第1章「繰り返された毎日」
クリスマスも終わり、新年も間近となった朧想街。
今年は例年程降っているわけではないらしいがやはり山に囲まれているという事もあって結構雪が積もる。
あちこちで除雪車がせわしなく走り回っているのを何度も見た。
かくいう僕も昨日は神社の屋根の雪下ろしを手伝わされた。
それだけではなくアホみたいに広い境内の雪かきもである。
かなりの重労働。
しかし阿形たちは率先してやるししかもとんでもなく仕事も早いしかなり早くに僕はそれから開放された。
あちこちでは小学生が雪合戦をしている。
しかしこういうのは大抵10分くらい経過するとバカが相手の上着の中に雪を流し込んで泥沼化する。
早くもこの神社の境内で大暴れしている小学生達は憎悪に駆られてとんでもなく硬い雪玉を作り始めた。
中には能力や術を使っているのも居る。
まぁ小学生だし大きなことにはならないだろうが万が一事件が起きたらモンスターペアレントから僕のせいだと避難されそうだ。
という訳で熾烈な戦闘を繰り広げている少年達の集団に僕は入っていく。
「君達、無益な戦争はやめろ。ルールとマナーを守って楽しく……」
「おい黒いのが来たぞ!」
「やべえ雑魚そう! 皆集中砲火だ!」
「つららも使え!」
「つか泣いてね?」
泣いてねえし。目に雪玉が入ったんだし。
しかしこのクソガキ共高校生を舐めやがって許せん。
僕は大人気なく影物質を使って雪を掬い取るとそれを思い切り振るって不良小学生共の鎮圧に取り掛かる。
「クソ! うんこ! 高校生のクセに大人気ないな!」
「フハハハ年上を舐めた事を後悔しろ! 貴様らケツの青いガキなぞ1分もあれば黙らしてやるわ!」
すると小学生達はこちらに一斉攻撃を仕掛けてくる。
しかしそれは容易く僕の作った影物質の壁によって防がれた。
ぼしゅぼしゅ、という雪玉が潰れる音がたいへん切なく涙を禁じえない。
「そもそも小学生共。冬休みの宿題は終わったのか?」
すると僕の指摘に彼らは黙る。
「……や、まだ全然休みあるし!新年にもなってないのに何言ってんだ!」
ほう、まだ噛み付くか。
僕はすっと目を細める。
「書き初め」
「くっ……」
「自由課題」
「うっ……」
「何枚もあるプリント」
「げっ……」
「分厚いドリル」
「ぐふっ……」
「漢字練習」
「なっ……」
「新年の抱負」
「あっ……」
「読書感想文」
「がっ……」
やはりかなり効いている。
小学生達の目はせわしなく左右に泳いぎまくっている。
このままもうひと押しだ。
「宿題というのは家庭での学習習慣を付ける為にあるんだぞ? 毎日コツコツとこなせば苦にならない量だ。なのに君達は後で後でを繰り返し最終日になって発狂するハメになるんだ。いい加減現実を直視した方が良い」
すると小学生達の目に涙が浮かび始めた。
そして甲高い悲鳴をあげると一目散に境内を出て行く。
階段で転ばないか心配だったがきっと大丈夫だろう。
しかしこんな事を言う僕は未だ何もしていないのだった。
数学が多いのにどうしよう。
「大人気ないにゃあ」
「わん、可愛そうだわん」
後ろから僕を非難する聞きなれた声が聞こえたので振り返る。
勿論そこに立っているのはもこもこな上着を着た阿形と吽形である。
2人とも耳付きフードを被っておりたいへん可愛らしい。
「2人とも勘違いしてもらっては困るよ。僕は幼い彼らに宿題を溜めて欝になるという悲しい未来を回避させる為に敢えて口をすっぱくして言ったんだよ」
「そうだったのかわん!」
「吽形、違うにゃ。騙されてはいけないにゃん」
流石阿形これでは騙されないか。
確かに僕は小学生の豆腐のように繊細なハートを傷つける為にあんな事を言った。
おそらく今頃はめそめそ涙を流しながら来るべき悲劇を回避する為に宿題をやっているに違いない。
強く育ってほしい。
「そういえば大掃除の時夜行の部屋からこんなのが出てきたけどどうするのにゃ?」
そう言って阿形は上着の中から何かを取り出す。
真っ赤な布の塊だった。
彼女はそれを広げて僕に手渡す。
「こ、これはサンタ服!?」
僕は思わず目を見開いて叫んだ。
それは僕が封印していたアイテムだった。
3着あり、スカートの丈は短い。
勿論僕が購入したものであり、祀達に来てもらおうとか考えていたのだ。
しかしクリスマスイブになって渡したところ、すごいドン引きされたという過去がある。
『これは……え? ちょっと無いんじゃ』
そう言ってこちらを侮蔑するような目を向けられた。
あれは僕に快感を……与える訳が無く深い傷を残した。
涙なしでは語れないこの悲劇。
僕は忘れていたのだ。
ここが神社だという事を。
決してキリスト教文化とは相容れないという事を。
で、阿形と吽形にも土下座をして頼んだのだが両者とも微笑みながら言外にお断りをしてくれた。
もう一晩くらい涙を流せそうだったが僕は妄想でそれを補うことにし、このサンタ服は部屋の深奥に封印した。
そんなこんなでこの忌むべき赤い服がもう日の目を見ることはないと思っていたのだがまさかこんなときに出会うとは。
もしかしたらいつか気分を変えて麗しき美少女が着てくれるかもしれない。
しかし個人的には祀が頬を赤らめてスカートを抑えているという場面を期待している。
うん、そそられる。
僕は取り敢えず彼女の手からそれを受け取り、かさばるものの折りたたんで黒いウール素材のコートの内側にしまう。
しかしクリスマスと言えばもっととんでもない事があった。
あの赤い爺さんだ。
おのれアイツ睡眠中に僕の部屋に突然出現して『なんだ、10歳以上か』と言ってプレゼントを残さず出て行くなどなんたる所業。
文化となっている慈善事業を行っているからこそ不法侵入して幼い子どもの寝顔を堪能しても逮捕されないでいるというのに間違った挙句謝らないとは何様のつもりだろうか。
寧ろ僕の身体を狙う変態かと勘違いして本気で悲鳴を上げかけたわ。
しかしあの日はそんな事もあって本当に苛々していた。
朝から暇をしていた僕は取り敢えず気持ちを紛らわせようと外に出ていたのだった。
しかし街の綺麗なイルミネーションもデコレーションもクリスマスソングも街を歩く恋人達も僕の孤独感を苛む。
勘違いするヤツが多いので何度も言うようだが僕は3人とやましい関係なのではなく同居人だ。
ん、待てよ、家族じゃないか?
とも思った事はあるが彼女たちが僕をどう思っているかがわからない。
だからこそ難易度が高いと言える。
冬休み初日に雅達がナンパしてたら彼女ゲットしたぜ、とかなんとか言っていたがああいう不埒な輩は即刻地獄に落ちるべきである。
彼女という事は基本的に度を過ぎなければ大体の事はできる。
しかし僕のようなポジションになるとそんな軽率な行動など恐ろしくてできたものではない。
だからこそ僕は苦労していたのだった。
全くこちらの気持ちを知らずに楽しみやがって許せん。
あの夜は1人孤独に部屋でクリスマスが今年もやってくるという欝ソングで有名なファストフード店のフライドチキンを骨ごと齧っていたものだ。
このおかげで軟骨の魅力に気づいてしまったではないか全く。
因みにどうしても僕の歯と顎では食べることなどできない太い骨は余ったチキンと共に阿形達に贈呈した。
しかし阿形いわく
『鶏の骨は細くて硬いから危険なんだわん』
との事。
こうして犬の飼い主しか知らなくていいであろう知識を覚えた僕はそれを境内の土に埋めた。
フライドチキンのなる木が生えるかも、と思ったからだが冷静に考えてリン酸カルシウムが多量に含まれる骨に光合成などできる訳がなかった。
とはいえその時は僕の頭がおかしくなっていたに違いない。
そういえばクリスマスにはまだこんな事があった。
外を散歩しているとちょうどマリーとアレイシアが居る教会の近くを通ったので僕はそこに寄る事にした。
が、そこで僕は目を見開いた。
なんとミニスカサンタだが教会に行ったところアレイシアが普通に着ていたのだ。
だけど何故だろう、恥じらいがないとあまり魅力が感じられないのだった。
僕はそこで取り敢えずミサに耳を傾け、適当に彼女達と世間話をするとすぐに出ていった。
どうでも良いがミサに参加していた多くの人物が冴えない僕みたいな男ばかりであり彼らのカップルたちに抱く嫉妬の念が肌を刺すように感じられた。
きっとそこにあった負の感情を瓶に詰め、それを誰かに嗅がせればあまりの恐ろしさに発狂するに違いなかった。
そうして教会を出ていった僕は街の中心部に向かった。
レンガ造りの建物が多い場所で、名物ともなっている時計塔が建っているあたりだ。
千鶴や巳肇が働いている『西風苑』もクリスマスケーキをなんか安価で販売していた。
僕は早速入店し、それを注文しようとしたらなんかいきなり2人にゲテモノ料理を食べさせられた。
勿論僕の自腹だ。
しかしもうここまで来ると慣れてきたもので口一杯に虫やら爬虫類やらを詰め込でも簡単に飲み込めるようになった。
しかも悲しい事に上手く感じるようにもなったのだ。
もしかしたらかなり前衛的な舌になったのかもしれないと未だに危惧している。
そして代金を払い、神社に帰ろうと思った僕は途中、輝夜と鋼の居る『月行楼』に行ってみた。
城っぽい所は門から玄関までかなりの距離があり、呼び出しボタンを押すとすぐに執事っぽい人が出てきた。
そうして中に通された僕は鋼と輝夜にプレゼントをいきなり渡された。
これはもしや上等な月の石か何かだろうか、と思ったがそれは鍋の具材だった。
これはこれで便利だが謎の敗北感をその際にひしひしと感じていた。
イブには特別な人ではなく家族と夜を過ごせと言いたかったのだと思う。
こんな仕打ちをするのは鋼に違いない。
しかし貧乏性な僕は断れるわけもなく彼女達からそれを受け取って神社に帰ったのだった。
長い一日だったが心は癒されないクリスマスだったと僕は覚えている。
そうだ、変える途中でカーネル氏が凛々しい顔つきで立っているファストフード店でパーティバーレルを購入したのだった。
しかしだから何。
そんなこんなで僕のクリスマスはあっという間に終わりを告げた。
「そういえばこんなのも見付けたわん」
そう言って過去を振り返るのに没頭していた僕を彼女は現実に引き戻す。
吽形の手にあったのは僕の隠している猥褻文書の一冊。
僕は何も言わず速攻でそれを彼女の手から取ってサンタ服と同じようにコートの内側にしまう。
なんて恐ろしい真似をしてくれるのだ彼女達は。
僕はその手際の良さに恐怖を抱く。
人の部屋を勝手に掃除した上こういうものをスルーせず僕に教えるとはもしかしたら恨みかなにかを抱いているのかもしれない。
「……で、何が本題?」、
僕は心底疲れた顔で彼女たちにそう尋ねる。
「ちょっと買い物にゃん。ワタシ達で行くのもアレだから夜行も連れて行こうと思って」
「そういう事だから一緒に行かないかわん?」
ふむ。確かにちょっと暇だとか思っていたし買い物に付き合う程度の事を断る程僕はやぶさかではない。
「良いよ」
僕はそれだけ応えて神社に戻り、出かける準備をする。
財布を尻ポケットに入れ、僕は玄関で待っている2人の元へ向かった。
「じゃあ行こうか」
僕達は雪かきの跡が見える境内を歩き、鳥居を潜り、階段を下りる。
ここから僕達が向かうショッピングモールはここからそこまで離れていない。
徒歩で20分程度の場所に建っており、休日には家族連れがよく見られる。
広大な駐車場は1000台近くの車を停める事も可能であるが、それでも休日には停められる場所を探すのに苦労する事も珍しくはない。
やはりもう少しで1年が終わるために、いつにも増して車の数は多い。
中に入ればその人口密度に僕はちょっと圧倒されかけた。
どこを見ても人人人。
人ばかり。
老若男女様々な人達がここに集っている。
1万人近く居るかもしれない。
僕はちょっと目眩を感じた。
「で、まずどこに行けば良いんだ?」
「ええとちょっと待つにゃ」
阿形はコートのポケットからタブレットを取り出して購入する商品をチェックする。
「取り敢えず雑貨類から買っていくにゃ」
「雑貨っていうと松飾りとか生花か」
「他には新しい符のストックとか置物があるわん」
そういう訳で僕達は売り場に向かう。
そうして早くも目当ての商品を見付けてそれをカゴに入れる。
しかしどうして符とかが普通にこんな店に販売されているんだろうか。
明らかに異様というか棚で浮いている。
「あ、夜行達だ」
「うん?」
僕は声のした方に顔を向ける。
僕達の後ろにそいつらは立っていた。
「カサス達にゃん」
「うっす」
そうしてこちらに挨拶したのはアリスト達3人組だった。
ちっ、彼女なんぞ作ってこちらに自慢しに来たのか、とか思ったが違うらしい。
彼らの隣には誰もそれらしい女性は居ない。
もしかしたら僕に自慢してきたのは妄想だったのか。
だとすれば僕達は至急彼らを病院に連れて行って精密な検査を受けさせなければならない。
腐れ縁とはいえ友人である。
僕は一抹の不安を抱いた。
「彼女とデートじゃないのか? 3人ともここ最近はそんな生活を送っているものだと思っていたんだけど」
「そのつもりだったがな。しかしもうそんな悠長な事は言っていられないんだよ」
アリストの顔は若干恐怖で引き攣っているようにも見える。
他の2人も同じだ。
僕は不可解な彼らの反応に眉をひそめる。
一体何があったんだろうか。
もしかして僕がターゲットの盛大なドッキリだろうか。
だとしたらとんでもなく悪質なものだ。
「で、何があったのさ?」
僕は真相を見極める為に取り敢えず彼らに尋ねる。
新年がもうすぐだというのに一体彼らは何に怯えていると言うのか。
「淫魔だ……」
と、僕の問いに生まれたての小鹿のようにプルプルと震えているアリストが答えた。
「はい?」
「サキュバスだったんだ……!」
「……へぇ」
僕はすっと目を細める。
益々意味がわからないな。
「どうしてお前はそんなに冷静なんだ!?」
すると顔面蒼白なカサスが僕の両肩を掴んで力強く揺らす。
脳震盪が起きそうだ。
「お、落ち着け! これじゃあ僕の脳味噌がシェイクされてドロドロのソース的なものになる!」
僕は慌てて彼の腕を掴んでどうにか離す。
するとカサスはハッとした顔になった。
正気に戻ったらしい。
「すまねぇ……しかしヤバイ事態なんだ」
しかしまだ彼らの顔は晴れない。
「いや、普通に良いじゃん……毎晩お楽しみができて」
「てんでもないよ……何も知らないからそんな事を言えるんだ……」
「しかし雅。お前たちはもう僕とは違う場所に行ったのでは」
「まさか。行こうと思ったけど無理だった……」
「なにそれ? ヘタレって事か?」
「否定はしないけどやむを得ない事情があったんだ」
「やむを得ない事情?」
男子高校生の無尽蔵に溢れ出てくる欲望を超える程の何かがあったとでも言うのか。
「俺たちが奴らと会ったのはごく最近の事だった……」
アリストがいきなり過去を語り始める。
僕はどうしてそんな惚気話を聞かなければならないのかとか思ったが可哀想なので聞いてやる事にした。
腐っても一応友人だ。見捨てるには少々良心の呵責がある。
「時計塔の近くで偶然こいつらと会った俺はナンパしようぜ、と冗談で言った……」
彼らの事情というものを要約するとこういう事だった。
アリストは却下されるだろうなと思った上での提案だったのだが意外な事にカサスと雅はあっさりと了承したという。
これには流石の本人もビックリ。
しかし言ってしまった以上今更引き下がることもできない。
彼が今まで掲げていたポリシーをぼっきりと根元からへし折りかねないものだったのだがどうせ成功しないだろう、ということで言いだしっぺのアリストがまず声を掛ける事になった。
そして肝心の相手だがちょうど近くを通りかかった美少女3人組を目ざとく発見した彼らは早速企みを実行に移したという。
清純な乙女ならばこんな方法でお近づきになっても断る筈。逆にオーケーを貰えたら幻滅だ。
アリストはそう思った。
しかし意外にも彼がナンパした一人は2つ返事で快諾したという。
彼が声を掛けたのは超好みな外見の方だった。
だからこそその衝撃は計り知れなかったらしい。
こんな事は有り得ない、いや有ってはならない。
黒髪ロングの大人しそうな麗しき乙女がこんなチャラい方法で自分と特別な関係になる事など。
だが彼女はアリストの好みの外見を完璧に再現していた。
こんな好機を見逃して良いのか?
しかしこれは自分の長年の信頼と実績を裏切る事になる。
刹那とも言える短い時間逡巡するアリストだったがナンパがダメならどうやって彼女を作るのだ、という結論になりすぐに開き直った。
そんな訳でアリストはあっさりと長年の悲願とも言える女性を手に入れたのだった。
それを見た雅達が黙って見ている訳がない。
彼らはすぐ同じように行動に移った。
しかし驚いた事に全員快諾だったという。
まさか天変地異の前触れか、とも彼らは思ったが前触れなら前触れで別に幸せな時間を過ごせるんだし別に良いかという事で付き合う事になったという。
普通に考えれば何か裏がありそうなものだがあまりの嬉しさに舞い上がっていた彼らにそんな事を考えている余裕などなかった。
このあたりでちょっと頭が痛くなったのだが我慢して話を聞く。
そしてすぐに彼らは早くも次のステップに移ることにしたとの事。
しかしあまりにも早すぎではないだろうか、まだ付き合ってから1週間程度しか経っていない筈だったが。
僕はそう指摘したが3人は顔を逸らし、我慢できなかった……と申し訳なさそうに言った。
全くその通りだ。
これには流石に暢気な性格に定評のある吽形も困ったように眉を垂れている。
阿形は逆に興味津々な感じだ。
アリストはそれで、と話を続ける。
部屋に招いたところいきなり相手の雰囲気が変わった。
いままではおしとやかな淑女、といった感じだったのだがちょっと良い感じのムードを彼が必死で作り出している途中にいきなり鼻息を荒げたとの事。
もしや効果がありすぎたか、とちょっと彼はビビリ、ムードをすぐにぶち壊して桃色の妄想を脳内宇宙の彼方に放り投げたのだが彼女の変化が止まる気配はない。
これはちょっとヤバイ、逆にこっちが食われるかもしれないとそろそろ危機感を抱き始めた頃に相手の女子に変化が起きた。
なんと突然マシュマロのように柔らかな彼女の肌に亀裂が走り、そこからひび割れた岩のようなものが見えたというではないか。
鈴を転がすような音色であった声もハスキーがかった地獄から絞り出したようなものに変わったという。
そうしてやっとアリストは気付いた。
こいつが男の生命力を根こそぎ奪い取る悪魔だという事を。
このままでは賢者になるどころか本当の意味で昇天しかねない。
そう判断すると彼はすぐさま部屋の外に出たという。
しかし青少年の純粋な心を踏みににじったサキュバスは逃げようとするアリスとの腕をすぐさま掴んだ。
それはとんでもない力であり、並みの人よりは腕が立つ彼でも離す事ができない。
このままでは絶対に見られたくない死に方で人生を終える事になると危惧した彼は自分の腕をもぎかねない勢いで引っ張ったという。
すると流石ユニコーンというべきか、夢魔の腕から抜けた。
その隙を見逃さず彼は慌てて部屋を出て家を出て、深夜の外に出た。
誰か助けを呼ぼうと思ったがこんな時間では誰も居ない。
しかし背後からは待て、という恐ろしい絶叫とレンガで舗装された道を砕きかねない轟音のような足音。
このままでは捕まると恐怖した彼は慌てて近くの路地裏に入り、迷路のようなそこをめちゃくちゃに走ってどうにか撒いたという。
しかし声と足音はまだ彼の耳に聞こえ続けている。
こちらを探しているのは明白だった。
このままじっとしていればいつか発見されるのはアリストも理解していた。
という訳で彼はその声が遠くなったのを見計らってすぐにそこを出た。
そして己の足だけで街をずっと疾走していたという。
それが今日の話だというからとんでもない。
そして太陽が上り始めた頃偶然にも同じ理由で逃げていた雅とカサスと遭遇した。
悲しい事にサキュバスのグループに彼らは声を掛けてしまったのだ。
仲間に会えた安堵からへたりこみそうになったがしかしすぐにおぞましい3つ声は聞こえてきた。
という訳で彼らは共にこうして今まで逃走し続けていたとの事。
「もう女の子に手を出したりなんてしないよ」
雅は某テレビ特捜部に事件を取り上げられた怪我人の少年のように語る。
しかしすぐにその決心を忘れてしまうのは火を見るよりも明らかだった。
「それなら警察にでも頼ったらどうなんだ? 話ぐらいは聞いてくれるだろ」
「いや、それだと僕が困る……」
すると雅が目を逸らしてボソリと言った。
あぁ、コイツ色々と怪しい事してそうだしな。
確かに少しのリスクも犯したくはないだろう。
「で、お前たちの後ろに立っている3人誰?」
僕はアリストたちの背後に指を差す。
そちらに振り返った3人は絶叫した。
×
「で、何が大事かと言うとつまりどうして尻子玉は販売されてないのか」
雪の降る大通りを3人の少女が歩いていた。
先頭を歩いている少女は何故だか不機嫌そうな顔だった。
河童である河瀬瓜だった。
どうやら尻子玉にご執心らしい。
しかし後ろの二人は少しも気にしていなかった。
というか暇そうにしていた。
「……そもそも、そんなのは存在しない」
と、答えたのは白髪で色白の少女だった。
雪女の凍白雪である。
実は死んでいるのだがなんだかんだでこの世界に残っていたところ雪女になったという。
しかし本人があまり喋らず基本無表情な事もあってその素性は謎が多い。
が、本人いわく生前はもっと明るかったとの事。
もっともそんな事を言われても誰もそんな彼女を想像できないのだった。
そんな白雪の淡々とした答えに瓜は頬を膨らませた。
「その通りだよ。いつまでも夢を語っていたい気持ちはわかるけどもう現実を見たほうが良いよ」
後ろに居るヘッドホンをした少女は嘆息しながら彼女の問いに答える。
鎌鼬である鼬風芽だが全身からダルそうなオーラが流れ出しては止まっていない。
なんか若いのに人生に苦労しているようだが単にそういう性格なだけである。
「いや2人共否定しないで。もしかしたら存在するかもしれないじゃん、尻子玉」
しかし諦めが悪い瓜は彼女達の言葉を否定した。
すると2人の顔が僅かにピクっと動いた。
これ以上話を聞きたくないようだ。
とはいえそんな事を雅は知らない。
彼女は不毛な話を2人に振り続ける。
「とは言っても存在しないものは存在しないのだから仕方がないだろう」
ならば否定仕切れば良い、と風芽は考えて彼女にそう言った。
「なら私が抱いているこの欲求はどうすれば良いの?」
が、瓜は食い下がる。
これは本格的に面倒だ、と風芽は眉間を揉む。
「……川に捨てる」
「白雪が凍らせたでしょーが。ならアレ? 尻子玉ってフィクション?」
「最早ファンタジーだよ。単なるおとぎ話だよ」
「しかしその事実はいつ誰が決めたの?」
「なら瓜は実際にそれを見たことがあるのかい?」
「無い」
「即答だね」
しかしこのままこんな無駄な話を続けても意味がない。
おそらくそれは瓜もう薄々と気付いていた筈だ。
だが彼女はそんな理由で長年の夢を捨てたくはないのだった。
遠い日の記憶。
母親や祖母は尻子玉はあるのか、と訊くとあると答えた。
しかしそれを瓜が見ることはなくこんな歳になってしまったのだ。
現実を知って彼女は項垂れる。
「……あ、尻子玉発見」
と、いきなり白雪が魚屋に指を差した。
2人はそちらに目を向ける。
「……これは白子」
笑えない、と瓜は溜息を吐いた。
×
「またアンタらゲーセンで金消費しまくって帰れなくなったの?」
大きな鼠耳が特徴の少女、吉野舞子はやれやれと肩を竦めた。
彼女の前に立っているのは小学生くらいの背丈の2人の少女。
説教を食らったのだが彼女達の顔に反省の色は見られない。
というか笑顔さえ浮かべていた。
「そういう事だからお金貸してー!」
土下座をして頭をこすりつけんばかりの勢いで頼み込むのは座敷童子の御蔵和良である。
ランドセルが似合う外見なのだが彼女はれっきとした女子高生だ。
が、オツムの方は残念ながら外見相応のもの。
せめてそっちはちゃんとしてほしいと舞子は切実に思う。
しかしそんな思いを彼女は知らないのだった。
「駄目」
が、舞子は幼女のお願いを一言で断った。
和良はええー、と非難がましく言う。
人通りの多い駅の前の広場だったので何人か通行人がこちらを見た。
舞子の顔が僅かに赤くなる。
早くこの問題児をどうにかしなければ。
しかし問題は更にのしかかる。
「何故駄目なの? 理由を言ってもらえないと困る」
和良の隣に居た幼女、エル・ピクシーが唇を尖らせた。
彼女もこんな外見だが女子高生だった。
ジェットコースターの身長制限とかクリアできるのだろうか、と舞子は心配になるのだが彼女達にとっては些細な問題に違いない。
いや、それよりも今はこいつ等をどうするかだった。
「何が駄目って……」
「だってお金はちゃんと返すしー。利子込みで」
「その利子が問題なんだって」
「どうして?」
和良は首を傾げた。
それに対して舞子は思わず空を仰ぐ。
早く帰りたかった。
「つまり利子の金額が高すぎるんだって。払った分だけ返せば良いのに」
「だって多ければ多い方が良いじゃない?」
「冷静に考えなさいな。50%って。しかも1日毎に率が増加していくとかとんでもないわ」
幸いにもほんの数日で返されたので良かったが1週間とかもっと後になっていたらどうなっていたのだろうか。
逆に恐ろしくなって過剰分を返そうとしても遠慮するなよーの一点張りで受け取ろうともしない。
結局渋々受け取ったそれはせめて有効に使おうと募金箱に突っ込んだ。
「だってお金がなにをしなくても転がり込んでくるし」
和良の言葉に舞子は怪訝な顔をする。
「どういう事?」
まさか何か悪事に手を染めているのではないか、と危機感を抱く舞子。
「私って座敷童子じゃない? だから福の力で懸賞とかキャンペーンとかバカみたいに当選するのよ。で、転売を繰り返したり物々交換したりで大きなお金に」
「私達お母さんたちに仕送りしてるんだよー」
「偉いけど本当に苦労しないねそれ!」
子猫とか捨てられたペットを引き取っては育てている彼女にとってそれはとても羨ましい話だった。
確かにバイトとかはしていないしどうやったらあんなに遊べるのかとか不思議に思っていたがそんなカラクリがあったのだ。
「じゃあ常に沢山常備すれば良いじゃない」
「それが良く財布落すんだよね」
福を呼ぶ精霊じゃないのか、と舞子は突っ込んだ。
×
「――冷えるわね」
優雅に紅茶に口を付けていたワーミィは唐突にそう言った。
その言葉に反応したのは1人の女性。
「確かに外は雪が降っていますからねぇ……毛布は如何ですか?」
ワイバーンでメイドなエリアは持っていたモップを壁に立て掛けて訊く。
しかしワーミィは首を横に振った。
「眠くなるからいらないわ。昼寝をすると勿体無く感じるのよ」
「そうですか……しかし欲しくなったらいつでも言ってください。私が至急持ってきますので」
「ありがとう」
そうして掃除が終わったらしい彼女はワーミィに一礼すると部屋を出ていった。
広い自室に独り残されたワーミィはテーブルに湯気の立っているティーカップを丁寧に置くと立ち上がって窓に近付く。
カーテンを開けると雪の降る朧想街が一望できる。
彼女は思わず肩を震わせた。
やはりドラゴンである彼女は寒さは苦手だ。
もっとも霜焼けになるとか凍傷になるとかダメージに関してはそこらの人達よりも耐久度があるのだが精神的にというか寒いと気が滅入るのだった。
とはいえ暖房を点けると頭がボーっとするので今は消している。
手を擦り合わせて息を吐く。
「お嬢様よろしいでしょうか?」
と、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
この声は執事のクロードだ。
一体何の用かしら、とワーミィは思い、窓から離れてドアに向かう。
扉を開けると出てきたのは金髪をオールバックに固めた堅物な印象を与える青年だった。
因みにワイバーンである。
「どうしたの?」
そうして彼を部屋に招き入れる。
「失礼します」
頭を下げ、クロードはワーミィの部屋に入った。
「実は気になる事がありまして……」
気になる事? とワーミィは首を傾げる。
クロードの顔は深刻そうだった。
もしかしたら仕事を辞めたいとかだろうか。
「いえ、滅相もございません。お嬢様には感謝しても仕切れない程です」
「なら何があったと言うの?」
「はい、実は……」
×
神鳴山麓。
そこでは少女たちが騒いでいた。
「今日こそ決着を付けない? もういい加減暇してたのよ」
「奇遇だね。私もだ」
そうして火花を迸らせているのは妖狐の魅麗と妖狸の貉那である。
2人は常日頃から飄々と掴み所のない雰囲気を纏っているのだがこうしてばったり出会ったりすると険悪な雰囲気に変わるのだった。
しかしそんな関係が100年近く続いているというのだから面白い。
無論、彼女たちの実年齢はとんでもなかったりするのだがどうも精神年齢というのは外見の影響に左右されるらしい。
そんな2人を遠くから眺めているのは天狗の照玖と鬼の朱音である。
彼女達が持っているのは日本酒だ。
やはりこんな季節だと酒が美味い。
「あいつら普通に仲良いと思うんだけどどうなのかね?」
「私もそう思うよ。まったくもう少しで新年だっていうのに……」
しかしこのまま放っておくのもアレだった。
なんせ一方はその美貌によっていくつもの王朝を滅ぼした存在の末裔、そしてそんな奴と同等な力を持っているような者なのだ。
お互い幻術が得意分野とはいえ被害が小さいという保障はない。
こちらもそれ相応の力があると自負しているが2人に対抗できる程か、と訊かれると即答はできない。
そんな訳でさっさと間に入って不毛な争いを止める事にした。
まだマジ喧嘩は始まっておらず、両者とも睨み合いの冷戦状態なのでどうにでもなる。
照玖と朱音はほぼ同時に腰を上げて地面に瓶を置く。
「2人とも良い加減に――」
そう朱音が言いかけた時、唐突に空が光った。
「「「「?」」」」」
4人は顔を空に向ける。
彼女達の目に飛び込んできたのはとんでもないものだった。