ。数人は、この男はかなり酔っているのだと思った。


「……世の中の人すべてが革新を目指しているだけでは面白くない。人ってのは、どうしようもなく愚かで貪欲で、新しきを嫌い権力を好み、そして戦と血を望むも醜いものではないのか? え?」


この時の名塚の瞳はギラついていた。その中には狂いきった凶獣が住み着いていた。戊辰の時の勝ち戦を知る同僚たちは、これが負け戦を知る者の瞳かと感じた。


「名塚は、また戦が起こると思うのか?」


「起こるさ。この国は、まだまだ血を欲している」


下野した西郷を慕う薩摩士族たちは、日本最強の士族団とされている。西郷自身にその気がなくとも、血の気にはやる薩摩は必ず蜂起するだろう。


「俺とて一応は官のめしを食っている身だ。給金の分は働くが、勝敗なんてどっちでも構わんと思ってる」


「ぬしはどっちが勝つと思う?」


「まだ始まっておらん戦の勝敗を、今考えるのか? ぬしらは」


名塚は笑いながら猪口に酒を注ぐ。巷にはどこにでもある安物だが、彼はこの酒を好んでいた。


「……だが、どちらが勝つにしろ、戦はもうそれっきりだろう」


「なぜだ?」


「西郷大将に代わる人が、この世にもう一人でもいるのか?」


その切り返しには一同が沈黙した。誰しもが、いずれ起こる反乱が古今に類を見ない最大級の戦になると思っていたからだ。


「戦はいずれ起こる。だが一度戦が起こって、そして終われば、もう後に起つ者は居なくなる」


障害がなくなった国家は、今度こそ強国になるための道をひた走るだろう。国家すべてがある一方向をめざし、一糸乱れぬ行進を行う。そこには人らしい醜さなど一片も見られない。まるで制御された機械のような様子があるのだろう。そうなれば、


「………この世は、つまらなくなってしまうなぁ」


独り言ちる名塚は、猪口の中の酒を舐める。今宵の酒は、まったく酔えなかった。

日本における最後で最大の士族反乱、西南の役が勃発したのは、これより四年後の明治十年のことだった。この戦により西郷軍と官軍はそれぞれ六千名以上の戦死者を出すに至った。その中には名塚の名もあった。官軍として出征した彼は西郷軍との戦闘の中、終始部隊の先頭に立ち、時には壮絶な白兵戦すらも行い、最後には敵の乱弾を浴びて戦死した。享年三十二。遺体は遺言通り、旧名古屋城下のとある寺に葬られている。


どうもみなさん。終わりに失礼します、スグルです。

今回書いた「醜きモノ」は私が五日書こうと思っていた時代ものです。時代背景は明治六年の政変で西郷隆盛が下野したころのことで、名古屋鎮台の歩兵第六連隊に属する士族士官の名塚が、薩摩が蜂起するかしないかについて断じている同僚たちに、自分の思いの一片を吐露している内容です。

この中で名塚は、富国強兵と欧化政策により「完全な国」を造ろうとする政府の様子を、「不完全で醜いものこそ人間である」とする独自の価値観を持って「つまらない」と一蹴しています。

この価値観は、かつて旧幕軍の一員として新政府と闘った信念からくるものなのか。あるいは旧幕軍に加わった要因として、始めから持っていたものなのか。それは当事者しか知りえません。

ただ言えるのは、名塚の価値観はその時代に多くあったものの一つにすぎず、維新と呼ばれた時代には、こんな様々な価値観や思惑が交叉していた、混沌とした時代だったのかもしれないということです。

この混沌は、今のこの世にも続いているのかもしれません。

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