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信仰は氷雪に閉ざされて  作者: 葉川道流
1章 二人
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4 ヒシャク様

 湖を訪れた旅行客が、諏訪大社を目指す一方で、二人の目的地は違っていた。再び、鉄道に乗り、最寄り駅で降りた。


 七星村、そこにヒノミタマがあると緋川は結論付けた。文献では信濃の国と書かれていた。一帯は氷雪と山による境界によって区切られていることで、候補となる場所は数十にも上る。


この地域の独特な信仰が決め手になった。


「この地域の土着の神の名はヒシャク様と呼ばれている」

 以前、彼女はこの村を訪ねる根拠を答えた。ヒシャク様と呼ばれるものを祀っているから、北斗七星とかけて七星村と呼ばれていることに八嶋は少し遅れて気が付いた。


「ヒシャク様ですか、何か水を掬う道具と関係があるのですか?」


「それに関しては実際に見てみなければ分からない。今のところは北斗信仰の可能性もある」

 緋川は首を横に振って言う。それはどこか歌を歌っているような軽快さだった。


「ミシャグジという言葉が人々の間を伝わっていく間に、シャクシと呼ばれるようになることもある。ミという音が御礼の御の意味であるのであれば、付いたり取れたりすることは理解できる。でも、『ミ』から『ヒ』へ変化する場合は見たことがない。つまり、このヒは別の何かである可能性が高い。そして、ヒノミタマも頭の文字がヒだ。何か関係があることを願うばかりね」


 確かに御という漢字はヒと読まない。


 音読みではギョ・ゴ、

 訓読みではおん、お、み、おさ‐める


 例外的な用法も思いつかない。


 あまりにも根拠は薄弱であるが、頭文字を唯一の手掛かりにするしかなかった。

ここに訪れる道中でヒノミタマについても知らないと答えるばかりで、その知識が出回っていない以上、山奥の中にそれが閉じ込められていると考えた方が良いのは明らかだった。


 まだ空には太陽が出ているが、山間の天気はいつ変化するか分からない。可能な限り前に進みたいと思いながらも、信号を出すことが出来ない緋川の体の異常にも警戒しなければならなかった。


 緋川はマフラーを巻いた上に帽子を被り、手袋をした。八嶋はその前に立ち、足を進めていく。緋川彩は全く苦しそうにしていない。肉体はこの寒気によって体力を奪われているはずなのにそんな気配は一切ない。

 三時間ほど歩き続けると、駅の周辺の余所者向けの建物は減っていき、次第にそこに住む人々の建物が立ち並び始める。屋根に積もった雪は降ろされて、うずたかく積みあがっている。足跡は次第に減っていき、新雪ばかりの道になる。


 山の麓まで辿りつくころになるとこの一帯の厳しい山に挑む山男たちの山小屋が数件しかなかった。


 予約していた宿に辿りついた。

 宿は木造の平屋であり、雪に覆われて屋根が何で出来ているかは分からない。看板が隣に建てられているが、墨の文字は掠れて読めなくなっている。この一帯に建物がないため、書いていないのかもしれない。


 老夫婦が営む宿で、電話で予約したはずだと思いながらも、ここまで荒れ果てた光景だと営業しているのか不安になる。

それでもこの宿がやっていなければどうしようもないので、さらに歩いて近づくと屋根の向こうからストーブの煙が見えた。


 入口には老婆が座っていた。ラジオを聞いていた。ちょうど天気予報が流れていて、明日、この一帯は晴れであると伝えていた。入り口からそれが聞きとれたのはラジオの音量は大きかったからだ。どうやら老婆の耳は遠いらしい。


 老婆は慣れた様子で二人の受付を済ませると軽い足取りで客室に案内する。この厳しい山道を生き残るためには足腰が必要であることがよく分かる。

客室には二つのベッドが並べて置かれており、ストーブが置かれている。老婆は慣れた手つきでストーブに火を入れ始めた。


「東京からわざわざありがとうございます。もっと諏訪の方の旅館の方がいい旅館でしたでしょうに。二人は登山客のようには見えませんもの」

 老婆は二人の様子を見ながら言う。部屋の支度が出来たにも関わらず、部屋を出ず。宿泊客と会話するのは都会のホテルではあり得ないことだった。


「私たちは七星村を訪れるためにここに来ました」

 緋川の答えに老婆の目つきが変わった。


「今、何とおっしゃいましたか」

 皺だらけの顔に忌まわしそうな表情が浮かぶ。声が聞き取れなかったのではなかった。緋川の発言があまりにも恐ろしく、信じられないものだったからだ。


「私たちは七星村に訪れます」

 緋川は言葉通り繰り返した。


「あの村に行くというのですか。悪いことは言いません。やめておきなさい。あの村は『わるいもの』がおります」

「『わるいもの』ですか?」

 八嶋は知らなかった。横を見ると緋川も知らない様子だった。老婆はただ恐れて火の暖かさも感じられないように、両腕で自らの体を抱くような素振りを見せる。


「ヒシャク様というよく分からないものを祀っているだけであればいいものを、去年、あの村では自らを人柱にした少女が出たのですよ」

 老婆は鬼気迫る調子で言う。


 そんなことが本当にあるのだろうか。


 どれだけ奇妙な状況であっても、自殺あるいは他殺、そのどちらかでしかない。

 八嶋はその話を合理的に捉えようとしていた。

「人柱ですか。それは村の外からやって来た人だったのですか?」

 緋川が尋ねる。


「え?」

 老婆は目を丸くする。


「それは村の外の人間ですか?」

 緋川はもう一度ゆっくりと繰り返した。耳の悪さを予想で補っていたみたいだが、緋川の想像していない質問に対応できなかったのだろう。


「いいや、そこの住人よ。誰もあんな村に行きやしない」

「なるほど、人身御供という訳ですね」

 緋川は何かが腑に落ちたように頷いていた。


「悪いことは言いませぬ。早く引き返しなさい。一晩ゆっくりと考えるといいでしょう」

 老婆は部屋を出た。


 八嶋は防寒具一式を外して衣紋掛けに吊るし、火の前に座った。緋川もその真似ごとをするかのように座る。

 火から発生した熱が指先に吸い込まれていくような気がした。


「あまり近づきすぎると危ないので気を付けてください」

「分かった」

 緋川はぼんやりと火を静かに見ていた。


「村の外からやって来たという質問はどのような意図だったのですか」

 八嶋は尋ねる。


「人柱は基本的に余所者がなるもの。人身御供とは性質が異なる」

 緋川は火を静かに見ながら意図を語り始めた。


「人柱が選ばれるとき、それは柱という言葉が意味する通り、橋や堰を作るときに行われるの。橋は毎年架けるものではないから不定期というのも大きな特徴の一つになる。余所者は霊力があり、良いことも悪いことももたらすと考えられていた。そして、人身御供は身内の人間から一人を神様の食べ物として提供する行為を指す。そして、その儀式は雨乞いとか川の氾濫を抑えるためのように定期的なものなの」

 人柱という言葉ではなく、人身御供という言葉が正しいことを確かめるために尋ねたらしい。


 問題は言葉の用法ではなく、自らを生贄に捧げた少女だ。その言葉一つに村の異常性が垣間見える。


「では、なぜ自らを捧げたと思われているのでしょう……」

八嶋は火を見つめながら言う。遺書に自らの命を捧げるとでも書き置いたとでも言うのだろうか。

 薪が弾ける。そして割れた中から火の粉が飛び、赤い断面が見える。


「ヒシャク様への信仰と結びつけるのが自然でしょうね。ヒシャクという言葉が水を掬う道具を意味しているのであれば、水神信仰の一つであるになる。ヤマタノオロチに毎年捧げられていたクシナダヒメは人身御供そのものだった。そして、ヤマタノオロチは荒れ狂う川が原型になったとされている。支流からいくつも割れて度々氾濫する川を人々は恐れた」

 自らを生贄に捧げた少女という話が出回るという時点で、あの村には何か特別な信仰があるのは間違いなかった。


「一般的に人身御供の神話というのは基本的によそからやって来た人間によって止められるの。ヤマタノオロチもそう。今昔物語の中のエピソードの一つ、猿神への生贄の話も人身御供は余所者によって終わらされているの。私たちは余所者としてこの人身御供を終わらせるために来たのかもしれない」

 緋川は顔を上げる。八嶋の目に一瞬微笑んだように見えたが、いつもの無表情のままだった。


 ふとした瞬間に見出すかつての彼女の面影はいつも八嶋自身が作り出した幻だった。炎は彼女の顔の側面を照らし、緋色の目はいつもよりずっと赤かった。


 八嶋は不意に気が付いてしまった。


「…………人柱は余所者がなるものでしたよね」

 何が潜んでいるかも分からない村に行く。『ヒシャク様』への信仰の正体さえも分からない。分からないことはあまりにも恐ろしい。


 緋川の命が生贄として捧げられてしまうのではないかという不安まで覚えてしまう。

「そう。捧げられる者か。終わらせる者か。二つに一つとなるでしょうね」

 緋川は穏やかな口調で言う。


 八嶋は自分の両手が祈るように組まれていることに気が付いた。


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