第1章2 クラッシュ&リブート
「本屋さん寄ってくか」
「いいよぉ」
俺たちは駅前の本屋さんに向かった。
ずらりと本が並ぶのはなかなか見ごたえがある。
ライトノベル、マンガ、雑誌、参考書、いろいろ並んでいる。
「何買うの? マンガ?」
「今日は資格をちょっと」
「へー」
「えっと、このへんかな、あった。情報技術試験」
「ああ、なるほどねぇ」
情報技術試験。初級ITテストの上位試験である。
更に上にアプリケーション技術試験、ネットワーク技術試験、データベース技術試験、エンベデッド技術試験、セキュリティー技術試験などの個別のスペシャリスト技術試験がある。
これらの専門の試験は魅力的だがさらに難しい。
まずは、汎用的なITを扱う情報技術試験を受けるのがセオリーなのだ。
これこそ、俺が工業高校に行ったら、是が非でも取りたい資格試験だった。
買った本は情報技術試験の過去問から解説をしてくれる対策本だ。
普段は知らないことなども載ってるので、単純に技術も少し身につく。
いつ、何が参考になるかは分からないのだ。
技術ってやってれば実技は身につくけど、総合的な概念とか、場当たり的でないまとまった知識で勉強するのはまた違うのだと思う。
試験の参考書を鞄に放り込み、また市街地の道を歩く。
「明日田神社、寄ってっていい?」
「いいよ」
ハルの提案に俺が頷く。
市街地のど真ん中にある中規模の神社だった。
到着すると、正面にあるコンクリート製の鳥居をくぐる。
境内にはサクラやケヤキの大木が何本もあり、紅葉している。モミジなどより派手ではないが、落ち葉が風で舞い上がり、独特の風情があった。
石畳の道を歩いていく。
周りは砂利が敷き詰められ、落ち葉が少し落ちている。
神社といっても普段は日曜日でも静かなものだ。
その神聖な雰囲気を楽しんで本殿へと向かう。
石畳を足で踏みしめる音だけが周りに響く。
本殿の正面にはガラガラの鈴と賽銭箱が鎮座している。
「んじゃ、マナカと私の情報科、合格祈願を」
「そだな、了解」
二人してガラガラを揺すって鳴らし、なけなしの五百円玉を投げる。
パンパン。
手を合わせ、二礼二拍手一礼して拝礼を終わる。
ハルも五百円玉だったようだ。
小銭でもよいのだろうが、近年両替が有料になり安い賽銭は赤字だという話も聞く。
それにこのくらいの出費は大丈夫。
実は簡単なホームページ作成のアルバイトをしていて、数万円単位でお小遣いが貰える。
プログラミング様様だった。
ただ、最近はAIも増えていて、この仕事は減るかもしれないらしい。
より専門的な方向へ進むことを決意したのは当然といえる。
ブラックフライデーでは、様々なものが安売りされていた。
今は特にこれといって欲しいものはない。
手の届かない高級品とかは欲しいものもあるが、まぁ夢物語みたいなものだ。
例えばメイドロボ、宇宙ロケット、月旅行、フルダイブマシンとか、SF的なものには興味がある。
ロボアニメはよく見た口だ。
家の部屋が手狭なのでまだ使ったことがないVRゴーグルとかも、余裕があれば欲しいかもしれない。
そうやって考えると無限に欲しいような気がするものはある。
ただ時間は有限なので、現状一番欲しいのは実は時間だったというのが、この話のオチだ。
睡眠時間を削れば何時間か余分に得られるが、父親は昔から「夜更かしは体に悪い」「しっかり寝ろ」が口癖だった。
会社は忙しかったらしいが毎日俺が寝る前には家に戻ってきていたのを覚えている。
会社で忙しい時期に徹夜や残業に明け暮れて死んだ同僚がいたらしい。
父親はそれを悔しがって、無謀な無理はしなくなっていた。
ただそれでも事故で死んでしまうことはあるというだけだ。
そうしている間に、クリスマスシーズンになり、お店は定番曲のサンタとトナカイで溢れていた。
モミの木、長靴のお菓子、シャンメリー、そして高級店までが恋人向けの高価な商品を売ろうと頑張っている。
俺はそのころ新しくホームページの制作を受け持っていた。
今回の相手は、創業二十年の洋食レストランの仕事だ。
この仕事はもともと死んだ父親の会社がIT企業であるため、その伝手で本当に雑用から手伝っていたのだけど、だんだんできることも増えてきて、今では簡単なホームページ一式を用意するまでになっていた。
ただし、もちろん複雑な難しい仕事が回ってくることはない。
そういうのは大人がやるものだし、そもそもチームを組んで取り組むし、何千万円とかになることもあるので、中学生がホイホイやるものではない。
一部のすごい子とかいるかもしれないが、例外だろう。
ちなみに一般にホームページと呼んでいるが、より正確にはウェブサイトというほうが正しいかもしれない。
俺はそこまで正確性にはこだわらず世間に流されてもいいと思っているが、気にする人はいる。
「やべ、落ちた」
そんな開発も半分程度進んだ頃、ブルースクリーンになってパソコンがブラックアウトしてしまった。
恐る恐る再起動するも、やはりエラー画面で止まっている。
やっべえ、どうしよう。
珍しく俺でも動転する。スマホは健在なのでエラーコードなどは調べられたが、結果はハードウェアの問題で、復旧にはメーカーサポートが必須であることだけだった。
「オーマイガー!」
外国語の叫びをあげて頭を抱える。
俺の仕事が。さっさと終わらせて冬休みとクリスマスをエンジョイするつもりだったに。
アドベントカレンダーだって毎日楽しみに見て回っていた。
一応補足すると、アドベントカレンダーというのは、十二月になってから、毎日一枚ずつめくる月カレンダーで、それになぞらえてコンピューター業界では、日替わりで何かテーマに関連した記事を公開する習慣がある。
それを読むのだけれど、それどころではない。
読むだけならスマホでできるが、それは単なる現実逃避というやつだ。
とりあえずハルに愚痴ることにする。
『マナカ:やっちまった。メインパソコンがクラッシュ、仕事が全部パアだわ』
『ハル:マジで? ちなみにバックアップは?』
『マナカ:アカウントとかは大丈夫。ただ最新データは一週間前でまだやる前』
『ハル:ガッデム』
ハルから人が頭を抱えた絵文字が送られてきて、くすりと笑う。
サブマシンのノートパソコンを引っ張り出してログインしなおし過去ログを見ると、仕事に必要な仕様書は見れる。
ただし、これは貰ったデータで作業前のものだった。
ここから自分の作業を一週間分、まるまる消えていて、残ってない。
締め切りを伸ばしてもらうか、徹夜でやるか。
顧客によっては、もちろんめちゃくちゃ怒られるケースもあると聞いている。
さて、ホウレンソウの出番である。
元父親の会社、リバーサイド・テクノロジーにチャットで連絡を入れる。
今はもう午後十時なので、会社には人がいない。それでも社長は寝るまではスマホ経由でチャットツールを見ているはずだ。
あの人も存外に仕事熱心でいつも頭が下がる思いだ。
ハルから分けてもらった精神的パワーを使い、チャットで指示を仰ぐ。
すぐに社長から返信がきた。
スケジュールには余裕があり、多少遅れても大丈夫と言われたが、どれくらいかは明言されなかった。
場合によっては社長が頭を下げに行くのだろう。そんなことはさせたくなかった。
『マナカ:あとは、やるだけやるか』
『ハル:ファイトだよ』
『マナカ:おう!』
『ハル:そっち行くね』
すぐにうちにハルがやってきた。
「おじゃまします」
「上がって、なんもできんけど」
「お水貰うね、勝手にやるからお気にせず」
「分かった」
俺が部屋に戻り仕事を再開すると、すぐに後からハルも到着する。
ハルの格好はカジュアルなトレーナー姿に私服のミニスカートで、なんだか可愛らしい。
バッグからはやはりノートパソコンが出てきて、設定済みのうちの無線ランに接続される。
「ここからここまで、簡単そうなのちょうだい」
「分かった、分からなかったら言ってくれ」
「伊達にいつも後ろから見てないわ」
ハルは俺がしていることを日頃から観察しており、結構理解しているのだ。
今回も全部はさすがに無理だが、何割か手伝ってもらえそうだった。
「わりい、マジ助かる」
「いいって、それに(ゴニョゴニョ)」
「なんだって?」
「なんでもない、やろ」
「おお」
二人でキーボードを叩く。
キーを叩く音が静かな部屋に妙に響いた。
俺もタッチタイピングはかなり速い方だが、ハルは俺よりも速い。
なんというか、基本スペックが高いんだよな、あれは。
ハルが速いといえば、中学三年間は陸上部で二番目くらいに足も速かったのだ。
そのハルを上回る足の速い女子がいて「上には上がある」とハルがいつも言っては悔しがっていた。
俺はそのころ、ずっとコンピューター部でエアコンの効いた部屋でプログラミングしたり、それから小説を書いたりしていた。
最初はワープロの練習だった。でもいつまでも「お知らせ」の通信文のテキストを打ち込むだけじゃ飽きるよな、と思い付いた。
日記を書こうとするも、特に特別な出来事などない。
そこでファンタジーの物語を入力すれば練習になる、そう思った。
小説投稿サイトはそれ以前から発見しており、けっこういくつも読んだことがあった。
読むには無料のところが多かったので、俺はすぐに飛びついて読みあさったのも懐かしい。
そのころのハルはコンピューター部も事実上掛け持ちしており、陸上部の休みにはコンピューター部にやってきていた。
「マナカ君、最近、何してるの?」
「これか? 読むか小説、書いてんだ」
「え、プログラミング以外のこと? 小説?」
「おう」
ハルは人前では配慮して「マナカ君」と呼んでくる。
俺の最初の読者はハルだったのだ。
ハルは無難に褒めてくれて、面白いと言ってくれた。
それが逆にどこか不満げだったのも思い出せる。
ハルは続けてこう言ったのだ――。
「プログラミング以外にも、才能があってズルいね、マナちゃんは、何でもできて」
いや、ちょっと待ってほしい、二番手と言ってもハルは足は速いしタッチタイピングも元から俺よりも速い。プログラミングも平均以上にはできるのを知っている。
プログラミングは一応特殊技能らしく、クラス内には全然できない子も何人も普通にいる。
俺はどちらかというとプログラミング特化で小説も手並みぐさだった。
俺たちはお互いがお互いを羨ましいと思いこんでいたのだ。
実際には、二人とも色々まあまあできる。
お互いに認め合うことができたら、とすぐに気づいて和解して、今に至る。
後半戦は二人の作業を合わせて、仕上げのコーディングが残っていた。
早く寝ろと死んだ父親の幻聴が聞こえそうだが、今が踏ん張りどころだった。
それでも眠すぎたら頭も回らず非効率なので切り上げて二人でベッドで寝てしまった。
「おはよう……」
「おはようマナちゃん。これって、朝チュンだね」
「そういう、言い方」
「寝ちゃったもんね」
「ぐっすりだっただけだから」
「えへへ」
照れてるハルは可愛いがそれどころでない。
飯食って再開しないと。まだ終わっていない。
「ご飯用意するね、トーストでいい?」
「助かる、ベリーグッド」
「ラジャー」
なぜか映画みたいに英語交じりの俺たちのこれは、一種のごっこ遊びだ。
現実逃避ともいう。なんせ恥ずかしいし。
そうしてハルのサポートという力を得て、俺たちは頭の中の記憶をできうる限り再現し、仕事を進めていった。
AIが出始めたといっても、まだ実際にやるのは人間で俺たちはその人間である。
コンピューター言語の記憶が曖昧な仕様については、AIに聞いてさらにそこから調べて正確なのか確かめる。
これをやらないとハルシネーションといってAIの嘘を信じてしまう事もあるので、手が抜けない。
仕事である以上、俺たちも一応のプロでマジなのだ。
母親も帰ってきては、また仕事に出かけて行ったり、寝たりしている。
看護師の仕事は大変なのだろう。
夜勤も普通にあるので、家にいたりいなかったり、すれ違いも多いのだ。
父親とは病院で出会ったらしいが、詳細は知らない。
『マリカ:ハルちゃん来てるの? よろしく言っておいてね』
理解のある母親で家事も合間にしてくれるので、俺としては助かっている。
普段あまり家にいないが、口うるさく言われないだけ親としてはまともだろう。
とにかくこうして、ハルの支援を得て俺たちは怒涛の三日間で仕事をやり終えた。
社長と担当チームのリーダーによる確認も無事終わり、一息ついた日には、もう俺たちのクリスマスは終わっていた、というわけだ。
「よくやったね」
「本当だよぉ、私のクリスマス~、とほほ」
「やっちまったな」
「責任取ってよ~。マナちゃん~あうう」




