自覚ない悪意たち
「――呪文を使って連れてきたのかね?」
「そのための奴隷呪の首輪でしょう? というか、わざわざ俺に行かせるほどの価値があったのなら、そもそも取り逃がさなければよかっただけの話でしょう? ま、金さえ払ってくだされば、こっちは別にいいですけどね」
目隠しをされ、馬車に乗せられて連れてこられたのはどこかの地下室のようだった。
男の声が二人分。
一人は僕を連れてきた男。
もう一人は聴いたことはあるが、どこで聴いたのか思い出せない。
どこだっただろう?
でも、最近ではない――。
それに、人の気配はまだ他にもする。
元々目が悪く、眼鏡をしていなかったからそういうことはわかるんだ。
布ずれの音と共に、やはり三人目の男の声が響く。
「どちらにしても、生贄が無事に手元に戻ってきたのは喜ばしい。あの冷酷無慈悲の猟犬に連れて行かれたと聞いた時は、今回の儀式はもうダメかと思いましたが」
ねっとりとした話し方。
この人の声はまったく聴いた覚えがない。
多分、初めての人だ。
そしてこのねっとりとした話し方の人の後ろに二人、先程の高圧的な聴き覚えがある人の声の後ろに一人、それぞれ従者か護衛のような人がいるように感じる。
声が一番近い、僕をここに連れてきた人の気配がまったくしないので、多分……他にも人はいるような気がする。
「しかし、生贄も手に入った。これで『受胎の儀』が行える。早い方がいいだろう。今夜あたり決行してはどうかね」
「もちろん早急に執り行うつもりだ。だが、ここまで来てことを急いたがための失敗はしたくない。これほど上等な生贄をまた手に入れるのも、骨が折れますからな。万全を期すために次の新月の夜がよいでしょう。それまでの間、あなたのところで厳重に保管してください。ナイト」
「構いませんよ。その分の金さえ支払っていただければ、ね」
くすくすと笑う黒づくめの男の声。
今聴くと、作ったような声色だ。
思い出す限りあの黒づくめの男は顔面を覆うペストマスク、足元まで隠れる長いマントと、怪しい限りを詰めたような姿。
その上声まで作っているということは、おそらくこの人がヘルムート様の言っていた“犯罪組織”の人。
そしてそれと繋がっているという邪教の人と……僕が声を聴いた覚えがあるということはモルゾドール様のお屋敷に来ていた――侯爵様……!
……本当だったんだ。
僕を生贄に、なんらかの邪教の儀式が行われる、というのは。
ヘルムート様の言っていることは、本当だったんだ……!
実感がなかったけれど、本当に、本当だったんだ……。
どうしよう、そうなった時は仕方ないと思っていたのに、急に体が震え始めた。
嫌だ、と叫び出したい。
でも、声が出せない。
そういう行動も制限されている。
僕に逃げる選択肢はない。
できない……!
これが奴隷呪の首輪の力……。
「来なさい」
「……ッ」
首輪に鎖を取りつけられて、引っ張られる。
逃走防止効果も持つと言われているから、僕はきっと逃げられない。
黒づくめの男の声と、足音に体が自然についていく。
「わっ」
「ああ、ごめん。危なかった。そういえば見えなかったね。そこ、下に向かって階段。ゆっくり下りておいで」
「っ……」
突然足下がなくなって、倒れ込む。
抱き留められると、薬のような匂いと強い鉄の匂いがする。
なんだ、この薬のような匂い……知ってるような……?
あれ、違う? もう一種類、嗅ぎ慣れない匂いもする。
それらの匂いを薬品みたいな匂いの香水で隠している……?
なんだろう、この嗅ぎなれない匂い。
薬品みたいな匂いとは違う……。
「わっ、あ……!」
「ううん……やはり階段は見えないと危ないか。いいよ、目隠しを取るのを許す」
「っ……ぅ」
何度目かのずっこけを見て、男がそう許可を出す。
体が勝手に目隠しを取る。
僕の意思ではない。
本当に、自分の意思でなにもできないことに愕然とした。
「あれ……? 君、そんな顔できたんだね?」
「……っ?」
「奴隷呪の首輪をつけているとはいえ、相当感情や自意識をすり潰されながら育てられたと聞いていたから、てっきり俺みたいな感情擦り切れ人間になっていると思ってた」
ペストマスク越しでも笑っているのがわかる。
レンズ越しに紫紺の瞳が楽しげに細められているのも見えて、ゾッとした。
「死ぬのが怖い? そういう時はね、考えるのをやめるか今まで殺してきた命の数を数えるといいよ。人間っていうのは生きているだけで、多くの命を食らい殺しているんだから。君、お肉食べたことあるでしょう? なんの肉? なんの生き物を殺して作られたモノ? どんなに少なくたって、食べなきゃいけていけないもんね。君はいったいどれほどの命を食らって生き延びたのかなぁ?」
「っ……っ……っ……」
言葉が出ない。
これは別に奴隷呪の首輪のせいではなく。
この人から溢れる悪意に、どうしていいのかわからない。
命をなんとも思っていないのに、こちらに罪悪感を植えつけて抉り取ろうとしてくる悪意。
今までこんな無邪気な悪意、向けられたことがない。
こんな人間がいるんだ。
これが、犯罪者……犯罪組織の、人間。
「さあ、ゆっくり下りておいで。地下室でゆっくり残りの日数を数えておいで。夢のような長い時間を楽しむといい。君は死ぬ。あのイかれた狂信者どもの娯楽のために。それだけは心から同情してあげるよ」




