幸せとみそ汁
誰にでも、「当たり前だったからこそ気づかなかった幸せ」があると思います。
毎日の食卓や家族との会話。
その頃は少し鬱陶しく感じていたことさえ、離れてみると不思議と恋しくなるものです。
この作品は、そんな何気ない朝の時間を題材にした短編です。
みそ汁の湯気の向こうにある、家族の記憶や温もりを感じていただけたら嬉しく思います。
それでは、『幸せとみそ汁』をお楽しみください。
時刻は朝の5時。
大学生の一日の始まりにしては、随分と早起きだ。
「ふあ~あ。」
あくびが出つつ、グレーの衣を身に纏う。
背中の紐はちょうちょ結び。
長い髪は、ヘアゴムで一本にまとめた。
―――ぴょこっ。
「ん?」
触角が飛び出た。
寝ぐせは……まぁ、このままで。
「それじゃあ、作るとしますか―――」
油を敷いた。
菜箸を右手に装備する。
「私の今日の朝ごはんっ。」
フライパンがジュワパチっと、陽気に応えた
***
「よしできたっ。」
最後の品を盛り合わせたら、いつも通りの食卓が広がってきた。
ご飯にみそ汁、紅鮭の塩焼き。
あと、ほうれん草のお浸し。
「そうだっ。あと、飲み物に牛乳っと。」
食べるのが待ち遠しい。
跳ねる気持ちを抑えつつ、冷蔵庫へと駆けだした。
目標物をゲットして、いよいよ席に着く。
「準備完了、それじゃあ―――」
手を合わせた。
「いただきます。」
一人暮らしの部屋に、私の声だけが響いた。
まだ寝ている人、起こしちゃってごめんなさい。
でも―――
「はむっ。ん~、今日も完璧っ!」
これが私のモーニングルーティン。
だから、簡単には辞められません。
「特に鮭。焼き加減、塩加減、丁度良し!
また一段と腕、上がっちゃったな~。」
ニマニマと笑顔を浮かべる私。
みそ汁を啜って、ホッと一息ついた。
「味付けは変わらずの濃いめ、っと。」
苦笑いする。
でもこのくらいが、私には良いのかもしれない。
「はぁ~、幸せだなぁ。」
ふと、息を吐く。
昨日までの嫌な出来事。
今だけは全部忘れられた。
「それにしても、この献立。」
チラリと見て、既視感を覚えた。
「実家の朝ごはんのまんまじゃん。何で気づかなかったんだろ?」
お浸しを口に放り込んで言った。
ほんだしの味が口いっぱい広がる。
「ほとんど無意識だったけど、実家の味が恋しくなったから……なんて。」
コトッと箸を置いた。
カレンダー下の、写真立てに目を向ける。
「お母さん……。」
子供のころの私と、笑顔の女性が映っている、
随分前の写真だ。
「元気にしてるといいな。」
脳裏を数年前の光景がよぎった。
朝になると、お母さんに起こされて、
嫌々言いながらも、食卓に着くのが私の日課だった。
“朝ごはんがいつも同じ” って、文句言った時のムッとした顔も、
朝の何気ない会話も、
しょっぱ過ぎたみそ汁の味も、
全部全部、覚えてる。
「もしかしたら、あの時間が一番幸せだったのかも……。」
地元を離れて上京。
始まった大学生活は、常に課題に追われる日々。
おまけに、慣れない人間関係まで。
とっくに限界寸前だった。
「……会いたいなぁ。」
目が熱くなって、何かが込み上げてくる。
気を抜いたら、全部溢れてしまいそう。
「―――って、しんみりしちゃ、だめだめ!!」
誤魔化す様に首を振る。
暗い気持ちを、みそ汁に溶かして飲み干した。
「やっぱり、しょっぱいなぁ。」
自然と頬が緩んだ。
喉に残った塩味を牛乳で流し込む。
―――ピコンッ。
手元のスマホが鳴る。
見ると、母からメッセージが届いていた。
《調子はどう?元気にやってる?》
「もう、お母さんってば。」
《超元気!!》
一言送ってスマホを閉じた。
言っちゃえば、空元気なのかもしれない
強がりなのかもしれない。
それでも彼女の前だけは、良い恰好がしたかった。
これは私のプライドだ。
***
今日は7月20日。
夏休みはもう目前。
だから私は頑張るんだ。
実家に帰るその日まで。
あとちょっとで味わえる、 “幸せとみそ汁” のために。
―――カツンッ
シンクの中でお椀が鳴った。




