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終焉夢想  作者: 四畳半
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第2章「込み上げる不安は濁流の中で溺れるようで」

 3人はあっという間に逃げていった。

 その早さは目にも止まらぬ程であり、棚に入っていた商品があまりの風の強さに倒れる程である。

 美女3人も彼らの後ろを同等以上の早さで追いかけていった。

 きっと大丈夫だと思うが成程、あれは確かに怖い。

 そんな事もあったがなんとかそれ以降は無事に買い物は進み、僕達はショッピングモールを出た。

 時間を確かめると午後5時。

 こんな時間になるともう夕方というよりもう夜だ。

 太陽は完全に沈んで空には星が浮かんでいる。

「予想以上に長居しちゃったな。祀も怒るだろうし早く帰ろう」

 2人は眠そうな顔をして返事をした。

 僕もかなり疲れたのだが。しかも荷物の半分以上を持っているし。

 しかし僕は何かが引っ掛かっていた。

 まるで忘れ物があったのを思い出して部屋に戻ったところ、その忘れ物がなんだったのか思い出せなくなったような気分。

 漠然とした不安が胸中に広がっていた。

 隣でにぎやかにおしゃべりしている阿形と吽形がどこか遠い存在のように感じる。

 きっとただの思い込みだろう。

 別になんて事は無い。

 こんな経験は今まで何度もあった。

 だから今のこれも同じ。

 僕はそう思い込んでそれを忘れようとする。

 しかし息苦しさは中々回復しない。

「どうしたにゃん?」

「顔色悪いわん」

「いや、大丈夫。なんでもない」

 僕はこちらの顔を覗き込んでくる2人にそう答える。

 こんな事で無用な心配を掛ける必要はない。

 すると2人は不思議そうな顔をしつつまた会話に戻った。

 僕はその光景を見て胸をなで下ろした。

 迷子になり、ひたすら知らない道を歩いていた所母親に発見されて抱きしめられた時の気持ちに似ていた。

 しかしそれは一時的なものであり、再び不安はこみあげてくる。

 腹の中にコンクリートを流して固めたような不快感は吐き気にも似ている。

 しかしそれを吐き出す術を僕は知らなかった。

 そしてそれは無尽蔵に肥大化していく。

 そうして僕は今までの事を振り返った。

 このような経験をしたのは何度かある。

 それは主に嫌な予感が的中する事なのだ。

 何度も何度もそれはあった。

 一紗の襲撃、福来の狂気じみた研究、アレイシアとルーの因縁、ムーネニグマのクーデター。

 何度か外れた事もあったがそれらは殆どと言っていいほど予感めいたものが事前にあったのだ。

 そして現に今もそれがある。

 何よりもその不安は今までにないほど大きなものだった。

 まるで知らない場所に荷物1つ無い状態で取り残されたかのようなそんな気味悪さ。

 落ち着こうにも落ち着けない。

 冷静な判断というのができない。

 もう少しで何かが起きると僕はどこか確信していた。

 何度か見た悪夢が実現する気がするのだ。

 虚空を裂いて現れる漆黒の闇。

 世界の悪意という大きな何か。

 もしかしたらそれが今にも僕達を飲み込もうと口を開いているのではないか。

 そうして今すぐに齧り付こうとしているのではないか。

 漠然とした不安が一気に形を得て明確なイメージを形作る。

 それはもしかしたら実際に起きているのかもしれない。

 いや、下手をしたらもう手遅れかもしれない。

 それは無い、と思う。

 思うのだが不安は消えなかった。

「……そういえば誰も居ないわん」

「車も通ってないにゃ」

 2人が突然そんな事を言った。

 息苦しさに顔を俯けていた僕は周囲を見回す。

 確かに僕達以外に人気はなかった。

 歩道には街路樹と標識と街灯がどこまでも続いているだけだ。

 車道も大通りであるにも関わらずライトも走行音も聞こえない。

 そこには不気味な文様じみた白線が縦横無尽に走っているだけ。

「なんでだ……?」

 自分の声が震えているのがわかった。

 深夜や早朝ならばまだわかる。

 しかし今はまだ6時になったばかりだぞ。

 普通に考えて夕飯時なのだから人通りは他の時間よりも多いはず。

 だが今のこの場所はそんな常識を破っていた。

 まるで異世界に迷い込んでしまったかのような気分だ。

 どこまでも精巧に作られたジオラマ、といえば良いだろうか。

 見かけは僕達の住み慣れた世界だが本質が違うというべきか。

 とにかく異常事態だった。

 周囲にあるのはレンガ造りの商店やアパート、会社などだ。

 後ろにはさっきまで僕達が歩き回っていたショッピングモールが見える。

 勿論あそこにはうんざりするくらい大勢の人々が買い物をしていた。

 そうなればこちらの道を利用する客が居てもおかしくはない。

 寧ろ使っていない方が不自然だ。

 この道の先には住宅街があり、そちらで多くの人達が住んでいる。

 言うまでもなく人通りはかなり多い。

 だがここにはそれを根幹から否定するような現象が起きていた。

 まるで人が一斉に消え去ったかのような。

 もしかしたら実際にそんな事が――

 思ったと同時、すぐに僕は頭を振った。

 そう考えただけでそれが本当に実現してしまいそうな気がしたのだ。

 背中を何か冷たいものが這う。

 ナメクじみたそれは吐き気を更に加速させる。

 冷汗がじっとりとにじみ出る。

 見ると手の平がびしょ濡れだった。

 まるで夢か映画でも見ているような気分だった。

 しかし親指を強く握っても痛みはちゃんとある。

 阿形と吽形もお互いの頬をつねって涙目になっている。

 いつもならその平和的な光景に苦笑いか溜息の1つでも吐くだろうが今はそんな余裕すらなかった。

 装飾過多気味なイルミネーションも手をつなぐ若いカップルも夕食の献立に頭を悩ませる主婦も五月蝿いバイクにまたがるチンピラも呑み屋をハシゴするサラリーマンも誰も居ないという異常。

 近隣住民全員による僕達をターゲットにした壮大なドッキリか?

 と、思ったがすぐにそんな事があるわけないと否定した。

 そんな事をやる意味がわからない。

 それならばまだ幻覚を見ているという方がリアリティがある。

 それか夢か。

 しかしそれらは先ほど痛覚がある事によって確認した筈。

 夢の中で痛覚などは存在するのか知らないが昔から現実か夢かを確かめる時は自傷と相場が決まっている。

 その結果からこれは紛れもない事実だと考えたのだ。

 ただし自信はない。

 近くに2人が居てくれる事が唯一の救いだった。

 もし僕1人だけだったならばパニックに陥っていたかもしれない。

「あ、なんか臨時ニュースやってるにゃ」

 すると唐突に阿形がある所に指を差してそんな事を言った。

 僕はそちらに顔を向ける。

 彼女が知らせたのはビルの壁面に付いている大画面モニタだった。

 駅前には雑居ビルがあり、服屋や靴屋、本屋、家電販売店など様々な店が入っている。

 休日にはそこそこ人で賑わっており、よくクラスメートも見かける。

 10階建てという事からここからでも半分くらいはその姿が見えるのだ。

 そして頭の部分にモニタがあり、僕はそちらに目を凝らす。

 大画面モニタが映し出しているのは速報だった。

 女性アナウンサーが凛々しい顔つきで原稿を読んでいる。

 この女性だが数ヶ月前、子孫繁栄を祈る祭りのインタビューに行った際見苦しい場面を見せたとかでこっぴどく叱られたという。

 実際にその場面を見たがあれはとても衝撃的だったと覚えている。

 放送事故をこの目で見た。

『――朧想街の上空に高エネルギー反応があったと気象庁が発表しました』

 高エネルギー反応だって?

 僕は空を見上げる。

 そこには無数の星が一面に広がっている筈だった。

 少なくとも先ほど見たときはそうだった。

「なんだ……?」

 しかし空の姿も変わっていた。

 あそこに何かが存在している。

 阿形達も不可解そうな顔をしていた。

 彼女たちにとっても不思議な光景らしい。

 少なくともこんな事は今までに無かったのだろう。

 僕はごくりと唾を呑む。

 空に裂け目ができていた。

 まるで黄金に光るインクが入ったペンを黒紙に引いたような印象。

 そのインクのような裂け目から何かが出てきている。

 シルエットから判断するに人だろうか。

 ここからそんなに遠くない場所だ。

 おそらくこちらに来ようと思えば今すぐにでも来れる筈だ。

 一体何が目的でこちらにやってきたのかは知らないがロクなことにはならないのは僕でもわかる。

 きっと僕の知らない場所で何か大きな事が起きているのだろう。

 おそらくまたそれに巻き込まれるのかもしれない。

 今回も誰かを助けるのか。

 それとも完全なる当事者か。

 前者ならやるべき事は簡単だが後者だとしたら面倒だ。

 なにをどうすれば解決だというのが判断できないからだ。

 しかもここには阿形と吽形が居る。

 更に相手は集団だ。

 どれだけの力を持っているのかは知らないが半端なものではあるまい。

 正体も目的も不明。

 しかし彼らが脅威であるという事は断言できる。

 これといった理由がある訳ではないがただ彼らから凄まじい威圧感を感じるのだ。

 それは直接こちらに向けられるものではない。

 意識しなくても常に出てしまう類のものだ。

 満腹になって寝ている猛獣とでも例えれば良いだろうか。

 相手に殺意はないがそれでも対峙する者に恐怖を与えるような存在だ。

 僕はゆっくりと後ずさりする。

 2人も怯えて僕の背中に隠れた。

 幸い彼らはこちらの存在に気付いていない。

 ならば大丈夫だ。

 ……いや、僕はどうしてこちらが危ないとでも思っているんだ?

 まだ彼らがこちらの敵だと決定した訳ではないだろう。

 なのにどうして僕はこんなにも怯えているんだ。

 そのせいで彼女達もその気になって小さく震えているではないか。

 全ては僕の思い違いで彼らは単にとんでもない力を持っただけの存在とだって言える。

 アナウンサーは高エネルギー反応があったと言っただけで彼らがこちらに敵意を持っているなんて言っていない。

 そうだ、全て思い込みだ。

 この不安も異常も何もかも。

 僕はそう自分に言い聞かせた。

 何度も、呟き脳に刷り込ませるように。

 しかしその行為自体が矛盾している。

 安全ならば心配しない。

 しかし僕は不安を拭いきれないからこそこうして自分に聞かせている。

 その安全というのは僕が楽になりたい故の嘘であり、そこに確証はない。

 だけど僕は病的に何度も繰り返す。

「大丈夫……大丈夫……何も起きないさ……」

 その言葉の1つ1つが逆に2人を追い詰めるかもしれない。

 しかし僕の口は止まらない。

 まるで薬物に脳を犯された人間のようにうわごとを何度もそれを繰り返す。

 理由なんてわからない。

 心当たりなどあるわけがない。

 僕はこうして今まで普通に生活を送っていた。

 確かに何度かとんでもない事件に巻き込まれた。

 何度も死にそうになった。

 何度も大切な人を失いそうになった。

 だけどそれは何か最初にアクションがあったのだ。

 そのような状況に陥らざるを得ないような何かが。

 一紗の襲撃は雅や照玖からの噂。

 福来の能力実験は巳肇との会話。

 アレイシアによるルーの拉致は僕の手による呪いの開放。

 月のクーデターは鋼との遭遇。

 しかし今回はあまりにも唐突だった。

 まるで温かく快適な部屋から唐突に吹雪で大荒れの外に放り出されたかのようなものだ。

 この不可解な状況を説明してくれるような存在が居ない。

 今までは祀が。

 千鶴が。

 蓮華が。

 鋼が僕の隣に立っていてくれた。

 しかし今居るのは僕と同じように何も知らない阿形と吽形だ。

 彼女達に特別な力は存在しない。

 そこいらに居る人達よりは遥かに腕が立つだろうがそれは普通の状況に於いて言える事だ。

 このような場面ではあまりにも危険。

 それが何よりも僕が恐れる事だった。

 仮に彼らがこちらを敵と認識していた場合、当然彼女達にも危害が加わるだろう。

 無論そんな事を見逃せる訳がない。

 巻き込みたくないのなら早くここから逃げ出すべきだ。

「ここから逃げよう……」

 僕は2人の手を握る。

 彼女たちの手は小刻みに震えていた。

 怯えが伝播していく気がする。

 音叉の片方を叩けば隣の音叉が共鳴するように。

 僕がその原因だった。

 単なる勘違いならば良かった。

 しかし彼らは何かを探している。

 獲物を追う狩人のような目の鋭さ。

 おそらく遭遇すれば勝目はない。

 こちらはただ死を待つだけになる。

 僕にそんな想像を否応なくさせる存在だ。

 数は絶望的。

 おそらく力も差が開いているに違いない。

 だから僕は彼らとの戦闘を放棄して走り出した。

 この大通りを使うのはあまりにも目立ちすぎる。

 今はまだ距離があるからか障害物によってか彼らはこちらの方を見ていない。

 この隙に僕達は路地裏に入った。

 ここならば複雑に入り組んでいるし周囲に囲む店や事務所などが障害物になって真上からしか見えない。

 遠回りになるが見つかるリスクを負うよりかはマシだ。

 真っ暗で殆ど何もわからないような場所だった。

 先ほど居た華やかな大通りとは真逆でこちらは全体的に薄汚い。

 色で例えるならば鮮やかなレインボーと退廃的なモノクロだろうか。

 ダクトから生暖かい風が出ている。

 それ故か雪の白色はあまり見えない。

 汚臭も至る所から漂っている。

 マンホールの蓋が規則的に続く狭い通路を僕達は疾走する。

 底が破れたバケツを蹴飛ばし、空き缶やタバコの吸殻を踏み潰していく。

 汚水溜まりに足を突っ込み、飛沫が散るが気にしていられない。

「だ、大丈夫なのかにゃ?」

「わからないけど……取り敢えず神社に戻るしかない」

 心配そうに尋ねる阿形に僕は答える。

 安心させる為に言った言葉に自信も確証もない。

 もしかしたら更に危険な状況に陥るかもしれない。

 だけど僕は止まれなかった。

 じっとしていればおかしくなってしまいそうだった。

 正気を保つ為には何かアクションをする事が必要だ。

 だから僕はこうして理由をつけて神社に帰ろうとしている。

 あそこに向かえばまだ僕はどうにでもなる。

 あそこに向かえばまだ僕は戻れる。

 こんな悪夢を忘れられるのがあの場所だった。

 こんな悪夢を忘れさせてくれるのが祀だった。

 僕は安らぎを渇望していた。

「あ、何かが来たわん」

 僕は慌てて後ろを振り向く。

 吽形が指し示す場所。

 闇の向こうから何かがこちらにやって来ている。

 血の気が引いた。

 この威圧感。

 間違いない、奴らの誰かだ。

 やはり勘違いではなかった。

 彼らは何か目的をもってこちらを追っている。

 限界まで急がせていた足が更に早く動く。

 人間は恐怖を感じると脚部の筋力が一時的に上昇するという話を聞いたことがある。

 そうして僕はようやく能力を使うことを思い出した。

 しかし僕はともかく彼女達はどこか安全な場所に行かせなければならない。

 このまま戦闘に入れば彼女達も巻き込まれるだろうし他の奴らもこちらに来る筈だ。

 ならば後ろは振り切って行くしかないか。

 だが背中に立っているという事は僕達を簡単に攻撃できるという事。

 どのあたりに居るのかわからないが飛び道具を持っているのならば絶望的だ。

 この期に及んで僕は逡巡していた。

 しかし突然僕の肩を何かが掠めた。

 一瞬だけ何かが瞬いたように見える。

 空間には紫色の残像が残っていた。

 まるで電撃のような。

 いや、電撃そのもの。

 2人は小さな悲鳴をあげた。

 僕は我に返る。

「ッ!」

 今度は迷わなかった。

 僕は能力を開放し、天満月を召喚する。

 青白い光によって一瞬、薄暗い路地裏を照らした。

 そして柄を握り、切っ先を背後に向ける。

 躊躇しなかった。

 刃から黒い物質が放出し、濁流となって敵を飲み込む。

 普通ならばこれで終る筈だった。

「――そんなものでは儂は殺せんぞ? 手を抜いているのか」

 平坦な声が聞こえた。

 老人の声だ、と理解したのは暫く後。

 僕は恐る恐るそちらを見た。

 能力が発動したからか暗い場所でも難なく相手の姿が見える。

 路地裏は壮絶な状態となっていた。

 コンクリートで舗装された地面はめくれ上がり亀裂が走っている。

 幸い周囲の建築物に被害は出ていないが壁に深い爪痕が残っていた。

 あの一撃だけでこの惨状だ。

 しかしその中心部に立っている男に傷は1つもない。

「……」

 僕は目を細める。

 白髭と白髪が特徴的な老人だった。

 しかし引き締まった肉体によって弱々しさは微塵も感じない。

 その目はナイフのように鋭い。

 その鋭利な切っ先がこちらを貫いていた。

 彼の右手に握られているものを見詰める。

 杖のようだった。

 ぐにゃぐにゃに捻くれて雷を彷彿とさせる。

 いや、というよりも雷そのものだった。

 先ほどの攻撃は間違いなくこれから放たれたものだ。

「わかるか? 儂の事」

「ゼウスか?」

 自信はない。

 こんな武器を持った老人なんて探せばいくらでも居るだろう。

 だがこの威圧感はなんなんだ。

 否応なく相手を畏怖させ、頭を下げさせようとするようなプレッシャー。

 こんな相手、奴しか思い付かない。

「正解だ」

 ギリシャの主神は拍手する。

 若干こちらを小馬鹿にしたような印象を受けた。

 だが怒りが湧いてこない。

 そこまで思考が追いついていないのかもしれなかった。

 僕の頭にあるのはただただ疑問。

 こんなやつがどうして僕達を追っているのか。

 あまりにも大層すぎる。

 無駄とだって言えるだろう。

 いくつもの伝説を打ち立てた存在がこんな子ども相手になにマジになっているのか。

「まぁ何がないやらわからないとは思うけどな、しょうがないのよ。こちらも頼まれてやっている訳だし勘弁してくれ、な?」

 コイツがなにを言っているのか僕にはわからない。

 まるで意味のわからない現象を意味のわからない理論で説明されたような気分だった。

「勘弁しろって……何が目的なんだ」

 僕の声は震えていた。

「目的なんざ簡単だ。天照が消えた。儂達は頼まれたから仕方なく天照を取り戻そうとしている。その為にはお前たちが邪魔ってだけ」

 あっさりとそう答えたゼウスは担いでいた杖の先をこちらに向ける。

 間違いない。

 ティターン一族を一撃で葬ったゼウスの代名詞ともいえる兵器。

 雷霆だ。

 そう思った瞬間周囲が光る。

 僕は反射的に影物質の壁を展開した。

 音速以上の早さで到達するそれは黒き壁によって妨害される。

 2人が小さな悲鳴をあげた。

 僕は唇を噛む。

 影物質の壁を相手の雷は侵食していく。

 電気を通さない壁を熱によってじりじりと焼いていく。

 相手が持っているのは神話級の武器だ。こんな被害で終わるわけがない。

 おそらく手を抜かれているのだろう。相手を考えるとそれが妥当だ。

 しかし手を抜かれてこの破壊力。まともにやり合えば即死だろう。

 このままでは貫かれる。それは誰でもわかった。

 ならば幾重にも壁を重ねて時間を稼ぐしかない。

 相手がとんでもない破壊力を持っているのならばこちらはそれを上回る物量をもってくい止めるしかない。

 それが気休めでも少しは時間が稼げるだろう。

 ならばその時間を使って彼女達だけでも逃がさなければならない。

 僕は地面に天満月を突き立てる。

 すると影物質が連続して複数出現した。

 数は10枚。

 まだ出せそうだがやりすぎれば相手が本気の攻撃をやりかねない。

 そうして僕は2人の身体を抱えると地面を蹴った。

 一瞬で20メートル程の距離を稼ぐ。

 しかし相手は主神だ。

 こんな程度の距離など造作もなく詰めるに違いない。

「クソッ、どうする……?」

 思わず悪態を吐く。

 チラリと背後を見るが既に何枚か破壊されている。

 わざわざ丁寧にあんな無駄な事をしているのは単にこちらを追い詰められるという自信があるからだろう。

 おそらく今すぐにでもこちらの心臓を止められるに違いない。

 今日は何も無いだろうと思っていたらこれだ。

 もう泣きたかった。

「夜行、上に何か立っているわん……!」

 吽形が言った方に目を向ける。

 そこには別の相手が居た。

 こちらも老人。

 特徴的なのはローブと鍔の広い帽子だ。

 しかし何よりも目を引くのは右目に装着された眼帯だった。

 彼は高みからこちらを見下ろしている。

 舌打ちをした。

「ゼウスと来て……今度はオーディンか!?」

「わかっているのなら諦めろ。勝機はないぞ」

 彼は背中に手を伸ばす。

 そうして握られたそれをこちらに向けた。

 僕は息を呑む。

 魔槍グングニル。

 ドヴェルグの鍛冶・イーヴァルディの息子達によって作り出されオーディンが愛用する槍の名前だ。

 この槍を投げると敵に命中するまで追尾し続け、貫いた後は持ち主の腕に戻るという代物である。

 その仕組みは穂先に刻まれたルーン文字にある。

 オーディン自身が世界樹ユグドラシルに首をくくって槍で己を貫くというマゾじみた苦行の果てに見出した神聖なる文字であり、1つ1つに強大な力が宿っているという。

 多くの魔術にも使用され、北欧系術式ではかなりメジャーな存在だ。

 そしてルーンを手に入れた後、世界樹から槍の柄が作られたらしい。

 北欧神話の主神まで登場するなど前代未聞だ。

 ゼウスが先ほど天照が何かとか言っていたがそんな事こちらには心当たりがなかった。

 相手が持っているグングニルは正に必殺の武器だ。

 投げられれば回避は不可能。

 僕はごくりと唾を飲んだ。

 そうしてオーディンは握った槍からゆっくりと手を離す。

 まるで地面に落とすような手軽さ。

 にも関わらず槍は重力を無視してこちらに猛スピードで突っ込んできた。

 回避できないのならば防ぐしかない。

 僕はゼウスと同じく影物質による防御を行った。

 分厚い壁ならば相手の攻撃をくい止める耐久度はあるだろう。

 ルーンに刻まれている意味を読み取ってみたがそこには前進を意味するウルと神性を意味するアンスル、災難を意味するハガル、勝利を意味するティールの4つ。

 これと世界樹・オーディン自身の神格よってグングニルは機能している。

 確かにこのままでは絶対に貫かれる。

 しかし貫くという機能はウルによるものであり即時的なものではない。

 つまり貫く場合、障害物の中をゆっくりと進むのだ。

 逆にそれがこの場合には幸いした。

 グングニルは確実にこちらに向かってきている。

 しかしそれは大した速度ではないのだ。

 とはいってもせいぜい5秒程度しか稼げないだろう。

 だがその5秒は大きい。

 そのうちに僕が何枚も壁を作り出せばいいだけなのだから。

「これは面白い」

 オーディンが不敵な笑みを浮かべる。

 僕は用心したが攻撃はこない。

 見過ごすという事だろうか。

「儂にはいくつも術があるが……ここで殺すのは惜しいな。もっと成長してから殺してヴァルハラに置きたいところだ」

 そう言うとオーディンは肩を竦め、姿を消す。

 するとグングニルも壁の中から出てきて彼のもとに飛んでいった。

「なんだったんだ……?」

 背後を見ればいつの間にかゼウスの気配も消えていた。

 しかし完全に威圧感が消えたと訊かれるとそうではない。

 静電気じみたピリピリとした痛みはまだ肌に残っている。

 危機は完全に取り除かれていないという事だろう。

 僕達は気を緩めず、先に進んでいく。

 すると終わりが見えてきた。

 どこまでも続く闇に現れた光というものはこちらに安堵感を与えてくれる。

 力が抜けて倒れそうになったがなんとか堪えた。

 そうして僕達は路地裏を出る。

 そこに現れるのは駅前の大通りだ。

 名物である時計塔の全容を下から見る事ができる。

 そんな事もあってここは人通りが常に多い。

 しかしここも先ほどと同じく人っ子一人居ない。

 どこも異常事態らしい。

 再び焦りが思考を焼いていく。

 目眩を感じた。

 僕は空を見上げる。

 既に亀裂も影も消えていた。

 帰ったのではない。

 各々目的があってそれぞれ動いているのだろう。

 急がなければならない。

 僕は阿形と吽形を引き連れて天光神社に向かう。

 あそこに行けば安全、と言える訳ではない。

 彼らがこちらを狙っている以上、祀にも危険が及んでいる可能性がある。

 しかしあそこに行けば全てがわかるだろう。

 この世界がどうなっているのか。

 すべての謎が。

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