西日の差す喫茶店にて-六弦の誘い-
夏休みにはまだ少し早いが、仕事がようやく一段落したので、平日に休みを取りいつもの喫茶店に来ていた。
こんなに晴れの日が続いていいのかと、どこか不安になるほどの快晴だった。
わたしが店に来たのは14時頃で、平日だからなのか客はまばらで、ゆったりとした空気が漂っていた。
そこへ、勢いよくドアを開けて若い男が入ってきた。
続けて二人入ってきて、「お前よくこんなとこ知ってたな」などと言いながら背格好の似通った彼らは入口で固まって店内を物珍しそうに見回していたが、マスターに「お好きなお席へどうぞ」と促されると、「あっちいい感じじゃね?」と最初に入ってきた男を先頭に、窓際の席へ向かっていった。
まだ大人になりきっていない、どことなくあどけなさの残る彼らの横顔からすると、高校生かそれとも大学に入ったばかりくらいの年齢だろうか。
そのうちのひとりが背中からぴょこんと飛び出していた黒いギターケースをテーブルに立てかけ、彼と向かい合うようにふたりが並んで座った。
「まじで暑かったな。やべーよな、この暑さ」
「ほんと、まじで死ぬって」
「やばいっすよね」
彼らの張りのある声が、少し離れたわたしのところまで聞こえてきた。店のスピーカーからはいつもと違う感じの、ちょっと大人っぽいような曲が静かに流れていたけれど、それをかき消すように、人の少ない店内中に彼らの声が響いたといっても言い過ぎではないと思う。
マスターが注文を取りに行くと、「アイスコーヒーお願いします」「俺も」「あ、自分もそれで」と言うやいなや、自分たちの世界に入り込んでいった。
「それにしても、山下くんがフライングVを選ぶとは思わんかったわー。すげー意外」
「俺もびっくりしたわ。けっこうハードなのが好きだったりする?」
「ハードロックとか、メタルとかもちょっと好きなんすよ。父親がよく聴いててその影響もあると思うんすけど」
「へぇ、お父さんカッケーじゃん。どんなの聴くの?」
「昔の洋楽が多いっすね。今はツェッペリンとかディープパープルとか、KISSとかもよく聴いてます」
「そのへんって、やっぱみんな通る道だよなー。俺もよく聴くよ。ねえ、ギターもう一回見せてもらってもいい?」
「俺も見たい」
「あ、はい。いいっすよ」
彼らは学校の先輩後輩、もしくはサークル仲間と新人といったところだろうか。
ギターケースを持っていた彼はチャックを開けて中からギターを取り出し、立ち上がってテーブルの横からギターを渡した。
それは黒と白のピアノのような色味のギターで、三角というのか、矢印のような形をしていた。
「へぇ、こんな感じなんだ。意外と弾きやすそう」
その時、マスターがアイスコーヒーを持ってきたが、彼は構わずギターを手に弾く真似をしてみせた。
「いいじゃん、このギター。でも最初のギターがフライングVってすげーな」
「やっぱり、もっと初心者用っぽいのにした方がよかったすかね」
「そんなことないって。初心者用だとまあお得だけど、好きなのがあるんならそっちのが絶対いいって。じゃないと途中で嫌になるって」
「ほんとそう。俺なんか最初のギターそっこーで売っちゃったもんね」
彼はひとしきり触ると「はい」と隣の彼に渡した。
「ほんとだ、意外と弾きやすそう」
「だろ?」
彼も弦を押さえて弾く真似をした。
「中古でこのレベルって。しかもあの値段だろ。やべー、俺ももう一本欲しくなってきた。ベースで欲しいのあるんだよなー」
「買っちゃえって」
「いや、さすがに無理だって。あ、ありがと」
そう言って彼はギターを返した。
「山下くんがハードなのが好きなら、今度の学際はハードな曲も入れとく?」
「一曲入れてもいいかもな。山下くんさーデビュー曲何がいい?」
「まだ早いっすよ。だって全然弾けないんすよ」
「三ヶ月あればそれなりに弾けるようになるって。それにステージで弾いたらまじでテンション上がるって」
「わかる。あれ、やべーよな。すげー緊張するけど」
「お前緊張してたの?」
「するに決まってんじゃん」
「俺だけかと思ってたわ」
そう言いながら彼らは大声で笑った。
わたしは読んでいた本に集中できなくなり、スマートフォンを出してきて『ギター 三角』と検索してみた。すると、彼の持っていたギターに似たものがたくさん出てきた。確かにロックの音楽をやる人たちが持っているような感じだった。
「で、何にする?」
「ほんとにやるんすか?」
「え? やらない?」
「俺たちも一緒に弾くから間違えても大丈夫だって。プロだって完璧になんてできないんだし、一曲通してやらなくてもいいし。それともソロで弾きたい?」
「いやいや、ソロは無理っす」
「そうだ。俺、よさげな楽譜持ってるから今度持ってくるわ。その中の曲やってもいいよな」
「前に俺が借りたやつ?」
「そう。俺もう使ってないから山下くんに貸すよ」
「いいんすか? 有難うございます」
「あとはネット見ればすげー参考になるよ」
「まじでうまい人いるよなー。お前も配信やってみれば?」
「だって俺、録音機材とか何にも持ってねーよ」
「スマホだけでいけんじゃねーの?」
「あ、なんかスマホだけでもいけるらしいんすけど、やっぱある程度ちゃんとした機材があった方が音がうまく録れるみたいっすよ」
「山下くん詳しいな。もしかして何かやってる?」
「いえいえ、好きでいろいろ見てたら、たまたま解説してる人がいたんすよ」
「へー、じゃあ俺も今度見てみよ。あ、お前なにひとりで動画見てんだよ」
「この人やべーな、まじうめーって!」
彼らが店の全員に聞こえるような声でそんなことを話してると、マスターがカウンターから出てきてテーブルに近づいていった。
そしてテーブルの横に立つと、ギターを持ってきた彼はその姿をちらちらと見て気にしていたが、他の二人は相変わらず談笑を続けていた。
「お客さま、すみません」
マスターが声を掛けると、彼らはいっせいに声の方を向いた。
「ギターの話でしたら……私も混ぜてもらえませんか?」
わたしは、てっきり彼らを注意するものだとばかり思っていたので拍子抜けした。しばらくお客も来ないようだったから純粋に彼らと話がしたかったのか、それとも彼らの声のトーンをさりげなく落とす、マスターなりのやり方なのだろうか。
「あ、はい、いいっすよ」
「君たちは学生さん?」
「そうっす。軽音のサークルっす。彼が新しく入ってきて、こないだ買ったギターの調整が終わって店に引き取りに行った帰りっす」
「それはいいですね。新しいギターを手にするとわくわくしますね」
「おじさんもギターやるんすか?」
「ああ、昔にちょっとだけですけどね。ブルースをやろうとしたけど難しくてね」
「ブルース! 言葉は聞いたことあるけど、どんな音楽なのか知らないっす」
「でもなんかかっけそう」
「今流れてる曲だよ。ほら」
マスターは店内にあるスピーカーを指さした。
「え?」
彼らは店の音楽に耳を澄ませた。
「ちょっと音量を絞ってるけど、ほら、ギターも聞こえるだろ?」
ちょうど曲が変わり、軽快なリズムに乗って艶やかな歌声とギターの調べがはっきりと聞こえてきた。
「なんかロックっぽくないっすか」
「確かに、このギターやべーかも」
「この歌声、やばくねー?」
マスターは黙って彼らの反応を見て楽しんでいるようだった。
その時、店に客が入ってきた。馴染みの客のようで、マスターの姿を見つけると、手を上げて挨拶をしてきた。
「君たち、よかったらまた話を聞かせてくれないか」
マスターはそう言ってカウンターへと戻っていった。
「なあ、そろそろ帰らねー?」
「そうだな、なんかギター弾きたくなってきたし」
「自分も早く帰って練習したいっす」
彼らが帰ると店の中で話をする人は誰もいなくなり、コーヒーの落ちる音が聞こえてきて、流れる曲の音が大きくなるように感じた。
キーボードが静かに流れる中、小さなシンバルの音が時を刻み、ギターの官能的な調べが押し寄せるようにやってきて、やがて同じフレーズを繰り返しながら、フェードアウトして終わった。