交換ノート
『では、水曜日に』
「はい。よろしくお願いします」
奈々子は携帯電話を切り、心を落ち着かせる為に小さく深呼吸した。
目を閉じる。今、自分に起こっていることを、改めて確認する。
そうして再び目を開くと、ちょうど停留所にバスがやってくる所だった。ドアが開き、幾人かの乗客が吐き出される。それと入れ替わるように、奈々子はバスへと乗り込んだ。
平日の昼間だからだろうか。奈々子が乗った車両には、乗客が二人ほどしか見当たらない。
――ちょうど良かった。少し座ってゆっくりしたかったのだ。
奈々子は真っ直ぐに一番奥の席へと向かい、窓際へ腰を下ろした。
バスが動きだし、心地よい揺れを奈々子に与える。車窓からの風景は、普段奈々子が生活する都内よりどこか寂れた印象があった。珍しいような、懐かしいような。そんな不思議な感覚に身を委ねて、奈々子はぼーっと車窓の外を流れる風景を眺めていた。
「ありゃ? 奈々子じゃん!」
甲高い声。
誰かと思い、奈々子が声の方向へ視線を向けると、懐かしい顔があった。
「……麻耶」
「なーに、その顔。もしかしてあたしの事、忘れてた?」
いたずらっぽく笑いながら、麻耶は奈々子の隣へと腰を下ろす。
「おひさー、奈々子。元気してた?」
「うん、元気にはしてたよ」
「あはは! “は”ってなによ、“は”って! ……あ、もしかしてアレを忘れてたとか?」
「ううん、そんなことないよ。ちゃんと書いてる」
「ほんとにぃー? じゃあ見せて」
そう言うなり、麻耶は奈々子が抱えていた鞄へと手を突っ込んで、無理矢理一冊の大学ノートを取り出した。表紙には大きく『交換ノート、その12』の文字。
麻耶は交換ノートをパラパラとページをめくる。
「なんだ、書いてんじゃん」
「……だから書いてるって言ったじゃない」
「奈々子は口だけだからさあー」
麻耶にだけは言われたくない。奈々子はそう言いかけたが、呑み込ん
だ。十年以上の付き合いで、麻耶とは口喧嘩で勝てないことを奈々子は知っていた。
「うん! これならもう、大丈夫そうだね」
「大丈夫って何が?」
「これだけ続けられたなら、これから先も書き続けられるでしょ?」
麻耶はそう言って、ノートの中身を奈々子に見せるようにしてページをパラパラとめくる。
内容は、必ず見開き二ページで区切られていた。左側には三行程度で書かれたお題と、右側にはお題を受けて書かれた小説。それがノートの最後まで延々と書き連ねられていた。
それは、奈々子と麻耶の友情の証だった。
お題を麻耶が出し、奈々子がそれに合った小説を書く。そしてそれを読んだ麻耶が、感想と共に新しいお題を出す。まだ二人が中学生だった頃。小説家を志していた奈々子に『小説の修行になるから!』と麻耶は無理矢理、この交換ノートを始めさせたのだ。
「それじゃ! あたしはそろそろ行くから」
麻耶は交換ノートを奈々子に返し、席から立ち上がる。
「……? 次のノートは? お題は?」
「そんなのないよ」
「そんなのないって……。麻耶、それってどういう」
「んじゃ、奈々子! またねーん」
ガタン、とバスが大きく揺れ、奈々子は目を覚ました。
周囲を見回しても、誰もいない。いつの間にか、乗客は奈々子一人になっていた。
バスのアナウンスが次で終点だと告げ、ほどなくしてバスは停車した。奈々子はバスを降り、そのまま『たちばな霊園』と書かれた敷地へと入っていく。
そうして奈々子は、麻耶が眠る墓の前までやってきた。
「最後のノートだよ」
奈々子は墓石の前にしゃがみ込み、鞄から『交換ノート、その40』と書かれた大学ノートを取り出した。
墓石の前に置いたノートを見て、麻耶が死ぬ前に言ったことを思い出す。
『いい、奈々子? あたしはこれから死ぬけど、だからってあんたは小説を書くのをやめちゃだめ! でも奈々子のことだから、あたしが見てなかったらめんどくさがって、小説書かなくなっちゃうと思うの。だから、これを渡します』
そう言って麻耶が奈々子に渡したのは、お題だけが書かれた交換ノートだった。
麻耶は『こんだけお題考えるの大変だったんだから、奈々子はちゃんとあたしを楽しませなさい!』と笑って、そして、この世を去った。
「お題考えるより、小説書く方がよっぽど大変なのよ」
奈々子は墓石に向かって苦笑する。お題だけが書かれたノートを何十冊も渡してきた時には、何を考えているんだと思った。死ぬ間際に何をしているんだと。
でも、そのお陰でこの三年間、麻耶がずっと側にいてくれたような感覚があった。
「麻耶。私、新人賞を受賞したんだ。水曜日に編集者さんと会うの。何ヶ月かしたら、私の本が本屋に並ぶんだって。……麻耶が、交換ノートを続けてくれたお陰、かな」
お題を書いておいてくれた、とは言わない。
きっと麻耶は本当に、ずっと私の側にいて、私の小説を読んでいてくれたはずだから。
【完】
サクッと楽しめるものを目指して書きました。
少し長くなってしまいましたが楽しんで頂けましたでしょうか?
もし楽しんで頂けたのなら、意見や感想などを頂けると助かります。
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