闇の女王、聖女(ただし幼児)に転生する
重く黒い空には月も星も姿を見せることはなく、ただ神の怒りを思わせる稲光だけが鬱蒼とした森を照らす。
時折り放たれる光が美しい尖塔を持つ城のシルエットを浮かび上がらせ、低く長く雷鳴が轟いた。
城の主である闇の女王ラルディアは窓にそっと手を置き、漆黒の夜空に稲妻が走るのを眺めていた。
その後ろで荒々しく扉が開く。
「邪神、闇の女王ラルディア! もう逃げ場はないぞ! お前を成敗する!」
波打つ黒髪に黒い瞳、抜けるような白い肌に艶のある赤く小さな唇。可愛らしさもあり妖艶でもある美しいラルディアが振り返り、微笑んだ。
「まあ、無粋なこと」
若い男はその無垢な笑顔にたじろぐ。が、ぐっと剣を持ち直した。
ラルディアは微笑みを消し男を見た。五年もの間ラルディアを追いかけ、ただ一人この城のこの部屋のラルディアの前に至った男。輝く金の髪に青空のような青い瞳のこの男は、手に持った伝説の剣を輝かせている。その光はまるで太陽のようだ。
潮時かもね。
ラルディアは目を閉じ、抵抗もせず太陽の聖剣に貫かれた。
***
ラルディアは死んだ……はずだった。
けれど今、光に満ちた空間の中でニコニコと笑う神官に抱かれて巨大な水晶の前に連れてこられた幼児となっていた。
(離してよぅ! 神殿なんかイヤなんだけどぉっ! それにその水晶! 近づきたくないってば!)
真っ白な大理石の神殿の中央に鎮座する聖なる輝きを持つ水晶は、ラルディアの内にある闇を焼き尽くしそうだ。
むちむちの三歳児がじたばたしても意外に屈強なおじいちゃん神官はびくともしない。暴れる幼児など慣れた手つきで抱きかかえる。
水晶の前まで来ると、ぐりんと前を向かせてラルディアの手を持ち水晶にぺたりとつけた。
(ひいやああぁぁぁっ!)
その瞬間、水晶から光が放たれた。きらきらどころではなく、びかびかと稲妻のような光の剣が広い聖殿を貫くように放射線状に広がった。
「こ、これは……!」
ぐったりと気の抜けたラルディアをよそに神官たちが慌てふためく。
「聖女さまの降誕だ!」
*
ラルディア改めアナベル・ローランドは伯爵家の次女として生まれた。黒い髪に黒い瞳のラルディアとは似ても似つかぬ銀色の髪とペリドットのような新緑の瞳をした、可愛らしい女の子の姿で。
そして今日はアナベルの三歳の誕生日であり、洗礼の日だったのだ。
わけもわからないまま聖女認定されたアナベルはそのまま神殿に引き取られることになった。
アナベルの両親は良くも悪くも貴族で、親子の情より栄誉を取り、喜んでアナベルを神殿に引き渡した。
(まあ、生まれてからずっと乳母と侍女に任せっきりだったし、こっちにも情なんてないし)
ただ少しむかつく。今度会った時にはこってりと後悔させてやろう。
それにしてもここの神官たちは……、
とアナベルは呆れる。あの水晶から放たれた光は祝福なのか危険信号なのか。
聖女降誕ではなく闇の女王復活の危険信号だったのかもしれないのに、それを見極めることもできず幼児の足下にひれ伏している。
(どうしたものかしらね。神殿なんて居心地の悪い場所、さっさと出て行きたいんだけど)
ラルディアの記憶を持ったままアナベルとして生まれ変わった幼児は、豪華な部屋の豪華な椅子に座り、テーブルの上に盛られたお菓子を食べている。いい材料を使っているのか、とても美味である。それにクリームチーズと生ハムが載ったカナッペやスープなどしょっぱいものも用意されており、とても気が利いている。
(この神殿には神がいないみたいだけど、私にとっては明るすぎるわ)
そんなことを思いながら甘いのしょっぱいのと交互に貪っていると、ノックの音がした。
「どうじょ」
中身は千年あまり生きている闇の女王なれど、体は三歳児である。滑舌がはっきりしない。それが嫌であまり話さないでいると伯爵家では両親からも侍女たちからも『子どもらしくない』と奇異の目で見られていた。
(ここを出て伯爵家に帰るのも嫌だし、どうしたものか)
口の周りにお菓子のくずをつけた幼児が短い足を組み腕も組んでいる様子を、周囲の修道女たちが微笑みながら見ている。
「失礼いたします、聖女さま。聖女さまの護衛となる聖騎士を連れて参りました」
アナベルを水晶に向かわせた屈強なおじいちゃん神官の後ろに一人の若い男が立っている。こちらを見るなり青い目を限界まで見開き、口をぱくぱくしている。
(あら)
ラルディアを太陽の聖剣で刺した男だった。
アナベルはにやりと笑う。
「きしのめんしぇつをしましゅ。みなしゃんはでてってくだしゃい」
「え、しかし……」
「こほん。これはたいしぇつなことでしゅ。でてってくだしゃい」
「はい、では……」
おじいちゃん神官とお菓子やジュースを給仕していた修道女たちが部屋を出て行き、部屋の中はアナベルと男だけになった。
「しゃて……」
アナベルが男に目を向けると男は肩を振るわせて笑っていた。
「なにをわらっていりゅの……!」
「しゃて……、しゃてって闇の女王ラルディアが……! ひーっ」
涙を流しながら笑いすぎて、美男子の顔面が崩壊している。
……ばれている。大神官でさえ分からなかった正体が、この男にはばれている。
「う、うるしゃい! すぐにりゅーちょーにしゃべれるようになるんだから!」
アナベルが指先をくるんと回すと、男の頭に水がざばあっと降り注いだ。
「てめぇなにをしやがる! 今度こそお前を成敗してやる!」
「うぬぅ、にえたぎったぽたーじゅすうぷをぶっかけるちゅもりが……。さっきのすいしょうでまりょくをしょうもうしたか……」
「地味に残酷だなおい」
男はそう言って太陽の聖剣を抜こうとした。
「いいのかなー? あたしはせいじょなんだけどなー? あたしをころしたらアンタはしじゃいだね!」
「くっ」
*
この口の悪い聖騎士の名はイードといい、今年二十三になる。
平民生まれのイードは十才の時に従騎士となり、十五で聖剣に選ばれ正式に聖騎士となった。それからは邪神討伐の任務を担ってきた。そして最大の敵であるラルディアを五年かけて追い詰め、倒したのだった。
それは、あっけない幕切れだった。あれほどつかみどころがなく、するりとかわされ続けた末に、抵抗もされずにあっさりとラルディアは太陽の聖剣に倒れた。
そのラルディアが、銀髪緑眼の幼児となってイードの目の前にいる。イードの心中にはなんとも言えない複雑な思いが込み上げてきた。
「なんでここにいるんだよ?」
「しらにゃいわよ」
二人はお菓子が盛られたテーブルを挟んで向かい合って座っている。とりあえず、イードの服は温風を吹かせて乾かしておいた。髪はボサボサになったが手櫛でなんとか直した。豪華な金髪は乱れていても豪華である。
(なんかむかつく)とアナベルはメレンゲクッキーを一つ、口の中に放り込んだ。さくさくと甘くて美味しい。
イードの太陽の聖剣で心臓を貫かれた時、ラルディアは死んだと思ったと同時に魂が光に包まれ、死産となる予定だった胎児の中に吸い込まれた。なぜそうなったのか、アナベルとて知りたい。
「ほんとはしんでダーリンのところにいこうとおもったにょよ」
「……ダーリン?」
「やみのじょおうのダーリンといったらめいふのおうにきまってるでしょー? あーあ、にんげんのしぇかいもあきたから、しぇんねんぐらいダーリンとイチャイチャしよーとおもってたのにぃ」
「…………」
「なにくらいかおしてりゅのよ?」
「お前、恋人がいたんだ」
「あたりまえでしょー?」
「…………。それがなんでまた聖女になってんだ?」
「わかんないけど、もともとあたしはめがみだったしぃ」
*
長い長い歴史の中、この大陸のこの地にはいくつもの国が興り滅亡した。その度に新たな宗教が生まれ、そして忘れ去られた。
ラルディアは歴史書に一行しか書かれていないほどの古く小さな国で信じられていた女神だった。
灯りでさえも貴重な時代、ラルディアは闇夜を照らす月であり星であり、人々を守る希望だった。
しかし、その国を滅ぼして新たに興された国では古い神は邪神とされ、その存在は捻じ曲げられた。
多くの古い神々が人間に見切りをつけ西の果てに去ったが、ラルディアは闇の女王として人々に恐怖を与えようと思った。自分を信仰してくれた、今は亡き小さな国の人々の無念を晴らすために。
闇夜に出歩く人々を幻惑し、彷徨わせ争わせた。闇の中であらゆる犯罪が行われ、人々は闇を恐れた。
そして、邪神『闇の女王』は恐怖の対象となった。
*
「しょんなにわるいこと、してないとおもうんだけど」
「発狂した奴もいるんだ。人間てのはけっこう繊細なんだぞ」
「ふへーん」
「冥府の王は今も神として祀られているのに、夜の女神は邪神になっちまったのか」
「ししゃがいきつく
ばしょはいまもむかしもいっしょだし、ダーリンはしゅてきだからしかたないわよぅ」
「そうかよ」
「まー、もしかするとすいしょうがめがみのなごりのちからにはんのうしたのかもしれにゃいわねぇ」
***
ラルディアは知らない。ラルディアの冥府の王への想いは一方通行の片思いであり、「うざっ」と思った冥府の王がラルディアの魂をアナベルの体に放り込んだことを。単に冥府の王の嫌がらせで新しい国の新しい神の新しい神殿の聖女になったことを。
そして、ひたすらにラルディアを追い続けたイードが、ラルディアの最期の微笑みを忘れられずにいたことを。
ラルディアが消えた喪失感に苦しめられていたことを。
そして今、イードがアナベルとの年の差やら立場の差やら恋人(?)の存在やらに打ちのめされていることを、次になにを食べようかお菓子を見ているアナベルは知るよしもなかった。
【終わり】
年の差、どちらにしてもヤバい。




