第2章2 卒業と入学ビギンエンド
さて試験、合格発表と続きまして、俺たちの中学の卒業式。
塔山東中学校の体育館で行われる。
なんというか、本番もあれなのだが、面倒なのは練習があることだ。
中学生なので小学校ほど何回もやらされるわけではないが、練習がないわけではない。
ただ、先生の話によると、昔は六クラスとかあったため、全体練習や本番は何時間も必要で、かなり時間がかかったそうだ。
今は少子化でクラス数も激減し、時間もそれに従って短縮されていた。
本番の日、母親マリカそれからハルとその母親の四人で中学に登校する。
一度別れた後、俺たちは体育館の後ろから入場するのだ。
二人ずつ礼をして、体育館の中に入っていく。
緊張するが、まだ入場だけだ。
そうして席に着くと、本番が始まった。
校歌それから国旗掲揚と国歌を歌う。
この校歌を歌うのもこれが最後かもしれないと思うと、感慨深い。
メインディッシュ、卒業証書授与式だ。
「遠藤ハル」
授与は出席番号順つまり苗字の五十音順なので、遠藤はかなり最初のほうだ。
俺はハルが壇上で立派に受け取るシーンをじっと見つめる。
その背中と長い髪はなんだかしっかりしており、ずいぶん大人びて見える。
前に比べれば、かなり背も高くなって大きくなった。
この前まで俺と一緒のガキンチョの子供だったとは、この場では見えない。
そうして順番に呼ばれていく。
「工藤マナカ」
「はい」
俺の番がやってくる。
数人前の時点で、席を立ち横から順番に壇上に上がるのだ。
そして俺が正面にくると、名前をこうして呼ばれる。
ここで返事をするのが、ソロパートの重要な部分だった。
しっかり礼をして校長先生の正面に構える。
「卒業おめでとう、以下同文」
同文でもいいんだ。
俺個人がこうして校長先生と顔を合わせることも、もうないのだろう。
俺のための時間はこうして過ぎていく。
証書を受け取り、脇に抱えて舞台脇に移動する。
昔はこの証書入れは筒だったそうだが、今はファイルになっていると先生が言っていた。
席に戻ってきて俺は列が消化されるのをじっと待つ。
学年全員の名前が順番に呼ばれる。
しっかし、変わった名前の子も多いのがなんともいえない。
さてメインが終われば、デザートが待っている。
「在校生代表の言葉」
今の生徒会長が感謝の言葉を述べる。
俺たちの世代も色々あったが、一個下の連中もうまくやっているようで先輩としてはうれしい限りだ。
俺はコンピューター部の部長として活躍した。
特にコンピューター室の新しいデスクトップパソコンでGPUのついたゲーミングマシンを入れたいという要望を出して、納得させるためにけっこう苦労した。
それを受理する生徒会側も苦労したことだろう。
俺の知ったことではないが、お互いお疲れ様である。
「卒業生代表の言葉」
俺たちの元生徒会長が感謝の礼を言う。
まあ、なんだ。
生徒会室のパソコン相談も俺たちの仕事だったので、たまにお邪魔した。
会長の男子は悪い奴ではないが、恋人である副会長の女の子に尻に敷かれているのは、公然の秘密である。
たまにマシンの調子を見に行った時も、だいたいそういうプレイ中で大変気まずかった。
今もカップルとして一緒に東高に行くそうなので、まあ頑張ってくれ。
校長先生の長い話を頂戴する。
原稿は今はAIで書いているのだろうか。あ、そういう話をしている。
えっと、AIも機械だ。機械に使われず、使いこなす人材になってほしい。
そりゃそうだな。俺も同意見だ。
これからは波乱の時代になる。頑張ってこいってさ。
おう。俺たちは負けない。校長先生の話は、それにしても長い。
終わりごろになると、女子たちが次々と泣き出してしまう。
もらい泣きの子も多いようで、あちこちで鼻をすする音がする。
ちらっと前のほうのハルを見ると、目が赤くなっていた。
式も終わり教室に戻って解散になった。
教室を出て、外でおのおの写真を撮ったりしている。
そんな中、アヤカが俺を呼び止めた。
成績優秀で東高に合格した佐藤アヤカ。前にプログラムを少し見てあげた子だ。
チョコも貰った記憶が新しい。
「工藤君、ちょっといい?」
「なんだろ? いいよ」
彼女の目が潤んでいる。卒業式だから仕方がないが、珍しい。
ハルは少し離れたところから、チラチラ見ているが、気づいていないフリをしているようだった。
人が減ったタイミングで声をかけてくる。
「本当は……好きだったの、工藤君のこと。でも、ハルちゃんがいるものね」
「いや、まあ、その」
俺はエラー画面で止まったパソコンみたいな顔をしていると思う。
不具合で停止したそれは、どう反応をしたらいいか分からなかった。
何も言ってあげられない。彼女の泣き笑いが寂しげに揺れた。
東高校の特進科への進学を決めた彼女はエリートコースまっしぐらだった。
俺たちとは違う、道へ進むだろう。工業高校とは、別世界だ。
「じゃあね、プログラマになるんでしょ、ばいばい」
アヤカが手を振って去っていく。
ハルが俺の隣にそっと近づいてくる。
「アヤカ……」
「ああ、何も言ってやれないが」
「ううん、なんでもない。私たちも帰ろっか、自分たちの道を」
「おう」
その日の夜。俺はベッドで考えていた。
ハルではなく、アヤカを選んでいたら。東高へ一緒に進み、大学へ進学する。
それでもプログラマを目指せないわけではなかった。
男女同数の華やかな高校生活。工業高校とは雰囲気が違っただろう。
俺ももしかしたら、高校デビューをしてブイブイ言わせる男になっているかもしれない。
アヤカの黒髪ロング、正直言えばドストライクだったりする。
でも選んだのはハルとの工業高校での生活だ。
バックアップは大事だ。忘れない。それからデバッグ作業も忘れてはならない。
俺たちの生活にはたくさんのエラーがあって、それを修正して生きているのだから。
高校へ無事進学した俺とハルは塩凪工業高校の一年情報科J組になっていた。
色々な科があるが情報科は一クラスである。
男子二十人に女子は十人という男子の多いクラスだった。
しかし機械科は男子のみ、電気科は男子二十八人に女子二人という。
そういう意味では工業高校の中では恵まれているクラスだ。
制服は学生服とセーラー服を選べる。しかも男女ともにだ。
男女共学、同権なのだという。
セーラー服には男子でもスカートが選べるが、ズボンも選択可能だった。
俺は普通に学生服を選び、ハルはセーラー服にスカートでよろこんでいた。
入学式の日、桜が咲き誇る中、学校へと登校する。
ハルと二人、新しい制服とセーラー服を着て、自転車で道を走る。
中学までと違い、高校からは靴箱がなく、玄関から直接そのまま靴で校舎へと入る。
変な感じがするのは、しかたあるまい。
昔は多くの学校が上靴を採用していて履き替えていたが、今は靴のままなのがトレンドだ。
元々靴だった、歴史的にヨーロッパの影響が強い、神戸市などの例外を除き近年の出来事だという。
俺たちの塩凪市の公立高校にもそのブームは到来していて、今では靴なのだそうだ。
広い玄関スペースが、現在でもその跡として残っている。
こんなところでも一種のノスタルジーを感じる。
教室に入り、黒板に貼り出された座席表を見る。
ハルは窓際、俺、工藤マナカは真ん中らへんであった。
始業式では、女性のレディーススーツをビシッと着ている校長先生が話をしていた。
干し芋の話をしていたことは覚えている。
少し変わっているのかもしれない。
この人が校長なら、面白学校生活に期待が持てそうだ。
そして、クラスには男子生徒のムードメーカー、田中カイと山中トウマがいた。
カイとトウマはすぐに息が合い、二人をクラスメートは中中コンビ、通称中厨と書いてナカチュウと呼んだ。
初授業。老年のベテラン先生の講義だ。
パーソナルコンピューターの歴史からまずは始まった。
まず最初にあったのは、1971年の電卓用ICであった。これは四ビットの集積回路で世界で最初のCPU、マイクロプロセッサーと言われるものだった。
それがすぐに次に八ビットになり十六ビットになった。
そのころ日本では国産パソコン全盛期を迎え、フロッピーディスクドライブ二つ搭載機などがあった。
「フロッピーって何」
「ほら、うちにあっただろ」
「あったっけ」
「これくらいの四角い薄いやつ。フロッピーって柔らかいって意味なんだ」
「へー」
「実はあれ三・五インチで、もっとでかいのもある」
「ほーん」
そしてCDドライブ、ハードディスクなどが登場し、カラーディスプレイ、テキスト入力のDOSというオペレーティングシステム、BASICなどのインタプリターなどが登場した。
このインタプリターは入力したらすぐにプログラムを実行して、出力やエラーを表示できた。
パソコン小僧たちはゲームプログラムを入力して遊んでいた。
マウスも登場しており、お絵描きプログラムなどもあった。
このころは専用のワープロ機も普及していて、多くの学校や公共機関、会社で利用されていた。
そしてDOSに代わりウィンドウシステムを標準搭載したGUIのパソコンが売り出されるようになり、リソースの制限の緩い三十二ビットパソコンが主流になってインターネット対応になると、情報革命と言われた。
このGUIのOSが標準になる頃、ワープロも徐々に専用機からワープロソフトに置き換えられるようになる。
そしてブラウザ戦争といわれる標準ブラウザの普及率の戦いが発生したり、クロール型の検索サイトが登場した。
それまではディレクトリ型といってサイト管理者が自分でサイトを登録し、ユーザーはカテゴリーごとの一覧からサイトを選んで探すサイトがメインだった。
それが文字列を入力すると、全文検索して、一瞬で全世界を探してくれるように変化していく。
その後は、ウェブサイト全盛期を迎える。
円盤メディアもDVDからブルーレイが登場して、ハイビジョンのディスプレイが主流になっていく。
今ではガラケーといわれるケータイが一時期普及して、その後スマホに急速に変化していった。
「ガラケーはいまいちイメージできないんだよね」
「だよなぁ、俺もそうだわ」
「もうスマホだったもんね、マナカ君」
個人ホームページ、Wiki、ブログ、SNSなどが普及し、そしてUGCというユーザーがデータを登録するタイプのサイト、小説投稿サイト、お絵描き投稿サイトなどが普及していくことになる。
インターネットでは暗号通貨が登場し、日本では○○ペイという電子決済サービスが普及していく。
そして2023年、生成AIの登場で、世界はまた新しい変化を迎えている。
とまあ、色々あるわけだけど、HDDも今ではSSDが主流になっている。
実はさらに新型の磁気メモリーのMRAMなどが登場すると言われていて、徐々にではあるが発展している。
量子コンピューターの開発も進んでいた。
今後がどうなるかは、まさに神のみぞ知る、だろう。
授業は順調に進み、セキュリティーに関するものもある。
推測されやすいパスワードは設定しないとか、使い回さないとかだ。
あとは短いよりも長いパスワードのほうが推奨されている。
友達のアカウントのパスワードを推測したり盗み見たりしても、勝手にログインするのは犯罪だよ、といったリテラシーの授業もあった。
チェーンメールといって、昭和でいう「不幸の手紙」みたいな、他の人に回してくださいというメールをむやみに送らないといったことも言われていた。
今ではメールはあまり使わず、主要な連絡はチャットツールではあるが、そういう話自体は有用だ。
ナカチュウのカイは楽天家で、入学早々のプログラム実習で「動けばいいんですよ!」と明るくムードメーカーになっていた。
美少女アニメオタクであり、隣の席のミウのさりげないアピールをスルーし「彼女なら二次元に限る」と豪語する始末だ。
見た目だけなら好青年であるのに、大変に残念だ。
トウマのほうはというと他力本願に授業そうそう実習で「マナカなんとかしてよ」というタイプなのだが、イザとなったら集中力を発揮して「ここはこうしてこうだ!」タタタン! とやる気を見せる自由奔放なところがある。Vtuberの七森ナナカの大ファンで、ドーナツ店のアルバイト代をスパチャで溶かす男なのだが、実は一つ下の幼馴染が正式な彼女という隠れリア充だったりする。
カイは長身、トウマは俺と同じでまだ背が低くて小さい。
それからミウはというと、最初の印象は黒髪ロングでアヤカと被ってて似てるな、と思っていたが、性格は真面目なアヤカといたずら好きなミウでは正反対かもしれない。
黒髪ロングは俺の大好物ではある。
休み時間、カイが俺に絡んでくる。
「おいおい、マナカ。幼馴染の美少女とラブラブかよ」
「いやまあ」
「ハルちゃん、スカート短くてけしからんぞ。俺の推しキャラみたいだわ」
トウマのほうもニヤニヤ。
「マジ、ナカナカコンビの次は、マナハルカップルかよ」
「うるせえ、こちとら情報技術試験の勉強で忙しいんだよ」
俺が一応、反論する。そこへハルが追撃してくる。
「本当は女の子も好きでしょ。マナちゃん? クリスマスの夜、ベッドでギュッてしたくせに」
「うおい、勘違いしちゃうだろ、ただ寝てただけだ」
教室は爆笑。カイがぽつりとこぼす。
「二次元なら許すけど、リアルのラブコメはハードル高いわ」
ミウも溜息をつく。
とまあ、こんな感じに俺たちの学園生活はスタートしたのだった。
さて高校にも一応、部活動はある。
運動部では部活の顧問が外部講師化が流行っていたり、地域クラブへ移行したりしている。
学校の先生が部活の顧問までしていて夜遅くまで仕事してるとかも大変だもんな。
文化部はそこまで変化していないのが俺たちの救いだろうか。
そうはいっても俺たちが見るのはパソコン部くらいだった。
学校によって異なるが、パソコン部だったりコンピューター部だったりする。
中学時代はコンピューター部だったが、この学校はパソコン部のようだ。
実習棟に行き、パソコン実習室へと向かう。
ここがパソコン部の活動部屋だからだ。
「こんにちは、工藤マナカです」
そこには、背丈百五十センチの合法ロリ巨乳の女の子がいた。
見た目的には金髪ロングなのもポイントが高い。
ネームプレートからすると三年生だと分かる。
「名浜キョウカです。ここパソコン部部長だよ。よろぴっぴ~♪」
「よろしくお願いします」
続けて後ろにいるハルも口を開く。
「ハルです。その……よろぴっぴ」
「うんうん。くぁあいいくぁいい、ちこうよれ、ほいほい」
ハルがキョウカ先輩に吸い込まれるように近づいていく。
それはまるでチャームの魔法にかかっているみたいだった。
「よしよし、かわいいオナゴは好きだよ。にしし」
「あ、はい」
「お、男子も好きだよ。青春だねぇ」
先輩は二ニコニと笑顔を絶やさなかった。
この先輩こそが、生きる伝説の競技プログラミングの女王、その人なのだけど、俺たちはその事実を知り、驚愕したところだった。
プログラマは大きく分けて何種類かいる。
一つは職業プログラマだ。会社向けウェブサイト、スマホアプリ、ゲームや社内システムなどを開発する。
もう一つはオープンソース貢献。OSSといってネット上で協力してソフトウェアを開発する。多くの人が無償奉仕つまりボランティアだが、会社に雇用されて開発している人もいる。
そして競技プログラミングの世界。その効率や速さを競うサイトがあるのだ。世界中の凄腕プログラマが数学とアルゴリズムなどを懸けて戦っている。
これに近いものにセキュリティコンテストなど大学などのアカデミアに近い領域があったりする。
他には、組み込みやロボコンなどのものを作ったりするのに使う人などももちろんいる。
世界は、思ったよりもずっと広い。




