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好きですと言わないための練習会シリーズ

“好き”ですと言わない練習会(呼吸曲線)

作者: 月見酒
掲載日:2026/01/24


最初は、ただ席が空いていただけだった。


誰も遅刻を咎めず、

誰も理由を聞かなかった。


「……今日は少ないですね」


そう言った声も、

確認というより、事実の読み上げだった。


カップに注がれたコーヒーは湯気が薄く、

触れればまだ温い、という程度だった。


「じゃあ、いつも通りで」


いつも通り。

その言葉に、誰も違和感を覚えない。


ここは、

“好きです”と言わないための練習会。


言わない理由を持ち寄り、

言わなかった一日を正当化し、

何も変えないまま帰る場所。


「最近どうですか」


そう聞かれて、

Aは少しだけ考えた。


「……特に」


それ以上の言葉は出てこなかった。

出なかった、というより、

出す必要を感じなかった。


沈黙は居心地がよく、

それがこの場所の価値だった。


――ここまでは、順調だった。


「でも」


誰かが、

ほんの出来心みたいに言った。


「言わないって、

 どこまで続けるつもりなんですか」


空気が、わずかに変わる。


質問はいつもあった。

でも今日は、

逃げ道のない聞き方だった。


「続けられる限り」


Aは答えた。


「……続けられる、って何ですか」


その瞬間、

胸の奥で小さな音がした。


「壊れない限り、ですか」


笑いが起きない。


誰かがカップを置く音が、

やけに大きく響いた。


「壊れるって」


別の誰かが言う。


「もう、壊れてない?」


そこから、言葉が溢れ始めた。


「毎日考えてる」

「目が合うだけで期待する」

「優しくされるたびに、勘違いする」


一つ言葉が出ると、

次が止まらない。


「言えば楽になるって分かってる」

「でも終わるのも分かってる」

「何も言わないまま失うのが、一番怖い」


声が重なり、

感情がぶつかり、

空気が濁っていく。


Aも、気づいたら話していた。


「練習してるんじゃない」


声が震えているのが分かった。


「延命してるだけだ」


誰かが反論する。

誰かが否定する。

誰かが黙る。


「じゃあ言えよ!」

「言った結果を知らないくせに!」

「知ってるから言えないんだろ!」


声が荒れる。

椅子が軋む。


感情が、

一気に臨界点を越えた。


「好きなんだよ!!」


Aは立ち上がっていた。


「言わないって決めたけど!

 決めたけど!!

 毎日、未遂なんだよ!!」


喉が痛くなるほど叫んで、

でも、

最後の言葉だけは出なかった。


――好きです。


それだけが、言えなかった。


沈黙。


全員が、

息をするのを忘れたみたいに止まる。


Aは、ゆっくり座った。


「……ごめん」


声は、驚くほど小さかった。


誰も責めなかった。

誰も慰めなかった。


ただ、

時間だけが進んだ。


「今日は……ここまでにしましょうか」


その提案に、

誰も異議を唱えなかった。


帰り支度をしながら、

Aは思う。


さっきまでのあれは、

本当に自分だったのか。


それとも、

長く押し殺してきた何かが、

一瞬だけ暴れただけなのか。


外に出ると、

夜風が冷たかった。


胸の奥は、

不思議なくらい静かだった。


何も解決していない。

何も終わっていない。


それでも、

今は少しだけ、呼吸が楽だった。


「……次も、来よう」


それが前進なのか、

後退なのかは分からない。


ただ、

また言わない一日が始まる。


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