儀式の始まり
階段を下りて一度あの部屋に戻ろうかと思った時、ギギギ、と後ろから音がする。
慌てて階段を下りて元の部屋に帰ろうとしたが、階段を下り切ったところで腕を掴まれた。
咄嗟に振り返ると、あのペストマスクの男。
「やるじゃないか。まさか奴隷呪の首輪の呪い効果を跳ね除けて、部屋から出るとはね。どこに行きたかったのかな?」
「いっ」
腕を掴まれ、そんなことを言われ、無理やり振り返らされて壁に背中を叩きつけられる。
一瞬呼吸ができなくて、咳き込む。
立っていることができなくて、膝から崩れそうになるも腕は掴まれたまま。
「げほ、げほっ」
「ああ、そういえばオメガは体が弱いのが多いんだっけ。ごめんねぇ? びっくりして力がこもっちゃった♪ まあ、それはそれとして――儀式の準備があらかた整ったそうだよ。君をお連れしろ、と命だ。つまり、君の死刑執行が決まったってわけ。悲しいね。それとも嬉しい? こんなろくでもない世界ととっととお別れできて羨ましいよ。俺は死ぬのも許されない組織の狗なもんでね。ああ、喋りすぎてしまうな、不思議だ。君にはついつい、喋りすぎちゃう。なんでだろう?」
くっくっ、と喉の奥でそれはもう楽しそうに笑う男。
そのまま無理やり立たせられて、階段を引きずられながら上らされそうになる。
でも、さっきの……壁に叩きつけられたことで意識が……。
「ねえ、ちゃんと歩いて――って、気絶してない? 嘘でしょ? あれだけで気絶するの? ……はあ、面倒くさい。気絶している人間って結構重いんだよねぇ〜」
声が遠くなる。
ああ、僕……ダメだ……。
「っ……!」
冷たい! と、瞼を無理やり開ける。
体は動かないまま。
真っ黒な天井と、人の気配。
「目覚めたかね?」
ねっとりとした話し方と声は聞き覚えがある。
声の方を向く。首は動かせる。
なんだかよくわからない赤いインクで紋章を描かれた布で顔を覆った、黒いマント、とんがりフードの男。
その横にはモルゾドール様と、モルゾドール様のお屋敷に時々来ていた紳士。
え? あれ? モルゾドール様……!?
ヘルムート様に捕まったままなんじゃ……!?
でも、様子がおかしい。
歯を鳴らし、滝のように汗をかきながら顔は真っ青。
膝をついて床に座り込み、腕は後ろ。
もしかして、拘束されている……?
そして、モルゾドール様の真後ろにはあのペストマスクの男。
あ、あの人が後ろにいたら確かにあんな顔にもなる、かも……?
「さて、生贄も揃ったことだし、そろそろ儀式を始めよう。邪魔が入らぬよう、くれぐれも頼むぞ。“オルディ・ナイト”よ」
「どうせまた失敗でしょ。諦めの悪い」
「オルディ・ナイト!」
「はいはい、軽口はこのへんで。それじゃあねオメガの子。運がよければ来世でまた会おう」
また楽しそうに喉の奥でくっくっと笑いながら部屋から出ていく。
コーネン侯爵が隣にいた黒いとんがりフードの男と同じ、紋章の描かれた布を顔に巻きつける。
そしてとんがりフードを被り、まったく同じ格好になった。
あれ……えっと、もしかして……コーネン侯爵も、邪教徒?
「モルゾドール・フェグルくん」
「ひ、ひい!」
コーネン侯爵が圧のある声でモルゾドール様の肩をかなり優しく叩く。
優しい声色なのに、モルゾドール様の怯え様は異常に見えるほどだ。
それなりの距離があるのに、ここまで歯が鳴る音が聞こえてくるほど。
「おゆ、お許しください、お許しください! どうか、どうかお許しを……!」
「おやおや? なにを許してほしいというのだね?」
「素晴らしい。モルゾドール殿はあまり我が教の教えについてあまり熱心ではないと思っておりましたが、自ら神に許しを乞うようになるとは実に感慨深い……!」
異様に怯えてるモルゾドール様の言葉に、ねっとりとした声色と喋り方の男が両手を掲げて前へと回り込む。
そして侯爵と同じように、モルゾドール様の肩に手を置いた。
「我が神はあなたをお許しになられますとも。あなたが役割を果たせば、必ずあなたの魂を迎え入れてくださいます。我らが神の神域はあなたのような欲深い人間を特に愛してくださいます。さあ、我らが神の新たな肉体の父となる栄誉を! あなたは神の父になるのです!」
「司祭よ、これを」
「ええ」
「嫌だ、嫌だぁ……! 死にたくない! 死にたくない! 嫌だああああ! うわあああああああああ!」
司祭と呼ばれた男が侯爵の持ってきた水差しを受け取る。
その水差しの中身を、モルゾドール様の顎を無理やり掴んで上向かせ、侯爵が鼻を摘んで息をできなくさせているうちに口内へ注ぎ込む。
ゾッとする光景だった。
水だと思っていた液体は、異様な紫色。
それを無理やり飲まされたモルゾドール様のは床に倒れ込む。
呼吸が、自然に浅く速くなる。
まずいことが――まずいことが起ころうとしている。
死ぬんだ、と、改めて突きつけられたようで。
「リュアハラーゼ、パロマ、ロファサクリファ。さあ、口を開けてこれを飲みなさい」
「っぁ……」
呪文を聞くと、口が勝手に開く。
水差しを僕の口元に持ってきて、それを傾ける。
異様に甘ったるい匂い。
口の中に落ちてきたのは酸味と苦味の強い液体。
それを喉がするする受け入れる。
いやだ、飲みたくない。飲みたくない!
ヘルムート様……!




