第8章「終わる世界の中で交わす言葉」
「あの爺さん誰だったんだ?」
「多分ゼウスじゃないかな?」
「ゼウスってギリシャの神だっけ?」
「そうそう。全能の神だったかな」
「じゃあなんでそんなのが颯爽と現れたんだ?」
「気まぐれなんだよきっと」
「気まぐれでやられてたまるか」
「でも実際そのお陰で助かったしなぁ……」
「で、これどうする?」
「ガイ・ボルグはオークションに出品しよう」
「報復が恐ろしいな」
カサスは握っている槍を近くの川に投げ入れる。
すると水が爆発し、白い飛沫が空を舞った。
街灯の光に反射してキラキラと銀色の粒が煌めく。
それを見た2人はああー、と叫ぶ。
まるでこちらを非難するかのようだ。
「お前ら冷静になって考えてみろよ……こんなもの危なっかしくて売ることも怖いわ」
「これはこれで恐ろしい事が起きそうだけど」
雅は倒れているフリンに目を向ける。
先ほどまでの醜い姿とはうって変わって今は最初に出てきた時と同じ細身の姿だった。
しかし白目を向いて舌をだらんと出しているのでこれはこれで気持ち悪い。
「今は眠っているから良いが目を覚ましたら面倒だな」
アリストが雅の言葉に同意する。
ならどうするのか。
「逃げようぜ」
×
「……かなり効いたな」
「ってどうして動いているの?」
ワーミィは目の前の光景に慄く。
グングニルによって貫かれた筈のホルスがむくりと起き上がったのだ。
その胸にはある筈の傷がない。
「父親はオシリスだ。ならばわかるだろう?」
「ミイラ……ああ、死んでも生き返るという事ね」
「そういう事だ」
「うおおファラオ復活したし気持ち悪いな」
「あれゾンビ? 私達食べられてしまうの?」
「あながち間違ってないなー。一回死んでるっぽいし」
「……妬ましい。あの太陽神」
「というかボク達またホルスと戦わなきゃいけないの?」
「良い加減勘弁して欲しい……」
各々勝手に騒いでいるがワーミィはひとまず構えの体勢を取る。
あの老人――おそらくオーディンだろうが、彼はすぐどこかに消えてしまった。
ならばもう手助けを期待するのは絶望的だ。
今度こそどうにかして不死身の相手を倒さなければいけない。
「いや、緊張しなくて良い」
「どういう事かしら?」
「こちらも少々カッとなっていた、つまりそういう事だ」
「わからないわね」
「わからなくて良い。ひとまず言えるのはもう君達に危害は与えないという事だ」
「私達は勿論としてあの場所にも手を出すのはやめて欲しいのだけれど」
「構わん。元々こちらも慈善事業でやっていたようなものだ。奴らが救出対象に返り討ちにされた以上もうここに居る必要はない」
それだけ言うとハヤブサの面をつけた太陽神はくるりと身を翻す。
そうして地面を軽く蹴った。
それだけで彼の身体は何百メートルも飛び上がる。
たった一瞬でその姿は見えなくなった。
×
「さてどうするさね?」
朱音は問う。
「何がー?」
魅麗は未だツンツン指先で虫の息のギルガメシュをつついている。
「これからだよ」
照玖は嘆息した。
「決まっているんじゃないのかい?」
貉那は意地悪っぽく朱音に尋ねる。
「確かに。こうやってわかっている事をわざわざ訊くのは無粋だったね」
そうして4人は歩き出す。
×
「アマテラスは太陽を神格化した存在です。そして太陽によって暦は作られています。ならば太陽が動くことによって時は刻まれている、といっても過言ではありません」
「それを利用して過去に遡ったのか?」
僕は祀に尋ねる。
彼女は静かに頷いた。
その決意はどれ程のものだったのだろうか。
その決意の元となった思いとはどれ程のものだったのだろうか。
その思いの元となった感情はどれ程のものだったのだろうか。
「何度も同じ時間を繰り返しました」
彼女はあっさりと答える。
まるでなんでもないとでも言うかのように。
しかし僕はすぐに理解する。
それはこちらを気遣っての事だ。
こちらを気負いさせたくないからこそ彼女は平気な顔をする。
何も思わないわけがない。
辛くないわけがない。
僕は彼女の手を強く握り締める。
離したくなかった。
「失敗したのか」
「はい」
やはり彼女の顔は変わらなかった。
「何回?」
「さぁ……どうでしょう? 何度も、何十回も繰り返したのは確かです」
きっと彼女が言うよりも遥かに多いだろう。
何故そうなったのかはわからない。
どうして同じ結果になってしまうのか。
「僅かに結果こそ違えど……決まって貴方は最後に私の元から消えてしまうんです」
「僕が……消える?」
想像できなかった。
だけど心当たりはある。
あの時見たフラッシュバック。
あれは途中で何度も途切れた。
そして最初から同じ映像が始まる。
しかし途切れる場面は全て違っていたではないか。
それが意味するものとは。
過去の僕が見た映像。
その記憶。
彼女が繰り返してきた世界の記録。
僕は上着の内ポケットから一枚の写真を取り出す。
そこに写っているのは幼い姿をした阿形と吽形の寝顔だった。
かつて僕が偶然発見し、そのまま持っていたもの。
何度か2人に奪われそうになったがその度に必死で取り返してきたものでもある。
考えてみれば簡単な事だった。
誰が2人を撮影したのか。
そんなものは1人しか居ない。
祀だけ。
「懐かしいです。これは確か2年程前のものですね」
祀はまるで母親のように写真をしみじみと眺める。
こんな時間がずっと続けば良いと思う。
だけどそれはきっと叶わない。
今までと同じ結果を辿るだけだろう。
彼女がやめようと思わない限り、永遠にそれは続いていく。
「……でも、多分これで私はやめると思います。繰り返すことを」
僕は彼女の横顔を見る。
その真意はわからなかった。
なにか隠しているように感じる。
こちらに悟られてしまわないように。
「悪性があると言いましたね、さっき」
「うん」
「あれを……私は以前苦労の末に取り込んだのですよ」
「受け皿となる魂は?」
「アマテラスがその役を担ってくださりました。アマテラス程の神性ならばその性質を打ち消せるだろうと思ったのです」
何か嫌な予感がした。
「しかし悪性は消えるどころか逆にその力を逆手に取って肥大化しました」
雑草みたいだと僕は思う。
寄生虫の方が近いだろうか。
他の場所から養分を吸い取る事でその力を増加させていく存在。
冗談のようだった。
「それはもう私の人格すら乗っ取ろうとしています。時間が残っていないんです」
祀の顔が恐怖に翳っていく。
きっと僕の想像以上に彼女はそれを恐ろしいと思っているだろう。
いつ自分が自分でなくなるか。
それはどれほどの恐怖だろうか。
自分ではそんなつもりはないのに弱者を虐げ愉悦の笑みを浮かべる。
もしもそんな自分を知ってしまったら。
そんな事に果たして耐えられるのか。
僕は何も言う事ができない。
祀の手は弱々しく震えていた。
僕にできるのはしっかりと彼女の手を握る事だけだ。
しかしその震えは止まらない。
僕は自分の無力さを再び痛感した。
こんな自分が情けなかった。
「これ以上こんな事を続けていればいずれ私の手でこの世界を壊してしまう」
それは比喩でも誇張でもない。
単なる事実として彼女はそう言っている。
実際それを可能とする力を悪性は手に入れたのだろう。
そして悪性に破壊を躊躇するような理性も思考も感情も何もない。
本能から、プログラムからただ当たり前のように災厄を撒き散らす。
ならばそれを止められる存在は果たして居るのか。
僕達は駅前の広場から大通りに出る。
イルミネーションできらびやかに装飾された道を歩く。
やはりそこはどこまでも静かだった。
まるでこの世界に僕と彼女しか存在していないのではないかと錯覚する。
それはある意味理想の世界でもあり。
やはり絶対に認めたくない世界だった。
僕が祀と居たいのはこんな世界ではない。
阿形や吽形、クラスメイトや友達……僕と出会った大切な人達やまだ出会わぬ人達と過ごす世界だ。
しかしこのまま何もしなければきっと近いうちに世界は滅ぶ。
彼女はそれがいつ起きるのかわかっているのだろうか。
「……本当にこのまま終わるのか」
「きっとその通りになるかと思います」
「何もできないのか」
僕は彼女に尋ねる。
いつもわからない事があれば彼女に訊いていた。
聡明な祀ならいつも僕の疑問に答えてくれた。
しかし祀は首を横に振る。
「私はもうお手上げです」
そうして自嘲気味に笑った。
長く生きて、結局それでも生きがいを見付ける事ができなかった老人のようにも見えた。
彼女でもどうする事もできない問題。
それが僕の胸を締め付ける。
じりじりと焦燥がせり上がってくる。
「諦めるしかないのか」
僕は声を絞り出した。
頼るしかない。
しかし頼みの綱はもう駄目だ。
ならば新しい選択を見つけ出す。
解決策が1つくらい有っても良い筈だ。
いつ終わるかわからないという事は今すぐ終わる事はないとも言える。
十分な猶予が与えられているかもしれないのだ。
それを悲観で潰すのはあまりにも勿体無い。
「私もそのそれだけは認めたくありません」
祀の声はどこか震えて聞こえた。
しかし声はそれっきりだった。
彼女も僕もそれ以上何も言えない。
流していた曲が急に止まってしまったかのようだ。
どれだけ再生ボタンを押したところで無駄。
ディスクが回る事はない。
沈黙は空間を水中に変えてしまったのだろうか。
とても息苦しい。
「……終わるってどんな感じなんだろうな」
僕はボソリと呟く。
それは独り言であり問いかけでもあった。
何か方法はないのか、と聞いてすぐにこの弱音だ。
自分でも笑えてくる。
それは乾いた笑いにしかならなかったけど。
胸は相変わらず痛んだままだったけれど。
祀が俯けた顔を少し上げた。
そして彼女の瞳がこちらに向けられる。
全てを悟ったかのような目はこちらを見透かしているようだった。
もしかしたら全て知られているかもしれない。
それでも良いと思う。
きっとこの想いを彼女に伝えられる事はないと思うから。
しかし無知な僕には彼女の真意はわからない。
こちらをどう思っているのか。
どんな感情を抱いてくれているのか。
多分悪いものではないと思う。
しかしそれは特別な感情でもなくて仲の良い友人などに抱くような好意なのではないか、と思う。
きっと彼女は持ち前の正義感と律儀さから何度も過去に行ってくれただけでそこに僕個人だけの為に、なんて理由は大したものではないだろう。
だけど、それでも僅かな理由となって彼女の原動力となったならそれで僕は十分だ。
指を絡める。
祀に抵抗はない。
彼女もしっかりとこちらの手を握り返してくれた。
彼女の体温と脈を強く感じる。
鼓動が重なっていくのがわかった。
僕の心に何か温かいものがこみ上げてくる。
世界の終わりなんて嘘みたいだった。
「終わりって多分怖いものではないと思うんですよ」
祀が僕の問いかけに答える。
その言葉には淀みが無い。
それはまるで自分に言い聞かせようとするようなものだ。
終わりに抱く僕の恐怖を取り除くようなものだ。
その言葉には珍しく彼女の自信を感じられない。
やはり演技なのだろうか。
「眠るのと違いはないんじゃないですか。気がつけばいつの間にか全てが終わっていて誰もそれに気づかない。そしてどこかこことは違う場所で生活を続ける」
眠る前には誰もが意識を持っている。
しかし完全に眠に就くときは誰もが何時の間にか意識を失っている。
そうして目を覚ましてからやっとああ眠っていたんだなと気づく。
自分が眠った瞬間を記憶できるような人は居ないと思う。
もしかしたらそれは『死』にも通じているかもしれない。
死ぬのは唐突だ。
未来でも予測しない限りそれは誰にもいつ起こるかわからない。
人は死ぬ瞬間自分が死ぬ事を理解できるのか。
多分居ないと思う。
霊界なり三途の川なりそれらしい場所に行ってようやく自覚する筈だ。
少なくとも死んでから意識が連続しているようにはとても思えない。
気がつけば天国に居た、という事になる筈だ。
ならば恐怖を抱く必要はない。
そこはきっと楽園なのだから。
だから終わりは恐ろしくない。
皆一緒に消えるから1人じゃない。
確かにそれは間違っていない。
だけどそれは違う、と僕は思う。
僕の感情が理性を超えて否定する。
それではいままでここで過ごしてきた時間を否定することになる。
例え失敗ばかりだったとしても彼女自身が積み重ねてきた時間が、努力が全てなかった事になってしまう。
そんなのを認める訳にはいかない。
「私は別に構いませんよ。貴方が悩む必要はありません」
「正しい、正しくないっていうシンプルな判断からだよ。少なくともこれじゃ祀があまりにも報われない」
「結局全ては無かったことになるんですよ。このままでは」
「死んだからって罪が許される訳じゃない。それと同じ事なんだよ、祀のやった事は無駄にしちゃいけないんだ」
「しかし私のやってきた事を肯定する方法はあるのですか」
僕は言葉に詰まる。
しかし祀の言葉は僕を糾弾するような鋭いものではない。
声音は優しく、語りかけるようなものだ。
思いはわかったから、もう話さなくて良いと伝えるような気遣いに似たもの。
僕は唇を噛む。
「霊界ってどうなのでしょうか」
「僕は今まで行った事がないからわからないな。ツアーとかなかったっけ」
「精神だけなら5000円、肉体込みなら30万円だった気がします」
「勿論行ったことはないか」
「あまり興味なかったので。どうせいつかは行ける場所ですし」
「でもこれって人づてから聞いた話だから信ぴょう性に欠けるんだよなぁぶっちゃっけ」
「念写を使った映像とか見ましたけど殆どノイズばかりで何も見えないような状態ですしね」
「あれは残念だったなぁ。この前見たけどさ」
あんなものを2時間スペシャルとかで流すべきではないと思う。
ネットの掲示板やSNSでも大荒れだったし。
あのときは僕も例に漏れずキーボードを不服顔で打鍵していたものだ。
その後テレビ局に突入するとか言ってお祭り騒ぎに繋がったなぁと思い出す。
しかしそんな事は多分もうきっと起こらない。
やはり街はどこまでも静かだった。
嵐の前の静けさというやつだろうか。
世界が悲観しているのかもしれない。
この世界自体に意思があればの話だけど。
神話や宗教に出てくる神より更に上の概念みたいな存在。
クトゥルー神話に登場するアザトースみたいな存在か。
混沌の核。
魔皇。
盲目白痴の神。
旧支配者達の親。
下劣な太鼓と、かぼそく単調なフルートを演奏し、くねくねと変な動きで踊る従者たちに囲まれ、玉座に収まり、冒涜的な言葉を撒き散らす存在。
五感や知識を持っていないが強大な力を持つ存在。
その姿を見てしまった者は破滅する。
そしてこの世界はアザトースの夢だという。
元々創作物なのにそんな事があってたまるかと思うが遡及的に歴史というのは修正されるらしい。
宇宙の深淵に旅立ったラヴクラフト氏はそう主張したが結局それは妄想だとして否定された。
今彼はなにを思ってどこで生活しているのだろうか。
もしかしたらもう死んでいるかもしれない。
だが彼がもしまだ生きていてこの現実を知っていたらどう思うだろうか。
これはアザトースが起こしたとでも言うだろうか。
それともアザトース自身が終わりを迎えようとしていると言うだろうか。
どちらにせよアザトース中心の結論になりそうだ。
僕はレンガの敷かれた地面に視線を落す。
並べられたレンガの数は果てしない。
それらの数と祀が過去に戻った回数はどちらが多いのか。
いつ世界が死ぬのかわからない。
それを止める術を僕は知らない。
誰もそれを知らない。
多くの人はそんな事を知らずに生活している。
いつまでもずっとこんな日々が続くと信じている。
それが普通だ。
だけど思いがけない事というのはいつも付き纏う。
それが今回は規模が大きかっただけ。
彼らにとってこの事は知らない方が良いのかそれとも知っていた方が良いのか僕には判断がつかない。
どちらにせよただの妄想だろうで片付けられそうだが。
確かに今まではそうだったろう。
いつも定期的に世界の終わりというのは噂として囁かれていた。
結局それは単なるこじつけだったりデマだったりで実際にそんな事が起こった事は一度もない。
それもそうだ。
こうして僕達はここで生活しているのだから。
でも今回は違う。
そんな事が起きてもおかしくない程の驚異が祀に内包されている。
それを彼女自身がどう思っているのか僕には計り知れない。
やはりとても心苦しいだろう。
自身の手で愛する世界を終わらせてしまうのだから。
「そういえば喉が渇きましたね」
しかし彼女はそんな事をおくびにも出さなかった。
僕は周囲を見回す。
すると僕達の前方20メートルあたりの場所に何か光っているものがある。
ちょうどそこに自販機があった。
僕達はそこに向かう事にした。
自販機はそこそこメジャーな企業のものだった。
炭酸飲料で大きなシェアを誇っているところ。
しかし冬という事からどちらかというと温かい方が美味しいドリンクが多く並んでいる。
そして隅に申し訳程度に炭酸飲料があるのだった。
僕は上着のポケットから財布を取り出し100円玉2枚と10円玉4枚を投入した。
「いえいえ、あの自分で買いますよ」
「良いよ、このくらい」
そう答えると祀はこくりと頭を下げる。
僕は取り敢えず同じものを2つ買った。
コーンポタージュだ。
確か鋼と会った時もこんな感じだったな、と思い出す。
確か彼女に渡したのはココアだったか。
神月夜と元気にしているだろうか。
もっとも最近会ったが。
巳肇、千鶴。
ルー、蓮華、マリー、アレイシア
大きなトラブルに巻き込まれていたけれど彼女達はそこから抜け出し、平和を取り戻した。
しかしそれはあまりにも短い時間だった。
今こうして新たな脅威が彼女達の身にも降りかかろうとしている。
すべての原因となった悪性はそれだけの力を持ってしまった。
その力にもしも意思があったのならどうにかなったかもしれない。
しかしそれは悪性故に意思はない。
ただの自然現象のようなもの。
故に止める方法は無い。
僕は自販機の中から出てきた缶を祀に渡す。
彼女は微笑んでそれを受け取った。
そうしてプルタブを僕達は開ける。
缶は科学技術の恩恵か熱くない。
口を付けるが中は熱々だった。
どうやら保温性能が高いらしい。
それをゴクゴクしていると空腹も収まっていく。
どこかで何か食べようかと思っていたがこれなら別にその必要は無いだろう。
僕は空になった缶をゴミ箱に投げ入れる。
すると今度は綺麗に穴に入った。
小さくガッツポーズする。
祀はこちらにジト目を向けた。
別に良いと思うのだけれど。
彼女は飲み終わった缶をゴミ箱の前にまで行って丁寧に捨てる。
缶と缶が当たる音がした。
「行儀が悪いですねぇ」
「うるさいやい」
僕は憮然と答えた。
「はぁ……根暗で変態でおバカさんだなんて」
「否定のしようがないな……」
僕達はまた手を繋いで歩き出す。
「でも誰かの為に必死になって、どれだけ傷ついても最後は立ち上がってどんな問題も打ち破って」
「それは誰かがいつも隣に居てくれたからだよ」
「いつも誰かが隣に居てくれたのは貴方が隣に居たからです」
祀はまるで自分の憧れる人を誰かに話すかのようだった。
「でも貴方は誰かの為に頑張るのに自分の為に誰かが頑張る事は嫌で」
「僕の為に傷付くなんてそれこそ間違っているじゃないか」
「それは貴方にだって言えるじゃないですか」
「僕は自分のやりたいようにやっているだけだよ。それが一番正しいと思えるから」
僕がやっている事は結局偽善かもしれない。
ただ自分が好意を持った人を助けるだけ。
見ず知らずの人がたとえ苦しんでいたとしても僕は何も知らないという理由だけで手を差し出さない。
それはきっと対岸で火事が起きている事と同じだろう。
そうして燃えている建物の中で小さな子どもが泣いて助けを呼んでいる。
そこに船があれば僕は助けに行くだろう。
しかし船がなければ、僕はそれを眺める事しかしないだろう。
陸を使って遠回りするとか泳いでいくとか時間が掛かる。
たとえそうやって力づくで行ったとしても炎は子どもを飲み込んで手遅れになる。
結果僕は傷つくんだ。
だから僕はこうして見ず知らずの人の振りをする。
何も見ていないと逃げ出す。
それこそ最低じゃないか。
どうして祀はそんな僕に好意を持てるのだろうか、と思う。
阿形だって吽形だってそうだ。
そんな身勝手な僕の為に誰かが頑張るなんて間違っている。
そんなのは僕だけで十分だ。
「自分をヒーローだと思っているんですか?」
「確かに……否めないな」
「私は貴方が無敵だとか思っていませんよ。今回は1年程過ごす事ができましたが今までは決してそんな事なかった」
僕は何も言わない。
「何度も私の前から居なくなって、それをたとえ止めたとしてもすぐに他の場所で死んでしまって」
やはり僕は何も言わない。
「私の悪性は何度も貴方を殺してしまった。それをどうにかしようと同じ時間を繰り返した私が貴方を何度も殺した」
祀の声は震えていた。
「貴方は本当に脆い存在なんですよ……何時の間にかどこかへ行ってしまうような、雪だるまみたいな儚い存在。手を伸ばせば居るけれど朝目が覚めてふと姿を探した時にはもう溶けてしまっているんです」
僕は彼女の手をしっかりと握る。
今までは逆だった。
僕は祀が儚くて消え入りそうな存在だと思っていた。
しかしそれは逆だった。
僕は申し訳なさを感じた。
「それで誰かの中心に居るようでいつも遠くから傍観を決め込んでいて」
「他人の抱いている好意に見て見ぬふりをして」
「自分を過小評価してそのくせ他人の評価は甘くて」
「誰よりも寂しがり屋で」
「誰よりも真っ直ぐで」
「誰よりも優しい人」
そうして僕はこの思いを完全に理解した。
今までは単なる勘違いとか思っていた。
いや、そう思い込もうとしていた。
僕は知らないフリをしていたんだ。
自分が正しいと思う事。
感情に従って行動しろ。
何も知らない、見えない、聞こえないなんて嘘を吐くな。
ようやく鳥居が見えてきた頃。
僕と祀は同時に向かい合った。
「何度も同じ時間を繰り返しましたけどやっぱり人生って難しいですね」
「もう抵抗しなきゃ終わるしね」
「無念を持ったまま消えるのは絶対に嫌ですね」
「僕も心からそう思う」
「このままでは伝えたい想いを伝える事はできませんね」
「以心伝心じゃあ限界があるよな」
だから伝える。
だいすき
僕は言った。
彼女からの言葉も届いた。
そうして僕達は泣き出しそうな笑みで共に始まりの場所に戻る。