第7章「悠久なる時を過ごし、刹那の時を失い」
いつ私は生まれたのだろう。
なんの理由があって生まれたのだろう。
どうやって私は意識を手に入れたのだろう。
私が存在しているここはどこだろう。
私は一体誰なのだろう。
私はなにをすればいいのだろう。
わからない事だらけだった。
具体的にそれがいつの事だったかはわからない。
しかしそれが遠い昔なのは確かだ。
1000年や2000年。
いや、一万年とか何百万年とかもっと昔かもしれない。
とにかく人は存在したけれど今のようにはっきりと明確な国や文明があったのではない。
村というのが正しいだろうか。
数百人程度の人達が小さなスペースで暮らしていた。
彼らは毎日狩りや採集によって生活を営んでいた。
とにかく縄文時代とかきっとその辺りだと思う。
私は目を開いた。
気がつけばそこに居たというのが正しいかもしれない。
無機物が突然意識を獲得したのかもしれない。
どんな理由があってそれを手に入れたのかはやっぱりわからないけれど。
まず最初に私は疑問を覚えた。
どうして私はここに居るんだろうかと思った。
身体を見回してみたけれどそこには何もない。
こうして周囲の風景や音、匂い、熱や風、地面を踏みしめている感覚を認識している以上感覚器官は存在する筈なのだけれどとにかく私の身体というものは何もなかった。
もしかしたら肉体を持っていない浮遊霊というのはこんな感じなのかもしれない、と今は思う。
白昼夢のようだった。
はっきりと感情のようなものがあったようには思えない。
赤ちゃんのように快と不快や興味で行動していたと思う。
眠るように意識は突然なくなり、そして気がつけば意識が戻っていた。
それを何度も繰り返していた。
目が覚める度に意識がはっきりとなっていくのがわかった。
成長のようなものなのかもしれない。
とにかくそんな事を繰り返していたら何万年か過ぎた。
村の規模も大きくなりリーダーらしき存在が現れ始めた。
その人物は人の輪の中心で何かをしていた。
明らかに宗教っぽい。
気になって辺りを見回す。
作物が枯れていた。
そして至るところに動物の死骸が見える。
白骨化していたり干からびていたり様々だ。
取り敢えず私は干ばつによってこんな惨状になってしまったのだと理解した。
太陽は照りつけ、人々を苦しめている。
長い間何も口にしていないのだろう。
多くの人がやせ細り、あちこちに死体が転がってそのままになっていた。
目も当てられない。
彼らはこの地獄をどうにかする為に雨を求めて祈祷しているのだろう。
自分達では何もできない。
だから自分達以外の存在に助けてもらう。
それが神を生んだのだろう。
きっと私は彼らの願いが集まって生まれたのかもしれない。
まだ神という概念がなかった頃に彼らが抱いた願望。
もっと食料が欲しい。
もっと長生きしたい。
もっと楽に生きたい。
そういった願望がやがて1つに集まった。
それが私という存在。
意識だけの身体のない存在。
作られた存在。
それは偽物だったのかもしれない。
しかしそれはいつしか本物になった。
私はなんとなく空に意識を集中した。
最初は偶然だったのかもしれない。
そうして本当になんとなく雨よ降れと念じてみた。
すると突然空が翳り始めた。
自分で何が起きたのかわからんかった。
きっとあの時絶句していたと思う。
やがて水滴が空からぽつりぽつりと降ってきた。
彼らがどよめいたのがわかった。
ある者は震え、ある者は口をパクパクとしている。
そうして雨粒の量が増えていく。
動揺は更に大きくなった。
彼らは全員空を見上げていた。
これが現実なのかを確かめるかのように。
そして霧雨程度だった雨はやがて土砂降りに変わる。
動揺はいつしか歓声となった。
人々が抱き合い、涙を流して歓喜している。
何語かわからないが日本語の起源になったであろう言語を使って彼らは叫んでいた。
多分感謝だと思う。
我に返った私がその時に思ったのは嬉しさだった。
何もできないかと思っていた私がはじめてなにかをした瞬間。
もしかしたらそれは偶然だったのかもしれない。
単に私が念じたと同時に雨が降っただけだと。
しかし確かに雨は降った。
そしてそれによって多くの人が幸せになって本当に救われた。
ならばそれで良かったのかもしれない。
偶然でもなんでもそれによって多くの人が助かるのなら私はそれで良い。
今思い返せば随分と高慢だな、と思う。
しかし時間と共に私の力が強くなっていくのがわかった。
誰かが何かを願って私がそれに応えれば本当に奇跡が起きる。
もっとも実現できるのは作物を実らせたり、病気や怪我を改善させたりとかだけど彼らにとってはそれが至上の喜びだった。
私も誰かがそれで幸せになる度に嬉しいと思った。
こうして自分の証を残せるという事がなによりも嬉しい事だったのだと思う。
姿の無い作られた存在である私が唯一自分がここに居るという事を証明できる方法。
彼らははっきりとではないにしろ私の存在に気付いている。
決してこちらに視線が向けられるわけではない。
彼らは信仰しているだけで実際に私の姿が見える訳ではないのだから。
だけど私は確かに彼らの中に存在している。
そうして彼らは私の存在を確固たるものにする為に小さな社を山に建てた。
そこには多くの人が訪れ、祈祷をする。
それが幸せだった。
ただ誰かに私が存在している事を知って欲しかった。
それは私の唯一にしてささやかな願いだった。
だけどそれはいつしかおかしくなった。
それもはっきりといつから、というのはわからない。
もっと昔かもしれないし案外気付いた時は単なる勘違いで実際はもっと後だったのかもしれない。
とにかくそれもかなり昔の事だった。
そろそろ村の規模が小さな町と呼べそうなほどにまで成長した頃。
山の社も更に大きくなった頃。
そして信仰も増えて私の姿がある程度形作られた頃。
力に変化があった。
それは異常とも呼べただろう。
私は目の前で起きた事が信じられなかった。
半透明な身体を思わず抱き締める。
恐怖という感情を初めて感じたのはその時だったと思う。
外見しか完成していなくて、身体の中身なんて無い筈なのに震えは止まらなかった。
なにかわからないけどとんでもない事が起きた。
私は目を見開いてその惨状を見渡した。
あらゆるものが薙ぎ倒されていた。
木々も作物も建物も柵も何もかも。
そして至る場所で人々が呻いていた。
全身を強く打ったのか血だらけな人も何人か見えた。
私はなにが起きたのか思い出す。
嵐が襲ったのだ。
今日は朝から晴れ渡っていた。
雲ひとつない晴天だった。
誰もが平和を謳歌していた筈だった。
いつもと同じ毎日を送る筈だった。
だけど突然こんな悲劇が起きてしまった。
突然強い風が吹いたのだ。
それは彼らの住居を震わす程の強さだったが彼らはきっと大丈夫だろうと安心しきっていた。
今まで滅多にこんな事はなかった故に彼らには危機感がなかったのだ。
獲物も武器と人数によって容易く仕留め、命を落すどころか怪我を負うような人は殆ど居なかった。
それが結果としてこの悲劇に繋がってしまったのかもしれない。
私もたまにはおかしい事があるものだと思っていたぐらいでこんなことになるとは予想だにしていなかった。
そうして私がようやく何かがおかしいと危機感を抱いた時にはもう手遅れだった。
爆風じみた空気の塊が町を蹂躙した。
止める暇などなかった。
暴虐じみた自然の脅威はたやすく彼らを吹き飛ばす。
私はただ茫然とその光景をなす術なく眺めていた。
まるで自分が今までやってきた事が一瞬で無駄になったかのような気分だった。
そうしてどれ程経っただろうか。
崩壊した町の中心。
至るところに転がっていて死んでいるのか生きているのかわからない人々の中心にそれは立っていた。
黒い影。
姿はよくわからない。
取り敢えず人の形をしていたのは確かだ。
その影が顔らしきぶぶんをこちらに向けた。
距離は20メートル程離れていた。
走ればすぐにこちらにやってこれる。
私は少しも動けなかった。
まるで金縛りにあったように、恐怖で指一本も動かせなかった。
その影はゆっくりとこちらにやってきた。
影が一歩進む度に空っぽの身体の中が苦しくなる。
そうして影は私の目の前にやってきた。
自分では半透明にうっすらと見える私の身体だが他人には見えない。
今まではその筈だった。
しかしその影は明らかに私を認識していた。
それがいつもの平和な時だったのならば喜んだかもしれない。
しかし今は異常事態だった。
相手は謎の不気味な存在だった。
喜びなんて感じられる訳がなかった。
私は頭を振って影から逃げようと後ろに下がる。
だけど一歩も足が動かない。
まるで釘か何かで足を打ち付けられたかのようだった。
そしてその影は顔を私の目と鼻の先にまで近づけた。
視界が黒一色に染まる。
気が遠くなったけれど意識は途切れなかった。
そしてのっぺらぼうの顔にゆっくりと横に弧の線が走る。
線はゆっくりと広がって穴となる。
それは口だった。
深淵のようになにも見えない。
そこにはただ虚無のような闇が広がっていた。
『皆不幸ニナレバ良イノニ』
声が聞こえた。
それは影からではない。
全方位から聞こえてきたのだ。
無数の存在が私に話しかけてきたかのような錯覚に陥る。
私は思わず力が抜けて膝から地面にへたり込む。
早くあの影が消えて欲しいと必死に念じた。
それが通じたのか。
我に返るともう目の前に恐ろしい影は居なかった。
身体も問題なく動く。
周囲を恐る恐る見回すがやはり影はどこにも見られなかった。
そうして私はあれは幻覚だと思い込む事にした。
きっとあまりのショックで悪いものでもみたのだと。
私は傷付いた人達を癒した。
すると人々はすぐに活気を取り戻し、復興に取り掛かった。
こちらも協力した事で町が元の姿を取り戻すのは早かった。
しかしある時また災厄が町を襲った。
今度は地震だった。
地面が裂け、再び町が被害を受ける。
そしてまた私はそこであの影を見た。
その影はやはり笑いながら不幸を撒き散らしていた。
私は戦慄すると同時、この影が何なのか悟った。
この影は多くの人々が胸に抱く負の感情の塊だ。
――あいつが死ねば富はこちらのものだ。
――あいつを殺してしまえば権力はこちらのものだ。
ひどく醜い声が聞こえた。
負の感情は誰もが持つ。
生きるとは犠牲の上に成り立つからだ。
しかしこんなにも生々しいものは今までなかった。
そうして私は気付いた。
知らなかったのではない、聞こえないフリをしていただけだと。
そうして彼らが抱いていた醜い願望が私の力によって実現してしまったのだ。
ならばあれは紛れも無い私自身だ。
その答えにたどり着いた私は絶叫した。
これでは多くの人々を傷つけてしまう。
初めて自分の力が恐ろしいと思った。
しかもそれを止める事はできない。
私が誰かを救いたいと思えばそれだけ誰かを不幸にしてしまう。
自分の存在を初めて呪った。
どうしてこんな自分が生まれてしまったのか。
誰かを救ってもその分誰かを傷つけるのならば意味がないではないか。
こちらが手を出している以上私なんて居ない方が良いじゃないか。
だけど曖昧な存在である私を止められる人は居ない。
勿論私自身にだって無理だった。
私はただ目の前で何度も交互に起きる喜劇と悲劇を眺めることしかできない。
何度も止めようとしたけど無駄だった。
私の『影』は何度も奇跡を踏み潰していく。
なにをしても悲劇は止まらない。
こんな筈じゃなかった。
私はゆっくりと開いていた目を閉じる。
もう眠ってしまった方が楽だ。
これ以上傷つきたくなかった。
ならばせめて夢を見ていよう。
そうしてもう二度と目が覚めてしまわないように。
私は闇に身を投げた。
しかしいつからだろうか。
こちらを呼ぶ声が聞こえるようになった。
最初は声だけだったが、いつしか小さな光が見えるようになった。
私は闇の中でその光を追うようになっていた。
その光はだんだんと大きくなっていく。
私はその光をひたすら追っていた。
そうして光はいつか闇を遍く照らしていく。
私は眩しくて閉じていた目を開いた。
眠りに就いてからどれだけ経ったのだろうか。
私が居たその場所は大きな変化をしていた。
社はかなり大きな神社に変わっていた。
天光神社という名前もある。
私はその神社の境内の中央に立っていた。
綺麗に整備されており、とても同じ場所だとは思えない。
下を見下ろせばビルや洋風の建物がいくつも立っていた。
当時はとても驚いたと記憶している。
神社の中に入ってみたけれどそこには誰も居なかった。
しかし不思議な事に綺麗に整頓されている。
もしかしたら前まで誰かが居たのかもしれない。
本殿の奥には龍の絵やら金箔が貼られた偶像が飾られていた。
どうやらかつて信仰されていた私は時が経過して龍にされたらしい。
雨によって作物を実らせる善性。
嵐によって破壊を撒き散らす悪性。
正に私にぴったりだ。
そうして突然声がした。
私は驚愕して変な声が出た。
肩がびくりと震える。
その際に腕が壁に当たった。
痛かったもののそれと同時に気付いた。
自分の身体に実体がある事に。
なんだか真っ白な着物を着ていた。
所々金色の装飾がなされている。
取り敢えずあの頃は何も着ていなかったので少し安心した。
もっとも誰も私の姿が見えていなかったけれど。
そうして私は声のした方をゆっくりと見る。
本殿の扉。
僅かに開いた隙間からその姿が見えた。
私はどうしようかと思って取り敢えず相手を無視する事にした。
参拝者ならすぐ帰ってくれるだろう。
しかしその人は中々帰らなかった。
もしかしたら私の存在に気づいているのかもしれない。
最早ここまできたら意地だった。
私は息を殺して本殿に引きこもる。
すると溜息を吐く声が聞こえた。
そして声の主は扉をあっさりと開けてしまった。
眩しい光が一気に差し込む。
私は思わず目を細めた。
光の中から現れたその人はこちらに手を伸ばした。
用があって来た。
黒づくめの少年は焔魂夜行と名乗り、そう言った。
私は怖かった。
この少年がではない。
私がこの少年を傷つけてしまうのではないか。
そう思うと怖かったのだ。
しかしそれを聞いた彼は笑った。
私がどうして笑うのかと尋ねるとこう答えた。
それを解決する為にここに来た、と。
彼が言う事にはどうやら彼の家は代々妖魔と人間の仲介をするような仕事を行っているらしい。
そして彼の母親は元々こちらの巫女としてこの神社に勤めていた。
しかしある時この街に小規模ながら災害が襲ったという。
その原因が私にあると突き止めた彼の父親はすぐさま遠方からこの街にやってきて怪我を負った巫女を救出、それがきっかけで付き合うようになったらしい。
そしてある程度私の状態が安定してきた今、夜行が父親からここに送られたとの事。
どうやら龍の隣い居てやれと頼まれたらしい。
私は彼にどうするのかと訊いた。
状態が安定したとはいえ私は人を傷つける危険性がある。
彼はそれを解決する心当たりがあるらしいが。
すると彼は君の中に存在している神性を抜き取る、と答えた。
詳しい仕組みは説明されてもわからない。
とにかく主人格だけを残し、善性と悪性両方を内包した神の性質を捨てるらしい。
これによって私はただの人間になるとの事。
しかし私に躊躇は無かった。
この忌々しい力が無くなるのならば私は特別でなくなっても構わない。
私は彼にすぐに実行して欲しいと頼んだ。
彼は頷き、すぐにそれを実行に移した。
慣れていないらしく、本を読みながらの儀式だったものの彼の手つきに迷いはなかった。
それが終わるのに1時間も掛からなかったと思う。
私はすぐに自分から何かが抜けていくのがわかった。
虚脱感に近い。
強い目眩が襲い掛かったもののすぐに収まる。
気がつけば私は布団の上で寝ていた。
身体を起き上がらせると彼は上着を私に掛けてくれた。
ただの人間になった私。
後はどうするのか、と私は彼に訊いた。
余ってしまった空の霊魂を処理すると彼は答えた。
放っておくと悪霊化する恐れがあるらしい。
彼は鳥居のすぐ近くにあった狛犬の石像を2つ持ってきた。
そして狛犬の額に符を近づけた。
あの符にはそれぞれ私の善性と悪性の霊魂が宿っているらしい。
すると狛犬が眩く光った。
亀裂が走って粉々に崩れる。
そこから現れたのは2人の赤子だった。
頭にそれぞれ猫耳と犬耳が生えている。
赤子はすやすやと寝ていた。
彼も流石に目を丸くしていた。
どうやら初めての経験らしい。
勿論私だってどうすれば良いのかわからない。
驚きの連続だった。
私と彼、そして狛犬の石像から生まれた2人の生活が始まった。
毎日がとても穏やかなものだった。
そして目を見張るのは2人の成長速度だった。
ほんの数週間で彼女達は私達と外見は変わらない程にまでなり、言葉も知識も特に意識して教えている訳でもないのに吸収が早い。
スポンジのように吸収するというよりは元々あった知識が湧き出てくるといった方が正しいかもしれない。
今まで娘のように扱ってきたつもりだったのだけれどこれでは妹どころか親友といった感じだ。
彼も苦笑いを浮かべていた。
それに対して2人は不思議そうに首を傾げるのみ。
どうやら彼女たちにとっては最初から私達と友達のつもりだったようだ。
しかしそれはとても嬉しい。
今までは誰とも関わる事ができなかったのだから。
だけど今、私は確かにここに存在している。
もう何も辛いことはない。
私はいつしか笑うようになっていた。
今まで彼には仏頂面だとからかわれていたのだがもうこれでそうは言わせない。
しかし桜が満開になる頃のことだった。
早くも慣れてきた街の様子が少しおかしかった。
いつもよりも騒々しい。
血気が盛んとでも言うのだろうか。
大なり小なり様々だが暴動があちこちで起きている。
すると警察や軍まで現れ始めた。
何が起きているのかさっぱりわからない。
私は彼の顔を見たけれど夜行も首を傾げるばかりだった。
とにかくこのままではいけない。
私達は立ち上がって外に出ようとした。
しかしその時扉が蹴破られた。
そこから現れたのは全身黒づくめの兵士だった。
黒光りする機関銃を携えている。
あまりにも唐突で私達は少しも動くことができない。
目の前で何が起きたのか理解できなかった。
彼らの手際が良かったのか単に私達が何もできなかっただけかすぐに身柄は拘束された。
そうして連れて行かれたのはトラックの荷台。
どうやら拉致されるらしい。
一体どうすれば良いのか、と私は悩む。
今の私には力が無かった。
彼もお手上げらしい。
しかし阿形と吽形は至って普通だった。
見ると拘束具が外れている。
どうやら力技で破壊したようだった。
これには驚愕せざるを得ない。
しかし一番の問題はどうやってここから出るかだった。
私は何か無いかと普段着代わりに着ている巫女装束の中を調べてみる。
するとそこから先代が使っていたらしい符が何枚か出てきた。
戸籍を入手する際職業を巫女として申請する為に何週間かそれに関係する勉強をしてきた。
その際にちょうど符の基本的な使い方は勉強していた。
このような媒体を使えば誰でも正しい知識があれば術を使える。
今まで実際に術を使った事はなかったものの奇跡は起こしてきた。
ならば使えない筈がない。
私は早速符に意識を集中させる。
すると符が淡く光った。
私はそれを扉に近付ける。
爆発物となった符は容易く壁を吹き飛ばした。
私達は顔を見合わせると外に脱出する。
そうして息を飲んだ。
何時の間にか外は夜になっていた。
あの中で過ごしたのはせいぜい1時間――長くても3時間程度だったろう。
ちょうど昼頃だった。
明らかにおかしい。
まるで空間そのものがおかしくなっているとでも言うかのようだ。
そして空の一点が異常に明るく光っている。
青白い光の柱が天に向かって伸びていたのだ。
私は思い出す。
その光源に何があるのか。
石碑だ。
古い文献で読んだだけなので詳しくはわからないがあれを弄られるのは危険だということは知っていた。
どうやら彼らはこれが目的だったらしい。
阿形と吽形は他の兵士を順調に倒しては縄で縛り、動けないようにしている。
2人が先に行けと言うので私達は奥へと向かう事にした。
心配だったものの彼女達の目には確固たる自信が宿っていた。
そうして境内の奥へと進んでいくとそこに誰かが立っていた。
夜行が息を呑んだのがわかった。
どうやら心当たりがあったようだ。
そこに居たのは1人の男だった。
冷酷な目をした軍人はこちらを一瞥すると鼻を鳴らした。
そうして彼らは何も言わず睨み合う。
空気が一気に張り詰める。
そうしてその沈黙を破るように2人がほぼ同時に武器を抜いた。
夜行は影を実体化させ、相手は腰に差している刀を構える。
戦闘は熾烈を極めた。
攻撃を加えれば攻撃が返され、それをまた返す……破壊の応酬だ。
私は足が竦んで一歩も動くことができなかった。
この場においては何の役にも立てない。
それはわかりきっていた。
私はただ身体を震わせて2人の戦闘を見守るしかない。
しかし拮抗していた戦闘はやがて偏りが生まれる。
それはあまりにも唐突だった。
夜行の握っていた影物質で作った刀が弾き飛ばされたのだ。
それは回転して空を飛ぶと石畳の地面に突き刺さる。
絶体絶命だ。
夜行の顔が驚愕に染まる。
軍人が不敵な笑みを浮かべた。
私が何かする時間など一切与えなかった。
彼は夜行に少しの躊躇なく刀を振り下ろした。
そうして私の目に映ったのは赤色。
他でもない、夜行の血。
私の頬にそれが掛かる。
とても熱かった。
私は呆然と彼の名前を呼んだ。
しかし反応は無かった。
ピクリとも彼は動かない。
動いてくれない。
それが意味するのは簡単だった。
その簡単な答えを理解するのは何故だかとても時間が掛かった。
認めたくなかったのかもしれない。
目の前が真っ暗になった。
それは私が全てを諦めて眠りに就いた時と似ている。
一切の光が見えない世界。
そして私は我に返った。
長いようでとても短かい時間だった。
飛び込んできたのは地獄のような惨状だった。
境内の至るところが吹き飛び、抉られ、消滅している。
火の粉が舞っていた。
森や施設が燃えている。
何が起きたのかわからなかった。
懐を漁るものの符は無かった。
おかしい。
まだ残っていた筈なのに。
私は足元に視線を落す。
そこには何かがあった。
ちょうど大人一人分くらいの大きさをした炭の塊。
とても嫌な臭いがした。
そうして他の場所に視線を動かす。
私から10メートル程離れた場所に夜行は眠っていた。
しかしその目はもう二度と開かれる事はない。
決して。
私は屈んで彼の頬を撫でる。
とても冷たかった。
そうしてようやく私は涙を流している事に気付いた。
その涙は止まる事なく溢れ出る。
決して長い時間を彼と過ごした訳ではない。
しかしそのほんの少しの時間は何よりもかけがえのない大切なものだった。
だけどそれが戻る事はない。
絶望感すら無い。
私の中に広がっているのはただ何もない虚無。
だけど涙はどうしても止まらなかった。
誰かが隣に居て欲しかった。
だけど阿形も吽形も来ない。
彼女達はどうなってしまったのだろうか。
私は力なく立ち上がり、ふらふらと元来た道を戻る。
しかしどこにも彼女達の姿は見られなかった。
ただどこも破壊し尽くされていた。
私はかつての記憶を思い出す。
しかしこれはそれ以上かもしれない。
私は街の中心を見詰める。
そこは荒野とも呼べる状態になっていた。
ビルは倒壊し、至るところから炎が噴き出している。
私は失敗したんだなぁ、と理解した。
結局私は何もできなかった。
元々は神様だったとかそんなのは関係ない。
これでは何もかも終わりではないか。
こんなものを私は認められるのか。
私は認めない。
絶対に認める訳にはいかない。
力がないなど言い訳だ。
力が必要ならば誰かに頼れ。
それを奪い取るつもりで利用しろ。
足掻け。
抵抗しろ。
無様でも良い。
こんな悲劇を変えてしまえ。
私は叫ぶ。
内から湧き上がる衝動は私を突き動かす。
誰でも良い、と思う。
たとえこの身が滅んでもあの日常を取り戻す。
そうしてどれだけの時間が経ったのだろうか。
顔を上げると目の前に誰かが立っていた。
長い銀髪の美しい女性だった。
夜にも関わらずその人の身体ははっきりとしている。
どうやら全身が淡く金色に光っているらしい。
まるで太陽みたいだと思った。
いや、太陽そのものなのかもしれない。
ならばこの人物が誰なのか私は知っている。
アマテラス、と私は名前を呼んだ。
彼女は何も言わずただ私を抱き締める。
彼女は全てを知っていた。
故に何も言う必要がない。
そうして私はまた目を瞑る。
そうして私はまた夢を見る。
それはいつかの日々。
夢ではなく、それを現としなければならない。
私はゆっくりと立ち上がる。
眠りから目を醒ました。