第9章1 冬のデッドライン
情報技術試験の受験日が迫る秋。
冬ほど寒くはないが、気温は下がり制服も衣替えしている。
それでも地元民からしたらこれが普通で、けっこう寒い。
「うし、この問題終わり。はくしょん!」
俺は連日、夜遅くまで勉強を続けていた。
テストは目前、やるのは今しかない。
しかし、そう上手くはいかないのが世の中の常なのだ。
「はっくしょんっ!」
熱を測ると高温で三十七度を超えている。
まだ動けるがこれは風邪か何かだろう。
これから冬にかけてインフルエンザもかかりやすく油断ならない。
一時はコロナでマスクを全員しており、抑えられていたが、アフターコロナと言われる現代ではそれもほとんど元に戻っているか、むしろ余計に病気が流行りやすい。
この事態に母親マリカも面倒を見てくれたが、彼女には仕事もある。
それに俺に付きっきりでは、感染してしまう恐れがある。
医療従事者としてはなんとしても二次感染は防ぎたいだろう。
そこで登場するのが、長年の母代役、ハルちゃん、その人である。
さっそうと苦しんでいる俺の前に、かっこよく登場した。
彼女は俺の家の鍵を持っているので、普通に入ってこられる。
これも俺の親に対するハルの印象がすこぶるいいからであった。
「マナちゃん、はい。あーん、おかゆ」
「ああ、ありがとう」
「いいのいいの、これくらい」
「美味しいよ」
「ううん。もっと食べて。あーん」
「あーん」
幼馴染の愛情が心に染みる。
俺は孤独死しなくてよさそうだ。泣きそうである。
おかゆは温かく、胃にも優しい。日本人でよかったとさえ思える。
出汁とってあり旨味と甘みが出ていて、とても美味しい。
米の柔らかさがちょうどいい加減で、崩れすぎないのに、十分食べやすい。
パソコンはお預けだ。
幸い、今年はさすがに反省して、情報技術試験前に仕事を意図的に入れていなかったのがよかった。
リバーサイド・テクノロジーに今年も迷惑かけるなんて不味いに決まっている。
親父にも社長にも顔向けできなくなってしまう。
「マナちゃん、病弱なところあるもんね」
「そういわれても」
「本人の努力だけじゃどうにもならないよね、こういうの」
「そうだ、そうだ」
「もう、調子いんだから。はい、あーん」
くそ恥ずかしいが、引き続きおかゆを食べさせてもらっている。
これくらい自分でできるのだが、ハルがやりたいってしつこいので、許している。
ハルもIT社長よりナースとかのほうが向いているのでは。
ちらっとナース服のハルを想像したはここだけの秘密だ。
ハルってば何着てもかわいいな。
それは世にいう白衣の天使かそれとも聖女様か。
いやまてよ、よりマニアックな女医はどうだ? ん?
俺はナース派だが、どちらも捨てがたいな。
眼鏡くいってやって、聴診器当ててくるハル。
『どうしました?』
『風邪ですか?』
『検査してみないと、なんとも言えませんよ。はい口開けて、あーん』
そりゃそうだな、などと思いつつ妄想を打ち切る。
ハルが部屋に来るのは別に普段からなので、この際なんとも思わないものの、こういうシチュは珍しいのでちょっと緊張するな。
俺がパソコンいじってハルが横で違うことしていることが多いが、俺がじっと見られてることは少ない。
今はパソコンも超珍しく電源が切られ、部屋の中が静かな点も、より俺のドキドキ感を高めるようだった。
静寂の中、俺とハルの気配だけが浮き彫りになって、なんだか恥ずかしい。
さっとスマホを見る元気くらいはあるが、さっき怒られたので自重している。
『ミハル:ミウさんがハルさんに「今がチャンス」って発破をかけてます』
『ハル:もう、そういうこと言うから』
『マナカ:ほどほどにしてくれ、それより調子悪い』
『ハル:大変。今すぐ行く』
『カイ:すぐ行くところがマジ天使』
『ハル:もうカイ君まで茶化さない!』
『カイ:資格は大事だけど、人生もな』
『マナカ:ああ、善処する』
とまあ、いろいろ言われてやってきたのだ。
ちなみに寒いのにハルは相変わらずプリーツスカートのミニだった。
何考えているかは分からない。
だからこそ俺はこれをミニスカ・アルゴリズムといって研究対象にしているのだけど、謎は深まるばかりでこの難解問題が無事に解明され、証明されるのは当分は先になりそうだ。
世の中にはいくつか未解決問題というのがある。
その一つが、巡回セールスマン問題である。
カーナビなどでも実際に問題になり、いくつかの解法があるが、完璧ではなかったりする。
そのためカーナビがたまに変な順路を示したりする原因になっている。
その巡回セールスマン問題とは、複数のポイントを経由したとき、どの経路がもっとも最短で到達できるかという問題で、この点の数が膨大になると計算量が爆発し、割り出すのが困難になることをいう。
将来的な解決方法の一つは、量子コンピューターを使うことだったりするので、興味深いのだ。
とまあ俺がコンピューターバカをやっているうちに風邪はひどくなり、ハルのお世話になっているというわけ。
『カイ:いいか、動けばいいんですよ、だ』
『マナカ:なんだそれ』
『カイ:何事も完璧を求めるな、お前はまだ大丈夫』
『マナカ:ああ、そう言ってくれると助かる』
「じゃあね? しっかり夜は寝るんだよ?」
「ああ、ハル。すまん」
「いいのいいの、そういう時はよろぴっぴとか言ってね」
「俺は言わん」
「あはは、じゃあね、また明日見に来るね」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
とにかく、こうして俺はハルに看病されたあと、一人の夜を迎えた。
ハルは一度家に帰り、俺は夜を過ごしながら風邪を治すべく、寝るのだった。
夢を見た。親父が死んだときの夢だ。
近年、葬式がまず親戚だけになり、近親者のみになり、親族だけの家族葬が増える現代。
親父の葬式は大々的に行われた。
なぜならリバーサイド・テクノロジーの社長が全額資金を出して社葬にしたからだ。
父親、工藤アキトは川袖社長とツーマンセルで会社を立ち上げた初期メンバーだった。
地方では珍しい独立系IT会社で、お土産や特産品など地元商品を専売する小さな通販サイトがプチヒット。
その通販サイトのシステム運用を一手に担っており、事業を拡大していく中で一人の社員が過労から死亡して社長は泣いた。
それでもめげず会社を大きくして、地方企業のホームページ制作や、地方企業の社内システムのアドバイスや時には表計算マクロを駆使したシステムなど小物開発から地方にしては大規模な社内システムなど、たくさん請け負ってきた。
そんな中、事故で父親を失った。
『アキト先輩は、自社の基幹システムをほぼ一人で設計した伝説のプログラマ、システムエンジニアだったんだ』
『彼がいないとなると、今度はどうしたらいいか、正直分からない』
『まさかあの人が』
『惜しい人を亡くした』
たくさん会社の人や取引先の人がきて、話を聞かせてくれた。
小学五年生の俺は、父親の地域社会に与えた影響の大きさに驚いたのだ。
地方のIT専門会社は地元企業の縁の下の力持ちとして、こんなにも慕われていた。
それまでもプログラミングは好きだったけれど、明確に父のような人になりたいと思った。
まさか死んでからその大きさを実感するとは思わなかった。
生きている間にもっと話をしておけば、また違ったかもしれない。
社長があの時、号泣していたのを、今でも夢の中でも鮮明に思い出せる。
大人がああやって泣くんだな、って思ったのだ。
社長にとっても父親の存在の大きさをこれでもかと見せつけられた。
翌日も、ハルがやってきては俺の面倒を見る。
ハルが近くで笑顔を浮かべる。
ハルをナースだと思ったけど、そういえば聖女だったかも。
「女の子に負けるなんて……いや、負けてもいいかも」
「え、何?」
「なんでもない」
「ふーん」
ハルがニヤニヤして俺に顔を向けてくる。
俺は布団をかぶりなおして、そっぽを向く。
なんというか、恥ずかしいし。
「試験後、ちゃんと答えてね」
(好きだよ、普通に)
ハルに聞こえないように、そっと心の中だけで返事をする。
幼馴染の壁というのは思った以上に大きい。
今を大切にしたい気持ち。
気持ちを伝えたら、今の二人の関係が壊れてしまい、もう一生、元には戻らないのだ。
それがどのようなアウトプットを出力するのか、実行してみるまで分からない。
プログラムは可能性を列挙するが、ソースコードを見ただけでは、どの分岐が選ばれるかはプログラマには分からないのだ。
早く治して試験勉強を再開しなければ。
俺は布団の中でそっと今の気持ちをかみしめて、再び眠った。




